千年の眠り
「シャーロット姫様、オリヴィアです。今日は娘も連れてきました」
……オリヴィア。今日も来てくれたのですね。エミリーも一緒に来てくれたのね。
「姫様、エミリーです。お眠りになってからもう一週間ですよ。早くお目覚めになって、エミリーの頭を撫でてください」
……えぇ、あなたの頭をぐりぐりと撫で回したいわ。愛らしい茶色の瞳に同色の歪みを知らない真っ直ぐな髪。そのサラサラの髪に手を通すのが大好きよ。
「シャーロット、やっと会えましたね。後処理のためなかなか足を運べずごめんなさいね。寂しい想いをさせたことでしょう。もう少ししたら数日に一度、いいえ、毎日会いに来れるようになりますから」
……お母様、来てくださったのですね。王女が魔女に呪いをかけられて、眠りについてしまったのです。すぐに終わらない複雑な後処理があるのは当然のことです。……頭で理解はしていても寂しいものは寂しいですけれど。毎日お会いできることを心待ちにしております。
「シャーロット、父様だよ。早く起きておくれ。……愛娘ひとり守れず、何が国王だと言うのだろうね。すまない、シャーロット。何もできない父様を許しておくれ」
……お父様も来てくださったのですね。何もできないなどと。こうして時間を作って足を運んでくださることがいかに大変なことは存じております。そんなご自分をお責めにならないでください。
「姫様がお眠りになってから、もう二度目の春です。姫様の好きな花が咲いてますよ。そうそう。姫様。庭師が木を動物の形に剪定してくれたのですよ。早く起きないと、ボーボーになってなんの動物だったか分からなくなってしまいますよ」
……庭師のトムが? あの気難しい顔で熊や羊の形に剪定してくれたのかしら? 以前お願いしたときは「植物で遊ぶのはいけません」と一刀両断でしたのに。……楽しみね。
「シャーロット。なかなか会いに来れなくてごめんなさいね。シャーロットには内緒にしてほしいと口止めされていたのだけど……。父様が倒れたの。それで……フレディが即位することになったわ。わたくしは、王妃としてフレディを支えなくてはいけない。……ごめんなさい。今までのように数日に一度の面会は厳しくなりそうだわ」
……お父様が? わたくしのことは結構ですので、どうかお父様に尽くしてさしあげてください。フレディ兄様は優秀で人望も厚いので、きっとすぐに執務を行えるようになりますわ。そうして、できた時間はすべてお父様に。……わたくしはこのような有様ですもの。
「シャーロット姫様……、陛下が、先日儚くおなりになりました。……後を追うように王妃も……。お二人とも病床ではシャーロット姫様とまた会うのだと奮起していらっしゃいました。……しかし、それも叶わず……。こんな悲しい報告をして申し訳ございません」
……お父様とお母様が? 嘘よ……。またお会いできると。そう思っていましたのに。どうしてこのようなことに……。せめて、病床のお父様とお母様のお側でお見送りしたかった……。
「シャーロット姫様。陛下も王妃も本当に最後まで姫様のことを……『シャーロットをあらゆる危険から守るのだ」とこの神殿ごと結界内におさめられました。二千年は結界が破れることはないそうです。ですから、シャーロット姫様は何もご心配なさらないでください。『せめて、安らかな眠りを』陛下と王妃の願いです」
……わたくしのことなど。二千年の結界など、どれだけご自身を酷使なさったのか……。……まさか、わたくしの守りを強固なものにするために……お父様とお母様の無理がたたったのでは……。
「姫様。母様はフレディ陛下の奥様の筆頭メイドになりました。しばらくは忙しくて来れない母の代わりに、わたくしが馳せ参じますね!」
……もう、わたくしのメイドに任は解かれたのですね。……エミリー……いつも明るい声で話しかけてくれてありがとう。
「姫様、お花の冠を作りました。姫様によく似合います」
……ありがとう。わたくしと外の世界を繋いでくれるのは、最早あなただけです。わたくしを孤独にさせないでくれてありがとう。
「姫様。夢は見ていますか? 幸せな夢であることを祈ります」
……エミリー、あなたがいてくれるから、夢でなくてもわたくしは幸せよ。
「姫様、母が亡くなりました。……母を亡くすというのは、とても悲しいことですね。昨日まで確かにそこにいて、笑っていたのに。今日はもう、どこにもいないのです。母の笑顔もぬくもりも全て神様が持って行ってしまいました」
……オリヴィアまで……。神様の下でオリヴィアの御心が救われて、輪廻の末、また出会えたらいいわね。
「姫様、分かりますか? エミリーです。わたくしの声も随分と変わったでしょう? しわがれておばあちゃんみたい。……ふふふ、みたい、ではなく、おばあちゃんです。姫様のご年齢を超えて何十年が過ぎたことでしょう。ふふふ。姫様はいつまでも、あの頃のまま変わらずお美しいです」
……わたくしも、皆と同じ時間を過ごし、共に年を重ねたかったわ……。あんなに小さかったエミリーがもうおばあちゃんの年なのね。これほど長い間、神殿に通ってくれてありがとう。
「……姫様。姫様もいつかお目覚めになり、年を重ねることでしょう。そのときにお役に立つように、加齢に伴う種々の変化をお伝えしますね。ふふふ。まず、自分が思っている速度では決して歩けてはおりません。馬車がずっと向こうにいるため大丈夫だろうと道を横断してみられませ。危うく轢かれるところです。それと、声が大きくなるのですよ? なぜかお分かりになりますか? 耳が聞こえにくくなるからです」
……体調の変化にままならず大変だろうに、面白おかしく話してくれるのね。……声の変化にエミリーの加齢には気付いておりました。どうか、どうか、あなたはわたくしを置いていかないで。
誰の声もしなくなり、もうどれだけの時間が流れたことでしょう。
強制的な眠りにつかされたわたくしの自由は心の在り方のみ。気温の変化にも気付けず、ただ寝ているだけ。……泣くこともできません。
「わたくしを馬鹿にして! 天罰をくれてやろう! お前らの娘を永遠の眠りにつかせてやる!」
もう記憶もおぼろげな魔女の言葉。あの憎悪の目は忘れることができません。
あの魔女の呪いは眠りにつかせることだったのでしょう。
けれど、わたくしにとっての呪いは、意識だけで生きていることです。会話ができないのはまだいい。喜怒哀楽を人と共有できないことも我慢できます。
自分の周りから一つずつ大切なものが失われていく過程を、ずっと意識の奥で感じさせられている。このような残酷な現実がありましょうか。
もうずっと、日も数えられなくなるくらい長い時間、真綿で首を絞められるように、身も心も削がれていくようです。
……いっそ、死んでしまいたい。
……お父様とお母様は、なぜわたくしを殺してくださらなかったのでしょうか? このような現状のなかで一人で生きていく娘を憂いてはくださらなかったのでしょうか。
……ごめんなさい。分かっています。お父様とお母様はわたくしの目覚めを信じてくれていただけ。
今はいったいいつなのでしょう。瞼に感じる光の明暗でなんとなく昼か夜かが分かっていたのに。もう何も分からなくなってきました。
やっと死ぬことができるのでしょう。お父様、お母様、オリヴィア、エミリー。もう少しでいきますからね。待っていてくださいね。
もう死ぬことしか考えられなくなったというのに、定期的に意識が浮上します。
食事を摂ることを諦めました。
入浴を諦めました。
会話することを諦めました。
皆の姿を見れることを諦めました。
笑い合えることを諦めました。
手足を動かすことを諦めました。
もう誰もいないというのに、目覚めることになんの意味があるというのでしょう。
けれど、皆が願っていてくれた目覚めです。願ってくれた皆がいなくとも、わたくしは目覚めることを願い、信じなくてはなりません。
……どんなに目覚めが怖くても。
あぁ、死にたい。皆ごめんなさい。わたくしはもう死にたいです。この世にいたくはありません。
わたくしのお父様とお母様をお招きになられた神様。どうかわたくしのこともお連れください。
どうか
どうか。どうか。どうか。