どこにでも隠密
あれから、もう五日が過ぎたけど、ウィリアムが来ることはない。
今日も来ない。今日も。でも明日は。そんな日を繰り返していた。
前に、キャロルは私付きのメイドになってかわいそうって思ったことを思い出した。私のメイドってことは、明日目覚めるかどうかも分からないのが主になるということ。そんな不安な毎日、私なら過ごしたくない。一週間くらいでハゲると思う。
ウィリアムもそう。明日目覚めるかも分からない、もしかしたら明日は外見は同じなのに、中身が全く違うフローラがいるかもしれない。私を好きになるのは、怖かったと思う。苦しかったと思う。だけど、それでも好きでいてくれて、私の幸せを願って、元の世界に帰そうとしてくれている。
……あぁ、もう、何度考えても酷い。
あの日、キャロルは私の仕打ちを説明したあと、明日、お詫びしましょうと言った。でも、その明日はまだ来ていない。
正直に言おう。ウィリアムはこの先もずっと一緒にいたら。たぶん恋してたと想うよ。だって、ウィリアムは本当に王子様なんだもん。戸籍的なことじゃなくて。私をいつも助けてくれるって意味で。
キスリレーのとき、ただ一人、私が目を覚ますまで待ってくれた。危ないからって王城に連れ帰ってくれた。一緒にごはんを食べて笑ってくれて、エスコートやダンスの練習相手にもなってくれて、たくさんくる貴族男性の防波堤になってくれて。
陛下から疑いをかけられた私を守り、好きだと言いながらも私の望みだからと帰そうとしてくれている。そんな人、好きにならないわけないよ。
だけどさ? 私の気持ちも考えてみて欲しいよ。本当の私はこんなに美しくないんだよ? きっと本当の私を見たら幻滅するに決まってる。それに私がこっちで固定するかあっちで固定するか、今のところ誰にも分からない。それなのに、自分の気持ちを確定したくないよ。だって、どうすんの? 好きになったあとに、お別れになったら。
そんな悲しいことに自分から飛び込めないよ。
……だから、私。……もうっ!
私はとりあえず、この五日間ウィリアムに手紙を書き続けた。「ごめんなさい。会ってお話がしたいです」と。でも、来ない。来ないけど出られない。監禁状態を自分から解くわけにもいかないし、続き間のドアの鍵は閉められている。
そんで、今日の目玉焼きは硬かった。
「誰だぁぁぁぁぁ! 誰の許しを得て、目玉焼きを両面焼いたんだ!!!!」
「……ラ?」
「あんな硬いとだめでしょー! パンにものせてないし! パンと目玉焼きだと、パンに目玉焼きのせるのが鉄板でしょー?」
「……ローラ?」
「ちくしょー!!」
そう叫んで、クッションを投げようとしたところにウィリアムが立っているのが目に入った。久しぶりのウィリアムの澄んだ碧い眼差しに、嬉しくなって、会えなかった五日間に悲しくなって、自分のしたことの罪悪感が襲う。
持っていたクッションをウィリアムに投げると、ウィリアムはポスンと受け取った。
「フローラ?」
「私、謝ったよ! 何回も手紙書いたよ!」
「うん、ごめん……」
「なのに、なんで来てくれなかったの? 鍵まで閉めて!」
「ごめん。ちょっと極秘の書類があったんだ」
「私にも隠さないといけないの?」
「いや、……フローラ?」
分かってる。怒るのは筋違いだ。そもそも、王城で住まわせてもらってるだけ感謝しないといけないのに。
「私のこと好きって言ってたのに。誰だって気付くくらい、好き好きオーラばんばんだったくせに!」
「フローラ……?」
「ウィリアムはいいよね! そのまんまなんだから。ある日突然魂だけどっかに行っちゃうこともないし、姿形もウィリアムのもの。全部何も、自分さえ知らないうちに変えられることはないんだから!!」
不安で不安で涙が溢れる。気が触れたように号泣して、閉ざしていた心の内が言葉になって、吐き出すようにあふれ出た。
「私がいけないの? 私は何もしていない。ただ夜寝て朝起きてるだけよ。どうしてこんな目にあわないといけないの? 明日どこにいるかも知れない私にどこで好きな人を作れというの? 明日はお別れかも知れないし、そのまま、もう、二度と、会うこともできないかもしれないのに!」
「フローラ……?」
「ウィリアムの愛は重い!」
「うっ。確かに……」
「満場一致ですね」
私の口撃にウィリアムは同意し、キャロルは無言でコクコクと頷く。クロウが満場一致の確認をとった。
「正直、怖い! そのまま捕らえてやろうと思ってるでしょ! 怖いわっ!」
「……フローラを捕らえることになんの意味があるって言うんだ。行くのは魂だけなのに。魂を捕まえておくことができるなら、いくらでも狂ってみせるよ」
「そういうところが怖い!」
そんな執着だって、どうせ私にむけたものじゃないんでしょ?
他人の体で自分の感情が動くことの怖さに、狂いそうになっているのは私の方だ。偽物の体に本物の魂。外見は関係ないなんて、外見と中身が一致していて初めて真実味を帯びる言葉だ。この世界の誰も私どころか日本人さえ知らないというのに。
「……でも、ウィリアムは本当の私を見てもそんな風に想う? 捕まえておきたいって思う? 私は異世界人で、髪も瞳も真っ黒で。鼻ぺチャでスタイルもこんなによくない。ひょろっとしてなんの凹凸もない。そんな本当の私も知らないで好き好き好きって!」
荒れ狂う私にウィリアムが少しずつ近付いてくる。野生動物を刺激しないかのようにそっと。
「知らないし、知りようがないのに知らないことを責められてもどうすることもできないよ。だけど、髪と瞳が黒くて、鼻ペチャでも」
「体凸凹してない!」
「体が凸凹してなくても。僕はぜったいフローラが好きだよ。それは自信がある」
「見たこともないのに?」
「うん。フローラの造形はとても美しいけど。それ以上に僕はコロコロ変わるフローラのその表情が好きなんだ」
「……表情は私のもの……?」
「そうだろ?」
「うん」
「その喜怒哀楽の激しいところも、食に対する執着も、全部かわいいと思ってる」
ウィリアムが私の手を取って、そのまま自分に引き寄せる。ぎゅっと抱きしめられた。涙も鼻水もダラダラの私はそんなこと気にもせず、ウィリアムの胸のぬくもりを感じた。
「私が、ウィリアムのこと好きになったらどうする……?」
ぐちゃぐちゃの顔でウィリアムを見上げると、ウィリアムは愛しそうに私を見て笑った。
「もう僕のこと好きだって、今気付いたよ。ごめんね」
「ウィリアムは私とずっと一緒にいたい?」
「いたいよ」
「……私もいたいよ。……だけど、家族と会えなくなるのも嫌なの。それに、私とシャーロットが入れ替わってるとき、私、二人がどう過ごしているか、たぶん。すごく、気になるの」
「仮死状態だって言ったでしょ」
「うん。でも、シャーロットには私の家族から、これまでの誤解を知らされているはずだから、シャーロットはこの体に帰る勇気が出たかもしれない」
「大丈夫だよ」と言って、私を抱きしめたままウィリアムは頭をぽんぽんしてくれた。そうして、手を繋いで、二人ソファーに座る。
「今度はプリン食べてくれる?」
「……あぁ、もちろん。この前はごめんね」
気まずそうにウィリアムがそう答えるから、私は楽しくなって正直に言ってみる。
「私、自分で食べたよ。……泣きながら」
「子供だった、ごめんね」
そう言って、また抱きしめてくれるから、私は嬉しくて、背中に手を回して力を入れる。
コホンと咳払いの音がして、すっかり二人気分だったけど、キャロルもクロウもいたことを思い出す。
「ウィリアム殿下。本日はお話があったのでは?」
「そうだった」
ウィリアムは名残惜しそうに私を腕の中から解放したけど、手はしっかり繋いだままだ。
……分かる。どこか繋がってないと不安だよね。
「フローラ。陛下立ち会いの下でロージーとヴィオラとの会談を行うことになった」
「何か分かったの?」
「恐らく。人伝や手紙にすると情報漏洩の恐れがあるから、直接来てもらうことになった。陛下には事前に、何も隠すことはないので、立ち会って頂いて構わないこと、どこにでも隠密を入れてもらって構わないことを伝えておいた」
「あぁ。前に言っていた作戦ね。…………どこにでも隠密……?」
私が引っかかりを覚えたフレーズをリピートアフターウィリアムすると、ウィリアムは苦笑した。
「そう。どこにでも隠密」
「どこにでも……ここも……?」
「恐らく。陛下はさすがに、まぁ息子のそういう場面を見たくはないというのもあるかも知れないけど。配慮して寝室は遠慮してたみたいだ」
「してたみたいだ……。あれ。おかしいな。私、過去形に聞こえるんだけど……」
「過去形だからね」
ぶわぁーっと顔に熱が集まるのが分かった。キャロルやクロウだけでなく私のさっきのあの、あの! あの醜態が陛下までに!! なんてこと!!
「ま、あれほどまで熱烈に僕を求めているのが父上の耳に入ったら、さすがにもう疑われないと思うよ?」
「私……求めてた? ……求めてた!!」
自分を振り返って、そう叫ぶと「そういうところ本当にかわいい」とまた抱きすくめられる。
「ウィリアム! これってもしかしてピロートークなの?」
私は知らないうちに危ない状況に陥っているかもしれない。家族に聞く類いの話じゃないとお兄ちゃんに言われたからウィリアムに聞いてみる。うっかり嫁入り前の醜聞になるところだ。
「……どうしてそう思ったの?」
「あ! 枕ないから大丈夫か」
そうだった、そうだった。枕がキーポイントだったから、これはセーフだ。
「……どうしてそう思ったの? あと、ピロートークにやけにこだわるのは何でなの?」
「お兄ちゃんに聞いたら、ピロートークは愛し合った二人が会話することって言ってたから」
「兄上に聞いたのか……」
「うん。でも、家族に聞く類いの話じゃないから親には聞いたらだめって」
「だろうね。……でも、そうか。フローラは僕たちが愛し合った二人って思ったからそう言ったんだね。どうしよう。かわいくて、食べてしまいたい」
食べる。その言葉の意味を私は知っている。これはもうさすがに。赤ちゃんができるやつだ。
またぎゅーっと抱きしめてくるウィリアムを引き剥がしてお断りすると、ウィリアムは「ちゃんと段階は踏むよ」と言って大人の笑顔を見せて、クロウはまた咳払いをした。
私はついに認めてしまった、初めて知る恋の甘さに酔いしれながらも、日本にいる家族への罪悪感を感じていた。




