私、姫だからな!
「フローラ姫様、そろそろお目覚めになりませんか? 皆待っているのですよ」
ぼんやりとした意識の中、キャロルの声が聞こえる。
……うん、ここはシャーロットの世界だね。ちょっと電車の中で寝ただけなのに。プリンまだ食べてないのに……。
「おはよう。キャロル。今度はどれだけ寝てた?」
「フローラ姫様! おはようございます。今回は一晩でした。早くお戻り頂けて嬉しいです」
……あっちでは二回は寝たから、三日はいたのかな。この時間の経過の仕方がよく分かんないや。……それはともかく。
私はバッと勢いよく体を起こした。
「クロウに部屋はすぐに借りられる? 私、あっちでプリン食べようと思って冷蔵庫で冷やしてたところだったのよ。食べられないなんて酷くない? もう絶対食べたいよ」
「クロウに調整してもらいます。必要な食材や調理道具があれば仰ってください」
私がお兄ちゃんに教えてもらった食材と調理道具を伝えればキャロルがサラサラとメモして、控えているメイドに渡した。
「では、クロウに話を通して参ります」
「う、うん。ありがとう」
クロウの了承より先に食材の調達するんだ……。
「クロウの仕事中は好きに使ってかまわないそうです」
ほどなくして続き間のドアから戻ったキャロルがいい笑顔でそう言った。たぶん、言わせたんだろうと思う。まだ少し圧の残照が見える。
「朝食の準備は間もなく整いますが、いかがなさいますか? プリンなるものを先に作るか、食後に作られるかどちらでも構いません」
冷やすという単語が出た以上は時間が必要で、私はすごく食べたがっている。キャロルの配慮だろう。
「すぐできるから、朝食の準備が整う前にパパッと作っちゃうね」
「承知しました」
私は、キャロルに着替えを手伝ってもらってから、続き間のドアを抜け、応接室を横切ってクロウの私室に来た。
調理道具を確認すると「あったらいいな」と思って言ったものもちゃんとあった。メッシュボールとホイッパーだ。
まずはカラメルソース。私は冷やしたプリンに後かけ派だけど、今回は型に先に流そうと思う。いっきに終わらせないと、クロウが嫌がるだろうし。
カラメルソースは昔、何度作っても焦がしたり、焦げなくても硬くなったりして悔しくてお兄ちゃんに教えてもらいながら練習した。だから得意なのだ。
足し水用のお湯を沸かしておいて、水と砂糖を鍋に入れる。好みの色になったら、足し水をいれて、スプーンでかき混ぜたり、鍋を振ったりして完成! タッタラー!! カラメルソースはあったかいうちに耐熱容器に入れます。タッタラー!!
テンション爆上がり!
次にお兄ちゃんに教えてもらったとおりプリン液を作ってフライパンにお湯を張り蒸していく。弱火十分、火を止めて十分放置。
「そう言えば、こっちにはプリンある? もしあるなら私作らなくても良かったよね」
「いえ、オムライスの話から察しますに、名前や見た目が似ていても、フローラ姫様の世界のものとは似て非なるもの。食べてみるまでは判断できかねます」
「そ、そうだよね!」
それは、キャロルの完璧主義ゆえの言葉なのか、ただただ、知らない世界のごはんが食べてみたいだけなのか。そして、さりげなく私は今、オムライスを要求されたのか……。
キャロルの顔をじーっと見ても、ちょっとよく分からなかった。
「一応、多めに作ったから、ウィリアムの料理人にも食べてもらって再現できそうなら、今度からお願いしようっと」
「フローラ姫様、その場合はジムにも上げないと、嫉妬しておしかけてくると思います」
「……ジムはあげても、気に入ったら、作り方教えてってくるでしょ」
「ですが……」
キャロルが言うには、そもそもジムが処刑されそうになったのは、何が何でも古来の料理を完璧に作りたいと、私に無理させそうなジムが私付きの料理人に固執したことと、そんな料理人が付いていては、私の負担が増えてまた仮死状態になるのではないかと心配した男二人の意地の張り合いだったそうだ。
「最終的にジムが、フローラ姫様付きの料理人であり続けることを神に誓って、神に誓ってまでのフローラ姫様への執着を危惧されたウィリアム殿下が、フローラ姫様付きの料理人を外そうとしたのです」
それはいわゆる人事異動というものではないか。なんで受け入れないの、ジム! 分かってるよ。作ってみたいんだよね、知らない料理。でもさ、私この世界の人じゃないんだよ。そのうち帰るから。そしたらどうすんの? 神に誓って。……そのときは、シャーロットに本来の古来の料理を習ってもらおう。
「フローラ姫様?」
「……あ、ああ。ごめんなさい。ちょっと呆気にとられてしまって」
「馬鹿ですよね」
私が濁した言葉をキャロルはバッサリいった。さすがクールビューティ。かっこいい。
「フローラ姫様、そろそろお時間です」
キャロルが時間を確認して、プリンの蒸し時間の終わりを教えてくれる。布巾で蒸気が落ちないように包んだ蓋をとると、ちょうどいい具合だ。あとは、粗熱をとって、冷蔵庫に入れる。バニラビーンズはないだろうと思ったから聞きもしなかったけど、香りがないのは寂しいね。今度作ることがあれば聞いてみよう。
キャロルに朝食が終わる頃に、プリンを冷蔵庫に入れておいてもらえるよう伝えた。
今日は珍しくウィリアムが飛んでこなかったので優雅に過ごす。起きるかどうか分からなかったし、起きた当日に勉強をさせるわけにもいかない。ということで今日は一日自由だ。何をして過ごそうかと思ったところで、何もないんだもんなー。
キャロルに入れてもらった紅茶を飲みながら、ふと外に出たくなって、窓の外を眺める。その様子に気付いたキャロルが、窓を開けてくれた。優しい風が頬を撫でる。外を見ると色とりどりの花が植えられているけど、花をみただけで四季が分かるほど私の花への興味は薄い。ただ秋と冬じゃないことが分かるだけだ。
「今は、夏? 春?」
「夏にございます」
「そういえば、四季は私の世界と同じかな? 春夏秋冬があって。だいたい三月から五月が春で、六月から八月までが夏、九月から十一月が秋、あとが冬なんだけど」
「同じです。こちらもだいたいそのような月で四季が巡ります」
「そうなの」
「それで」と言ったところで、キャロルに止められる。
「外出は許されておりません。フローラ姫様。ウィリアム殿下はフローラ姫様をお守りするためにフローラ姫様に狂ったふりで監禁しているように見せかけているのです。実際、この状況をウィリアム殿下がお喜びになっていることはともかく、監禁が偽りだと知られてしまえば捕らえられてしまうかもしれません」
「分かったよ。ここで大人しくしてるよ」
私は溜息一つで気持ちを切り替えた。仕方がないからウィリアムの私室の図書室で適当に本をよんで過ごす。
「フローラ姫様、ウィリアム殿下がお越しになりました」
ちょっと疲れた顔で帰ってきたウィリアムだけど、それでも私を見て嬉しそうに笑みを広げた。腕を広げて駆け寄ろうとしたところでキャロルの視線に気付いて踏みとどまった。
「フローラ、君が起きて動いていることが嬉しくてたまらない。そうあることが既に奇跡だ」
よく聞くとすごい台詞だ。起きて動いているだけで褒めてもらえるなんて赤ちゃんだけだ。もはや息しているだけで尊ばれているといって過言じゃないと思う。
「ウィリアム。そんなに喜んでもらえたら私も嬉しい。随分疲れた顔だったけど、忙しかったの?」
「あぁ。エヴァンズはフローラを千年の眠りにつかせたとは言え、血族だろ? フローラの魂が別人のものであると知られてしまったため、エヴァンズがそうなるように仕向けて、王族に仇成そうとしているのではないと父上が警戒していてね。エヴァンズにこちらに来てもらうのが難しくなってんだ。でも、調べないといけないこともあるだろう? だから、根回しが必要でね」
そんな面倒なことしなくても私に隠すことは最早何もない。もっとシンプルにいけないのか。
「ねぇ、ウィリアム。私、この時代のことどころか、王族とか貴族とか、政治とか何も分からないんだけど」
「うん、なんだい?」
「そんなに根回しが必要?」
「どういう意味?」
ウィリアムは根回しが必要ない可能性が分からないみたいだ。
「うん、あのね。私は隠さないといけないことは何もないの。だから、隠密だっけ? 陛下の隠密でも陛下でも、どの場に立ち会ってもらってもかまわない」
「何も隠さず、信用を得ようと?」
「うん。だって、こういうのって、人の手が入るほどややこしくなるんだよ」
「どういう意味かな?」
何かいいたとえがないかと私はない頭を振り絞った。人によって捉え方が違う。捉え方が違うと伝わり方が違う。人が入るごとに事実が歪んでいくことをどうやって伝えようか。
……そうだ! ちょっと自意識過剰っぽい感じで嫌だけど……
私は真面目な顔を作ってウィリアムとキャロルとクロウを見た。
「実は、私、ジムのことが好きなの」
「なんだって?!」
「はぁ」
私はにこりと笑って見せた。
「ね? 今三人とも同じ言葉を聞いたのにウィリアムは怒ったような声を出して。キャロルは知ってるけど、みたいな声。クロウにいたっては興味ないから返事さえない」
クロウ! 私、姫だからな!
「ウィリアムはどうして怒ったような声を出したの?」
「ジムなど、ただの料理人ではないか」
「ウィリアム、私言ったよね? お兄ちゃんが目指す仕事を馬鹿にするのは許さないって」
「……悪かった。その、フローラは兄上が好きだろう? だから、兄上と同じ料理人を好きになる可能性はあるのではないかと危惧していたものだから、つい……」
「今の段階で誰かを好きになるなんてあり得ないよ。私、自分の居場所さえ固定していないんだよ? でも、ごめん。私、言わせたよね。本当酷い」
キャロルは「だって、フローラ姫様はジムと仲良くしていらっしゃいますし、今更でございます」と言って、クロウは目を逸らせて「フローラ姫様のお考えの通りです」と言った。
クロウ! 私、姫だからな!
「こうやって、みんな違う捉え方じゃない? こんな自分の価値観入った報告がされて、その受け手も自分の価値観とすりあわせて報告を受けるわけでしょう? 私が国に仇成す存在かもしれないって先入観がある陛下とその周りの人なら、ちょっとでもそれっぽいことがあれば、自分の考えが正解だったって、その一つを誇張して伝えると思わない?」
「確かに……」
「だから、もう堂々と一緒の席についてもらおうよ。こそこそしてたら余計怪しまれるし、勝手な他人の想像で幽閉されたり処分されたりするのは絶対やだよ」
この問題に関して、命が関わっているのは私だけだ。だからか、みんな私の意見に合わせてくれることになった。堂々と魔女を呼んで、陛下かその周りの誰かも同席してもらう。
ソファーに並んで座る私は隣に座るウィリアムにもプリンを準備してもらう。今から、誠心誠意謝らないといけない。
「ウィリアム。さっきは本当に酷いことをしてごめんなさい」
ウィリアムの気持ちを参考書代わりにしたようなものだ。最低だ。
ウィリアムは苦いものを食べた後のような顔をする。
「本当にね。どんな気持ちでそんなことするの? 僕のことあざ笑ってるの?」
「そんなことない。ただ、自分の世界に帰りたくて必死で……」
「それは分かるよ。だから、僕も君が帰れるように全力を尽くしたいと思って、今日も、エヴァンズとの間に繋ぎをつくろうと……」
今後はエヴァンズと直接やりとりすると妨害され、情報をもらえなくなる可能性があるため、仲立ちになってくれそうな口の硬い人をあたっていてくれたそうだ。
そんな手を尽くして帰ってきたら、自分の気持ちを弄ばれたんだ。本当酷い。私。
「ごめんなさい。でも私、ウィリアムのこと好きだよ。ただ、同じじゃないだけで、キャロルやジムを好きなようにウィリアムのことも好きだよ」
「……ごめん、フローラ。今日はちょっともう、無理だ。僕、戻るね」
「え……」
私を見たウィリアムは今にも泣き出しそうな酷く傷付いた顔をしていた。
「キャロル、私、確かに酷いことした。だけど、好きと伝えたのになんで、ウィリアムはあんなに辛そうな顔をしてたの?」
「……フローラ姫様は残酷です。ウィリアム殿下の気持ちを分かっていながらあのような形で試して、慰めようと、謝罪のつもりで好きと言う。……ウィリアム殿下はそんな気持ちを欲してはいなかったでしょう? きっと誰のどんな言葉より、フローラ姫様の好きと言う言葉を聞きたかったはずです。それがあのような……。さすがにウィリアム殿下に同情いたします」
そうやって説明してもらうと私は小悪魔通り越して悪魔だった。例えば私がお兄ちゃんに好かれたくて頑張ってて、それをかわいそうに思ったお兄ちゃんが好きだよって、大して好きでもないのにいったのがありありと分かるものだったら。
なんて酷いことをしたのか。
結局、テーブルに並んだプリンをウィリアムが食べることはなかった。




