親ってないよね
「姫様がお目覚めになられたそうです」
僕の身支度を手伝いながら、側近のクロウがそう報告をしてきた。旧神殿から姫を連れ帰ってから三日が過ぎていた。馬の上で寝てしまったまま微動だにしなくなって、客間のベッドに寝かせた。それから姫はずっと寝ていたのだ。
「やっとか! それで姫の様子は? 三日も飲まず食わずだったのだ。衰弱しているのではないか?」
クロウが楽しそうに頬を綻ばせてクスクスと笑った。
「何がおかしい?」
「いえ、それが……」
クロウが堪え切れない笑いを封じるように咳ばらいをした。
「起きて一言目が『お腹が空いた』だったそうですよ。今は広間で朝食をおとりになっています。ウィリアム殿下もご一緒なさいますか?」
「あぁ」
マントを返し身を翻すと、僕はスタスタと広間に向かった。気持ちが逸るのに応じるように足早になる。
ここ三日、毎日のように姫の部屋に通った。
絹のような白い肌を通り越して、生気なく青白くなった肌に触れると酷く冷たかった。旧神殿で寝ていた時のように仰向けになり、ピクリとも動かない姫を見ていると、このまま二度と目を覚まさないのではないかと不安に駆られた。
僕のくちづけで起きてくれるのではないかと、再び唇を奪おうともした。しかし、姫の傍には常にメイドが寄り添い、僕の傍には常にクロウがいた。部屋の内外には護衛が二人ずつついていた。
それは千年ぶりに目覚めた我が王家の祖先である姫を、突如地に降り立った女神を崇めるように、どんな危害からも守るように、物々しく厳戒態勢が敷かれているようだった。
事実、姫を目にしたものは皆、心酔したように目の色を変えた。
そんななかで、唇を奪うことなどできるはずもなかった。
しかし、僕が連れ帰ったのだから、僕の……。いや、姫の意見も……。
広間の扉の前で深呼吸をしてクロウに目配せすると、扉が開かれた。
努めて王族らしく優雅な振る舞いで歩を進めると、パンに噛り付く姫と目が合った。姫はパンに噛り付いたままポカンとした顔で僕の顔を見つめている。吸い込まれそうな大きな瞳に見つめられたまま、しばらく身動きできずにいると、姫が思い至ったかのように口を開き、その勢いで口からパンが落ちた。
「あ、昨日の……。もう三日前か。……の、優しい王子様!」
ふんわりと蕾の花が開くように笑みを広げた姫が、ジュースを一口飲み、僕の方に近付いてきた。目の前でピタリと止まり、もう一度笑みを広げた。
「この前は、馬の上で寝ちゃったみたいで、ごめんなさい。連れてくるの大変だったよね? 投げ出さず、連れ帰ってくれてありがとう」
先日も思ったが、この姫は容姿と言動があっていない。王族にはあるまじき口調だ。もっと言えば、鈴が鳴るように高めに響くきれいな声にも合っていない。
そのギャップに戸惑いもするが、結局はかわいい。愛らしい。
「投げ出すなんてとんでもない」
「ふふふ。ありがとう。王子様も朝ごはん?」
「あぁ」
「私、まだお腹膨れていないんだけど……」
姫は「ちぇっ」と呟いて、いじけたように視線を落とした。
「……一緒に食べようと思って来たんだけど、ダメだったかな?」
顔を上げた姫はキラキラと瞳を輝かせていた。
「いいの? 一緒に食べても? 王子様と?」
「もちろん。姫さえ嫌でなければ」
「そんなことないわ。ごはんはみんなで食べたほうが楽しいもの」
「じゃあ、一緒に」
姫はスプーンでスープを飲みながら、パンに噛り付こうとしたところで、僕がパンを千切って食べているのを見て、同じようにしてパンを食べた。
千年前のテーブルマナーは今と大分違うのかもしれない。
「改めて、姫。僕はウィリアム。姫の名前は?」
スクランブルエッグをスプーンですくおうとしている姫に視線を投げると、姫は首を傾げてみせた。
「ウィリアムは知らない? 私の名前」
自分の名前を思い出せないのだろうか。だけど、姫の記録は残されていない。僕にも分からない。
僕はゆっくりと首を横に振った。
「知らないんだ。恐らく、姫が眠りについたあと数十年は記録が残されていただろうとは思うけど、この千年の間に王位継承権争いがあってね。そのなかで、失われた記録は多いと聞いている」
「では、王子様たちは、突然現れた魔女の伝聞をなぜ信じることができたの?」
「記録は失われても記憶を持つものは残っている。伝承として語り継がれていた」
僕たちの世代の頃には、おとぎ話のようになってしまっていたけれど、それ以前の王族は、姫が眠る場所を探し続けていた先代もいると聞く。結局見つけられず、それ故におとぎ話になってしまっていたわけだけれど。
「だから、突然現れた魔女の伝聞もすぐに信じることができたんだ」
姫が眉をしかめて首を傾げた。
「魔女は王族に仇成した者の末裔よね? なぜ簡単に城に入れたの?」
「簡単にじゃないさ。王族にもおかかえの魔女はいるからね」
「おかかえの魔女がいるから?」
「まぁ、その魔女も命からがらコンタクトをとったというわけさ。それに僕が直接聞いたわけでも、その魔女が城に入ったわけでもない」
その魔女が、どんな試練を超えて僕たちに伝聞を届けることができたのかは、こんな爽やかな朝食の席で話せることじゃない。
僕はニコリと笑みを向けて話を終わらせた。……つもりだった……。
キョトンと丸めた瞳で姫が言った。
「命からがらって? 何かしたの?」
僕は曖昧に微笑んで見せた。
「酷いことしたの?」
真相を追及するように姫が言葉を重ねる。曖昧な笑顔で場をやり過ごす方法はこの姫には効かないようだ。
「酷いこと……というか、一部の魔女は王族とは疎遠になっている。そんな伝承がある以上、簡単には接点を持つことはできないんだよ」
「一部の魔女って……」
「はい。この話はここまで」
ぷぅと頬を膨らませて、納得のいかない表情を露わにする姫を無視して、話を戻す。
「それで、姫の名前は? 思い出せないの?」
膨らませていた頬をため息を吐く形で萎ませた。
「うん。記憶が曖昧で……。そうだ! ウィリアムが名前を付けてくれない?」
「僕が?」
「うん。だってウィリアムは、私が目覚めて初めて話した人だもん。生まれたてのひよこは初めて見た人を親と思うでしょ? それで言うと私にとってはウィリアムが親! 完璧! さぁ。素敵な名前をちょうだい」
得意気に鼻を鳴らし、プレゼントを強請るように両手を広げる姫に、僕は心の中で落胆した。
……親はないだろう。そんな認識はやめてほしい。そんな形で姫を自分の物にしたいわけじゃない。
「……少し、時間をくれないか……」
「うん! いいよ!」
デザートのフルーツを食べ終わるころ、姫が瞳を輝かせて見つめて来た。その瞳にくぎ付けになっていると。
「決まった? 私の名前」
「……明日まで、時間をくれないか……」
「えぇー。じゃあ、それまでウィリアムは私のことなんて呼ぶの? 困らない? あ、でも王子様だから忙しいか。名前を呼ぶのに困るほど一緒にいないか……。私、何して過ごせばいいんだろう……」
え? ずっと一緒に過ごすつもりだったけど? それも、他の兄弟たちの目に入らないように背中の後ろに隠して。
名前を付けないと一緒にいれないのか? なんて無理難題を投げつけてくるんだ。この可愛い生き物は!
必死で素晴らしい名前を考えて唸っていると、ここ数日姫に付き添っていたメイドのキャロルがにっこりと微笑んだ。
「姫様、大丈夫ですよ。来週には家庭教師が数人来ますので、十分に時間つぶしが出来ます」
ぎょっとした顔で後ろを振り向いた姫が嫌そうな声を上げた。
「そういう時間つぶしはいいの。そうだ! ピクニックでも! せっかくこんなにいいお天気なんだから外に出ないと損よね。それに私千年も眠っていたんだから、歩く練習もしないといけないと思うの。食べる、寝る、遊ぶ。そういう日常の一コマ一コマがすごく重要な社会復帰のための練習だと思う。うん! そう思う! 勉強は部屋に閉じ込もってじっとしていないといけないでしょう? 普段から日常生活をなんなく過ごしてきた人たちには分からないかもしれないけど、そんなんじゃ、この城の端から端も歩く体力もつかないわ。そう思わない? ウィリアム!」
よほど勉強をしたくないのか、早口でまくしたてるように話す姫に呆気に取られていると、味方になってくれと言わんばかりに、お鉢を回されてしまった。
キャロルに視線を投げると、強い目力で僕を見つめ、首を横に振っている。僕は曖昧に微笑んだ。
「どうかな……」
これ以上開けられないのではないかと思われるくらい目を開ききった姫が、悲し気な表情に変わり俯いた。
悪いことしたな、と、後ろめたく思っていると、ケホケホっとわざとらしい咳が聞こえてきた。
「姫様?」
訝し気な面持ちのキャロルが姫に近付くと、姫は口元に手をあてたまま咳を続けた。
「コホッ、コホッ……私、千年も何も、コホッ、食べていなかったから……ケホッ。食べ物を飲み込むことさえ上手くできないの……。ケホッ。勉強なんて、ケホッケホッ。普通の生活が出来てから、コホッ、することじゃ、ケホッ。ない?」
咳をしながら、よく喋るなー。となかば呆れながら、姫の演技を鑑賞していると、キャロルが白けた声をだした。
「食事を初めて1時間強経ちますが、おかしいですね。急に飲み込みが悪くなったのですか? 先ほどまでウィリアム殿下と話をしながら食べていらしたのに」
おぅ。キャロル。なかなか核心をつく。さぁ、姫はどう出るか。
さながら、演劇鑑賞をしているように僕はそのやりとりを見守った。
「けほっ。なぜかは分からないけど、ケホッ。この状況が事実、ケホッ。というのに間違いはない。コホッ」
キャロルはこめかみを押さえながらため息を吐いた。
「それでは仕方がありませんね。スケジュールを見直しましょう」
「本当?」
「えぇ。姫様の健康が第一ですから。スケジュールを見直しましょう」
「ありがとう」
ニコニコと二人は見つめ合っていた。思い出したように姫は咳を一つした。