優しい夢と胸の痛み
小夜のお母様が歓喜に満ちた声で、わたくしやわたくしの世界について分かったことを教えてくれます。
わたくしがおばあさまに憎まれて眠らせられた訳ではないこと。王の立場に妄執したお兄さまからお母様とお父様に協力してくださった結果の千年の眠り。わたくしの中のエヴァンズの血が抵抗したことによる意識のある地獄のような残酷な千年。
愛され、幸せな将来を願われたからこその地獄の千年。
はじめは数年から数十年、少なくともおばあさまもお母様、お父様。その計画に関わった者が生きているうちにわたくしは目覚める予定だった。
「シャーロットちゃんは愛されていたのよ。私も人の親だから分かるわ。親が願うのは子供の当たり前の未来。ご両親やおばあさまはシャーロットちゃんに、幸せな未来を夢見れる時間を上げたかったのだと思うわ」
結果的に、意識だけが取り残されたから、悲しい残酷な時間になってしまったけど、本当はこのようなことになるはずではなかったのだと。
だけれど、本当にそうでしょうか。意識も取り残されず本来の仮死状態の千年だったとして、起きたら誰もいない世界に、わたくしは絶望したのではないのかしら。いづれにしても、わたくしは死を望んだと思います。
「シャーロットちゃんは、この家で目覚めて、最初はシャーロットのまま千年後の世界で起きたのだと思ったと言っていたわね」
以前、わたくしが小夜のお母様、薫様に洗面所に連れられて自分の姿を確認したとき、自分が大きな勘違いをしている状態だと気付きました。その言い訳のように、それまでの自分の思いを吐露したのです。
「その後も、その、私たちうまく接することができていなかったと思うわ」
ご家族を害なそうとする会ったこともない他人が、そのご家族自身の中に入り込んでいるのです。当然です。
「だけど、お互いのいろんな誤解が解けて、私たち少しはうまくやれていると思うんだけど、シャーロットちゃんはどうかしら?」
「……本当に良くしていただいていると、いつも感謝しております」
中身がわたくしとはいえ、見た目はみなさまのご家族の小夜。時折見せる小夜を見る目が慈愛に満ちていて、わたくしにも殊の外優しく丁寧に接してくださる。わたくしが正気を保っていられるのは小夜をこちらの世界に戻らせないとという使命感と、そうでなければ、この慈愛に満ちた目が冷えたものに変わってしまうことを知っているからです。
以前、圭様に親切に感謝していたところ言われました。
「お礼はいい。俺たちがよくしているのは、その体が小夜の体だから、シャーロットに不用意に傷つけて欲しくないからだ。お礼してくれるなら、その体の主に魂を明け渡して欲しい。何も死ねと言っているわけじゃない、自分の体に帰れと、当たり前のことを言っているだけだ」
わたくしは、自分の世界で眠らせられ、魂の辿り着いた場所で、にこやかにわたくしに笑いかける方たちに嫌悪されているようです。
そんなつもりはなかったと弁解することに意味などないことは分かっております。十分に理解してくださっているのですから。
それでも優しくしてくださる小夜のご家族に望まれるがまま、自分の世界について語ります。
魔女のこと、王族のこと、王女としていきた時間、千年の眠っていた時の話。
話していて辛くなってきた頃はいつも圭様が、話を変えてくださいます。
「シャーロットはこの世界で不思議に思うことはある?」
そのように話を切り替えてくださるのです。わたくしは小夜の屋敷から出ることがほぼないので、この世界のこととして問うことが正解なのか分からず、返事に戸惑いました。
「なんでもいいんだ。俺たちばかり聞いて、シャーロットも話すのに疲れただろう?」
この方は小夜の体を傷つけて欲しくないから優しくするのだとわたくしに言いました。真正直に言いにくいことも言ってしまう潔い彼は信用できます。おそらく、わたくしが高瀬家の皆様にとって不快な態度をとってしまったとしても、ありのまま注意してくださるでしょう。
「小夜はどのような子ですか? わたくしは少しお会いしたことがあるだけでよく存じません」
「そのよく知りもしない人間の中に入ってるんだもんな。そりゃ気になるよな」
わたくしの状況を労うようにみえて、その実、遠く離れたわたくしの体に入っているだろう小夜のことを思っているのでしょう。
わたくしは、否定的な意味で伺ったわけではないのですけれど……
「わたくしは小夜に救われた身です。ほんの数分お話しただけですが、孤独に殺されそうになっていたときに、わたくしをだきしめてくれたこと。一緒に連れ出そうとしてくれたこと。そのどれもが、わたくしを救ってくれたのです。そんなわたくしの天使にも等しい小夜のことです。知りたいと思うのは当然ではありませんか」
そこまで言ってハッとしました。我が身を省みず、言い方が少々乱暴になってしまった自覚があります。胸のざわめきに意識をとられていると、小夜のお母様が嬉しそうに微笑みました。
「そう、シャーロットちゃんにとっても小夜は天使なのね? 私にとっても天使なの。私と亡き夫を繋いでくれる天国の使い」
小夜はただ愛されていただけではない。薫様の亡きご主人の忘れ形見。圭様も亡くなったお父様を思い出し、より小夜をかわいがるのでしょう。
「はい。なぜ小夜がわたくしの元にたどり着けたのか分かりませんが、わたくしの救いとなってくれました。小夜はどんな子ですか?」
「小夜はね、本当に優しい子なの。そりゃ悪態もつくし、文句も言うけど、根っこが優しい。だから、いつも私たちに感謝を伝えてくれるの」
「感謝ですか?」
「えぇ。普通家族だと、照れがあって『ありがとう』とか『ごめんなさ』が言いにくいじゃない? だけど小夜はちゃんと伝えてくれる。好きだよってこともね。でも、シャーロットちゃんの世界では家族に愛を伝えることは普通かしら?」
「いえ、やはり照れくさくてなかなか言葉にはできません」
言葉にできないまま、もう会うことがなくなった。小夜はもしかしたら心のどこかで分かっているのかもしれない。今日と同じ明日がくることが当たり前じゃないことに。
「圭様は? 小夜はどんな子ですか?」
「うーん。小夜はとにかく食い意地が張ってるな」
「え……そのようには……」
わたくしは自分の体を検分しますが、太っているようには見えません。
「小夜は痩せの大食いなんだよ。部活やめたら太るだろうけどな」
「……小夜は何が好きなんですか?」
「卵料理だな」
「まぁ、どの卵料理がお好きですの?」
わたくしも卵料理は大好きです。自分と小夜との共通点に浮かれて、小夜が好む味をわたくしもと欲を出してしまいました。
「一番好きなのはオムライスだな。それも卵を贅沢に使ったふわとろだ」
「ふわとろですの?」
「……食べてみたいのか?」
「いえ……」
わたくしは食事も寝床も準備いただき、入浴は小夜のお母様に手伝っていただいている身です。なんと図々しいのでしょう。わたくしは自分が恥ずかしくなりました。
俯いていると、圭様の手がポンと優しくわたくしの頭に乗ります。
「その体は小夜のだからな。たまに小夜の好物を食べさせてやらないと、次に小夜が戻ったときの食欲が大変なことになるかもしれない」
圭様は小夜のためだと言いながら、わたくしにオムライスを作ってくださいました。目の前で木の葉型のオムレツにナイフを入れてくださると、とろりと半熟の黄身が流れます。そこに圭様はデミグラスソースをかけてくださいました。
「そういえば小夜は、あの時、オムライスだから帰らないといけないと。大変嬉しそうにしておりました。これが……」
オムライスにスプーンを入れると、夕焼け色のごはんに、半熟の黄身が流れます。スプーンの上にできた一口オムライスにデミグラスソースをすくい、口の中に入れました。
……なんと数回噛みしめるだけで卵は原型がなくなり、トマトソースのご飯と、デミグラスソースと一つになります。甘みと酸味、それらを調整する半熟黄身のまろやかさ。なんとおいしいのでしょう。
「このようなオムライスは初めてです。わたくしの存じているオムライスはトマトソースごはんの上に薄焼き卵。その上にトマトソースがかけられているものです。なるほど、このように卵が半熟なことで全てが一つに馴染むのですね」
「あ、あぁ。ははっ。そんなにしっかり感想言ってもらえたの初めてだ」
圭様が照れくさそうに笑いました。
……あら、このように笑うと印象が全く違いますのね。
圭様はいつもわたくしのことを嫌悪や忌避に満ちた瞳で見ます。その表情が崩れるのは小夜のことを聞いたとき。とても柔らかい表情になるのです。ですが、このような笑顔は初めて見ました。目がくしゃっとなって、幼くあどけなく見えるのが……なんというか、かわいらしかったのです。
「これが、タッタラーなのですね」
「ははっ。今でもたまに言ってるんだ。まだまだ子供だな」
「あら、小夜はそれがいいのよ。大人になんていづれ絶対にならないといけないんだから、子供でいられる間は、しっかりと子供でいればいいのよ。……そういうところは、お兄ちゃんが小夜のことを見習わないとねー」
小夜を子供扱いした圭様がお母様に子供のように頭をぐりぐり撫でられていて、それが微笑ましくて思わず笑んでしまいました。先ほどまでの柔らかかった圭様の細められた瞳が、睨むように細められました。
「シャーロット笑いすぎじゃね?」
「あら、いいのよ。シャーロットちゃん、面白いときは笑えばいいのよ」
「ありがとう……存じます……」
本当なら今ここにいるのは小夜だったはずです。わたくしはわたくしのお兄さまに、この状況に追い詰められましたが、小夜はわたくしにこの状況に追い詰められています。それが申し訳なくてなりません。こんなに温かな家庭から小夜を引き離したのです。
「シャーロットちゃん、どうして泣いてるの?」
「……わたくし……皆様から小夜を……取り上げて……それなのに、わたくしは、こんなにも、楽しくて……申し分けなくて……」
こんなわたくしに笑ってもいいなどと……。どうしてそのような優しい言葉をかけられるのでしょう。
「私は偽善者ではないからはっきり言うわね。シャーロットちゃんが早く小夜にその体を返してくれたらっていつも思ってる」
当然のことを言われただけです。ですが、あまりに直接的な表現に心臓に直接グサッときます。
「でも、だからといって、あなたに不幸になってほしいわけじゃない。それは信じて欲しい。これだけ一緒にいるんだもの。できるだけ笑った顔を見ていたいわ」
「ありがとう存じます……」
「シャーロット」
圭様が切れ長の鋭い瞳でわたくしをじっと見ました。
「お前は、小夜が辛い目にあっているかもしれないと思って気に病んでいるかもしれないけどな。あいつ、それなりに楽しんでるから。まぁ、もちろん、最終的にはこっちに帰れると思ってる安心感からだろうけど」
小夜がわたくしの世界でオムライスを作ることになったから作り方を教えて欲しいと言われ、教えていたそうです。作ることになった発端は、小夜が食べたいから。自分とキッチンを借りる執事の分を作れば良いと思っていたところ、ウィリアム殿下とメイドの分も作ることになったと嘆いていたと言うのです。
「私、姫なのにってさ。ははっ。だからさ、まぁ、最終的にはシャーロットには帰ってもらうわけだから、そこは悪い」
「いえ、そんな。……それが、本来あるべき姿です」
「……俺も母さんも分かってるんだ。死にたくなるほどの壮絶な経験をした元の世界……それでも、両親や知り合いがいたらまだ、戻りたいとは思っただろう。だけど、いない」
圭様がバツの悪そうな申し訳なさそうな視線をわたくしに向けます。圭様のこの不器用な優しさが、わたくしの胸を痛めます。
「……でも、俺たちはシャーロットに帰ってもらわないといけない。妹を、小夜を、取り戻すために」
「えぇ。えぇ! 存じております。当然のお考えだと思います。そう思われることについて、小夜のお母様も圭様も、何一つ罪悪感をお持ちになることはないのです。今の状態が異常だと、わたくしちゃんと理解しております」
なんて優しい方たちなのでしょう。当初、わたくしに向けられていた視線はとても冷たく、射貫くようなものでした。ですが、それも時間の経過と共に和らいでいき、今は優しく丁寧にわたくしと向き合ってくださいます。元々、情に厚い方々なのでしょう。
このままここにずっといたいと願ってしまうのは自然なことでした。ですが、ここは小夜の居場所。この居心地のいいふわふわした優しい夢。それでも、この胸の痛みが、ここは現実なのだと……。




