恋とは痛みを伴う
今度ごはんを作ってくれると言ったその日。フローラはまた仮死状態に入った。
仮死状態に入る前、手料理をごちそうしてくれると約束してくれたあと、フローラは僕をチラチラと見た。その迷惑そうな瞳から、そろそろ出て行ってと声が聞こえそうなほど、フローラの目は口程に物を言う。
フローラを父上の監視下にされてしまうと情報収集が難しくなり、フローラの清廉さを示すことができなくなってしまう。だから、フローラの魂の帰還の道筋が見えそうで不安になった狂った僕が監禁することにした。
フローラのために立てた計画だ。決して僕のわがままじゃないはずだ。だけど、僕の部屋の続き間にフローラがいる。そこは僕所有なので、先触れも必要なく、ノック一つで入ることができる。
最低限のマナーとして寝るときと入浴中は入ることはしないつもりだけど、起きている間は一緒にいてもいいじゃないか。
昼間は執務で会えないのだから、朝食と、執務後の時間は一緒にいたい。
フローラは、明日また会える保障がない。今日「おやすみ、また明日」と言っても、明日は仮死状態に入るかもしれない。魂の源も体もこの国にないのだから起きるかどうかも当たり前には期待できない。ここはフローラの世界ではないのだから。
明日会えるかどうかも分からない人の傍にずっと、可能な限りいたいと思うのはそんなに悪なのか。喋っているところを見て安心したい。笑っているところを見て楽しみを共有したい。僕に怒りたいのなら怒られよう。
家に帰りたいと魔女に助力を求めるフローラの目に僕が映っていないのは分かっている。フローラはどこかこの世界を夢の世界のように捉えていて、いつか別れの来る世界と信じているし、そうできるように頑張っている。
僕を実態としてとらえていないんだ。本に出てくる登場人物のように、特に自分とかかわらず通り過ぎていく人物だと思っているように見えてならない。
フローラは僕におびえていることがある。それは、僕の中に潜む狂気を感じ取っているからだと思う。僕の中にあるフローラを閉じ込めてしまいたいという気持ち。だけど、そんなことできるはずがない。閉じ込めてしまいたい一方で、ころころ変わるフローラの表情を見るのが好きだし、何にも縛られない自由な彼女を好きになった僕は、閉じ込められて楽しみも興味も失ってしまったフローラは好きになれないと思う。
何より、魂だけの移動に体を縛ったところで何の意味もないし、とれる手段すらない。いつか帰ってこなくなるかもしれないフローラだ。ここにいる間の可能な限りの時間独り占めしたい。それくらい思ってもいいではないか。
あぁ。今日のフローラは本当にかわいかったな。
僕の一挙手一投足に顔を赤らめて照れて、腹を立てて歯向かってくる。なんであんなにかわいい人がいるんだろう。なんで、こんなに愛しいと思う子がこの世界の子じゃないんだろう。
嬉しかったんだ。僕は確かにフローラの世界にいてちゃんと息づいている。それが分かって、すごく満たされた気持ちになった。
僕が声を潜めれば勝手に隠密がいると誤解して僕の耳に唇を近づけてくる。フォークと偽って形勢逆転を狙うフローラも。心臓を狙ったふりして、抱きしめる形になっていることに気づいて背中から下りていく手も。何も具体的なことを思いつかないままに脅そうとするフローラも。
こんな風にフローラの一挙手一投足を見逃さないようにつぶさに見ている僕が、フローラにとって恐怖なのは寂しいことだけど、やめられないのだから仕方ない。
僕が、フローラがある日突然消えてしまうかもしれない恐怖に耐えているようにフローラも恐怖におびえればいい。
「あれには驚いたな」
フローラの日本の家族に兄がいること。それだけではなく、その兄とピロートークをしているということ。近親婚を繰り返していたこの国の王族でさえ兄妹婚はさすがになかった。日本は子孫繁栄に近親婚が影響しないのかと驚いたが、よくよく聞いているとピロートークの意味を分かっていなかった。
「だけど、あれほどに愛している兄と血がつながっていないとは……」
同じ部屋で寝ることもあって、料理人の修行中の身の上というフローラの兄上は、フローラの心どころか胃袋もしっかりとつかんでいるらしい。
最初から気づいていた、フローラの食に対する執着。食べ方のマナーの勉強のために僕の食べ方をお手本に食べていた時、涙をいっぱいに瞳にためていた。一度でも瞬きをすれば雫が落ちそうな。
すごく悔しそうな顔で僕を見ながら食べてたんだ。僕の食べ方の何かが彼女の食への欲求を満たせなかったのだろう。
「しかし、結婚できる年齢だというのに、フローラのあの性知識の貧困さは何だというのだろう」
フローラは慌てて言い直していたけど、十七歳が結婚できる年だと言ったのは本当だろう。それなのにピロートークの意味を知らないとは。異界の日本とは、それほど性知識の教育をしない慎ましやかな国なのだろうか。
いづれにしても、フローラにそういう経験がないことだけは確かだ。検査で乙女であることは確認されているが、小夜の方はどうか分からない。経験があろうとなかろうと好きであることに代わりなはないが、誰も受け入れたことがないというのは僕の独占欲に更に拍車がかかった。
今後も僕以外を受け入れさせたくはない。
大人だと言い張ったあと、子供だと言い張って、一気に喋ってハフハフ言っていた時。僕は唇越しに酸素を送りこんでやりたくなった。
きっとあの大きな深緑の瞳を見開いたまま、僕の胸をどんどんと叩いただろう。叩くくらいで済むなら奪ってしまいたいけど、少し間違えれば、あの幼さの残る彼女だ。もう口をきいてくれないかもしれない。
日本に帰る術を模索しながら、今度日本に戻れたらごはんの作り方を聞いてくると、こちらに戻ることも当たり前のように話す。
僕に絶望と期待を繰り返し与え続けるんだ。なんと愛しくも憎らしい。僕の気持ちを揺さぶり続ける彼女は魅了の魔法でも使っているのだろうか。
「私、姫なのに。そりゃ日本では平民だけど、ここでは姫なのに」
四人分のごはんを作ることになってしまったフローラがつぶやいた言葉。
そういえば、僕はフローラの国について知ろうとしていなかった。日本について確認するほどに、フローラの帰宅願望が強まりそうで。怖くて聞けなかったのが正直なところだ。
恐れずにフローラの話を聞こう。どんなところで生まれ、どんな人に囲まれて育ったのか。もっとフローラのことを知りたい。それに、そこからふいに魂だけがここ引っ張られたんだ。何かヒントになるかもしれない。
それがフローラとの別れを早めることになるかもしれないけど、フローラにとって幸せなら、僕は耐えるよ。だから、ここにいる間は独り占めさせてほしい。勉強も続けて、僕にフローラとの婚姻の夢を見させてほしい。
「よし」
自室のソファーから立ち上がり歩を進める。向かう場所は一つだ。
「ウィリアム殿下。どちらへ?」
クロウの声がかかり無視する。そんなことは聞くまでもないはずだ。僕はそのまま歩を進めた。
「ウィリアム殿下。フローラ姫様がご心配なのは理解できますがもう夜中です。そう何度も女性の寝室に足を運ぶものではありません」
「……これが最後だ」
「先ほどからそう仰って、何度目かお分かりですか? 六度目ですよ。いい加減キャロルも怒ります」
「本当にこれが最後だから」
もう戻ってこない方がフローラは幸せだろう。その時が来たら僕も送り出したいとは思っている。でも、今はまだその時ではない。ただ、安心したいんだ。
クロウを振り切って続き間への扉を開く。呆れた顔のキャロルが恭しく一礼し、僕は手を挙げる形でそれに答える。天蓋を開けてベッドの横の椅子に座り、フローラの寝顔を見る。
仮死状態だ。最低限の生命維持が行われているだけで、見た目にはとても生きているようには見えない。びくともしないし、呼吸による胸の上下運動もない。何より。
僕は手のひらをフローラの頬にあてる。
……冷たい。本当に生きているのか。
何度も感じた恐怖。だけど、フローラは時間がかかっても目を覚ましてくれた。
仮死状態のフローラは、フローラの死を想像させて僕を絶望にも落とすし、次の目覚めへの期待もさせる。
こんな気持ちに振り回されて、確かに僕は、フローラが思うようにいつか狂ってしまうかもしれない。




