ここはどこ?
「私がダミーなら、私の体が死んだらシャーロットの魂はどうなるの?」
「おそらく、そのときのシャーロット姫様の感情によるのではないでしょうか」
「シャーロット姫様が死を諦めるまでダミーが入れ替わるということです」と、ロージーがおぞましいことを言う。
おぞましい、なんて初めて使ったよ。でもほんと、おぞましい。
それじゃあ、私死に損じゃん!! だってそれで言うと、私の魂はたぶん、次のダミーにこの体を弾き飛ばされる。じゃないと、シャーロットが望む限りダミーの魂が列をなすことになる。気持ち悪っ。異世界気持ち悪っ。
「どうしたら私帰れるの?」
ロージーが痛ましそうに顔を歪めた。
「申し訳ございません。今はなんとも……。ですが、一度持ち帰らせてください。一族で検討してみます」
「本当に?」
「はい! お役に立てるかは分かりませんが……」
「それでもいい! 藁にも縋る思いなの!」
ロージーはいくつか私に起きていることの詳細を確認した後、魔女の森に帰っていった。分かり次第連絡をくれるらしい。
「フローラ姫様。わたくしもテイラーで検討してみますね。とは言っても、我々テイラーの一族は王家に忠誠を誓う身。その情報は王家に詳らかに明かしていますが……」
期待に添えることが出来ない可能性にヴィオラが不甲斐なさそうに目を伏せた。
「そう言ってくれるだけで、どれだけ私が救われているか! 本当にありがとう。考えてくれる人がいる限り、私は希望を持ち続けられるんだよ! ありがとう」
ヴィオラも去り、ウィリアムとキャロル、クロウの四人となった。
「フローラはやはり元の世界に帰ることを望むか?」
そんな悲しそうな顔で言われてもどうしようもない。私の心はずっと日本の高瀬家にある。お兄ちゃんがいてお母さんがいてお父さんがいる。そんな当たり前の毎日を、当たり前に生きていたい。それだけなのだ。
だから、ごめんなさい。
「うん、ごめんね」
「そうか……」
「うん。……でも、この体は置いていくし……」
「フローラは僕をなんだと思っている?」
「え……?」
なんだと思っているって、この外見が好きなこの国の第三王子……。
私の気持ちが正確に伝わってしまったのかは定かじゃない。だけど、ウィリアムの目が厳しくなった。瞳の怒りに反して、その表情はとても悲しげだ。
「フローラのその見た目を気に入っているのは認めよう。だけど僕はフローラだから好きになったんだ。入れ物への好意だけで、こんなにも其方に溺れはしない」
ウィリアムは中身を含めて私を好きになってくれたらしい。家族愛以外の愛を感じたことのない私には衝撃の事実だった。人類を凌駕する美人な借り物の外見とはいえ、私に溺れてくれる人がいるとは。
だけど……。
「ごめんね、ウィリアム。気持ちは嬉しいけど、私は日本に帰りたい。ウィリアムは私のことが好きだと言ってくれるけど、日本に帰る私と一緒に世界線を越えることができる? もう二度とこの国には戻れないかもしれないけど」
「……なかなか意地悪なことをいう……」
「ごめんなさい。……だけど、そういうことなの」
ウィリアムは憎しみにも悲しみにも見える表情に顔を歪める。そのまま部屋を後にした。
せっかく日本に帰れるかもしれない希望の尻尾を見つけたというのに。それも前にしかないタイプの尻尾だというのに、なんでこんなに後味が悪いの?
……ウィリアムの気持ちを踏みにじっているって分かってるよ。だけど、所詮私たちは出会うはずのなかった二人だよ。運命が混じり合うはずがない。
私は絶対に間違っていない。
なんとも後味が悪くなった今日を終える頃、私は眠りにつく前に思った。
これで目覚めたら高瀬家だったら、この情報を自慢げにお兄ちゃんに報告するんだ。
そう考えていたら、頭の中でお兄ちゃんと私の会話が始まった。きっと、お兄ちゃんはそんなに驚いた顔も見せずに「へぇ」って言って、お父さんは「でかしたな、小夜」って笑ってくれて、お母さんは「さすが小夜。転んでもただじゃ起きないわね」って褒めてくれる。
楽しい気持ちで寝て、目が覚めたら、そこは知らない場所だった。
寝室ではあるけど、私に与えられた寝室はベージュが基調になっている落ち着いた部屋で、この部屋も落ち着いてはいるけど、グレーが基調になっている。それもお高そうなお色味だ。
何よりも天蓋が違う。私の部屋のは蝶々の刺繍が入ったレースだけど、この部屋はお花の刺繍が入っている。
ベッドサイドテーブルの上にベルを見つけてチリンと鳴らしてみる。
「フローラ姫様、キャロルでございます」
「キャロル、ここは一体どこかしら?」
「……ウィリアム殿下のお部屋の続き間にある寝室にございます」
は? なんでウィリアムの部屋の続き間の寝室で寝てんの?
「なんで私そんなとこで寝てんの?」
「……ウィリアム殿下がそうお望みになったからです」
え? 私ウィリアムの期待に応えて差し出されちゃったの?
「私はここから出られる?」
「……ウィリアム殿下が許可なされば」
「ウィリアムは外見だけで好きになったわけじゃないと言ってくれたけど、やっぱり私の意思は必要ないのね」
とはいえ、こんなことしても何の意味もない。私が日本に帰るのは魂だけ。体を縛ることに意味などない。好きにすればいい。
とりあえず私は寝ることにする。寝室に閉じ込められてテレビもスマホもない世界。暇さえ潰せない。
「フローラ姫様?」
「寝るわ。この調子だとどうせ家庭教師も来ないんでしょう?」
「いえ、本日はマナー講師と歴史の家庭教師が……」
勉強は続けさせるんかい!
苛立ちふて寝する私にキャロルが申し訳なさそうに言う。
「ウィリアム殿下はフローラ姫様との婚姻を望んでおられますので……」
「キャロル。その先は僕が言う」
キャロルの言葉を遮るようにウィリアムの声が重なった。体を起こして声のする方を見れば天蓋越しにウィリアムが見えた。
とうとう寝室に無断で入ってくるようになった……。
メリーさんを思い出す。
僕、ウィリアム。今、旧神殿にいるんだ。
僕、ウィリアム。今、フローラの応接室にいるんだ。
僕、ウィリアム。今、フローラの寝室にいるんだ。
このままだと数日後は背後にいるかもしれない。いやいや、冗談で自分を慰めている場合じゃない。
そうはいっても身だしなみを整えずに殿方の前にだすのはキャロルのメイドとしての矜持が許さないらしくウィリアムは一旦追い出された。
……ここまで私を運んだのも男の人だろうに。
鏡越しに見える私の髪を整えるキャロルに皮肉を言いたいのをぐっと堪える。たぶん、キャロルにどうにかできることじゃないんだ。キャロルは王家に仕える使用人にすぎず、直接の主はウィリアムだ。
ウィリアムの髪の色の刺繍が入ったウィリアムの瞳の色のドレス。いっそ、この刺繍の糸がウィリアムの髪に見えて怖い。それを着せられた私は寝室のソファーでウィリアムを待つ。ここは寝室なのでソファーは一つしかない。ウィリアムが来たら隣に座るのだろう。
「フローラ」
自分の色に包まれているのが余程嬉しいのか、私を見てウィリアムが満面の笑顔を見せる。
今までなら、イケメン眼福くらいに思っていた神々しい王子スマイルがとたんに怖い。自分の気持ち次第でこんなにも他人の見え方が変わるなんて、自分の他人への評価は当てにならない。
以前は、キャロルとクロウに阻まれた人払いも、ここがウィリアムの部屋の続き間だからか、ウィリアムの狂ったような瞳ゆえか、達成された。
二人きりになったウィリアムはやっぱりというか、私の隣に座った。そして私の耳に自分の唇を押しつけ息の吹きかかる距離で発声する。
「……怖がらせてごめんね。仕方がなかったんだ」
耳に息がかかって、くすぐったい。思わず体が震えた。
「フローラは喋りすぎたんだ」
ロージーを招いたあの日、ウィリアムの要請で王家はテイラーの一族総出で私の護衛に当たらせた。そんな大事になったからには当然、お目付役がつけられる。あの会に隠密がつけられたのを知っているウィリアムも、隠密の所在までは分からない。
「……でもあのとき、あの場にいたのは、私とウィリアムとヴィオラとキャロルとクロウとロージー。他に人なんて」
ウィリアムは言う。我々の目に見えるような忍び方はしない。隠密はそういうものだと。
私はなんとなく忍者を想像した。きっとそれに近いものだろう。
ウィリアムが耳に唇を寄せて、人払いをしているにも関わらず他に聞こえないように小声で話す。私も同様にウィリアムの耳に唇を寄せて返事した。
端から見たらイチャイチャしているようにしか見えないと思う。だけど私たちは、少なくとも私は真剣だ。
「フローラは自分はこの世界の人間じゃないと言ったね? それも事細かく。それが、父上には狂人に映った。そんなあり得ないことをいうのだから当然だ。父上は歴代の狂人同様フローラを幽閉しようとしたんだ」
真面目に話してくれるウィリアムには悪いけど、そもそもここに私の魂があることからしてあり得ないので、この世界の人のあり得ない判定のゼロ設定がどんなものか分からない。
「だから父上が幽閉する前に僕が君を監禁することにした」
王族では特に王太子であり第一王子であるカルロス、第二王子のアロン、第三王子のウィリアムで私を取り合っているらしい。その経緯の中で、ウィリアムがフローラに溺れていることは一目瞭然。
私を幽閉から守るにはウィリアムが監禁するのが一番らしい。
王が幽閉すれば、王命として生涯与えられた部屋(鉄柵付き)から出られなくなるけど、ウイリアムの恋の暴走であれば、ウィリアムの気持ち一つだ。
「そういうわけで、僕はフローラを幽閉することした」
そう言ったウィリアムの顔が歓喜に溢れていて私はやっぱり怖くなった。
……ねぇ、ウィリアム。これ、本当に監禁のふりだよね?
返事が怖くて聞けない質問はそっと私の胸に消えていった。




