初めての魔女さん
こういうの「雨降って地固まる」って言うんだっけ?
ウィリアムに素性がバレたときは、詰んだと思ったね。もうっ! お兄ちゃんが悪魔憑きって幽閉されたり処刑されたりするかもしれないなんて脅すから!
何はともあれ。数日後は例の魔女の末裔に会うことになっている。当然のことながら魔女は魔法を使える。飛び道具のないらしいこの世界では、咄嗟の時、魔女からの攻撃を躱すことは人間には無理だ。
と言うことで、王族お抱えの魔女が同席することになった。
「お初にお目にかかります、わたくしヴィオラと申します」
そう名乗った魔女、ヴィオラはびっくりするくらいの美女だ。妖艶な切れ長の黒い瞳に艶やかな黒いウェーブのかかった長い髪。上から90,54,98? って思うくらいの、バーン、キュッ、ポヨンだ。触りたい。絶対マシュマロのように柔らかいと思うし、いい匂いがすると思う。
ヴィオラは色合いは日本人に近くて親しみを感じるけど、黄色人種にはありえないその白い肌は血の流れまで透き通って見えそうだ。美しすぎる。初めてフローラを見たときも人間じゃない。むしろ生物ですらないと思ったけど、この魔女さんも人類を凌駕していると言わざるを得ない。
「……あの、フローラ姫……様?」
ぽかーんと口を開けて見蕩れていると戸惑うヴィオラの声が聞こえた。
「は、はい! よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるとヴィオラは不思議そうに首を傾げた。そして合点がいったように「あぁ」と言った。
「フローラ姫様の世界のお作法ですのね。では、わたくしも。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ヴィオラが私の流儀に合わせてぺこりとお辞儀してくれた。その仕草は流れるようにしなやかで……なんか、エロいんですけどー!
顔が熱を持つのが分かって、頬に手を当てる。恥ずかしい。目が合ってにこりと微笑まれると、またかぁーっと顔が熱くなる。目が合うと恥ずかしいけど、見ていたくて、チラチラと盗み見る。
「……フローラ。見過ぎだ……」
「まぁまぁ、殿下。かわいらしくて良いではないですか」
「……僕にはそんな熱のこもった目は一度も向けたことなどないというのに……」
ウィリアムが私の挙動に呆れると、ヴィオラが小動物を慈しむような目でコロコロと笑い、ウィリアムが拗ねた。
はぅぅぅ。綺麗なお姉さんは好きですか? はい! 好きです!
「そのように恥ずかしそうにわたくしを見てくださるフローラ姫様の姿は、とても愛らしくて可愛らしいのですが、ちゃんと目を合わせてお話しとうございます」
「はい!」
私は恥ずかしい気持ちを抑えて目をカッと開いて、ヴィオラをガン見した。
「まぁ、今度は見過ぎですわ」
そう言ってコロコロと笑うと、真剣な顔になる。
「本題に入りましょう」
そう言って、ヴィオラは例の一族の魔女についての説明を始めた。
その一族のファミリーネームはエヴァンズというらしい。エヴァンズは、元々は、王家に仕えていた。魔女の中でも階級があり、その一族は並外れた魔力を誇っていた。それこそ、人を千年ものあいだ仮死状態にできるほどに。そんな一族は王家で最も重宝されていた。
魔女のコミュニティーの中でも、王家同様、眠り姫が存在することは伝えられていた。だけどそれは、王家とは違う角度を持つ。
並外れた魔力を持ち、最も王家の信頼を得ていたエヴァンズが姫のお披露目パーティに招かれないなどあり得ない。それはそのパーティの警護の意味でも、これからの姫を守護してもらう意味でも。
それなのに、なぜかその不可思議な状況は起きた。
「なぜそのような事態に陥ったのか……」
ヴィオラはバラの香りのしそうなため息と共に首を横に振った。
そしてもう一つの疑問。そもそも魔女と人間は相容れない存在だった。人間は圧倒的な魔力を誇る魔女を恐れ、魔女狩りをする。魔女は怒り、人間に報復する。恐怖ゆえの行動とはいえ、先に仕掛けたのは人間だった。それゆえ尚のこと謝罪もできない。
人間と魔女が対立していた頃、一人の魔女が森に飛び込んだ青年と出会った。その青年は、森の中で大きな声で叫ぶ。
「魔女さーん。話がしたいんだ。でてきてくれないか!?」
幾人もの魔女が姿を消して、その焦げ茶の髪に金目の青年を見ていたけど誰も出て行く者はいなかった。青年がどれだけ言葉を尽くしても魔女は姿を現さない。
「あぁ、そうか。僕は丸腰だ。よし」
武器を隠していると警戒したために魔女は出てこない。そう解釈したらしい青年は次々と服を脱ぎ出す。
ある魔女は「破廉恥な」と視線はそのままに顔を背け、ある魔女は「汚らわしい」と指を開ききった手で目を覆い、ある魔女は「まぁ!」と歓喜の声を上げた。早く早くと脱衣を応援しながら。
残すところ下着だけになったとき、一人の魔女が姿を現した。それが、エヴァンズの娘だった。
「分かりました! それ以上はおやめになって!」
顔を真っ赤にしたーーそうきっと今のフローラ姫様のようだったでしょうね。ふふと笑ったあと、ヴィオラは昔話を続ける。
その青年は魔女と人間の別なく暮らしたいという。
「正直に言おう。絶対に敵わない魔力を持つ魔女に怯えて暮らすのはもう嫌なんだ」
「本当に正直な人ね。人間という生き物は、自分のした行いは全て忘れてしまうのかしら?」
気まずそうな顔で青年は答える。
「我々が其方ら魔女にしたことは覚えておる。だが、頼みたい。敵対するでなく、殺し合うでなく、共存する世界を作る手助けを。僕の魔力など其方ら魔女にとっては些細なものだろう。だが、命と引き換えに抽出した魔力は使い勝手が良いと聞く」
「貴方の命と引き換えに、手助けしろ、と?」
「あぁ。僕の命だけでは不足だろうか?」
エヴァンズの娘は怒る。
「あなたたち人間はそのような穿った目でわたくしたち魔女を見ているから、勝手に怯えて攻撃してくるんだわ。わたくしたち魔女は、あなた方人間の魔力どころか、その存在に全く価値を感じません。正直いてもいなくても気にもなりません。それを、あなた方が……。あなた方が始めた戦ではないですか。それを、自分の命と引き換えに戦をやめろと? そんな方法で戦を終わらせて、わたくしたち魔女に事の罪をなすりつけるおつもりですか!」
「人間とは本当に汚らわしい心根の集まりなのですね」と捨て台詞を吐いたエヴァンズの娘は、フッと青年の前から姿を消した。
「ヴィオラさん。話の途中でごめんなさい。質問があるの」
「何かしら?」
「大昔は人間も魔法を使えたの?」
「えぇ。そうです。人間といっても王族だけですが。それが王族を王族たらしめる所以ですわ」
「え? じゃあウィリアムも?」
「いいや、僕は使えない。王族は確かにかつて魔力を持っていた。だが、近親婚をやめることで子孫繁栄を選んだ結果、魔力は薄まり続け、今では全くなくなってしまった」
「……私は?」
思わず声が震えた。もし魔法を使える場合、あっちにいる私の家族は大丈夫だろうか。シャーロットに攻撃されたりしたら……。
ヴィオラが静かに答える。
「おそらく当時のシャーロット姫様は魔法が使えたことでしょう。ですがフローラ姫様は恐らく使えないかと……」
ヴィオラが気の毒そうに私を見る理由が分からない。使えなかったら少なくとも家族が訳の分からない方法で殺される心配はない。ちなみに家族から聞いたこの体の名前も含め、ほぼ全部ゲロった。協力してもらう立場で情報の出し惜しみはできない。もう知っていることの調査に時間をかけられてはたまらない。一刻も早くあっちに帰って、本当の自分の体のまま生きていたい。
「使えた方が便利なのですが……」
気の毒そうに私を見る理由が分かった。
「ヴィオラさん。魔法が使えないのが当たり前の私は魔法が使えなくてもなんの問題もないんだよ? まぁ、使えたら楽しいだろうし、ヴィオラさんが言うとおり便利だろうけど。あ! あっちの、小夜の体に入ったシャーロットさんはどうかな?」
この体が使えないなら、あっちも使えないと単純に理解してしまったけど、なんかとたんに不安になってきた。
「おそらく小夜さんの体にいらっしゃるシャーロット姫様もお使いにはなれないでしょう。魔力は肉体に、魔術は魂に宿ると言われております」
「魔術?」
「皆様のおっしゃる魔法技術のことですわ」
要は、魔力があっても魔術がなければ魔法は使えないということか。今のこの体は充電済みの壊れて起動しなくなったスマホのようだ。
私が安心したところで、ヴィオラは話を戻す。
「ここまででお分かりかとは思いますが、その青年は王子だったのです」
王子は唯一話を聞こうと姿を現してくれた魔女を探しに何度も魔女の森に入った。話が通じる魔女。それ以前に人間としての己の甘さと、無礼な言葉を謝罪したいと思っていた。
何がどうなってそうなったかは二人だけのことなので記録にも伝承にも残されてはいないけど、二人は恋仲になった。
エヴァンズ当主は、溺愛する娘が望むとおり、その王子に嫁がせた。エヴァンズもろとも王族に籍を置くことを条件に。
「当初は、嫁についてきた一族のような扱いでしたが、それは見事に魔女と人間の共存を示すことになりました」
そうして、娘を溺愛する舅。嫁を溺愛する夫は思いのほか良い関係が築けたという。
「つまり、エヴァンズは王族の親族であり血族であったのです」
血と想いで結ばれていた絆は何代にも渡り、それは揺るがないはずだった。
「ですから、ある日急に怒ったエヴァンズが姫君を仮死状態にするなど考えられないのです」
エヴァンズは穏やかな気質の一族だった。誕生パーティに呼ばれなかったと怒り狂うようには思えないし、その怒りに任せて姫を仮死状態にするなど更に考えられないという。
「魔女さんの伝承は随分と詳しいのね?」
私の素直な感想に、恥ずかしそうにヴィオラが笑う。美しすぎる。
「ふふふ。魔女は長寿なのですよ、フローラ姫様」
「そうだ。先ほどからフローラが見惚れているこのヴィオラはすでに百を超えておる」
なんと、ヴィオラは本当の美魔女であった。何歳であっても美しいは正義だ。
「そのように嫌味な言い方はおやめくださいまし」とヴィオラが目を眇めると、ウィリアムはふんと鼻を鳴らした。
「私のこの体は千十五、六歳です! 年下ですね」
「ふふ。そうなりますね」
私と同じソファーにウィリアムが座って、ヴィオラは正面にいる。もう本格的に隣に行って匂いを嗅ぎたい。絶対いい匂いがする。
「エヴァンズの一族と会ううえで注意点がございます」
千年も前に魔女の森に戻ったエヴァンズと、それと入れ替えに王家に招かれたヴィオラの一族テイラー。魔女の森は魔女の起源であり、その近くにいるほど魔力は増え、寿命も更に延びる。
「端的に言って、エヴァンズを招くことが吉と出るか凶と出るかは分かりません。テイラーの者全てで城にテイラー以外の魔法を無効化する結界を張りますが、それでもエヴァンズが本気を出せば怪我くらいはするかもしれません」
「それほどにエヴァンズの一族の魔力は並外れているのです」とヴィオラが言う。
真剣にヴィオラの話を聞きながらヴィオラに見惚れていた私の意識を自分に向けるようにウィリアムが私の視界に入ってきた。
「フローラ。見過ぎだ」
「少しは僕も見ないか」と小声で言うけど、隣に座っているのでばっちり聞こえている。その上で聞こえていないふりをする。
「ヴィオラさん。ごめんなさい。こんなに見てくるの気持ち悪い? もう仲良くはしてくれない?」
「まぁ、なんとかわいいことをおっしゃるのかしら。わたくしで良ければいくらでもご覧下さい。嫌うことなどありませんわ。わたくしもフローラ姫様をずっと見ていたいくらいですもの」
「じゃあ、私のことずっと見てていいから、私も見てる!」
「それでは見つめ合い続けることになりますね」と言ったヴィオラがいたずらっぽく笑ってウィリアムを見た。ウィリアムはそっと私の隣からヴィオラの隣に移動した。何が何でも私の視界に入るらしい。
そういうところ、かわいいんだけどね。
「フローラ。そういうわけで王家総出で守りは固めるが、怪我の一つくらいは覚悟して欲しい」
キリッとした顔でウィリアムがそう言った。
怪我一つで帰る方法が見つかるかもしれないなら、なんの問題もない。シャーロットには悪いけど、怪我の数に比例して情報が増えるのなら死なない限り傷が増えても構わない。
そうして数日が経ったその日。ロージーと名乗ったその魔女は、私を見てなぜか号泣した。




