疑惑
僕の腕の中でフローラが子供のように声を上げて泣き続ける。縋るように僕の腕に掴まりながら。その姿は儚くも痛々しく切ない。けれど、どうしようもなく美しい。
フローラには悪いけど、初めて見る彼女の泣き姿が、縋るように僕の腕に弱々しくしがみつく華奢で透き通るような白い手が、僕の独占欲を刺激した。
少し目を離せばどこかに飛んでいってもうここには戻ってこないような。フローラにはそんな危うさがある。
ただ美しいだけじゃない。その見た目の脆さ、この時代に馴染まない純粋すぎる優しさ。……恐らく、僕の気持ちに気付いているだろうに、つかず離れずの距離をとる。気持ちが叶う夢も見させてくれない残酷さも。
フローラに夢中になる理由を挙げればきりがない。自分の気持ちが重すぎて、自分すら潰されそうなのに、それでも感じるこのどうしようもない幸福感。
……そういえば、古の王族は魔法が使えたとか。
昔々の話だ。近親婚を繰り返す王族は、魔女に次ぐ強大な魔力を持ち合わせていた。しかし、近親婚ゆえ、流産や死産が相次いだ。そのため近親婚を禁止し、血族である場合、四親等以上血が離れている縁者でないと婚姻を結ぶことはしなくなった。
血が薄まるのを示すように魔力も薄まり、僕たちの世代では魔力が全くなくなっている。
父上は、古来の姫が魔女に害されたことに恐怖した。まことしやかに魔女に害された姫君の伝承が幾代にも渡って語り継がれているのに、それを現実と結びつける実証は何もない。その姫の遺体さえ発見されないのだから当然だ。
父上は、魔女そのものを迫害したかったが、魔力のない王族だけで魔女をも収めるには無理がある。これまで通り、魔女と協力関係にあることにした。古来の姫君に仇成したとされる一族の魔女は僕も父上も知らないほど昔から迫害され続けている。これもまた据え置きとなった。
千年の眠りから覚めた、自称千十五、六歳のフローラは魔法が使えるのだろうか。
「おばあちゃんであることはともかくですって?」と息巻いていたフローラを思い出して笑みがこぼれる。
儚げな見た目とは違い、強い意志の宿った瞳。聖女のような慈悲深さを見せ、子供のように無邪気に笑い、美味しそうに食事をし、残酷な悪女のように僕の気持ちに背を向ける。
この国の第三王子である僕にはこれまで手に入らないものなどなかった。求めた者は必ず手元にやってくる。それが僕の普通だった。
だから今度も、フローラも自分の手に降りてくるものだと思っていた。
それなのに、フローラは一向にこの手に降りてこないどころか、僕の気持ちに気付かないふりをして、その上で「誰も好きになったことなどない」と言うのだ。
もう少しでフローラの心を手に入れることができると感じていた僕は拍子抜けした。フローラはカルロスともアロンとも城で一度会ったきりで、個人的な面会は断っている。面会に応じてくれるのは僕だけだ。
いや、フローラ付きの使用人は僕の息がかかっていて、僕がそうさせているから、フローラは面会予約の事実さえ知らないのが本当のところだ。
フローラを旧神殿から連れ帰ることができた僕が、そのままフローラの庇護者となった。エスコート役と同様の理由で勝ち取った。
そうして僕はフローラをある意味で僕の監視付きで閉じ込めた。関わる異性は僕だけ。フローラが僕に恋情を抱くのは時間の問題だと思っていた。
しばらくして、監視はあくまで監視でしかないことを知る。視察ですぐに報告連絡相談ができない状況のなかで、料理人のジムがフローラに料理の作り方を請うて、フローラは承諾してしまった。
視察から戻り、フローラに土産を渡そうと先触れを出すと、料理教室中だと言う。無理矢理、使用人に案内させて厨房に辿り着くと、手を取り合って喜び合うフローラとジムの姿。怒りで髪の毛が逆立つかと思った。
そして、その後フローラは仮死状態に陥った。毎朝キャロルにフローラの状態を確認する。
「本日もお目覚めになられず、何も口にされません」
医師に診察させて仮死状態ということが分かっているから、飲食は必要ない。しかし、毎日毎晩フローラを看ているキャロルにはそれが不安でしかないだろう。
「フローラ姫様はお目覚めになるのでしょうか……?」
疲れ切った顔で今にも泣き出しそうな顔でキャロルが言った。
「そうであってほしい……」
目覚めるかどうかだけではない。目覚めたとしても、また千年も後の世界であれば……。僕はもう二度とフローラと目を合わせることも、鈴のようになる可憐な声も聞くことができなくなる。
もし目覚めたとしても、また同じようなことがあればまた眠りについてしまうかもしれない。再発防止に力を注ぐことでフローラの目覚めを信じる力を強く持つ。
自然と対象はジムとなった。エスコート以外では僕も触れたことがない手。プライベートな触れあいが一切ない僕をさしおいて二人は手を握り合って、楽しそうに顔を近づけて微笑み合っていた。
あいつがいると、また同じことが起こるかもしれない。自分に私怨があるのは気付いていた。だから、慎重にジムの素行調査を行った。ジムは勤勉で人当たりも良く、料理の才能も十分。フローラはいつも嬉しそうにジムの料理を食べているという。
悪いことが一つも見つからない素行調査の中、ひとつ。料理への探究心が強く、完璧を求める傾向にあると書かれた報告書。
ジムを呼び出し、聴取を行った。
「どうしてフローラに直接料理を教わることになった?」
ジムは怯えたように震えた声で応える。
「……その、最初はキャロルの指示のとおりに作りました。初めて作ったものでエッグベネディクトの本来の味が分からず、正解の味が分かりません。ですから、不安で様子を見に行きました」
すると、キャロルがフローラに取り次いでくれた。それが僕も居合わせたあのときだ。
「どう見ても、作った笑顔にしか見えませんでした。……ウィリアム殿下におかれましても、美味しいものではなかったのではないですか?」
「あぁ、美味しくはなかったが食べたことのない料理だ。ああいうものだと……」
「いいえ! それは違います! フローラ姫様の表情がはっきりとそう言っておりました」
なるほど。確かに完璧を求めるうえ料理への探究心が強い。第三王子である僕の言葉を遮るくらいだ。おそらく、料理に熱中してしまえば周りのことなど見えなくなるタイプだろう。フローラに近づけば、古来の料理のレシピを求めてまた無理をさせるかもしれない。
こいつは危険だ。
「ジム。其方をフローラ付きの料理人を解雇する。今後の主は追って知らせるゆえ、自宅で待機するがよい」
衝撃を受けた表情のジムが首を横に振る。
「嫌です! 自分は、フローラ姫様に喜んでいただける料理をこれからも作り続けたいです」
「……其方、そう言ってはおるが実際のところ、古来の料理を調理してみたいだけなのではないか?」
分かりやすく肩を震わせたジムに更に追い打ちをかける。
「フローラ付きの料理人を継続しても、古来の料理の作り方をフローラに強請らないと神に誓えるか?」
ギリッと奥歯をかみしめる音が聞こえた。命と引き換えに誓えないのであろう。
「だから其方をフローラの料理人から外すのだ」
「分かったか?」とジムを見ると顔を真っ赤にして叫ぶように声を出した。
「神に誓って! フローラ姫様の料理人で居続けることを誓います!」
「……では、そのときを待つといい」
フローラにジムを近づけたくない僕と、フローラにしがみついてでも古来の料理を学びたいジムの意地の張り合いから生まれた処置だった。
そんな風に刑が執行されていいはずがない。フローラが目覚めて本当に良かった。万が一またフローラが料理を教えることになったときはキャロルが止めることになった。ジムの遠縁であるキャロルは身内の粗相に申し訳なさそうにその役目を引き受けた。
フローラは僕の腕の中で眠りについた。皆の制止を無視してそのまま寝室まで僕が運び、「フローラが離さないのだ」と弱々しく僕の腕に置かれたフローラの手を強調し、一緒にベッドに入ろうとしたら、キャロルがさっと進み出て、フローラの手を僕の腕から離した。
やましい気持ちがあったわけじゃない。ただ、寝顔を一晩中見ていたかっただけだ。それに、起きたフローラが一人だと孤独を感じてまた泣き叫ぶかもしれない。
それ以外の気持ちなどまったくない。とは神には誓えないが。
「ウィリアム殿下。起きていらっしゃいますか?」
夜中の二時だ。寝てるにきまっているが、気配で起きていることを察したのだろう。それにクロウのことだ。急ぎの要件であることに間違いない。
「あぁ。起きている」
キャロルからフローラが目覚めたと報告があったらしい。それと、フローラにつけていた隠密からも情報がもたらされたと。
昨日は泣いてしまって何も聞けなかったけれど、今日は必ず確認しないといけない。
フローラにまつわる不思議な現象は、二度と繰り返されないよう解明しなくてはならない。
それに、フローラが抱えている不安の全体像が把握できないと、力になれない。
僕はクロウから聞いた隠密の話を思い出す。
「情報というほどのものではありませんが、フローラ姫様のお作りになったエッグベネディクト。伝承料理研究家に問い合わせても、そのような料理は聞いたことがないと。また、フローラ姫様が時々おっしゃる変わった言葉も言語学者は知らないと」
そう言えば、昨日フローラは『こちらの世界』と言ってはいなかっただろうか。




