フラグは迎えにいくもの?
「フローラ姫様……、フローラ姫様」
なかなか開かない瞼に、キャロルの声。
……やっちゃった。自分でフラグ作って迎えに行っちゃったよ……。
三回目にもなるとさすがに分かる。ここはシャーロットの世界だ。また眠り続けてしまったんだろう。キャロルの声が心配に震えている。
「フローラ姫様、早く起きてください。このままではジムが処刑されてしまいます」
「なんで!?」
キャロルの衝撃の言葉に思わず飛び起きる。キャロルのグレーの瞳は焦りを帯びている。
「フローラ姫様……! お目覚めになられてよかった……」
キャロルは私の目覚めにほっと安堵の表情を浮かべて喜びに目を潤ませている。起きただけでこんなにも喜んでもらえるのは非常に嬉しいけど、ジムのことが気になり過ぎる。
「キャロル。喜んでくれるのは嬉しいけど、ジムがどうかしたのではなくて?」
私は学習するよい子なので、もう崩れた言葉はここでは使わない。キャロルによって詰め込まれた言葉使いを丁寧に話す。フローラの時は考えながら話さないといけないから正直しんどい。あと、この立派な姿をお兄ちゃんに見てもらいたい。
私の言葉にはっとしたようにキャロルが目を瞠った。
「ジムが処刑されるかもしれないのです」
「えぇ。それは先ほど聞こえました。どうしてそんなことになっているのですか?」
キャロルが言うには、私が眠りについたのが、エッグベネディクトの手ほどきをしてからの食事中だったことで、ジムが無理を通して姫に指導を頼んだせいということになったらしい。当然、ジムが責められる立場になった。
「ジムは大丈夫ですか?」
「今のところ生きてはおります。ですが、牢に……」
私のせいで死人がでるとか本当やめてほしい。いい迷惑だ。迷惑すぎる。処刑とか言い出した奴、ちょんぎってやる!
私は心の中で絶対に口には出せない悪態をつくことで、平静を保とうとする。
「牢に入れたのは誰ですか?」
「その場に同席していたということでウィリアム殿下がご決断なさいました」
「……わたくしの意見は不要ですか」
怒ったときのお兄ちゃんが出す絶対零度のクールな風が吹いたのが自分でもわかった。今の私、多分、絶対、怖い。
「ウィリアム殿下はフローラ姫様のお目覚めをお待ちになっていたのですが、その、フローラ姫様は二週間ほどお眠りになっておりまして」
キャロルの声が少々震えている。
「フローラ姫様もお気づきでございましょう? ウィリアム殿下がフローラ姫様に、その、熱い気持ちを抱いていることは……。来る日も来る日もフローラ姫様がお目覚めになられないため、ウィリアム殿下がお怒りになりまして……」
どうでもいいけど、押しかけてご飯を一緒にしたウィリアムのせいだとは思わないのかな?
「事情は分かりました。すぐにウィリアムのところに参りましょう」
「フローラ姫様、恐れながら、身支度は整えるべきかと。お眠りになっていた二週間、体を拭くことはしましたが、やはり入浴をされた方がよろしいかと存じます」
ジムの命より私の身だしなみの方が重いような言い方をされて私はムッとする。
「身支度が不十分なままでウィリアムに会いに行っても私は死にませんが、ジムは死ぬ可能性があります。早くしてちょうだい!」
「フローラ姫様。ウィリアム殿下にはフローラ姫様がお目覚めになられてジムのことでお話があるので、処刑の決断は待ってほしいと伝言いたします。ウィリアム殿下なら、フローラ姫様のご意向を無視して処分を決行しようとはなさらないはずです」
確かに。自分で言うのもなんだけど、ウィリアムは私のことが好きすぎて暴走しているのだから、私の意に反するのは本意じゃないはずだ。
「分かりました」
キャロルに入浴を手伝ってもらっているあいだ、私はふと思った。
「キャロル。わたくし、二週間も寝ていたでしょう? 食事はどうなっていたのかしら?」
見たところ点滴のあともない。私は二週間もどうやって生きながらえたのか。
「……口に運んでも水も食事も摂られませんでした」
「え? じゃあ、わたくしどうして生きてるの?」
「……ユリベール王国一番の謎にございます」
食べてないってなると……
「排泄は……?」
「……ユリベール王国一番の謎にございます」
私なんで生きてるんだろう。千年も仮死状態にあった副作用か何かなのかな?
……もしかして。
「そんな風に言って、わたくしに気を使っているのではなくて?」
「……どういう意味でございましょう?」
寝湯に横たわり、洗髪してくれているキャロルを見上げる。言葉の通り、意味が分からないといった表情だ。
「いえ。わたくしが奇行に走っていたために、寝ていたことにしたのではないかと」
高瀬家みたいに、私の記憶がないことを察してなかったことにしてくれているのかもしれない。
「なぜそのように思われるのでしょう?」
キャロルは私の髪を洗う手を止めずに、首を傾げた。
「……二週間も寝ていたなんて信じられなくて。わたくし、本当は動いていたのではなくて? 飲まず食わずで、排泄もせずに生きていられるはずがないでしょう? ですから、よほど酷い醜態をさらして、それをなかったことにしてくれようとしているのかと」
シャーロットの中にシャーロットが入っている時にあっちの私のように自死騒動を起こしているかもしれない。こっちの私が何をしているのか非常に気になる。あっちに戻るヒントになるかもしれないし、こっちにいる以上は、シャーロットのやらかしの代償も私が引き継ぐことになる。情報はあった方がいい。
……お兄ちゃんなら、いっそ元の姿の時にやって、勝手に逝け。くらいに思いそうだけど。
「いえ、そのようなことはございません」
入浴タイムが終わり、マッサージタイムに入る。こんな優雅に過ごしている場合じゃない。
「キャロル。マッサージはいいわ。ジムが心配よ。早くウィリアムに会わないと」
「ウィリアム殿下には先ほどクロウを通じて伝言を通してあるので大丈夫です。二週間も寝ていたのです。体が凝り固まっていることでしょう。解しておかないと、疲労が溜まるばかりでお体に触ります」
寝ていて疲れただろうから、マッサージだって? 私にはない発想だわ。ついていけない感覚に身を任せることにした。
マッサージ後、繊細な刺繍の入ったオフホワイトのドレスを着せられ、部屋に戻るとウィリアムが応接セットに優雅に座ってお茶をしていた。
私に気付いて、足早に近づいてくる。
「フローラ、気分はどうだい?」
行き過ぎなことはあるけど、純粋に私を心配してくれているのが分かって、元気な顔を見せないといけない気持ちになり笑顔を作った。
「ご心配いただきありがとうございます。わたくしはもう大丈夫です」
「本当か? 無理はしていない?」
「えぇ、無理など一つも」
私はウィリアムにエスコートされて、ソファーに座らせられる。キャロルがウィリアムのお茶を入れ直し、私のお茶を煎れてくれる。
……ん? どうしたんだろ?
いつもならそのまま部屋の隅にいるのに、クロウと目線を合わせて部屋を出て行った。
……もしかして、デキてるのかもしれない。
この世界の常識どころか上流階級のマナーがいまいちな私は、主人を置いてメイドや執事が立ち去るなど普通ならあり得ないことを知りもしない。
「無事目覚めてくれて良かったよ。もうフローラの生き生きとした瞳が見られなくなるのではないかと気が気でなかったんだ」
「わたくしはもう大丈夫ですわ。そんなにもご心配いただけるなんて、わたくしは幸せものですね」
「……僕の心配がフローラの幸せになるのなら、僕は一分一秒も惜しまずフローラのことを心配しよう」
「ふふふ、ご冗談を……」
……や・め・て!! そんなに私のこと考えていなくていいから。その熱のこもった目。本当にしそうで怖いから。いいから、放っておいて。
そんなことより本題だ。
「料理人のジムのことですの」
「あぁ。話は聞いている。ジムの処刑はとりやめてほしいと」
ウィリアムは不愉快そうな声を出す。
「……さようにございます」
「なぜだ?」
「ジムの処罰はわたくしの安否をご心配くださったからでしょう? そう、例えば、また同じことが起きてわたくしの体調に影響が出ては、と」
「あぁ、そうだ」
「では、そのご心配は不要でございます」
王子相手に私はきっぱりと断る。たぶん、私は、シャーロットの体は、弱いわけじゃない。あっちとこっちを行き来している負荷で寝てしまっているだけで。……なんで、あっちに戻った私は起きれるのに、こっちに戻ったシャーロットが目を覚まさないかは謎だけど。ウィリアムは知らないことだから仕方がないけど、私が寝るたびに誰かが処刑されるなら、もう一生起きたくない。ここでは。
「わたくしの眠りは不調によるものではなく、呪いの残照によるものだと思うのです。体が起きていることに慣れていないゆえ、普通の人なら一晩眠れば回復する体調も、千年も眠っていたために回復に時間がかかるのだと」
「そう思う根拠が?」
初めて見た鋭いウィリアムの射貫くような視線に思わず息をのんだ。こんな目で睨まれたのは初めてだ。きょわい。なんで?
「寝て起きた後は体がすごくすっきりしているのです。わたくし、千年前は皆さんと同じように日中は起きて活動して、一晩だけ休んで起きていましたのよ」
この世界の千年前の日常も、シャーロットの日常も知らないけど、たぶんそうだろう。人間なんだから。
「その時の朝を迎えたときの感覚と、ここでの数日の眠りから覚めたときの感覚が同じなのです」
「では、なおのこと、あの料理人は罰せられるべきだ」
……なんで?
「はぁ?」と口から出そうになる言葉をなんとか堪えた。
「前回までは二、三日の眠りで回復できたのに、今回は二週間要したことになる。それだけフローラの体に負担をかけたということではないか」
「ウィリアム。それは偶然というか……。お願いだから、処罰するのはやめてくれないかしら?」
なんでウィリアムは執拗にジムを処罰しようとするのか。
「わたくしが眠るたびに、誰かが処罰されると思うと……。わたくし、夜が怖くなりそうです。次、目覚めたとき、わたくしの周りの誰かがいなくなっているかもしれないなんて……。いっそわたくしなど、ここにいない方が……」
「フローラ……なにを……」
「そうですわ。このように毎回わたくしが起きないことで誰かが罰せられては敵いません。それこそ自分が許せなくなります。……そうなるくらいならわたくし、お城から出て行きます」
とっさに思いついたことだけど名案だ。これなら、お兄ちゃんが言っていたように、うっかりぼろを出す可能性もぐんと減るし、自分の好きなご飯を作って食べられる。お兄ちゃんがいない時は仕方ない。伊達にお兄ちゃんの調理過程を見続けてはいない。イケる気がする。
そうは言っても、いきなり放り出されてしまうと物乞いしか道がなくなる。しばらくだけでいいから小さいアパートみたいなところを与えてほしい。
「フローラ、何を馬鹿なことを言っている?」
ウィリアムがギリッと歯噛みした。なぜか、そうとうおかんむりのようだ。きょわいけど負けていられない。私、怒りのポイントが分からない人とは距離をとりたいタイプです。いつ怒られるかとビクビクするのしんどいから。だけど、ここは頑張らないと死人が出る。
私は、腹筋に力を入れた。
「……わたくしも千年後の時代にいきなり放り出されるのは不安です。勝手なことを言うようで恐縮ですが、出来れば小さなお家と、また可能であれば、キャロルとジムをしばらくお借りしたいのです」
キャロルがいてくれれば心強いし、私が出て行ったところでジムの首がはねられてしまっては意味がない。一緒に連れて行く。お金は出せないけど死ぬよりはいいと思う。
「其方、それほどまでにジムを? 思っているのか?」
「……思っていると仰いますと?」
「だから……ジムに懸想しているのかと聞いている!」
意味が分からず首を傾げるだけで一向に返事をしない私にしびれを切らしたように、ウィリアムが声を荒げた。
は? なんでそうなるの?
「懸想と申しますと、わたくしが、ジムをお慕いしているかどうかという……?」
「そのとおりだ」
フンと鼻息が聞こえてきそうなウィリアムの不機嫌そうな表情に思わず笑ってしまう。ちょっとかわいい。私を好きなのがダダ漏れ過ぎだ。
「……何がおかしい?」
私がジムを好きだと思っているウィリアムは、私が笑ったことで馬鹿にされたと思ったのか更に不機嫌になる。いつもは威厳たっぷりに王族の矜持を示す人が子供みたいと思っているので、それは全くの間違いではないけど。
「いえ。まさか、そのような勘違いをされているとは思いも寄りませんでしたので」
「どういうことだ?」
「ジムのことをそういった目で見ていないと言うことです」
ウィリアムは一瞬ほっとしたように眉間の皺を緩めたけど、またすぐに訝しむように表情をゆがめた。
「……だが、フローラは、ジムと手を取り合って喜んでいたではないか」
「……こちらの世界……いえ、この時代では、異性と手を取り合って喜ぶのは、恋情の表現になるのでしょうか? もし、そうでしたら軽率なことをしてしまい、申し訳ございません。神に誓って、ジムに懸想などしておりません。……現段階では」
危ない危ない。この世界では神に誓って果たせなかった場合、自死に追い込まれるんだった。最後に慌てて付け足した言葉にウィリアムが不愉快そうな顔になる。
「現段階では、とはどういう意味だ? 今後懸想する可能性があるということか?」
そりゃそうだよ。先のことは誰にもわかんないんだから。
「えぇ。わたくしはまだ、誰かをお慕いしたことがございません。恋とは家族に対して思う感情とはまた違うものなのでしょう? 恋とはままならないものと聞き及びます。ジムとわたくしは身分差がございますが、千年も眠ってしまった我が身。身分などないようなものでございましょうし、今後どなたをお慕いすることになるのか全く分かりませんわ」
私の言葉にウィリアムは雷を受けたような衝撃と不信感に溢れた顔になる。もう私の知識ではウィリアムの心を推し量ることはできない。だから何も言わない。そっとしておくことにした。いざとなったら、ジムと一生に逃げよう。
よし。と、やる気に拳を握りしめていると、ウィリアムが言う。
「フローラは王族として登録されている。フローラの身分は王族となる。だから、城に住むのは当然のことであり、陛下の決定事項だ。出て行くことは許されない。……同じ理由で、ジムとの婚姻も認められないだろう」
少なくとも現状、おいしい料理を作ってくれる人でしかないジムとの結婚はどうでもいいけど……。
「そうですか。ではウィリアムにお願いがあります」
「なんだ?」
「わたくし殺生は好みませんの。それなのに今、ジムがわたくしのために殺されようとしています。もし、わたくしがジムに料理の手ほどきをしたことが。わたくしへのジムの不敬だとおっしゃるなら、わたくしは王族として、ジムの無罪を主張いたします。それが叶わないなら王族の身分など必要ありませんので、どうぞ剥奪なさってください」
人を殺す理由だけが増える身分なんていらない。私は小さいときに読み聞かせてもらった童話や、アニメで見る王女さまになりきって、精一杯虚勢をはる。
「もう一度聞くが、フローラはジムに懸想しているから、ジムを助けたいという理由ではないのだな?」
「えぇ。どうしてそのような話になっているのかも分からず戸惑っているほどです。先ほども申し上げたとおり、わたくし殺生は好みませんし、誰かの死ぬ原因になるのはまっぴらごめんです。」
ずっと気をつけて喋ってたのに、「まっぴらごめん」とか言っちゃった。……セーフ? アウト?
「……フローラが目覚めたこと。フローラがジムの処刑を望んでいないことから、ジムの処分は不問とする」
「ウィリアム! ありがとうございます。お陰様で今夜はゆっくり眠れそうです。……そう言えば、わたくしが今晩寝て、数日目を覚まさなかった場合は、ウィリアムが処分の対象になるのでしょうか?」
私の質問になぜか部屋の雰囲気が微妙になった。なんとなく誰も声を発せないまま数分の沈黙が続き、そろそろ微妙な空気に溺れそうになっていたとき、部屋の扉が開いて、キャロルとクロウが戻ってきた。
クロウは真っ直ぐにウィリアムまで歩を進め、耳打ちした。ウィリアムはクロウの話を聞きながら私を見た。
……絶対私の話じゃん! 今度はなに? 誰が死にそうなの?
静まりかえった微妙な空気に、衆人環視のもと内緒話を繰り広げられるのはなかなかに心臓に悪い。
ウィリアムの静かな声が響いた。
「フローラ。キャロルに寝ていた間のことを確認したとき、自分は本当は起きていたのではないかと聞いたそうだな。よほど酷い醜態をさらして、それをなかったことにしてくれようとしているのではないかと。どうしてそう思った? 何か根拠に思うことがフローラに起こったのではないか?」
責めるでも気味悪がるでもなく、ただ心配の色だけがウィリアムの澄んだ碧眼にある。
ーーそんなのがいつまでも続くわけないだろう? 取り繕えなくなったとき、そっちの世界でどんな目に合わせられるか分からないーー
私の頭の中にお兄ちゃんの声が響いた。そう言えばキャロルの上司はウィリアムだった。




