タッタラー!
小夜は末っ子故か、自分がみんなから愛されていることをしっかりと理解している。これもまた末っ子故か年齢に見合わない純粋さを兼ね添えている。だからだろう。愛の力は偉大だななどと、そのお花畑な頭で考えたんだと思う。
俺の隣で「ふふふ」と大満足に雑炊を食べながら、ガクリと脱力した小夜を慌てて支える。寝てしまっただろう小夜の頭を俺の肩に寄せた。目の前の父さんと母さんを見れば、「あーあ」と言いたそうな顔だ。
そう思っていたけど、フラグになってしまうことを恐れて誰も口には出さなかったんだ。言葉では話してなくても小夜も肌で感じていたはずだ。
「もう終わったんだよ」
そんなこと言ってはいけない。心配半分呆れ半分の俺たちは、とりあえず小夜が口の中に食べ物を残していないか確認することにした。
口の中に食べ物があった状態で寝かせるわけにはいかない。小夜なら、寝ていても上手に嚥下できると思うけど、シャーロットだった場合は無理だろう。口腔内の違和感に警戒心をむき出しにして、また死ぬ死ぬ言いだすに違いない。
俺の肩に小夜の頭を支えて、母さんが小夜の口の中を確認する。なぜか、父さんは「お茶持ってくる」と言って冷蔵庫の方に向かった。
「大丈夫。さすが小夜ね。ちゃんと飲み込んでから意識を失ったんだわ」
母さんの小夜の評価はちょっとおかしい。自分の娘がかわいいのは分かるが、ご飯を食べて寝て褒めるって幼児相手にすることだろう。母さんは、小夜にとっては母かもしれないけど、俺にとっては妹みたいに見えるときがある。何か食べ物を要求するときの目は小夜そっくりだ。
母さんは小夜の頬に手をあて慈愛の満ちた目で小夜を見つめる。その目が一瞬怯んで俺を見た。
……起きたのか。
グラスにお茶を汲んできた父さんが、さっきまでと違う緊張感に包まれたリビングの雰囲気に気づいて一旦足を止めた。そして汲み立てのお茶を飲んだ。きっと気持ちを落ち着けるためなんだろうけど、それは小夜のお茶だったのではないか。
あの気が狂ったような日々がまた来るのか……。
「ん……」
頼む! 小夜であってくれ!
母さんが怯んだ時点で小夜じゃないことは分かってる。小夜を溺愛している母さんが小夜の瞳を見間違えるはずがない。
「ここは……?」
「……気が付いたか?」
俺の肩から離れて周りを見回した彼女は、俺を見て弱々しく微笑んだ。
「魔法使いさん」
……シャーロットだ。
ガクッと項垂れたいのを我慢して「あぁ、調子はどうだ?」と話しかけた。
「えぇ。……口の中が……今までにない味。何かしら、これは? どうなっているのです?」
起きたらケガをしていた小夜と同じテンションで事の原因を問われてイラっとする。
……ただ食後だってだけで、いちいち騒ぎやがって。帰れよ。起きて自分のケガに気づいた小夜がどれだけ不安だったか。
感情を逆なでしてはいけない。俺は精一杯優しそうに聞こえるように声を出す。
「食事中だったんだ」
「食事中? 覚えがありませんけど」
「シャーロットちゃん。ちょっといいかな?」
俺の努力むなしく、顔も声も優しくはなかったんだろう。母さんがシャーロットを引き受けた。優しく朗らかに声をかけて、あれよあれよとの間にシャーロットを洗面所に連れて行った。
さすが、販売員。口八丁で客にお金を落とさせているに違いない。あとでそう言ったら、「似合わないものは勧めないわ」とほんのり怒られた。
「母さんとシャーロット、遅いね」
小夜のだったはずのお茶を飲みほした父さんが心配そうに言った。
「母さんが、シャーロットに危害を加えられていなければいいのだけど」
「うん。ちょっと見てこようか」
そう言って二人立ったとき、リビングのドアが開いた。母さんとシャーロットが戻ってきたのだ。
「……シャーロットちゃんね、……小夜とあったことがあるって言うの……」
気遣うようにシャーロットの肩を抱いた(母さんが気遣っているのは100%、小夜の体だけど)母さんの横でシャーロットが頷いた。
「えぇ。わたくし存じております。この子は……サヨ、と、確かに言っておりました」
シャーロットの千年の眠りの途中。エミリーが来なくなって絶望に陥っていた時のこと。幼い声に気づいたという。
「おねえちゃん? ねてるの? ひとりぽっちだよ。こわくないの?」
シャーロットが、その声に意識を向けると、引っ張られるように意識が浮上して、久しぶりに人と目が合った。その幼女も宙にふわふわ浮いている。
短いショートカットの髪に、くりくりした黒い瞳。異国の天使のようだった。
「あなた、天使?」
「うん。さよ、ままのてんしっていつもままにいわれる」
小夜の言葉に天使ではないことが分かって、お迎えが来たわけではないと内心ため息をはいた。
「どこから来たの?」
「うちだよ」
「家って……?」
「うちはうちだよ。ねぇ、おねえちゃん、おねえちゃんはあっちにいるのに、なんでここにもいるの?」
幼女は下にいるシャーロットの体と宙に浮いたシャーロットを指さして、ハッとおびえた顔になった。
「もしかしてオバケなの……?」
「……そうね、そうかもしれないわ」
「……そうじゃないかもしれないの? どういうこと?」
「お姉ちゃんはね、呪いにかけられちゃったの。……ここから出ることが……できない。誰もいないのに……」
泣きじゃくるシャーロットの頭をサヨはぎゅっと抱えた。
「……さよがかなしいとき。パパもママもおにーちゃんも。こうしてくれるの」
「……ありがとう」
小夜は、シャーロットが泣き止むまで頭を抱えてくれたという。シャーロットのしゃくりが止まると「落ち着いた?」と小夜が聞く。シャーロットはこくんと頷いた。
「おねえちゃん、ひとりぽっちさみしいなら、さよんチのこになる?」
「ふふふ、そうできたらいいのだけど、私はここに囚われているの」
小夜はコテンと首をかしげる。
「いま、おねえちゃん、ここにいるよ?」
「ふふ、なんでかな? お姉ちゃんも分かんないの」
「そっかー。さよんチこれない?」
「うん。きっと無理ね。行き方が分からないもの。サヨちゃん、ずっとお姉ちゃんのところにいてくれる?」
小夜はんーと唸りながらしばらく考えていた。
「さよ、おうちかえらないと。パパとママとおにーちゃんがまってるし、きょうはオムライスなの」
「そっかぁ。その、オムライス? って言うのはなぁに?」
「ふわふわたまごがゆうやけごはんにのってるの。タッタラー!」
「ふふ、なぁに? そのタッタラー?」
「これは、うれしいときのおんがくなの」
「ふふ。では、わたくしもタッタラー! ね? サヨちゃんに会えたもの」
「タッタラー」
小夜と二人で嬉しいときの音楽を笑いながら言い合っていると、ふっと小夜が消えて、シャーロットは意識を体に戻されたという。
「あの子は間違いなく、自分のことをサヨと呼んでいました。あの頃から随分と成長したようですけれど、わたくしには分かります。この体はあの子の……」
そう言って、シャーロットは自分の胸の前で手を握った。
なんでそうなったのかは分からない。だけど、このよく分からない現象は、確実に小夜から引き寄せている。というか自ら飛び込んでいる。
小さいとき「知らない人についていっちゃいけません」だけじゃなく「知らない人に話しかけちゃいけません」と言い聞かせておくべきだった。
「……話を聞くに、確かにその子は小夜だね」
「えぇ、疑いようもないわ」
「……昔よく言ってたよな『タッタラー』って」
家族一同遠い目になった。正確には今もたまに言っていることも知っている。特にオムライスの時に飛び出す効果音のようだ。
「わたくしが小夜の体にいるということは、小夜の魂は……?」
気が触れていて、自分の体どころか顔すら見ることのなかったシャーロットは心なしかキ◯ガイ加減が低下している。母さんはいったいどんな魔法を使ったのか。
「小夜の魂は、シャーロットの中だ」
「なんてこと……」
シャーロットは絶望に陥ったように表情をゆがめた。
「わたくしはサヨを身代わりにしていたのですか?」
……それだけじゃなくて、お前は小夜の体を奪おうとしていたんだ。取り返しのつかない形で。
喉まででかかった言葉をぐっと飲み込む。
「えぇ、そうよ。シャーロットちゃんの意志がどうだったかは分からないけど、あなたたち二人は入れ替わってる。それだけじゃないわ」
母さんの優しい声が険を帯びてくる。母さんは相当怒っている。
言うのか? 言うんだろうな。
「知らなかったとはいえ、あなたはずっと小夜を殺そうとしていたの。……何が原因でこうなっているのか分からないから、あなただけを無暗に責めることはしない。だけど、事実がわかったのだから、今後、小夜の体で危険を犯すのは許さない」
言ったー……! こういう時母の強さを感じる。あなただけをとはっきり言った。裏を返せば、シャーロットも許さないということだ。
シャーロットは泣きながら何度も「ごめんなさい」と謝った。
「シャーロットちゃん、謝らなくていいのよ。あなたも何が起きているのか分からないのでしょう?」
「はい。……何が何だか……」
「質問を変えよう。ここで目覚めるまえに何か変わったことはなかったか?」
シャーロットが顎に手をあて目を伏せる。
「いえ、わたくしは、エミリーが来なくなって、もう誰もいないのだと……。それで、神様に願っていたのです。『お父様とお母様をお招きになられた神様。どうかわたくしのこともお連れください』と……」
その言葉に少し引っかかった。魔女の呪いで千年の眠りについた姫。今もあちらの世界にはいる魔女、魔法使い。では、神は……?
「シャーロット。君の世界に神はいるのか?」
「いえ。偶像崇拝とした祈りの対象である神様は存在しますが、あくまで偶像であって、心の拠り所となるものです。実在はしません。少なくともわたくしはお会いしたことがございませんし、そのような話を伺ったこともございません」
「……では、魔女と魔法使いと君たちは何がどう違うんだ? シャーロットは魔法は使えないんだろ? 魔女じゃないんだから」
シャーロットはキョトンと首をかしげる。言いにくそうに切り出した。
「その……、魔女と魔法使いの違いは性別だけ。……それはご存じのことと思いますが、魔女……魔法使いも含めて、魔女、と呼称いたしますね。……魔女とわたくしたちの違いは、魔力です。魔女はわたくしたちに比べって圧倒的にできることが違います」
シャーロットも魔法も使えるのか。では、知らぬうちに使っていたのでは……。
「わたくしに使えるのは簡単な治癒魔法だけで、他は何も……」
なるほど。シャーロットが魔法でできる範囲ではないのか。
「シャーロットちゃん。よく分からないのだけど、その魔法って、王族特典みたいなものはないのかしら? 魔法が使える人たちの上に立つのだもの。魔力か使える魔法で優位に立たないと国を治めるのは無理でしょう?」
確かに。ファンタジーな話なのに、意外と四十台の母さんがついてこれている。そして、父さんはポカーンとしている、たぶん、話についてこれていないし、通訳のように説明する余裕がある人間もここにはいない。
「王族は王の継承の儀で、国を治める力も継承するのです。それは王族だけが扱えて王族だけが継承できる魔法です。それ以外では、特殊な能力と言いますか、魔法の範疇でしょうか。……ですがそれは、一生のうちに発動できるかどうか、といった大変稀有なもので……」
この状態に自分でも自分を責めているだろうシャーロットは、不明確でないことを口にすることが阻まれているようだ。声がどんどん小さくなっていく。
「シャーロットちゃん。何がヒントになるか分からないわ。教えてくれる?」
「……はい。『王族はその力が発揮されしとき、九死に一生を得よう』という、ほとんど伝説のような古い文献が残っておりまして。どういった『力』かはそれぞれだそうです。戦神と恐れられた王子はその力で戦火から国民を守り、流行り病に見舞われた姫は流行り病患者を救ったと言われております」
申し訳なさそうにシャーロットが首を振った。
「しかしながら、わたくしが知る限りでは、王族でそのような力を発揮したものはおりません」
「「「……」」」
「……シャーロットが魔女に呪いをかけられるまでは、平和な時代が続いていたのではないかい?」
おぉ、父さん、ついてこれてた。しかも切り込み隊長! ふっと僕の方を見てにこやかな笑顔を見せるがどや顔にしか見えない。「どうだ? 父さんも小夜の力になれてるだろ?」と顔が言っている。はっきり言って煩いので、そっと目をそらした。
「えぇ。確かに、何代も安定した治世が続いていると……。それがなにか……?」
王族が九死に一生を得ないと生きていけないような事件事故がなかったってことだ。どんな力が働いているのか分からないが、国を守るためには継承者が不在になるわけにはいかない。だからと言って、誰でも継承できる魔法になってしまえば、反乱が起きる。血でつなぐ王権制度を確固たるものにするための『力』なのだろう。
「シャーロットちゃん、気づかない? あなたが教えてくれた王族の力。二件とも、王族本人が九死に一生を得ているわ。……つまり、その力は王族が自分を生かすための力。戦火から守られた国民も流行り病患者も、ついでにすぎないのよ」
すごい規模のオプションだが、おそらくそういうことで間違いないだろう。
「ついで……ですか」
納得いかなそうにシャーロットが首をかしげるが、自分の立場が分かっているようでわかりやすい反論はしてこない。
「シャーロットは死にたいと願ったんだろ? 恐らくその王族の『力』は、死にそうな場面でも、死にたい場面でも発揮されるのではないかと思う。人が死ぬのは、病気か事故か自死だ。辻褄が合う」
「王族が寿命以外で死に向かうのを阻止するための『力』なんじゃないかしら?」
「……それが、入れ替わりにどう関わったかは分からないけど、君の心はここで。体は元の世界で生きてる。君の生い立ちから死を望む気持ちは痛いくらいに分かるけど、おそらく君は死ねない。天寿を全うするまでは」
……どうしよう。すごく嫌な考えが浮かんでしまった。……本当いやだ。
「どうしたの? 圭」
「いや、別に」
「いや、その顔は何か思いついた顔で」
「圭……様。……遠慮なさらず、おっしゃってください」
口に出したくもないおぞましい考えだ。聞いたら絶対後悔するのに……
「……目覚めたシャーロットが自死することまで見越した入れ替わりなんじゃないか……って」
ほら見たか! みんな血の気が引いて言葉をうしなっている。小夜がシャーロットの自死のダミー扱いとか震えるほど腹が立つ。
「そう……なの……?」
母さんが怒りのこもった口調でシャーロットに問いかけるけど、これまでの話でシャーロットにそんなつもりがないのは誰にだって分かる。
「母さん、シャーロットは小夜に感謝してくれていたじゃないか。それに自分がしていたことの本質が分かって随分後悔していた。シャーロットの意志は明白だろう?」
「……頭ではわかってるのよ。だけど、どうしても……」
「許せない」。その言葉を飲み込んだのが嫌でも分かった。たぶんシャーロットも。気まずそうに、居心地悪そうに小さくなっている。シャーロットのせいではなくても、渦の中心はシャーロットだ。
「申し訳……ございません……。もう決してサヨの身に危険をおかすような真似はいたしません」
シャーロットが深々と頭を下げる。涙がぽたぽたと床に落ちているのを見ると、小夜が泣いている気がしていたたまれなくなってくる。
しぐさも言葉遣いも違うけど、見た目は小夜だ。
「わたくし、自分の体に戻るための努力をしたいと思います。ご助言いただけませんでしょうか?」
中身がシャーロットで初めて見る力のこもった瞳に、俺は小夜を思い出していた。
今頃小夜はどうしているだろか。




