夢じゃない
「夢じゃないの?!」
私は飛び起きると同時にそう叫んでいた。「どうした?!」と、私と同じように飛び起きると同時にそう叫ぶのはお兄ちゃんだ。
「……なんで、また人の部屋で寝てるの?」
家庭内ストーカーマジやべぇとしか言えない。私はお兄ちゃんが大好きだけど、寝るときとトイレ、お風呂は一人がいい。
「……小夜?」
「……小夜だよ。なんで疑問形?」
なんでかは分からないけど、今お兄ちゃんの頭の中には疑問符がひしめいている。それだけは分かる。
「そんなことより、お兄ちゃん!」
頭に疑問符がひしめきあっていただろうお兄ちゃんは、ハッとして私に焦点を合わせた。
「なんだ? どうした?」
「夢じゃなかったみたいなの!」
「……何がだ……?」
恐る恐るといった感じでお兄ちゃんは、声を潜めた。
「この前、人魚姫! 違う! 眠り姫になった夢の話したでしょ? 私またその夢見たの!」
「……で?」
「その夢の中で火傷したの! 痛かったの! 普通夢の中で痛みは感じないよね? 私ちっちゃいときお父さんにそう習ったもん!」
「父さんに?」
「うん! 夢か現実か分からなくなるって言ったら『頬っぺたをつねってごらん。痛くなかったら、それは夢だよ』って!」
「そんなことがあったのか」
「うん! って、それはどうでもよくて! 夢じゃなかったの! これ、どういうこと?」
お兄ちゃんは腕を組んで考えるように首を傾げた。そして、にっこりと微笑む。
「とりあえずご飯にしよう。何食べたい?」
「オムライス!」
「了解」と言いながら、布団は敷きっぱなしでお兄ちゃんは部屋を出て行った。今日もここで寝るつもりらしい。もう一度言おう。私はお兄ちゃんが大好きだけど、寝るときとトイレとお風呂の時は一人がいい。
お兄ちゃんの作るオムライスー。タッタラー!
楽しみ過ぎて頭の中で効果音が流れる。よし! とベッドから起き上がり、床に足をついた。
「痛っ! ……なにこれ?!」
え、怖い怖い怖い。左足首にシップが貼ってある。恐る恐る捲ってみれば、足首が青紫色に変色してポンポンに腫れている。歩こうとしても痛くて床に足をつけない。私は右足を軸にした片足飛びで部屋を出て、お尻をついて階段を一段一段降りた。
片足飛びでリビングに入る。
「なんで? 私いつケガしたの?!」
怖くて怖くて涙があふれる。知らないうちに、この前は左手首が切れてて、今度は左足を痛めてる。怖くないはずがない。
「私の体、どうなってんの?!」
床に座り込んで、うわぁーんと泣き叫んで両手を伸ばせば、お兄ちゃんが大きな胸で受け入れてくれた。
グスグスと泣き続ける私を宥めるように、優しく頭をなでて、もう片方の手で背中をさすってくれる。
「……不安だよな」
「……うん。怖いよ……。何が起きてるの?」
お兄ちゃんの腕の中からお兄ちゃんを見上げる。お兄ちゃんは、戸惑うお父さんとお母さんに頷いた。それを受けた両親も頷く。
「とりあえず、体が冷えるといけないからソファーに座ろう。私はお兄ちゃんに促されるままに、リビングのソファーに座る。私の隣にお兄ちゃんが座って静かに肩を抱いていてくれる。
ローテーブルを挟んだ向かい側のソファーにお父さんが座って、「温かいものでも飲んで、いったん落ち着きましょう」とお母さんが私にココアを、お兄ちゃんとお父さん、自分にはコーヒーを出してくれる。
温かいココアに、座ったことで薄れた足首の痛みにほっと一息ついた。
「小夜。前にあなたが手首の傷について聞いてきたとき、お母さんたち、高熱にうなされてグラスに突っ込む形で転んだって説明したでしょう?」
「うん……」
「それね……」
お母さんが言いにくそうにそこで一旦言葉を切った。
「嘘なんだ。俺がそういうことにしようって母さんたちにいったんだ」
言いにくそうに言葉を詰まらせるお母さんの代わりにお兄ちゃんがはっきりと口にした。
「どうして?」
「目覚めたとき何も覚えてなかっただろう? ……その、ケガした経緯を」
「うん」
「それに気づいたから。覚えていないなら思い出させる必要もないと思ったんだ」
「なんで……?」
「……その質問に答える前にこれだけは聞いておきたい」
お兄ちゃんの真剣な眼差しが不安に揺れる。私は背筋を正して「なぁに?」と答えた。
「……小夜は……死にたいと思うか?」
なんでそんなこと聞くんだろう。毎日あれ食べたい、これ食べたいと煩い食欲の権化のような私が死にたいはずがないじゃん。さすがに今は、何が食べたいかのリクエストを考える余裕はないけど。
「死にたいなんて思ったことないよ? 私毎日楽しいもん。ごはんはおいしいし、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも私のこと大好きだし。それが分かるから、ずっとこんな日が続けばって思ってるよ? 死ぬなんてとんでもないよ」
「それに」と私は神妙に付け加える。みんなが息を吞んだのが分かった。
「大人にならないと分からない美味しさってあるんでしょ? 私、山菜の美味しさとか薬味の美味しさが分かる大人になりたいんだよね!」
それが分かれば私はもっと幸せになると思う。ネギは火が通ってないと食べれないし、蕗の薹の天ぷらの美味しさはまだ分からない。ずっとある食材なのに年を重ねないと美味しいことに気づけないなんて勿体ないことだと思う。
私の返事に度肝を抜かれたらしい、お兄ちゃんと両親は唖然とした顔で私を見つめている。頭を横に振って、一番に我に返ったのはお兄ちゃんだ。
「……そうか。……そうだよな。それでこそ小夜だ。……言いにくいことだけど、小夜、多分お前の意識のない間、お前じゃない奴がお前の体を操ってる」
背筋が凍ったように身震いする。怖すぎる。肩を抱くお兄ちゃんの手に力がこもった。
「私の意識がない間、別人が私の体に入って、私の体を痛めつけてるってこと?」
「……あぁ」
申し訳なさそうにお兄ちゃんが頷いた。お兄ちゃんは何も悪くない。
……寒い寒い寒い。何それ? 幽霊的な? やだやだやだやだ、怖すぎる! 誰か分からないけど、私のことは放っておいて!
「最初は、高熱による健忘症じゃないかと思ったんだ。だけど、小夜が起きたとき、夢の話をしてくれただろう?」
「うん」
「だから何かしらの霊に憑依されているんじゃないかと考えたんだ」
「うん……?」
なんでそこに至ったのかまるで分からない。
「小夜は夢の中でカーテシーとか、エスコートのされ方とか習ったと話してくれただろう? そんな言葉、小夜は知ってたか?」
「……そういえば知らない……」
「だろう? それと、小夜がなった眠り姫は儚げな印象なんだろう? だけど瞳の力は強い」
「うん、そう」
「自分を痛めつけようとする小夜は、ひどく儚げな印象だった。それこそ、明日死ぬかもしれない危機感を覚えるほどに。瞳も虚ろで。……小夜の見た眠り姫の瞳が力強かったのは、瞳に宿る意思は小夜のものだったからじゃないかな? 自分でも言ってただろう? 笑い方は私のものだって」
……まさか私と眠り姫が入れ替わっているとでも言いたげな……
そう思ってお兄ちゃんを見ていると、難しい顔でお兄ちゃんが頷いた。
「うん。小夜の思っている通りだと思う。小夜が眠り姫で眠り姫が小夜。そう考えると全て辻褄が合うんだ」
……なんで辻褄が合うことになるのか。ちょっとよく分からない。だって、眠り姫っておとぎ話だよ?
「小夜は覚えてないだろうけど、四つのとき、今回と同じように眠り続けたことがあったんだ」
「私が?」
お父さんが「今でも鮮明に覚えてるよ」と悲しそうに微笑んだ。その悲し気な微笑に、とても心配してくれたことが痛いほどに伝わってくる。
「そうよ。四日ぶりに目覚めた小夜は『眠り姫が寝てたよ。とっても悲しそうだった。小夜、代わってあげた方がいいかな?』って。そう言ったの。小夜は毎日楽しいのに、一人ぼっちで眠る眠り姫がかわいそうだからって」
「小夜は昔からとても思いやりのある子だったから」とお母さんも悲しそうに微笑んだ。
私の肩から頭に手をずらしたお兄ちゃんは私の頭を優しく撫でる。
目覚めた私の夢になんでみんなが興味津々だったのか。その謎が解けた。
「覚えてないだろう? だけど、あの時俺たちは必死だった。小夜が起きない。起きないから食べれない。原因が分からないから、いつ起きるかも分からない。食べれないと死んでしまう」
泣きそうな顔で目を伏せたお兄ちゃんが、涙声で言う。
「怖かったんだ。俺たちも。……だから、病院に行って点滴してもらって、その時お気に入りだった音のなる玩具を枕元でしつこく鳴らして……」
「……何がきっかけか分からなかったけど、あなたは起きてくれた」
「それが、どんなに嬉しかったことが、分かるかい?」
みんなの心配と不安、恐怖、それから目覚めたときの喜びが胸に響いた。ずっと感じてたけど、私は本当に愛されてる。
だけど、十二年の恐怖が再び家族を襲ったんだ。なんでか分からないけど、ここで謝るのは絶対に違う。
「そんなに心配してくれてありがとう……」
「心配できるのは家族の特権だ」
「そうよ。大好きな小夜に育ってくれて私の方が感謝よ」
なんて優しい家族だろう。四才の私も家族の愛に包まれていた。だから、一人ぽっちで寝ている眠り姫に同情したのかもしれない。
「それでだ。小夜に憑依してる眠り姫が何をしているか……だけど、知りたいか?」
知りたいけど知りたくない。なんか怖い。それが正直な気持ちだけど、自分の体のことだ。聞かないわけにはいかない。
……大丈夫。だって私は一人じゃない。
お兄ちゃんの目をしっかりと見つめて私は頷いた。




