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火傷




 さて、なぜこんな目にあっているのか。




 私は今、厨房にいる。エプロンみたいなのを着せられて料理人たちの視線を一身に受けている。



 それは二日前に遡る。私は教えを請うジムに頑張ってエッグベネディクトの作り方を、言葉に身振り手振りを、それはもう言葉が通じないアメリカ人に説明するように頑張って話した。



 だけど悲しいかな。実地が伴わない座学が身を結ばないが如く、エッグベネディクトは悉く私の期待を裏切った。




 どちらかというと、作るごとに迷走していくエッグベネディクトに、眉間の皺が固定されてしまって、ジムの前で取り繕うことができなくなった。それが私の敗因だと今なら分かる。




 突然、いや必然だったのか、ジムが徐に土下座した。あぁ、この世界にも土下座があるのね。なんてぼーっとしていた私は実に緊張感が足りなかった。




「フローラ姫様! 大変恐縮ではありますが、私に料理の手ほどきをして頂けませんでしょうか?!」




 ……なんで? 私、姫だよ? 夢の中だけど、姫なんだよ? なんでそんなことしないといけないの?



 料理人を下等な職業と蔑むのは許せないけど、私は姫だ。それも夢の中の話。私の思い通りになって然るべきで、そもそも最初から思い通りのエッグベネディクトが出てこない時点でおかしい。そんな不自由な状況でなんで、わざわざ私が手ほどきしないといけないのか。




「フローラ姫様に手ほどきいただいた暁には必ずや完全なるエッグベネディクトを! 神に誓って!」



 まぁた神に誓ったよ。もうさ。一種の脅迫だよね。「是」以外の返事ができないもん。









「フローラ姫様。卵はこちらに。ベーコンはこちら、パン生地の一次発酵を終えたものはこちらにございます」

「では、一次発酵の終えたこのパン生地を成形します。丸く平たく。こんな感じです」



 私が成形したパン生地を見せると料理人たちは、すぐに同じように成形した。



 お兄ちゃんの料理を作るところいつも見てて良かったよ。実際にはお手伝いの範囲しかしてないけど、作り方はなんとなく分かるもんね。



「で、焼きます。温度や時間はいつも通りでかまいません」




 この夢の世界にはオーブンたる高尚な文明の利器は存在しない。私の夢なのに。だから、温度とか焼き時間とか分からない。分かるわけがない。任せてしまえばいつも通り焼いてくれると思う。




「焼きあがる間にカリカリベーコンとポーチドエッグを作りましょう。カリカリベーコンはいつも出してくれるもので結構です。いつも美味しくいただいております」



 次の美味しいご飯のためのよいしょを私は絶対に忘れない。



「それで、ポーチドエッグなのですが、口頭での説明が難しいのでとりあえず作りますね。申し訳ありませんが見て覚えてください」




 私は料理人の衆人環視のもと、鍋に水を入れて火にかけた。そのあと卵をメッシュボールに割り入れる。水分が多い白身が落ち切る間に鍋に入れた水は沸騰した。火を止めて、濾した卵を入れて蓋をして数分待つ。



 なんということでしょう。簡単ポーチドエッグの出来上がり! 




 この方法は、火を止めたお湯をぐるぐるとかき回して、その渦があるうちに卵を落とすというタイミング命の手順ができない私にお兄ちゃんが教えてくれた技だ。




「フローラ姫様! できました! これでよろしいのでしょうか?」



 調理実習のときの教師のように、料理人たちの周りをうろうろしていた私はジムの元に駆け付けた。火が通り過ぎると固ゆでになってしまって黄身のとろりがなくなるから、私は渾身の早歩きでジムに近づく。



「鍋から出して、ナイフを入れてみてくれるかしら?」

「承知しました」




 ジムがナイフを入れるととろりと黄身がこぼれた。



 ……これよこれ! 卵は半熟がおいしいよね!




「結構です。これと同じものを作ってくださる?」



 たぶん、私の口に入るエッグベネディクトを作るのは料理長のジムだろう。そして見本たる私のポーチドエッグはジムの口に入るに違いない。そんなとろりが逃げてしまった黄身のポーチドエッグは嫌だ。悪いけど、料理人たちで消費してほしい。どうせ、納得いくエッグベネディクトができるまで試行錯誤を繰り返すのだろうし。




 ジムがもう一度ポーチドエッグを作ったのを見届けて、次の工程へと移る。その前に……。




「パンは焼けたかしら?」

「はい。こちらに」




 指示されたところに視線を移せば湯気がたった状態の香ばしそうなパン。うれしくなった私は焼き加減を見るという建前でパンをツンツン突く、そして中に火が通っているか確認しようと両手で持った。



「熱っ!」

「フローラ姫様! 大丈夫ですか! すぐ冷やしてください!」

「……いえ、少し驚いて声が出てしまっただけなので大丈夫ですよ。お気遣いありがとう」


 


 食いしん坊がゆえの火傷。恥ずかしいの極み。私はごまかすように何ともなかった風を装いながら、心配してくれるジムに微笑んだ。



「あまりに熱い状態でポーチドエッグを乗せてしまうと、黄身の半熟に危機が訪れてしまうから、ソースを作りましょう」




 私はオランデーズソースの作り方を自分が作りながら教える。



 卵黄とレモン汁、塩を入れて混ぜたら、別のボールにバターを湯煎して溶かす。溶けたバターを湯煎したまま卵黄とレモン汁、塩を混ぜたものを少しずつ、分離しないように加えていく。よくかき混ぜてもったりしてきたら完成だ。



 この作り方を教えてくれたお兄ちゃん、ありがとう。合掌。




「ここまでくると後は、順番に乗せていくだけです。パンの上にカリカリベーコン、ポーチドエッグにオランデーズソース。ほら、完成です」




 出来上がったことにみんなでキャッキャ言ってると、楽し気な声がした。



「楽しそうだね? エッグベネディクトを作っていると聞いた。僕もご相伴にあずかっても?」



 みんなで一つのことを成し遂げたからこその無礼講。そうでなかったら姫たる私と料理人がキャッキャできる訳がない。だけどそれは私のプライドではなく、この夢の世界の王族の矜持だ。




 そんな状態を見られた私も料理人たちも、それを許していたキャロルも罰が悪そうに決まりの悪い顔になる。




「……お邪魔だったかな?」




 どこの世界に王子に邪魔かな? と言われて邪魔と言える王子以下の階級の人間がいるだろうか。何より、子犬のようにしゅんとしたウィリアムに良心がチクチクとされて「邪魔です」と言えない。




「いいえ。そのようなことありませんわ。……たった今完成して、皆で喜びを分かち合っていたところですの。ウィリアムも一緒に食べましょう。……キャロル。食堂にお願い」




 食堂に料理を並べるよう告げるとキャロルは恭しく一礼したのち、厨房を後にした。と、同時に、おそらく一番末端の料理人だろう人ががっくりと項垂れた。



 うん、たぶん君のエッグベネディクトがなくなったね。



 でも大丈夫。カリカリベーコンはすぐにできるし、ポーチドエッグは割ってしまったのがある。完璧な状態でないにしても、その味に変わりはない。ちゃんとそのままの味を楽しめるよ。だから、元気出して。



 私は心の中で一番下っ端であろう彼に向って両手に拳を握る。……負けないで!






「これが、古来のエッグベネディクト?」

「えぇ、こちらがわたくしがリクエストしたエッグベネディクトです」




 古来のエッグベネディクトってなんだろか。明言を避けるほかない。




 テーブルにはみんなで作ったエッグベネディクトの他にオニオンスープ、サラダが並んだ。王族の朝食にしては簡素かもしれないけど、そんなこと知らない。突然やってきてご飯を強請ったのはウィリアムなのだから、その結果得たご飯への不満は受け付けない。




「あぁ、美味しいね。酸味も丁度だ。卵の硬さも以前食べたものと違うね。パンも周りがカリカリして美味しい」




 一口口に入れたウィリアムがおいしそうに感想を述べる。

 やっぱり。受け付ける受け付けない以前に、ウィリアムが提供されたご飯に苦言を呈するはずもないよね。




「酸味に関しては好みがあるでしょう? これはわたくしの好みに合わせた酸味なので、ウィリアムの口に合ってようございました。卵は調理の仕方が違いますのよ。パンも焼く前に一工夫しているのです」




 どうだ! まいったか! これがお兄ちゃん直伝のレシピだ!


 ウィリアムの満足げな表情に私も自信満々だ。




「熱っ!」




 調子に乗ってる私は満足げなウィリアムに視線を向けたままオニオンスープが入ったカップに手をつけた。本日二度目の火傷。触れた場所が悪かったらしい。




「大丈夫か?」

「えぇ、ちょっと熱かっただけで……大丈夫です! なんともありません!」




 じろりとジムを睨むウィリアムに、そのウィリアムの視線に怯えたように震えるジムを見た私は慌てて言い直した。このままではジムが解雇されてしまう。



「ジムはとても勉強熱心なのですよ。それでなくともいつも美味しい食事を提供してくれるのに、更にわたくしの口に合ったものをと奮起してくれているのです。わたくし、食べることが大好きなので、毎日美味しい食事を作ってくれるジムには感謝しかありません」




 「それはもう、生涯わたくしの料理を作ってくれることを願うほど」とダメ押ししておく。





 王族の矜持は事なかれ主義な日本人の心臓に悪い。早く夢から覚めたい。




 ……あれ? さっきも今も、熱かった。てことは私痛みを感じてるってこと? 






 え? これ、夢じゃないの?



 覚めないの……?




 一気に襲う不安に手から力が抜けた。手にしていたスプーンとフォークがカタンと音をたててテーブルの下に落ちた。










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