花に雨②
放課後になった。今日のバイトは五時からなので、早く例の見学書を取り戻さねば。赤デコの和泉ちゃんと早々に別れの挨拶をし、重音部に向かう。
灰色の雲が太陽を遮るせいで廊下は非常に暗く、あたしの気分もそれに追従してどんどん落ちていく。ゆううつだなあ。瀬名さんにも謝らなきゃいけないし。
重音部の部室に近づいてくと、歌と加工されていない自然なギターの音が聞こえてきた。誰だか一人で弾き語りしてるみたい。
声質からカエルと判断し、ドアの近くによって盗み聞く。やっぱいい声だな、声だけはね。と思ってたら急にドアが開く。
「おっと、来たな。またガラスにモジャモジャ頭が映ってたよ?」
にやりと笑うカエルがひょうたんみたいなギター(アコースティックギターか)を構えて、突っ立ってた。
「……こんにちは」ぶっきらぼうに、挨拶を投げつける。
「今日はボケないの? 『こんにちばんは~』だっけか」
「なんのことでしょうか? メモリーにございません。……あれ、他の方は?」
「二人とも用事があるとか」
イケメンさんこと如月さんはともかく、瀬名さんは心当たりがある。ありすぎて心苦しい。
「まあ、入んなよ。お、今日は頭が馬のしっぽだね」
「……昨日のプリント返してください。ハンコ押したやつ」
あたしのお願いを無視して、そのまま椅子に座りアコギを構えるカエル。普段は猫背なのに演奏の時は背筋伸びるな、この人。
「これ、なんの歌だ?」
ギターを弾きだし、流暢な英語で歌うカエルにあたしビックリ。カエルのクセに生意気な、と思いつつクイズに答えようと集中する。この歌はあれだ、この前何とか賞とったやつだ。有線でお店とかでも流れてる。「写真アルバム」を人生に例えた、いい歌詞です。あたし、英語は得意なのである。歌詞の解釈とともに答える。
「お、やるね。詩の意味もちゃんと分かってるとは」
さらに別のフレーズに切り替えるカエル。あ、超有名なマッシュルームカットバンドのあれだ。ふーん、人生で出会ったすべてを愛してるって歌詞か、これまたいい詩です。でもあの人たちって、英国なまりすごいよな~。
「へえ、これもご存知と。なかなか渋いね」
それくらいは知ってますよ。と心の中で胸を張る。
ギターは、さらに別のフレーズに切り替わり、歌なし。えーと、なんだこれ? 知らない曲……いや、わかった。有名なゲームのオープニングのやつだ。昔やったことある。アコギだからわかりにくかったけど、答える。
「ハイ正解。報酬はこれ」
カエルさんが紙を差し出してきた。やった商品ゲットだぜ。
「ありがとうございます」
満面の笑みで受け取る。あ、これ、見学証明書じゃない……入部届けだ。
「これ違います」と、即座に抗議。
「違いませんとも」
冗談にもほどがあるでしょ……。絶対入りたくない。こんな、むさい部。
「あたし入部なんてしません」
「入りなよ、歌好きなんだろ? リズム感もいいみたいだし」
褒められたっ。なんか嬉しっ。いやいや、こいつの口車に乗せられてはいけない。よし、黙秘権の行使だ。使い方間違ってるけど。
「ちぇっ入部しないか。じゃあ昨日の曲、一緒に歌ってくれたらいいよ。知ってる?」
と、昨日中断した曲を弾き始める。うう、本気か。なんでこんなこと。迷ってると、一人で歌い始めるカエル。やっぱ素敵な声だ。
どうしたものかと思い視線を上へやると、時計が四時半を指している。まずいバイトに遅れちゃう。しょうがないからあたしも歌いだすか……小声で。
「聞こえないぞ~?」
やけくそだ、思いっきり歌ってやる。すると、したり顔になるカエル。そのままデュエットになる。人生初、男とのデュエットがこいつと……屈辱ぅ。そのまま最後まで歌いきる。
「はい、よくできました~」
うるさい、最後のサビはあたし一人で歌わせたくせに。にらみつける。
「キミ、楽しそうだったね。歌うのが好きで好きでしょうがないって風に見えたよ」
……本当は結構楽しかった。顔に出でたかな。
「今の歌も好きだけど、このアーティストで一番好きなのは同じアルバムのこの歌だな」
また、アコギを弾き始める。……あたしもこの曲が一番好き。思い出の曲だから。
「いい歌なんだ。アップテンポなんだけど歌詞が切なくて。それに比喩がキレイだ。優しさを花にたとえるとこ」
知ってるよ。何万回かわからないくらい聞いたし。さっきのクイズから思ってたけど、あたしと彼は音楽の好みが近いのかも知れない。
「歌おう」
彼が歌い始める。あたし歌えるなんて言ってないのに。なんでわかったのかな。
あたしも歌い始める。時間がないのはわかってるけど、一緒に歌いたくなった、この人と。
歌い終わって、気分が高揚してる。落ち着くために周囲を見渡す。
部屋の奥にたたずんでるドラム、立てかけられた緑色のベース、シールの張ってある名前付きロッカー、おんぼろ冷蔵庫、壁際のツギハギだらけのソファ、棚一面に押し込められた大量のCDと紙の束、壁のポスター、そして……男くさい香り。うん、女子感なし。
「いいセッションだった。ありがとう」
「あたしも楽しかったです。……あの、お名前は?」
いつまでもカエル呼ばわりでは失礼だと思ったので、せっかくだから聞いてみる。
「伊沢竜也。漢字で竜だから、あだ名はリュウ」
「あたし剣崎愛です。名前で呼んでくれて構いません」
「そうか……ケンちゃんね」
名前でいいのに。いきなり照れくさいか。
「伊沢さんですね、ちゃんと覚えときます」
「リュウでいいよ。カエルのリュウくんって覚えてね。敬語もやめてくれい」
「わかりま——ーわかった、カエルのリュウ君」
「見学証明書だっけ、昨日の破れた紙でいい?」
「うん、ヨロシク」
するとリュウ君が机の引き出しから見学証明書取り出して、右手でサラサラとサインする。あれ左利きじゃないんだ。疑問に思っていたら、あたしの心を読んだみたいに、
「オレ、ホントは右利きなんだ。ギターは偽サウスポーってワケ。スタンダードモデルをひっくり返して使う、いわゆるジミヘンスタイルね」
「何それ地味変? そんなに自分を卑下しなくてもよくない?」
十分に地味で変ですよアナタは。
「なんか勘違いしてんねキミは。ジミヘンってギタリストがいてね。超有名なんだけど知らない? 歯でギター弾くんだ」
「ええっ!? 普通に弾けばよくない?」
「おいおい、それがクールなんじゃないの。あとは戦争反対の意思表示でライブの最後にギターに火をつけたりしてね、カッコいいだろ?」
「戦争反対とギターを燃やすのになんの関係が? せっかくの楽器が勿体無くない?」
あたしの言葉を聞いて、リュウ君は顔にしわを寄せて盛大なため息をついた。「女の子に男の信念は理解できんか」とかぼやいてる。一生理解できませんけど。ギターは燃やすんじゃなくて、弾いてあげてください。作った人が可哀そうでしょ。
渋い顔しながらリュウ君が見学証明書を渡してくる。あたしはソレを受け取って、
「ありがとうございます!」
元気にお礼を言う。満面の笑みも一緒に合わせて。高橋先生いわくブサイクだとしても、これがあたしの出来る最高の返事だし。
「……うん。どういたしまして」
ちぇっ、なんかうつむかれた。リュウ君にも変に見えたのかな、あたしの笑い顔。はあ、ショック。
ん、時計を見るとけっこうな時間だ。やばっ、バイト遅れちゃうじゃん。
「じゃあリュウ君。あたし予定あるから、バイバイ」
「おう、また、いつか」
あたしは部室から出ようとして扉に手をかける。すると後ろから、
「君はオレの左手のことを見なかったし、質問もしてこなかったね」と、声が届いた。
「だって失礼だもん。それに……リュウ君の声に酔ってたし」
彼の目を見つめ返しながら、はっきり言う。
「オレ、照れちゃうよ……ケンちゃん。正直者だね」
「あはは、上にバカがつくけどね」
「はは。指のことだけど、昔ピアノの蓋——大屋根で潰しちゃったんだ」
自分の左手に右手でギロチンを落とすジェスチャーをする、リュウ君。
「うわ~、急に落ちてきたの? 痛そう」
「……痛かったよ。でもその時は、もうピアノやらなくてすむと思って、正直うれしかった」
「やめたかったんだ?」
「うん。母親がピアノ家系の生まれで、死ぬほどスパルタだった。寝ても覚めてもピアノ漬け。一時期ピアノに食べられる夢みたし。毎日、死にたいと思ってた」
「そっか。でも、死んじゃダメだよ」
「昔のはなしだよ……オレ、これでも結構、神童として有名だったんだよ。ウィーンのピアノコンクールで優勝したこともあるし」
「えっ、想像つかない。やっぱ、人は見た目じゃないね」
「あん!? どっからどう見ても、オレは天才ピアニストでしょうが!」
いやカエルです、あなた。全方向から見ても。特に真正面からはホントに。
「リュウ君、色々たいへんだったんだね。でも、なんであたしにそんな話?」
コメントに困るので、外見への話題をそらすべく会話の急ハンドル。
「キミの歌、苦しくて叫びたくてたまらないって感じで、情念が乗り移っててよかったから。そのお礼です」
お礼に過去の告白って、よくわかんない人だ。それに、あたしそんなにシャウトしてないし。声はデカかったかもしんないけど。
「ふーん、あたしの歌がよかったって、照れちゃうね、ありがとう。あ、リュウ君の声も良かったです、あたしホレたよ。さっきも言ったけど、ウソじゃなくてホントだよ」
「うっそ!? オレ、初めて女子にほめられた! ピアノなんかやめて、ギターとボーカルに転向してよかった!」
飛び跳ねるカエル男に別れを告げて部室から出ると、雲間から覗いた太陽の光が廊下を照らして、オレンジ色のカーペットみたいだった。あたしはその上をそっと歩く。なんの意味もないのに……どうしてか、センチメンタルな気分。
帰りの途中、部活見学証明書と一緒に入部届けも持ってきたのに気づいたけど、捨てなかった。捨てられなかったかな、なんとなく。