遠くの汽笛が聞けたなら②
以前コーキ君に連れていってもらった焼肉屋に到着し、みんなで食事となった。テーブルは円卓になってて、ふかふかなソファで囲われてる。教師陣は別卓でラブラブしとる。二人の熱で肉が焼けそう。こう、松田先生のスキンヘッドにあてれば、ファイヤーしそうです。
うん、うめえ。あの時に遠慮して食べなかったのを後悔。肉が舌の上で飛び跳ねとるがね。
でも一つ問題が。あたしが肉を網の上に置き食い時かなと思ったら、真正面の弦音さんがかっさらっていく。マジか、悪循環ルーチンに陥ったぜ。返せあたしの肉。だれか~、肉泥棒がここにおるぞぉ~。であえ、であえ~!
そんなあたしの気も知らないで、真正面の牛女はその隣のカエル男と歓談しながら、すかさず肉を自身の皿にためている。コラ、一枚一枚食べなさい。はしたない。
「弦音ちゃん、また触らせてね」
「まったく、竜也さんは仕方ないですね。ダメです、カラダの安売りはしません」
じゃれている、じゃれているぅ! リュウ君が女とぉ!? 弦音さんもまんざらでもなさそうだし。け、けっ、けえっ。肉を二枚重ねて持ってくな。共食い女が。
「トイちゃん。たっちゃんに触らせたげてよ。万年女日照りのドーテーさんにさ~。ほら前に対バンの後、手おもっきし叩いたじゃん。たっちゃん、痛かったでしょ~? この子、力加減知らないから」
リュウくんのお隣、燈さんがよけいなことを言う。こら、時に真実は人を傷つけるんだから、オブラートに包みなさい。
「いや、オレ別に気にしてないし。予想以上に弦音ちゃんが激昂して、ビックリしたけど。でも投票はナイスアイデアだったね」
「アカリンあとで覚えてなさい? あの時はすいませんでした、竜也さん。……はい、お詫びです」
弦音さんが胸をリュウ君の腕に当てて、カエル男が破裂した。きったね、不潔です。大人はみんな不潔です。フリージアはフケーツじゃ。
「たっちゃんってば、汚ったないなぁ! 胸くらいでお茶吹いてんじゃないよ。ワタシに成人童貞菌が、かかったじゃん」
「う、うる、うすしゃいです。びしょう、じゃん、しぇせんしぃはうるさい、でふす」
「あ、ワタシのことバカにしたね? 弦ちゃんよりは小さいけど、ワタシだって美巨乳だからね。そりゃ」
燈さんがそう言って、リュウ君の腕に再び胸が。やめたげて、シゲキありすぎ。ほらリュウ君の顔が南米に生息してそうなカエル色になってる。カエル怪人が日本上陸だよ。
「なんでリュウばっかりなんだよ。ボクにも愛をください! 現実が辛いよ~。ボクは認めないからね! この世界のすべてを憎んでやる!」
ソウ君がソファの上でゴロンする。完全に犬だ。ティーカッププードルだ。ホントに年上かコレ?
「ゲームのラスボスみたいなこと言っちゃって……仕方ないなあ、はいソウ君。膝枕してあげる。カモン、マイペット」
「ありがとうプリンセス。愛ちゃんってマジ天使だね。あったかい……ふともも最高」
ソウ君はあたしの太ももに顔をうつぶせ、足の間にグイグイねじ込んでくる。こら、そこまでは許してないぞ、エロ猿。童貞王子ぃ!
「え、そんなので満足なの? こっち来なよ蒼くん。ふとももプラスアルファがあるよ」
燈さんがスカートから覗く肌を強調し、ソウ君に色目使う。くっ、大人め。
「…………ごくり」ソウ君の喉仏、めっちゃ動く。
「ソウ君、あたしのふとももで十分だよね。ね?」
「さよならプリンセス。キサラギ・アオイ……イキま~す!」
あたしとの決別を朗らかに宣言して、燈さんの太ももにダイブした猿。いや、犬。ちがう、ミジンコ。おい、顔面をスカートの中に突っ込もうとしてないか。エロミジンコ。
「もう蒼くんのスケベ王子~。きゃあ! 鼻息くすぐった~い。犬みたい。ダメだよ~、花園はまだ、オ・ア・ズ・ケ。おりゃブロック」
燈さんは顔を上気させながらも、おっぱいをソウ君の頭に乗せた……マジか、乗るんかいな。クソが、痴女が。みんな変態だあ。
「ぐひゃあ、死ぬ……ボク死んじゃうよぉ!」
「死ね」「ちねっ」
あ、弦音さんとセリフ被った。気が合いますな。ついでに肉返せ。
「おい、アイコ。俺も膝枕いいか?」
あたしの隣にいたコーキ君が混乱に乗じて変なお願いをしてきた。
「ええ~。あたしそんな安い女じゃないし。梓ちゃんしてあげてよ。コーキ君が欲しいってさ。アズアズのふくらはぎ」
「はいっ!? ふくらはぎですかあ? わ、わた、わたくしなんかのものでなら、喜んで。せ、瀬名さん、靴下は、はいたままがよろしいですか? それとも、脱ぎますか?」
幻惑されたアズアズが靴下に手をかける。彼女もこの低レベル乱痴気パーティーに巻き込まれてますな。でも、コーキ君に近づくチャンスだぜ。
「いや、いらねえ……」
「わたくしとしたことが、出過ぎたマネをして申し訳ありません」
深々と頭下げるアズアズ。おい髪の毛、皿のタレにつくぞ。そして、あたしを睨むなし。せっかく仲良くなる機会を作ってあげたのに。もうセッティングしてやんないぞ。
「燈……こら、部長。楽しいのはわかるけど、あんまり騒ぐなよ。お店に迷惑だろ。何やってんだおまえら。ここは鈴木愛の面接会場か。円卓の意味ないだろ」
あれま、高橋先生ようこそ。あたしの席の反対側はパラダイスシティもびっくりな宴会場になってた(あたしは無関係です)。
「あはは、スイちゃんが先生してるぅ~。蒼くんにそっくりぃ~。あぁん! ダメだよぉ蒼くぅん。ワタシ、ちょっと変なキモチになっちゃう……」
ソウ君は燈さんのスカートに頭を侵入し始め「ふごふご」と発声している。ミジンコじゃなくてゴミだった。
「おまえ……これ、ウーロン茶だよな」
そう言って高橋先生はテーブルの上のグラスを竹刀で指した。
「うん。そうらよ。ハイです。ウーロン茶で、ハイな!」
高橋先生はグラスの液体をグビっと一口してから、折檻丸で燈さんをパンした。おまけで、スカートに半分頭を突っ込んでたソウ君もドパンした。
「高校四年生やりたいか燈? 蒼もついでに高校二年生の二回目いくか。な?」
「ごめんなさい、スイちゃんのヤツがこっちのテーブルに来たみたい。一口飲んじゃった」
「ふがふが、ふご? ……むほお!」
「やぁん! そこはホントにダメぇ! 蒼くんのエッチ!」
「いいかげんに死ね、キモ男が!」
弦音さんが叫んで、ソウ君は——死んだ。燈さんのスカートの中だから幸せだったことでしょう。おまけで、またリュウ君に弦音さんの胸当たってたし。ラッキーだったね。ドスケベカエルさん。
「ねえねえ、コーキ君。二人の動画取ってよ、青春のかほりがするよ?」
あたしはコーキ君の太ももをゆする。
「おいアイコ、足触るんじゃねえ。たつだろうが」
いや、何が!? あ、梓ちゃんがわなわなしてる。なぜに!?
宴はまだ始まったばかりだけど、相当な数の皿が円卓に広がって、UFOの発着場みたいだ。離れた顧問ズのテーブルには、からジョッキが大量に。クリスタルの王様でもそんなに所持してないぜ。松田先生は車だから、全部高橋先生が飲んだんだ。翠お姉さんのお腹がドラム、もとい太鼓です。
「お会計はアタシに任せろ」と豪語していた高橋先生……平気かな、あたしはお金出しませんけど。
「おい瀬名ぁ、このお店、メニューに値段が書いてないんだけどぉ、今いくらなのぉ?」
「高橋さんよ時価だから、いくらかなんて会計までわかんねえぞ。そもそもこの店は本来、一見ごときじゃ入れねえからな。ジャージもありえねぇ。俺と一緒だから入れたんだ。わかってるよな、センセイさまなら?」
「…………おうぅ、わかってる。センセーわかってたぞ」
高橋先生は目が点だ、顔面がTAB譜だ。
「愛しき弟、蒼くん……お金貸して? お姉ちゃんの一生のお願い」
「姉さんの一生は何回あるんだよ!? ボクお金ないからね。社会人が学生にたからないでよ。あ~、あたま痛い……治療費もあとで請求するね」
「相変わらず、蒼は吝嗇家だな。お父さんにそっくりだ。エロDVD買う金はあるくせに。ねえ、なんで教師ものなんだアレ。お姉ちゃんに欲情してんのか」
「そんなわけないだろ! ってかそれは今言うなよ、戻ってきたやつ割れてたし。あれも弁償してよね!」
「あれは瀬名が……」
「いや、夏休み終わってから返してもらった時にゃ割れてたぞ。没収されたときは見れたはずだぜ」
それ聞いて、なんだか苦笑いなフリージア三人娘がいた。そろって顔赤いぞ。
「まあまあ、翠くん。ここは私が出すから安心しなさい」
オトナな松田先生がいてくれた。最高です。心置きなくがんがん頼もうっと。
「タコマッツ先生、だいちゅき!」
高橋先生は人目もはばからず、松田先生にごろにゃんした。おえぇっ、三十路おばさんと四十五のおっさんのいちゃラブは絵的にきつい。肉親ならなおさらでしょうね。ソウ君、お名前もびっくりなくらい真っ青です。
「うぉぇ……お金あげるから、二人ともボクの視野に入らないでくれないかな。すいませ~ん、ボクにもビールくださ~い。このリアルより苦いやつで。え、制服だからダメ? 大丈夫です、ボクは日本人とドイツ人のクオーターなので」
なにが大丈夫なのか。未成年が飲酒はダメゼッタイ。教え子が非行に走ろうとしてるんだから止めろよ、そこのいちゃいちゃティーチャーズ。
トークをしていると進路の話になった。燈さんは推薦進学か、いい成績なんですね。それに部活(同好会)の部長で全国大会二位だし。
「器用なのよねアカリンは。要領いいんだから」
「さらに器量もいいかんね。トイちゃんと違って、ワタシ空気読めるから。ね、トイちゃんも同じ大学来なよ。また軽音やろ?」
「うん。私、ぜったいアカリンと同じ大学行く」
「愛ちゃんもくる? ワタシとトイトイとアズアズ含めて四人でバンドしよ?」
「あはは、いいですね。楽しみにしてます」
「じゃあ、愛は今日からアイアイね」
なんじゃそら、あたしはお猿さんですか。弦音さんのセンスがリュウ君の振り付けと同レベルですね。お似合いだよ。
コーキ君はバイト先の工事現場で気に入られて、とりあえず土建屋さんに就職らしい。
「瀬名さん。お体にはお気をつけて」
「おう。林田もバイト頑張れよ。けっこう働くのもいいもんだよな、親に飼われてるだけじゃ世の中が狭いままだったぜ。たまにセンパイぶん殴りたくなるけどよ」
「あ……少し、わかります」
おいおいアズアズちゃん、暗黒面が出てるぞ、隠せ。
「瀬名さん、頑張ってらっしゃるんですね。わたくしも工事現場で働いてみようかな」
「なにいってんだ、やめとけ。花屋似合ってるじゃねえか、林田にピッタリだ。前に見たときは絵から飛び出してきたのか思ったぜ。それくらい、いい女だった」
「——そんなことないです。はう……あ、わたくし、あの、光樹くんに……」
「なんだ?」
「なんでもないです……あの、わたくし、ちょっとお花摘みにいってまいります」
「あ? こんな時間にバイトか? まだ居ろよ、寂しいじゃねえか」
あたしはコーキ君の足を踏んで、梓ちゃんとトイレに行く。あとで帰りの車でコーキ君と二人きりにしてあげるからチョコ渡しな、とそこで耳打ちした。お手洗いは女の作戦会議室なのだ。
リュウ君は電気関係の会社に入り込んだらしく、なんと資格もお持ちですと。意外……でもないか、アンプとかギターとかよくバラしてたもんね。はたから見るとマッドサイエンティストだったし。やっぱり怪人カエル博士だった。
「すごい、竜也さん理系なんですね。私そういうの苦手で」
「こんど一緒にアンプでもばらす? 教えてあげるよ」
「はい、喜んで。あの、竜也さんはもう、ギター弾かれないんですか?」
「いや、やるけど……最近はギター、ケンちゃんにとられちゃってたし。仕事も始まるからどうだろね」
え、ごめんリュウ君。そして、あたしにキッレキレの切れ長目を向けないでトイトイ。
「私、竜也さんのギターもだけど、ボーカル好きです。よかったら、また、唄っていただきたいです。甘い声がすごくステキだから……」
「お、おほ? じゃあ、あとで、カラオケでも行く?」
なんか、弦音さんと竜也さんで盛り上がってますね。ほっとこう。水差すのは野暮ってもんだぜ。お二人さん、お幸せに。
あ~、よかった。重音部の二人は無職じゃなくて。これで、あたしの肩の荷が下りたぜ。だって彼女が出来たらデートとかお金かかるし。食事とか買い物とか旅行とか……いろいろとね。
宴もたけなわということで、楽しかった焼肉もお開きに。
お会計が終わってお店出てから、みんなで顔面が宇宙人みたいな血色の松田先生にお礼を言う。あたしたち後半は極特上肉しか頼まなかったからね。
「マツさん、あんがとな」「タコマッツ先生、大ちゅき」「まっつん、高かったでしょ。ボク一円も出さないけどね」「松本、ゴチ~」「まっちゅん、ごちそう様」「まっとん、スイちゃんヨロシクね」「……マツ先生、ごちそうさまでした。おみやげの肉も欲しいんですけど」
「松田先生、まことにありがとうございました。たいへんおいしゅうございました」
「それだっ! 林田・アルテミス・梓! お前が私を呼ぶのを待ってたぞ。『松田先生』だ。お前らいいカゲン呼称統一しろ。松田だ。オレの名は、MATUDA!」
ちっ、梓ちゃん。空気読めねーの。まっちゅんが調子こいたぜ。
「だれがアルテミスだっつうの。ハゲオヤジ」
あがが、梓ちゃん、またしても黒い部分出てる。隠して、隠して!
あたしたちはそれぞれの車に分かれて帰路につく。コーキ君の車(アルファ米)にはあたしと梓ちゃん。MATUDAカーにはその他。なぜと聞かれても質問は受け付けません。
えっ、リュウ君と弦音さんは宣告通りカラオケいくんだ。それ聞いた燈さんも一緒に行くとか、ソウ君も強引に連れてくとか。結果四人でしけこみですか……カラオケでエロいことすんなよ。たまにいるんだこれが。カメラで見られてるからな。チャラ男が嬉々として覗いてるからな。あたしもガン見するけどな。特にエロ王子は要注意だね。
リュウ君だってきっとカエルの化けの皮を剥いでオオカミになったとこで、いいか。就職決まった大人だもんね。ノープログレムです。うん、卒業してきな、弦音さんと。どうせ、カラオケの後いい感じになるよね~。ナイトネオンが大人チックです。
「そんでさ~、最悪だったよクリスマスとか。時給はよかったけどね。トイレとかゲロまみれ! 島国のどんちゃん騒ぎに、かみさまもびっくりだよね。ウケる~。あたし店内にかかってる、定番クリスマスソングに合わせてモップ掛けしてたし。『きっとチミはこない~』ってね。バイトのみんなで、カップルは来るなってグチってた。あはは」
帰りのコーキ車の中、せいいっぱいおどけるあたし。道化だ、三文芝居だ。あたしは喜劇役者でも目指すかね。
でも、二人はそんな滑稽なあたしを褒めてくれた。ちょっと、なに感動してんの? ここ笑うトコぉ。まあ、賑やかしになればなんでもいいや。精一杯ピエロを演じるぜ。
「アイちゃん、立派です。わたくし尊敬します」
「おう、林田もそう思うか。何かに一生懸命な女っていいよな。俺も、そんな女がソンケーできるぜ」
「あ、こ、光樹君は、そうですよね……はい、存じてます……」
梓ちゃんなに口ごもってるの。女は度胸だよ。あたしが家着いたら二人っきりになるんだから、もっとコーキ君と話しなってば。テンポ、テンポ。会話のリズムをキープオン! 仕方ない、あたしがリードしたるぜ。
「そうだ、仕事と言えば、コーキ君のお父さん、釈放され——あっごめん。梓ちゃんには……」
「別に構やしねえ、林田も知ってるしよ。オヤジな『監獄で踊ってただけだ』とかネタにしてたぞ。ああ、手土産に持ってった花は残念ながらムショで拒否だったがな。悪かった、林田がせっかく選んでくれたのに。俺、バカだからよ」
「いえ、わたくしは……あなたに会えたから、それで十分だから……」
梓ちゃん声小さい。コーキ君に伝わらないよ、それじゃ。
「あ? まあ、花はお袋が気に入ってたぜ、ありがとよ。そういや、面会行ってアイコのこと話したら、オヤジに今度連れて来いって言われたぜ。偉そうによ、何様なんだか」
「あはは、そんな、あたしごとき一般市民より、梓ちゃんみたいなお嬢様の方がいいよ。二人揃って美男美女で申し分なしだし。高貴な方にはロイヤルな血統ってね」
「愛ちゃん、人を好きになるのに血筋も家柄も関係ないよ。そんなの、くだらないから」
「林田の言う通りだ。カンケーねえ、なもん。花とおんなじだろ。例えんなら、林田が高嶺の花で、アイコはタンポポだ。種類が違うだけだろ。な、林田?」
「……はい、そう、ですね……愛ちゃんは、そ、あの、わたくし、ここで結構です。降ります」
「あ、どうした? どうせだった、家まで」
「いいの…………さよなら」
そう言って梓ちゃんは走る車から飛び出していった! なにい、なんで?
「コーキ君、この辺で停まってて。あたし呼んでくるから」
「なんなんだよ」ぼやくコーキ君を無視して、あたしは梓ちゃんを追っかける。
白い息を吐いて冬の夜道を足早に行く梓ちゃんは、蒸気機関車のよう。ただひたすらに、ぐんぐん遠ざかっていく。流れるブロンドヘアーから出るレモングラスの残り香を、あたしは追っていく。
「梓ちゃん、車戻りなよ。待ってるから、コーキ君」
梓ちゃんはさらに加速した。ちょ、待てよ! なんでさ? 速いってば、健脚ですなお嬢様は。おっし、
「アルテミスぅ~、まって~!」
お、梓ちゃん立ち止まった。よっしゃ! 光の速さで接近しよう。あっ……
振り向いた梓ちゃんの瞳は、街の光を受けて輝く宝石だった。透き通った白い肌の上を涙が伝って、軌跡が出来てる。
「梓ちゃん……今、チョコ渡してきなよ。お邪魔なあたしは消えるから」
「いいの」
「ふん、アルテミスのいくじなし、根性なし」
「だって光樹君の視線の先に、わたくし、いないの……わかるから」
「なに? そんなのわかんないじゃん。高校最後のチャンスなんだよ?」
「愛ちゃん、本当にドンカンさんだね」
そう言うと梓ちゃんは賞状を受け取るみたいに深々と頭を下げて、あたしにチョコレートを差し出してきた。
丁寧なラッピングでくるまれた、ハンドメイドの大切な心を。
「愛ちゃんに友チョコです。わたくしの愛がいっぱい……いっぱい詰まってるから……」
なに!? 梓ちゃん、ホントはあたしに渡したかったのか。愛されすぎだぜ、鈴木愛。いや、そんなわけないよね。なんで、なんで、なんで?
「はあ……まったく。しょうがないから、あたし貰っとくけど。次のチャンスはいつになるかね。そんなんじゃ永遠に来ないよ、コーキ君のラブ」
あたしがチョコを受け取っても梓ちゃんは下を向いたままだ。顔上げなよ、と声をかけようとしたら、金色の雲から雨がポタポタたれてる……いいよアズアズ、そのままで。
「……甘そうだね、アズアズチョコは。ベリースウィートそう」
「死ぬほど苦いからね……特に愛ちゃんには! バイバイ!」
そう言ってあたしを見た梓ちゃんは、あっかんベーをして走り去った。ええ~梓ちゃん、どういうこと?
流星のごとく夜を切り裂く彼女の背中に、あたしは「よしなに~」と声かける。
ユールビーバック、アズアズ。また会おう。いっしょにセッションしようね。
道路わきで停まってたコーキ君の車に戻って、ドライブ再スタート。
「林田、大丈夫か?」
「うん。いろいろあるんだよ、女子には」
梓ちゃんのチョコ渡そうかと思ったけど、やめといたほうがいいかな。あ、ライブの感想でも聞くかね。
「ねえ、あたしのドラムどうだった?」
「ひでえな、ただ強く叩いてるだけだ、ありゃ」
「へへっ、だろーね。あのさコーキ君」
「んだよ、あらたまって」
「自分でドラムやってみてわかった。あたしみたいな初心者がバンドで歌えてたのは、キミがしっかりリズム作ってくれたからだってこと。ホントにありがとう。一年間楽しかったです」
すると、車を路肩に停止するコーキ君。なに、どうしたのかな。
「俺の顔、見て言え」
車がアイドリングして、小刻みに揺れる。奇妙な感覚だ、小さなリズムだ。
「なに、どうしたの」
「愛、これからも聞いてくれ俺のドラム。いつでも、そばでずっと。俺と一緒に……歌ってくれ。お前にホレてんだ」
コーキ君の顔見てあたしの毛が逆立った。その真剣さがわかったから。カズヒロ君の時と同じだ。心臓が叫び出す。細胞が分裂して、心がバラバラになって、思考が追い付かない。
「あ、どして、あたし、あ」
「理屈じゃねえだろ、ホレたなんだってのはよ」
「あたし、コーキ君にふさわしくないよ。あたし、汚いよ」
「あ? 風呂入ってねえのか?」
「違わい!」
「なら問題ねえ」
コーキ君は笑って、あたしのシートベルトを外した。頭まるごと掴まれて、引き寄せられて見つめあう。真直ぐでシンプルな彼の眼差しがあたしを支配する。
「『生まれ』も『昔』も関係ねえ。林田も言ってたろ、くだらねえってな。俺だって愛人の子供だ。お前の全部が欲しい。全部だ。愛、今から行くぞ、あのボロ家に」
「でも、だケロぉ……」
「あ? 知らねえよ、誰にも渡さねえ」
すごい力であたしを引き寄せるコーキ君。抗えない男の人の腕力に昔を思い出す。
「あ、あたしのセンパイ……コーキ君はそんなことしない。力づくなんてぜったい。もっと女の子を思いやれる人だから。いい男なんだ、バカだけど」
彼の歯茎がむき出しになって、急に力が緩んだ。そのままコーキ君はハンドルに寄りかかる。
お互いに息が乱れてる。あたしのポニテも崩れてる……
黒たてがみの獅子がハンドルにうつむいて、うなる。いつまでも。あたしは彼の手に自分の手を、恐る恐るそえた。
その拍子にクラクションが鳴り、あたしは笑う。遅れてライオンさんも、笑う。
その顔はあたしの大好きなセンパイ、その人だった。ケモノなんかじゃない。赤ちゃんと同等の屈託のない、心の底からの喜びが顔に出てる。
「けっ。最後まで締まらねえな」
「あの、コーキ君。あたしなんかを好きになってくれて、ありがとう」
「俺の惚れた女はなんかじゃねえ。最高の女だ」
「……うん、ごめん。訂正します。あたし、サイコーの女です」
「自分で言ってて恥ずかしくねえのか?」
「コーキ君が言ったんでしょ、おバカ! ……いつから、その、あたしのこと、そうだったの? 全然気付かなかったよ。急じゃない? あ、バレンタインの魔物に誘惑されたとか?」
「教えねえ、自分で考えろ。で、俺をフリやがったのを一生後悔しろ」
「あ、あう……あたし後悔なんてしないし。ねえ、梓ちゃんのこと、待っててあげてよ。あの子コーキ君のこと好きなんだよ」
「かっ、ざけんな。フラれてすぐ他の女に行けるほど、ハンパなホレ方じゃなかったんだ。俺はマジだったんだ。もうダメだ、生きていけねえ」
「待ってよ、コーキ君はやまらないでよ」
「じゃあ、愛の家……へっ、我ながらダセえな。きっちり告白しろよ、アイツに。じゃねえと俺が報われねえだろ」
「…………だれのこと? あたし知らないよ。いないもん、告白相手なんて」
「けっ、クソが。逃げてんじゃねえ。お前も砕けろ粉々に。おい、ところで林田が俺にホレてるって、マジか。ぜんぜん気付かなかったぜ」
あがっ、あたし言っちゃった!? そんなこと言っちゃった! ごめんなさいアズアズ、パラシュート無しのスカイダイブはカンベンしてぇ!
アパートから走り去る白い車が見えなくなるまで、あたしはじっとしてた。告白って、どうすればいいの。あたしは勝てないよ。だって全部が負けてるもん。でも、さっきのコーキ君と梓ちゃんの行動を思い返して、決心した。
わかった、あたし負けない。いや、絶対勝つ。言う絶対。あの人に告白するんだ。砕けてもいいから。魔の階段をしっかり踏みしめながら、誓う。
部屋に戻ると、引っ越し用の段ボールの束が視界に。あ、荷造りしなきゃ、春休み中には引き払うんだし。お母さんと二人暮らしか、なんか緊張するな。
お母さん「カタギの仕事って全然稼げないっ。養ってくれるオトコはどこっ!」なんてぼやいてた。相変わらずのダメ女っぷりだ。身を粉にして働くことを知りなさい。
ベッドに腰かけたら、固定電話の留守番メッセージが点灯してた。あれ、固定電話に連絡なんて珍しいな。あたし、スマホ持ってるし。
内容はヨネさんが――亡くなった、という連絡だった。去年から体調を悪くして、入院してた彼女がさっき息を引き取ったと、わざわざ担当の民生委員の人が電話してきてくれたらしい。
身寄りのないヨネさんの葬式には誰も来ないのかな。せめて、あたしだけでも参加したい。今日の出来事とそれと色々混ざり合って、あたしの脳みそはパンク状態だった……コーキ君じゃあるまいし。




