ガール・アンダー・ザ・ムーン①
遠雷がとどろいて、あたしは目を開いた。そこに現れたのは、いつかの夢の続きに思える白一面の世界。ひょっとして死後の世界かとも思ったけど、白の世界は徐々にその輪郭を鮮明にして、ここが現実であることをあたしに教えた。
病院か。清潔さを保つために、空気すら消毒するような独特の香り。それがあたしの鼻をくすぐる。頭がぼうっとしているけど、痛くはない。側頭部に手を伸ばしてみると指先に布の感触が。包帯か何かが巻かれてるみたい。いま、あたしがいるのはベッドの上か。シーツが柔らかい。
混濁した意識がはっきりしてくると、目の前にはボタンのついたリモコンみたいなものが。なんだこれ「ナースコール」って書いてある。
そのボタンを押したらすぐに、白衣の天使(中年の恰幅がいい女の人)が室内に入ってきた。よくしゃべる人で、おばあさんをかばって転落したあたしにえらく感動したとのこと。あ、ヨネさん平気だったのかな。
「あの、あたしと一緒に落ちた人は?」
「おばあちゃんなら元気よ、あなたに感謝してた。それにしても、あなた石頭ね。『あの高さで助かったなんて、運がいい』って、先生も言ってたわ。でも十日間も目が覚めなかったから、みんなで心配してたのよ」
ヨネさん助かったんだ、よかった~。ついでに石頭でよかった~、お母さんに感謝しなきゃ。まだ生きてるなら会いに行けるし……いや、待って。いまなんて言った?
「とうかって、じゅうにちですか!? あたしそんなに眠ってたんですか!?」
「そうよ、その間色んな人が会いに来てたわ。ご両親とか、学校の先生とか、部活の先輩とか、おトモダチとか、あのカッコいい子、ひょっとしてあなたのカレシ? 王子様みたいって、私たちの間でも話題になってたのよ」
看護師さんの言葉であたしのカラダから力が抜けていった。もう、終わっちゃたんじゃん関東予選……。ホントにアホ、マヌケ、ロクデナシ。
どんなに自分をけなそうとも、失われた時間が戻ったりはしない。すべての人にとって時は平等に過ぎゆく、重力がそうであるように。
意識の戻ったあたしはすこぶる快調だったけど翌、日に色んな検査を受けた。CT、MRI、レントゲン、血液身長体重聴力視力。お医者さんに太鼓判を押され、集中治療室から個室の病室に移され面会も可能に。なので、いつだれがあたしに会いに来るのかドキドキしてる。各検査もそうだけど、個室ってお金かかるんだろうな。一日で何千円とかするらしいし……お義父さんに感謝ですね。うん、ありがたいな。一人暮らしだって、色々便宜を図ってくれたんだし。だから、会ったらお礼と謝罪をしよう。大会で優勝したらとかかっこつけたけど、もうそれも叶わないんだし。
いつでもこいやっ。あ、手が震えてら。情けない。
あたしの病室を最初に訪ねたのは、松田先生と高橋先生だった。夜だけど学校が終わってから、わざわざ来てくれたらしい。ベッドに寝たまま応対する。
「関東予選いけなくて、申し訳ないです。松田先生」
「気にするな、剣崎が無事で……それが、なによりだ。包帯も取れたみたいだな」
「そうだ剣崎、気にすんな。お前らダンデの代わりに女子軽音同好会が関東予選に出てやったから安心しろ。突破も楽勝だったしな。へへっ、棚からぼた餅――いや、階段から剣崎だな」
「え? 同好会だと出れないんじゃないんですか?」
「その前提を変えてやったんだよ、同好会と部活動の人数規定を四人から三人に引き下げてやったんだ。大会エントリー自体は高校の名前でやってたからできた芸当だぞ」
なんと、ルールを破らずに変えてしまうとは。高橋先生は規則正しい法の番人ですな。さすが桜ヶ丘高校の守護者、ゲートガーディアン高橋。それにフリージアさん予選通過ですか……おめでとうございます。でも、その方法で出場できるんなら『重音楽部同好会』で、出れたんじゃ?
さらに二人ともあたしがヨネさんをかばったことを、えらく褒めてきた。けど、そもそもあたしが夜中にヨネさんとふらふらしてなければ、一緒に落ちることもなかったんだ。なんてあたしが自虐すると高橋先生が、
「アホか剣崎。謙遜も行き過ぎるとイヤミだぞ。おばあちゃんなんか、お前のこと天使呼ばわりしてたぞ。まったく〝仇も情けもわが身より出る〟だ。いいじゃねえか、みんなも心配してたぞ。重音部の奴らも、女子軽音楽同好会も、和泉とクラスの奴らもな」
「高橋先生は?」
「へん、お前が死ぬわけねえって知ってんだよ、アタシはな」
「素直じゃないな、きさ……高橋先生。私に『どうしよう、どうすればいいですか。ケンちゃんが死んじゃう~』なんて騒いで、泣きついてきたくせに。そもそも、大会のアイデアは私が出して、校長に直談判したんだぞ。剣崎、そこが重要ポイントだ」
「よくしゃべるタコだなぁ! タコ焼きにするぞ、おらぁ!」
「コラァ! 如月ぃ! お前の方がよっぽどタコだろうが! いつも赤ジャージのくせに。匂うぞ、行き遅れ!」
息の揃った夫婦漫才を見せられて、あたしはほっこりした。
「お似合いですねお二人とも。まっちゅん先生、お嫁さん見つかってよかったですな」
「剣崎、あたま大丈夫か?」なんてダブルティチャーの声が被る。あはは、やっぱりお似合いだ。お二人にはぜひ協力し合って、少子高齢化社会をストップしていただきたいですね。
おっと、再びドアが開けられ、だれか入ってくる。
「あの……よろしいでしょうか」
ソウ君だった。何故かの伏せ目が、雨の日に捨てられた子犬より憐憫を誘います。
「蒼ぃ~。お前は今日も可愛いなぁ~。なんか二人で話あるんだっけか? おい剣崎、不肖の弟だけどよろしくな。じゃ、あとは若いもんに任せて年寄りは退散するか。ほら、いきますよタコマッツ先生」
高橋先生は「タコマッツじゃなくて、松田先生だ!」なんて怒られながら、まっちゅんの手を引いて出ていく。うん、ラブラブです。
それにしてもなんだろ、ソウ君ってば改まっちゃって。あたしてっきり怒られるかと思いきや、ホントに愛の告白かしら。あらやだ、今すっぴんだし。どうせなら月の見える丘の上がいい。王子と姫にはそれくらいのシチュエーションでなきゃ。
「あのね、愛ちゃん」
「はい、なんでしょうか」
あたしは髪を手クシで整え、ソウ君に向き直す。ああ、王子の心細い面持ちがあたしの心を揺さぶるよぉ。キュン死寸前です。
「ボク、愛ちゃんの実家崩壊させた。ごめん! 償いはするから、お金以外で!」
はあぁ!? なんですとぉ!? 何がどうしてそうなった!?
「愛ちゃん、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
「アオイ・キサラギ、ハリーアップ! はよお、はよぉ!」
「あ、元気そうだね……実はボクとコーキで愛ちゃんのお見舞いに来た時ね、女の人と男がガラス越しにキミを見てたんだ。女の人は愛ちゃんにそっくりだった。それで……わかった。男の方が義理の父親だって。そしたらさ、コーキがソイツに殴り掛かったんだ。愛ちゃんにも見せたかったな。その時のコーキ、カッコよくてさ、ボク感動しちゃったし。でも、コーキね、アイツの顔面に一発パンチ入れた後、すぐ反撃されてひっくり返っちゃったんだ。『ぶぼォ』とかうめいて仰向けに。いや~、あの姿はリュウより全然カエルだったよ。うん。カッコいいけどカッコ悪かった」
しゃべりながら切腹前のサムライみたいに綺麗な正座をするプリンス。あれ、王家じゃなくて武家だったんですか? ハラキリしちゃう?
「あたしが意識戻った時の騒ぎって……それか」
「うん、大騒ぎになった。ICUの前でだったから、お医者さんにもすごく怒られた。それと、愛ちゃんのお母さんも叫ぶし、暴れるし。愛ちゃんがやかましいのってお母さん譲りだね」
「はあ? ぜんぜん似てないし。あたしはもっと淑女ですから」
「いやいや、そっくりだよ。話聞いてなさそうなとことか」
「じゃあ、あたしソウ君の話も聞かないね」
「ごめん、愛ちゃん。話戻すから聞いてください。でね、コーキが運ばれてからボク一人で正直ビビってさ。だって、愛ちゃんの義理のオヤジ、めちゃくちゃガタイいいし。なんで、変態のくせにギリシャ彫刻ばりにムキムキなんだよ、アイツ……。まあ、ボク暴力嫌いだし。で、平和的な解決策として、ボク自慢のハスキーボイスで声撃してやって。そんで……あること、ないこと、愛ちゃんのこと、とか言いまくって――」
ソウ君の言葉が機関銃のようにあたしの精神をハチの巣にした。何やってくれちゃってんの、このアホは。彼は説明が終わった後、土下座してリズミカルに頭を床に打ち付ける。非常に迷惑なコレは何を隠そう、ダンデライオンのベーシストさんです。
「ソウ君、ゴンゴンうるさい」
「え?」土下座体勢からこちらに首だけ向けるソレ。ケツにお姉さんの竹刀でも突っ込んでやろうか? でも、とりあえずは……
「頭が高いっ!」
「ひいぃ」と叫んで、土下寝に移行するソウ君。そのまま寝そべってろ。なんだったら床でも舐めてろ。部室よりはキレイだからいけるゾ。ハリー、ハリー、ハリーアップ!
どうすんだよ。あたしは二人にどんな顔して会えばいいの? だから、どっちも訪ねてこなかったのか。そういうことか。
「愛ちゃん、あ、あの、ボクその、」
「頭が高いよ! バカプリンス!」
「申し訳ございません、これ以上は低くできません!」
「態度が高い!」
「サー、イエッサー」
「……で、なに」
「愛ちゃん許してください、ボクなんでもするから」
「へ~、そ~。わかった……じゃあ尿瓶になって」
「はあ!?」
「あたし、いまちょうど漏れそうなの。あなたの話のせいで(心が)冷えちゃって」
「でも、トイレは行けるでしょ。だって骨折とかじゃないし」
「もれる……あ、おっきいほうもいけそう」
「いけそうって何だよ!? いやだ。ゼッタイ、いやだ!」
うるさい簡易トイレさんですねぇ~。あたしはソウ君の上によっこいせしようかと思ったら、廊下の方からドタバタ足音が。
あん? 病院内はお静かに。どこのバカだよ。
「アイコ、目ぇ覚めたか!」
鼻にガーゼをあてたバカ、もといコーキ君が飛び込んできた。目がウサギみたいに充血しとります。踏んづけた土下寝ソウ君にも気づかないほどに慌てたようす。「ふぎゃ」って叫んだソウ君がもののあはれを感じさせるぜ。ざまみろ。
コーキ君の顔を見たら、申し訳なさで心があふれた。ソウ君は来年があるからいいとしても、コーキ君は卒業なんだ。
「ごめんなさい……コーキ君とリュウ君の高校最後の思い出、作ってあげれなくて」
「んなもん、どうでもいい。アイコがいてくれたら……いいんだ、よかった」
コーキ君の鋭い目が閉じられて、小さな飛沫がはねた。それは、この病室中の白を集めて凝縮した輝き。その彼を見て、あたしの女心が爆発。
「いいよ、コーキ君。ハグ殺して!」
「まだ、頭イカレてんな? するぞ、超激しいのをよ!」
さあ、コーキ君カモン。あたしを抱きしめ殺せ! 縫ったとこから血が噴き出るくらいに大噴火させちゃって!
「……ダメだよ、コーキ。安静にさせてあげないと……というか、重い。どいてくれない?」
「んだよ、ソウ。いたのか」
「いるでしょ。連絡したの、ボクだし」
ソウ君は立ち上がり、体の前をはらった。コーキ君は踏みつけた背中をさすってあげてる。
「コーキありがと。いや、踏まれてありがとうもおかしいけど。でも愛ちゃんを最初に抱きしめるのはボクの役目だから……譲らないよ?」
「ああ? てめえ、ずいぶん偉そうになったな」
しばし、にらみ合いをするご両人。何かな、あたしモテ期か。そもそも、最初からモテるからモテ『期』なんてないか。よし、とりあえず「犬」のしつけだ。
「ソウ君、お手っ!」
「は?」「あ?」
「お手! そして、あたしのことはプリンセスと呼ぶように」
「んだよそ――」
「はい、喜んで。マイ・プリンセス」
「よくできました。下がってよいぞ」
優雅な動作で壁際に寄り添う王子。うん、従順でよろしい。
「なんだお前ら、気持ちワリい。おいアイコ、マジに頭平気なんだろうな」
「検査の結果、全然良好だし。何なら縫われたとこ見る? 周りの毛切られてハゲてるの。おもしろいよ」
あたしはコーキ君に後頭頂部を向ける。あ、添えられた手が、じっとりしてて、ぬるい。
「おう、マツさんとお揃いだな」
「あはは、あたし髪の毛長くてよかった。入学してからずっと伸ばしてたから……傷口だって隠せるし」
「俺好みのポニーテール作れば、問題ねえ」
そう言い、コーキ君はあたしの髪の毛をまとめてつかんだ。……ポニテ好きなんだっけ。
「ちょっと、くすぐったーー」
文句言おうと思ったらコーキ君はあたしの頭を彼の胸に引き寄せる。心臓の鼓動があたしの鼓膜に流れ込み、脈動に合わせて血潮がコーキ君のカラダを循環してるのが伝わる。
「三人で行けばよかったのに、関東予選」
「アイコがいなきゃ『ダンデライオン』じゃねえんだ。だろ?」
「バカだねぇ……バカと言えばコーキ君だね。その鼻、痛くない?」
「屁でもねえ」
「あの人だってかわいそうだったんだよ」
「なもん、知らねえ」
「……あたしなんかの為に」
「お前――愛のためなんかじゃねえ。ガキだ。一人でべそかいてた、アイコのためだ」
「…………ありがとう」
「もっとわめきゃ、よかったんだ、黙って泣いてねえでよ。アイコは強かったんだな、俺なんぞより、よっぽど」
「今度はあたしに、ちゃんと許可とってから、やってよ」
「けっ、知らねえ。勝手にするぜ」
コーキ君の心音が、波打ち際のはじける海水みたいに一定のリズムをしてる。あたたかくて広い彼の胸は、砂浜。やさしくあたしを抱える腕は、太陽。
ねえコーキ君、このままウチくる? いつもみたいに「今夜お前の家行くぞ」って言ってみてよ。退院日なんて待たなくていいから。そしたら、あたし……わかんないぜ?
「えふん、えふん! えー、マイ・プリンセス。よろしいでしょうか」
「……なんでしょう。格下げ王子」
「面会終了時間が来る前にもう一人、ぜひお会いしていただきたい方が」
もう一人……ああ、リュウ君かな。もしくはヨネさんか。そっか、ちぇっ。名残惜しさを感じながら、コーキ君と離れると、ほんのり顔に秋夜の冷たさがまとわりついてきた。
「おう、アイコ。続きは?」
「ん……今度ね」
「〝今夜〟じゃなくてか」
「どうでしょうね」
「へっ」なんてうそぶいて部屋から出て行くコーキ君。
「愛ちゃんの――プリンセスの浮気者」なんて捨て台詞のソウ君。
だれが来るのかな……あ、お母さんの可能性もあるか。全部ぶちまけられた今だったら、素直になれるかも。ありがと、ソウ君&コーキ君。手はもう震えてないぜ。




