ストロベリーステートメント・ネバーアゲイン①
土日にわたって続いた桜ヶ丘高校文化祭は終了し、あたしは人影まばらの道を通ってアパートへ帰る。九月後半と言えど夜の八時はそれなりに暗く、切れかけの街灯が頼りない。でもあたしは、心地よい疲労感と満足感を燃料に足を動かす。和泉ちゃんとした歩き屋台で得た満腹感は、文化祭の後片付けがあったせいか、今は薄れてきた。部屋もどったら冷凍食品でもチンしよっと。
……食べ物といえば、けっきょくフリージアさんは三人組のまま他の小さい大会に出ることにしたらしく、彼女たちの伝統である高校生バンド全国大会連続出場は今の代で途切れてしまうらしい。
でも「まあ、気にすんな。アタシが許す」と、初代部長の如月翠さんこと高橋先生のお許しもあって、三人娘は安どのため息をついてたな。
そして、あたしたちは十月頭に関東予選に出る運びに。今回の曲をさらに磨きあげなくちゃね。「出るからには、優勝しなさいよ」って、弦音さんにプレッシャーかけられたし。なんだよ、去年全国で五位だったくせに偉そうに。でも、いまのフリージアさんなら優勝行けたかもな。残念でした、ダンデライオンが優勝かっさらちゃうぜ。
フリージアさんといえば……和泉ちゃんめ、彼女たちに投票したってどういうことだよ。「愛ちゃんが楽しそうなのが腹立ったから」なんて理由になるか!? 純粋にライブの内容を評価していただきたいですな。十七票しか差がなかったんだから、危なかったぜ。
そういや、チャラ男先輩もフリージアさんだったし。くっそ、アイツぜったい顔で選んだろ。
「剣さん、あの子たちの連絡先聞いてきてくんない? ちょりっす」とかほざいてたし。もうバイトでなんかあっても、助けてやんない。
だけどクラスメートは何人か声をかけてくれて「ダンデライオンに投票したよ」っていってくれたからプラマイゼロかな。
いやあ、真の敵とは、使えない身内なんですな。いい勉強です。
脳内で和泉ちゃんとチャラ男をムチ打ちし、道を進んでいたら、夜と一体化したあたしのボロアパートが見えてきた。ふんだ、こんな幽霊屋敷ですら、今ならかわいく見えてくるってもんですよ。一年A&B組のお化け屋敷の方がよっぽど恐怖です。
あたしは一気に階段を上りきり、目前のドアが開いた。
「愛ちゃん、その階段は危ないから気をつけてね」
ヨネさんがドアから顔を出して声をかけてくれた。もごもご声はなりをひそめて、普通に聞き取れる。そうだ、ライブに来てくれたお礼、言ってなかった。
「ヨネさんありがとう、わざわざ聴きに来てくれて。大変だったでしょ?」
「ううん、愛ちゃんの歌で元気もらえたから」
なんだなんだ~? あたし踊りだしちゃうよ?
「でも、ごめんなさいね。和泉ちゃんと同じ投票箱に投票しちゃったの……本当は愛ちゃんの方に入れたかったんだけど」
「あはは、ぜんぜん気にしないで。身内びいきなしで勝てたんだから、あたしたちの実力が証明されたってことだよ」
くそお、オカメが。無能の漫画家の卵め……納豆の海で溺れてしまえ。あっ、和泉ちゃんの顔、思い浮かべたらお腹なっちゃった。
「あらあら。愛ちゃん、夕飯は?」
「これから食べようかと思ってました。冷食だけど」
「じゃあ、お祭りのお礼ってことで。一緒に食べない?」
ヨネさんの提案をありがたく受け、自分の荷物を部屋に置き、あっちの部屋へ向かう。あいかわらず、あたしの部屋と同じで質素な部屋だね。年代ものの桐タンスと、その上に置いてある若い男の人の白黒写真が、無個性なこの部屋で唯一の個性を備えてる。
夕飯でヨネさんが出してくれたものは、大根の煮つけ、ぬか漬け、きんぴらごぼう、それに焼きサンマ。久しぶりのキチンとした食卓に、あたし感謝しきれません。いただきますして、ごちそうにかぶりつく。
「ごちそう様でした。おいしかった~」
「愛ちゃん、すごい食べっぷり。こっちまでお腹いっぱい」
さらに、食後にお茶菓子まで出してくれるヨネさん。ホントありがたい。遠慮なしにかぶりつくぜ。あたし和菓子大好きなんです。
「あらあら、はしたない。そんなに急いでもお菓子は逃げないから、ゆっくり食べなさいな」
「それ、あたしのおばあちゃんにも言われたことあります」
「そうなの? 愛ちゃんを見てたら、孫みたいに思えてきたわ」
「あたしも……ヨネさんがおばあちゃんに思えてきたよ。お子さんは?」
「子供どころか結婚もしてないわ。生涯独身です」
それじゃあ、タンスの上の写真はなんなんだろ。てっきり旦那さんだって、思い込んでた。あたしの視線の先にある写真に、ヨネさんも目を向ける。
「その写真はね、私の恋人のものなの。唯一、彼が残してくれたもの」
「へえ、恋人……」
そこに写ってる男の人は、岩のような顔をしてて、堅物そうな印象をあたしに与える。ふうん、ヨネさんのカレシか。
「私のひとめぼれだったわ、大学で知り合って」
「ヨネさんの青春の一ページか。さっきの口ぶりだと……もう亡くなって?」
「うん、そう」
「そっか、変なこと聞いて――」
「私が殺したの」
部屋の空気にヨネさんの言葉が溶け込んで、あたしのカラダにのしかかってきた。硬直したままいると、ヨネさんは床じっと見ながら、ボソボソしゃべりだす。
ヨネさんが大学に入ったころは学生の政治運動が盛んで、写真の男の人に誘われたのがきっかけで、ヨネさんもその活動に傾倒していったらしい。あたし、おばあちゃんに聞いたことあったかも(テレビ中継で、有名な山荘突入も見たって言ってた。隊員の人たちが食べてるカップ麺がその後に流行ったって教えてくれた)。
小柄で弱々しいヨネさんの口から出る、どぎつい単語にあたしは戦慄する。どうして社会を変えようという運動が警官隊との衝突になっていったのか、あたしには理解できない。きっと当事者たちも同じだ。その時にあったことなんて、あとから冷静に見なきゃ誰にもわからないんだ。
いつの時代も後悔は後から……それは、青春の影だ。前を向いてる時には気付かないんだ。
「でも、私は活動の意味も、なにも、理解していなかったわ。信念なんか何もなかった、ただの子供。わたしはあの人と一緒にいる理由が欲しかっただけ。あの日も今日みたいな寒い日で、私たちはアジトで火炎瓶を、準備して……私の不始末で……」
「ヨネさん、もう十分だよ。教えてくれてありがとう。辛かったんだね」
あたしはヨネさんの背をさする。その首の裏には、水膨れのようなあとが残ってて、服の下にまで続いてる。それはまるで、いつまでも引きはがせない、罪と罰の鎧……のよう。
過去は消えたりしない。人生にまとわりついてはなれてくれない。どんなことしても、なんの償いにも、なりはしない。当たり前の事実を突きつけられて、喉が締め付けられる。
あたしの歌なんて、何の助けにもならない。ヨネさんにも、お母さんにも、晶ちゃんにも、届かない。勝手な自己満足。こんなあたしが、だれに会えるのかな。
「もうすぐあの人の命日なの。私のお迎えも近いって、最近よくわかるから……もうすぐ会える。その思いで今まで……」
あたしはかける言葉が見つからないまま。震えるヨネさんを後ろから抱きしめる。本当にふるえているのは、ヨネさんかあたしか。答えがわからないまま、朝が来るのを待つ。
朝日が夜の衣を引きはがして、あたしたちを温めてくれる気がして。ただ、耐えるしかなかった。
翌日、学校が始まり朝のホームルーム後に半袖ワイシャツ姿の和泉ちゃんが声をかけてきた。今日から衣替えなのに、マヌケにも忘れてたらしい。
「愛ちゃん元気ないね。昨日の帰りなんか無駄にテンション高くて、うざかったのに」
「うん、なんか、疲れちゃって……ね」
「ありゃ大変。わたしの漫画読んで元気出して」
それから和泉ちゃんは、絶望しかはいってなさそうなパンドラの箱から、何かを取り出そうとするが、あたしは手でそれを制止。いま、あなたの男漫画なんか見たら、精神崩壊するよ。
「おい、剣崎どうした。元気ねえな、それだけがお前の取り柄だろ」
あれま。ソウ君シスター先生がキレイな竹刀持って、机の前に立ってた。購買部の値札が柄についたままですけど。
「なんですか高橋先生。あたし、それ以外も長所くらいありますよ……顔とか、胸とか」
「マジで声に張りがねえな。どうした、やっぱり女子軽音入るか。な?」
お久方ぶりの勧誘に少し頬が緩む。まったく二人ともいつでもブレないね。
「高橋先生、女子軽音は結構です。あたし、雑草魂の剣崎ですから」
「おし、その調子なら大丈夫だ。勝てよ剣崎。予選来週だぞ? おい式部、ヒマつぶしにお前の漫画見せてみろ。ボーナス前でアプリ課金できなくて、アタシやることないんだ」
そう言うと、高橋先生は和泉ちゃんの作品を取り上げ目を通し、すぐに無言で新品竹刀を大先生にふるう。
「なんてもん書いてんだ、この桃色式部が!」
放課後、重音部に向かう。歩く歩道を逆走してるような、足取りだ。こんな状態で練習できっかな。関東予選まで時間無いのに。
部室が見えてきたら、なんだか騒がしい。ドアを開けるとエメラルドグリーンベースを抱えたソウ君が、そうとうエキサイトしとる。高橋翠先生の弟らしく、やかましいトイプーですな。
「どうしたの?」と、聞いてみる。
「愛ちゃん聞いてよ。リュウってば、弦音さんがもらえないかわりに、おっぱい触ってきたんだって! 最悪だよね」
「ほう、ちゃっかりしてるねカエル部長。あたしも触りたい」
「リアクション薄っ! 愛ちゃんどうしたのさ。いつもだったら『何で陸地にカエルさんがいるのかね、はよ沼に帰れ、不潔童貞』くらい言うでしょ?」
なんじゃそりゃ、言いませんよそんなこと。せいぜい『20センチェリー・ボーイ』呼ばわりするくらいっす。
「それにしても、なんでリュウばっかり……ボクも呼べよ! ああ~、なんでボクに彼女が出来ないんだ~、桜ヶ丘高校・七不思議の内の一つだよ」
「きっとみんな、ソウ君に近づくなんて恐れ多くて、腰が引けちゃうんだよ」
多分ホントはあなたの醸し出す、残念臭が漂ってくるのを察知するんだと思うけど、あたしは触れないでおく。それよりも、なによりも、高橋先生の実弟と言うのがイケメン王子と恋人になれることと天秤にかけても、つりあいません。
「ボク、ホントもう無理。女子軽音行って、触ってくる!」
ベースをスタンドに立てかけ、疾風のように消え去った王子。アンプの電源落としていけ。そろそろ痛い目見た方がいいな、アイツは。フリージアさんにボコボコにされてこい。
「ソウちゃんってば、童貞こじらせすぎだな」
リュウ君め、自分のことを棚に上げてソウ君を小バカにしたな。あなたもおっぱい触ったくらいで威張ってんじゃないよ、童貞カエルが。ジト目で睨んだろ。てか、半袖シャツ~!? 衣替え忘れんなしぃ。和泉ちゃんとペアルックっすか~?
「ふーん。リュウ君よかったじゃん、役得だね。服の上から? それとも生?」
「そんなの秘密だよ。弦音ちゃんのプライバシーに関わりますんで」
純潔のギター女はカエルに踏みにじられましたっと。ふんだ、大人はみんな不潔です。
「あれ? コーキ君はどこ?」
「さっきのくだり聞いたら『クソが』って吐き捨てて帰った」
なんだよそれ。せっかく、バイト休みとって練習しようと思って部活来たのに。無駄足ですな。……うっ、くせぇ。宝物庫脇に置かれたままの桃色ピアニカが異臭を放っておる。
「そのピアニカ妹さんの形見でしょ。大事にしておきなよ」
「なんでケンちゃん鼻つまんでんの? いいんだよ、物ってのは使ってなんぼだ。大事にしたとこで、花が生き返るわけでもないし」
「そうかもしれないけど、あたしは晶ちゃんのくれた鏡、大事にしてるよ。一生持ってる。そうすれば、自分したことを忘れないから」
……ヨネさんもきっと、あの写真を見るたびに思い出してるんだ、自分の過去を。
「強いなケンちゃんは、うらやましいよ。オレ部屋に置いとくほど根性ない」
「リュウ君なんかあった? 元気ないね」
「今日……花の命日なんだ。それでちっと、ブルーに」
「そうなんだ、お参りしなくていいの?」
「もうアイツが死んでから八年も経つけど、オレ、一回も墓参りしたことない」
「えっ、お墓の場所わかる?」
リュウ君はスマホで検索して、あたしに見せてきた。なんだ、ここからそんなに遠くないじゃん。片道一時間かからないよ。
「妹さん――花ちゃん、きっとお兄ちゃんが来るの、待ってるよ」
「……墓なんぞ、骨があるだけだ」
「なら、余計に大したことないじゃん。行こうよ」
「おうぇ?」
「だから、行こうってば。アタシと一緒にね。根性なしのカエルさんをエスコートしたげる」
だって、リズムパートがいないんじゃ練習にならないんだし。メトロノームで練習しても味気ないし。あたし、ちょっと気分転換したいし。
いまいち乗り気じゃなさそうなリュウ君のおしりを叩いて準備促す。ほれほれ、急ぐよ。




