ハートに火をつけて②
手芸同好会をひとりぼっちで見学してサインもらった。見学証明に必要なのは残り三つだ。記念にアップリケも手に入って役得だぜ。
新校舎の廊下を歩きつつ教室の時計を見ると、午後五時を過ぎたとこだった。他の部に行ってみようかな。明日はバイトを入れているので、今日中に五つ全部埋めたいとこだ。
……女子軽音部にでも行ってみるかなぁ。ホントは嫌だけど、高橋先生にウソついたの悪かったし。やさしくてカワイイあたしが一肌脱いであげようじゃありませんか。その後に重音楽部も行ってあげようかな。あたしってモテるな。
女子軽音の部室・旧校舎音楽室を目指し、あたしは旧・新校舎間の渡り廊下に向かう。すると、そばの階段から音楽が雨のごとく降り注いできた。
その曲は今人気のアーティストの曲で、彼の代名詞とも言える歌だった。しっとりと聞かせるバラードで、女性視点で男性への淡い恋心とその変遷を歌った歌。特に若い女の子なら知らない人などいないであろう。そのごたぶんに漏れず、あたしも大好きな歌である。
あたしは何かにとり憑かれたように階段を登り、半開になっている部屋の扉前でそっと立ち、盗み聞く。うん、あの曲だ。間違いなしです。
この部屋は松田先生がさっきおっしゃってた重音楽部の部室だ。ってことはこの演奏は重音(楽)部によるものか。そこで昨日のライブとの違和感を感じ、ふと考えこむ。何が違うのか……あっ、ボーカルが違うんだ。和泉ちゃんの敬愛するイケメン王子のハスキーボイスではなく、別の人の声。
伸びやかで、優しくて、暖かな、春の日差しみたいに聴き手を包み込んでくれる素晴らしいボーカル。一言で形容するのであれば、甘いといえるだろうこの声によって、花の香りに誘われる虫のようにあたしは引き寄せられ、部室のドアの前でカラダを揺らして曲のリズムにシンクロする。
いつまでも聞き続けていたい。なんだか頭がぼうっとしてきて夢見心地になってくる。めちゃめちゃ酔いしれてるな、あたし。
それから演奏が乱れ引き戸が開かれた。あたしはボケっとしてて、とっさに反応が出来なかった。急開放された扉の向こうにはあたしと同じくらいの背丈のカエルがいて、大きな口をあたしに向けている。
食べられる―—本気で思って、あたしは硬直した。
「おい見ろ! 賭けはオレの勝ちだな。キミたち、おごりなさいよ」
あたしを見てから部屋に振り返って、満足そうにカエルが鳴いた。
「ええっ!? その子、自分で入ってきてないじゃん。ノーカンだよ、ノーカン」
「おう。キタネーぞカエル野郎。んなもん、ナシだ」
あたしを置いてきぼりにして騒ぎ出す他の重音部メンバー。イケメンさんとヤンキーさんがカエルさんに絡んでいるのを見て、改めて個性的な人たちの集まりだと思う。はたから見たらカツアゲの現場だ。
「チョイスした曲の演奏中に見学者が来たら、おごる約束だったでしょうが。今日の夕飯代は二人持ちだからな。いや~、曇りガラスに黒い物体がゆらゆらしてて、何かと思ったらやっぱ人だったね。ありがとう名もなき女子よ、一緒におごられ行く?」
カエルさんがあたしをまっすぐに見ながら言った。なるほどそんな賭け事してたんですか。高校生のくせして不謹慎でしょうのない人たちだ。そのセリフから察するに、先ほどの甘い美声はこのカエルさんによるものだという事実にも驚愕です。まじか……声はイケメンだったのに。
それはおいといて、あたしってばガラスに頭だけ映ってたのか、恥ずかしい。もう少し屈み込んでればよかった。うかつ。
「こんにちは。いや、こんばんは?」
固まったままのあたしを見かねてか、カエルさんの後ろからベースを抱えた王子様が声を掛けてくれる。優しいイケメンさんですね。おっし動け、ハリーアップだ、あたし。
「どうも、こんにちばんはっ」と、間抜けな返しが出たあたしは、バカまるだし。
「はは、こんばんは」
さわやか笑顔で返してくれるイケメンさんを心の中で拝みながら、彼に向かって、
「あの、よかったら見学させていただけないでしょうか」
見学証明書を見せながら、お願いする。
「うん? あっ、サインだね。いいよ、してあげる」
そう言ってから、イケメンさんがあたしの手から紙を受け取って、部室に置いてある机の上でペンを走らせはじめた。
うっわ、ありがたすぎる。話の分かるイケメン王子様で大助かりです。和泉ちゃんでなくとも惚れちゃうぜこりゃ。来てよかった、重音(楽)部に。
「おう。ちょーど良かった、なあ、教えてくれ。昨日の新歓で俺のドラム、テンポ遅れてなかったよな」と、ツンツンの金髪を揺らしながらヤンキーさんが近づいてきて、部室の入口に立ったままのあたしに問うてくる。
え……ハートポーズしたときにおもっくそ、叩き遅れてましたけど。どう答えるかな、と考えを巡らせながら目をきょろきょろする。そしたら、イケメンさんが渡した紙の裏に、でっかく何かを書いてるのが視界をかすめた。
ちょっと、サインそこじゃないんですけど。いや、何か変だ。入口で突っ立っている金髪さんの脇を通って、あたしは机に近寄る。
「ああっ! ちょっとナニ書いてんですか!」
「えっ、ボクのサインだけど。この紙って色紙の替わりでしょ?」
あたしが彼に渡した見学証明書の裏には大きく『如月蒼』と書かれていた。はあ~!? 要らないです。あんたのサインなんかゴミ。
「一つ聞きたいんですけど、そもそもあなたって部長さんなんですか?」
見学証明書には部長のサインもしくはハンコが必要なんだけど。
「ボクはちがう。あのギター持ってる、アレが部長」
イケメンさんこと如月蒼さんは、スカッと爽やかにほほえんで、アレ呼ばわりしたカエルさんを指さす。
「オレが部長です」と、言いながら舌を出して、てへベロンする、カエルさん。
アレがさっきの甘いボーカル声と同一人物だとは思いたくないあたしが、ここにいる。
「その見学証明書って……ご存知ですよね、如月先輩」
「知らないけど。なにソレ?」
なんとご存じないとは。説明してあげると、今年から始まった取り組みらしいことが判明。マジか。誰だよ、考えたバカは。高橋先生かぁ!?
あたしは気を取り直して、部長であるカエルさんに証明書へサインをお願いする。
「ハンコでもいい?」と、カエルさん聞いてきた。なんでもどうぞと伝えると、彼は部室の奥棚をガサゴソし始める。
「大変だね、そんなのやらされるなんて」
同情しながらも机に向かって、自分のサインの確認に余念がない如月さん。へったくそな筆記体(バーコードにしか見えない)で、おまけとばかりにアオイ・キサラギと書いてる。
……いいカゲンに人の物で遊ぶのはもうやめろ、ナルシストが。和泉ちゃん、コイツはよしといた方がよさそうだよ。なんだか残念な感じがこの短時間でビンビン伝わってくるもん。顔はいいけど……むしろ、いいとこ顔だけ。
「あなたのサインはけっこうです」と吐き捨てて、あたしは机の上からプリントをひったくる。が、素早い動作でそれを阻止する如月さんのせいで、見学証明書をお互いに引っ張り合う形になる。
「まだ書き終わってないから、待ってよ」
「あなた部長じゃないんでしょ? 返してください」
お互いの目線が交差してスパークスする。あ、やばい。やっぱりこの人、正面から見るとめっちゃイケメンです。いやいや、だまされちゃダメだ、あたしよ。
顔なんかで誤魔化されるものかと、あたしはさらに指に力を入れる。
「おう、どうなんだ。昨日、俺のドラム、ミスってなかったよな」
あたしの後ろから金髪不良が、肩にパンチしながら聞いてくる。それが人にものを聞く態度か。無視する。いてて、デュクシすんな、やめろ、髪の染めすぎでハゲろ。
「ハンコどこに片したっけ?」と、引き出しをあさるのを中断して、カエルがあたしに問いかける。なんでだよ、あんたのハンコなんか知るか、アホウ。
ビリっと音がして、視線を証明書に移す……あっ、ちょっと破けてるし!
「早く離しなよ。完全に裂けるから」
「おう、ドラム、どうだったんだ。新歓のミスも賭けてたんだからよ、教えろ」
「ハンコどこ?」
ビリビリ、デュクシ、ケロケロ。ビリ、デュク、ケロロ。ビ、デュ、ケロ……あ、あたしの頭の中の何かがバツッと切れたよ。あはははは。
バカ三人衆め、同時に勝手なことばかり言ってきやがって、いいカゲンにしろ。あたしは引っ張り合いしてた紙から手を離して、大きく息を吸った。
「あたし部長のサインって言ったよね!? あなた——如月さんのサインなんか必要ないです! それと、金髪さん。新歓であなたのドラム、思いっきりテンポズレてたです。あたし、たしかに聞きました。はい、金髪さんのオゴリ決定~。ざんねんでした~! それとカエ……部長さん、あなたのハンコの場所なんか、あたしが知るわけないでしょ!」
息もつかずに早口でまくしたてて、あたしは地面を揺らしつつ部室から立ち去る。く、クールな女を目指してるのにぃ! あいつらのせいで台無しだぁ。
いや、「部活動見学証明書」を忘れてた。百八十度ターンして、戻る。
あ、半開きの扉から声が。
「名前も告げないで帰るなんて。あの子よっぽど恥ずかしがり屋なんだね」
「チクショー、素人の耳もごまかせてなかったか」
「コーキちゃん、オゴリな!」
「けっ、クソが。明日は校長のとこに車止めて、ストレス解消してやる」
「またやるの? 今日みたいに、まっつんに呼び出しくらうよ?」
「なもん、シカトだ。つーかあの女、威勢よかったな」
「うん、面白い子だった。でも——ー」
「「「笑顔ブサイク」」」
それから、大笑いするヤツら。うおお、ぶもおっ! あたし、かえるっ!
こんなとこ二度と来るかっ。スクールカースト底辺重音部が。あたしは再び百八十度ターン。合計三百六十度ターンにございますぅ。