贈り物①
しばらくして誰かの靴音が沈黙を壊し、床に跳ね返る光が目に飛んできた。
顔を上げみんなを見やる。リュウ君は腕を組んで目をつぶってる。ソファに座っていたソウ君とコーキ君の姿がない。ソウ君は冷蔵庫を開けていて、コーキ君は壁ぎわのスイッチに手をかけて立ち止まってた。
なんか言ってよ、「失せろ」でもいいから。あたし死刑宣告前の囚人みたい……いつかの『死刑執行前』の歌と一緒だね。いまならあの歌詞、少し共感できるかも。
あたしが黄昏ていると、ソウ君がペットボトルとウェットティッシュを包帯した手で持ってきて、「はい、愛ちゃんどうぞ」どっちも差しだしてきた。
えっ、こんなあたしをまだ気づかうの? ……さすがモテ男、ほれちゃうな。おっと、カズヒロ君のことがあって以来、面食いは卒業しようと思ったんだ。いけない、いけない。
「ありがとうございます」そういって受け取ると、
「千円になります」モデルばりの笑顔で(いつも通り)しみったれたことを言ってくる王子。せこいです。
「……いらない、高い」
「うーん。じゃ、五百円」
「もう一声」
「じゃあ、三百円」
「ソウ君って、どうしてそんなにカッコいいの?」
「正直者の愛ちゃんには、千円あげる」
いらないよドケチ&おバカ王子。ヒザにウェッティを置いて、ドリンクを飲む。うまい。ノドにしみわたるぜ。「ぷはっ」と、声に出して一息つく。
「ちなみにボクとカズヒロ君、どっちがカッコいい?」
したり顔で聞いてくるソウ君。そんなの決まってるし。
「うん。圧倒的にカズーー」
「ボクだよね! 照れるなあ!」
大声かぶせてゴマカすな、コラ。プライドゼロか。負けを認めなさいって。
「ちなみにそのカズヒロ君と行った和菓子屋さん、ボクも行きたいな」
うん? カズヒロ君つながりで何をおっしゃいますやら。
「けっこう支店出してるみたいで、駅前の方にもあるよ、そのお店」
「へー、いいね。愛ちゃん、今度いっしょに行こう」
あたしなんかと一緒に行きたいの? 別に構わないけど。ならついでに和泉ちゃんも誘ってあげよっと。『ソウ君と二人でデート』なんて知れた日には、生きてはいないであろう(あたしが)。
「いいよ。あたしでよければね」
「もちろんだよ。それで食べ比べてみよう、アイちゃんの地元とさ」
「同じじゃない?」
「たとえ同じ店でも、店舗であんがい違うんだって」
そうかな? と思いつつ、優しいはずのソウ君に違和感。うーん、目つきかな。ギラギラしているような。あたし狙われてる?
「ちなみにお店の名前は? ほら駅前っていっても色々あるでしょ、和菓子屋さん」
ソウ君がスマホ取り出す。調べるのかな? 焦ってるようにも見える。
「えっとね……」言いかけて止める。やっぱ何か変……邪な王子の考えがなんとなくわかって、ぼかして問いかける「ソウ君、何考えてるの?」
「え? ボク、愛ちゃんとデートしたくて」
「ウソつき。ソウ君なんかキライ。暴力もキライ」
「……だって、愛ちゃんは悪くないじゃん。悪いのは全部ーー」
「あたしはそう思わない。あたしだって同罪。お金もらって、全部黙ってたんだから。……最初のは……もう気にしてないから」
「いいから教えてよ。愛ちゃんの地元。いや、実家の住所とソイツの見た目だけでいいから」
「バカ。絶対教えない」
ふざけんな、そんなこと望んでない。大バカ王子。
「ったく、へたくそだな。オメーはよ」
コーキ君がソウ君の背中を叩いて、ガタガタのリズムを立て直すように言い放った。
「こういう時はよ、もっとシンミツになってから聞くんだよ」
「……どうやってだよ」ソウ君ぼやく。
にやりと笑って、こちらに向き直すコーキ君。
「おい……じゃねえな、愛。お前なんて言って、すまなかった。俺バカだからよ」
「お前」なんて言わないでよって、あたし文句つけたんだっけ。だいぶ前の話に思えるぜ。わざわざ謝るなんて律儀なコーキ君ですね。
「あたしこそ、騒いですいませんです。瀬名センパイ」
「やめろ、ケンジョー語なんざ、似合わねえ。それと自殺したヤツのことなんぞ気にすんな。勝手に死にやがって、少しはこっち気持ちも、考えやがれってんだよ。俺のオヤジも、その晶ちゃんも」
そっか、コーキ君のお父さん自殺したんだった。思い出させちゃったかな。
「ごめん、あたし、よけいなこと……」
「マジで寂しいぜ、置いてかれた人間ってのはよ」
「思い出させて、悪かったってば」
「ダメだ、苦しくて俺も死にたくなってきた。親父に会いてえ」
「ちょっと待ってよ、コーキ君。はやまっちゃダメだよ」
「無理だーーもう、生きられねえ」
そう言って頭を抱えたコーキ君に、あたしは揺さぶられる。不良のふと見せる、弱気で繊細な側面に母性本能がくすぐられまくりです。
ああっもうっ、いますぐ抱きしめてあげないとっ!
「はあ~、コーキまたそれぇ~? 成功したことないくせに。愛ちゃん、騙されちゃダメだよ」
「おいソウ、先にばらすんじゃねえ」
はい? どういった次第ですかね。
「実は俺のおやじ、死んでねえんだ。実際は自殺未遂のあと、ムショ行って、収監中だ。恥ずかしいことに」
「……なんだ、ウソつきコーキ君。『性別拳銃』さんと同じだね」
「ああ? オマエだって……いや。愛だってウソつきじゃねえか」
あたしの名前を口にして照れるコーキ君。そのテレ顔で、やっぱ少し母性本能やられるっすね。染めた黒髪もいいじゃん、金髪よりね。……晶ちゃんにも、そう伝えてあげればよかった。
「はいはい、お互い様です」
「それとな、初めてがどうなんてのも、くだらねえ。気にすんな。んなもん、犬っコロにでも食わせとけ」
「…………はい、わかりました。ありがとう」
バカだな、黒髪さんは。あたし、そんなのどうだっていいのに。でも、すこし気楽になった。
「前言っただろ、俺を励ましてくれた『行きずりの女』もそんな育ちでよ。やさしい……いい女だった。寂しくなって抱いてほしくなったら、いつでも俺呼べ」
コーキ君、デリカシーないなあ。
「前向きに検討します」あたしは煮え切らない返事する。
「よし、なら頼みがある」
あ、この流れで実家の場所教えろってこと? 教えないけど。それとこれとは話が別。
「今夜、愛の家、泊まり行っていいか」
想像のナナメ上の質問に「はいぃ?」と、間抜けな声が出た。おいおい、親密ってそういうことですか。まったく、コーキ君の方がソウ君より、よっぽど下手くそだよ。
「お昼に言ったじゃん『今日はダメ』って」
「『今日は』なら、いつかは行けるな」
それからコーキ君の黒く染めた、書道の筆みたいな頭が揺れる。いつでもダメです。
「はいはい、そうかもね。いつかそのうちね」
コーキ君、小さく腕上げる。喜んでるのかな? あたし、いつか押し切られちゃったりして。
「愛ちゃん、どういうことかな」ソウ君、問詰めてくる。
「いやお昼に、ちょっと……ね」
「さっき買った『ゴム』も無駄になるしな。使用期限いつまでだろうな」
コーキ君がニヤニヤしながら言う。ややこしくなるからやめてください。
「愛ちゃん……とりあえず今夜、電話するからね。浮気はダメだよ」
ソウ君が鼻息荒く、約束を取り付けてくる。だれが浮気だ。あたしソウ君と付き合ってないし。
……まったくこの人たちは。くだらない話をしていて気が抜けた。さっきの緊張感がウソみたいに思える。それとも気を使ってくれてるのかな。……多分そうだね、優しい人たち。じゃなかったら、あんな話聞いて、普通はドン引きだよ。
「だからさ、愛ちゃん。部活辞めないでよ。ボクが電話する口実なくなるじゃん」
「そもそも人数また足りなくなっちまうだろ。愛なしの俺らなんて『ライオン』じゃねえ」
二人があたしを引き留めようとしてくれる。なんで、部活やめようとしてるってわかったの。
「コーキ君、ソウ君ありがとう。でもね、やっぱり昔の話してわかったんだ。あたし最低だった、いろんな人、踏みつけてきたの思い出した」
「違う。さっきも言ったでしょ。愛ちゃんのせいじゃない」
「ぜんぜんわかってねえな、大事なのは今だろ」
「……いいの。気を使ってくれてありがとう」
だから『けじめ』つけなきゃ。この人たちにウソついていたことの。あたしには一緒に笑い合う資格なんかない。汚いあたしになんて。
意を決して、リュウ君の前に立ち、声かける。
「部長さん、お話が」
微動だにせずピクリともしない、地蔵のようなリュウ君。ちょっと間をおいて「なんですか」。他人行儀に敬語で返され、心がズキっとする。
「あの……今日限りで、お暇をいただきたく存じまして」
「そうやって。また逃げるんですか」
ーーえらそうに上から目線。またってなんなの、あなたになにがわかるの。
「そうじゃないよ。これがあたしの罪の償い方です」
「楽してるだけでしょが」
「ぜんぜん違うし。一人ぼっちって苦しいから。いままでが楽しければ余計ね」
「自分一人で殻に閉じこもって、これが罰なんですって? 笑っちゃうよ、ゲロゲロ」
だったらあたしも死ねばいいっていうの? それでみんなスッキリする? わかった。
窓に狙いを定めて、あたしはそのまま駆け出すーーつもりだったのに、リュウ君があたしの腕をつかんで引き留めた。たった三本の指しかないその左手は、凄い力。浮き出た血管が葉脈のよう。
「離してよ。痛い」
「変なことしないか」
「……うん」
「ホントにか」
「はい……」
「じゃあ、開放してあげよう」
リュウ君がそう言って笑い、あたしの腕から自分の指を離す。
つかまれた手首のところが赤く染まって、熱い。
「危なっかしいな、愛ちゃん」ソウ君が目を丸くしてつぶやき、ソファの座るとこを払う。
「それがカエル野郎の言う『逃げる』ってことじゃねえか。愛、俺よりバカだな」
コーキ君があたしの肩をつかみソファに沈めた。めりこむお尻が痛いです。
「そうだね、ごめん……なさい」
「現実から目をそらさないで、死ぬほど苦しめ。卑怯者のケンちゃん」
厳しいね、部長さん。あたし、どうすればいいの。だれか教えて。
「へっ、偉そうにオレが言う資格ないけどね。オレもそうなんだ、卑怯者だよ」
リュウ君があたしを真直ぐ見て、何かを告げる。どういうこと?
「前に言ったろ、オレの指の事」
三本指の左手をあたしに向け、彼は苦渋顔。
「ピアノの蓋で、やっちゃったてヤツ?」
「うん……あれウソなんだ。全部がウソでもないんだけど」
「なんとま。あたしもリュウ君もペテン師だね」
あたしの言葉を受けてカエルさんが今度は苦笑。
「じゃあペテン師仲間のケンちゃんに質問。ピアノの中って、何が入ってると思う?」
誰がペテン師だっての。急にナゾナゾですか。中って、あのおっきい蓋の中だよね。返事はすぐに思いついたけど、少しもったいぶって、咳をしてから口開く。
「それはねーー『夢』だよ。あの中には、キラキラした想いが詰まってるの。たくさんのね」
コーキ君とソウ君が調律のされてない楽器の様な声を出し、あたしを小バカにする不協和音が部室中にひびきわたる。くそう、会心の出来だったのに。
あれ、リュウ君だけ笑わないでポカンとしてる。あれれ、ひょっとして感銘受けちゃった? 照れちゃうっす。
でも、しばらくしてカエル男さん「マジで笑えない」と、ぼそり。
……真顔で否定とは。笑われるのよりこっちのがショック。なんだよ、さっきの間は。もったいぶっちゃって。楽曲と同じで転調ですか~? あげて落とすってか~?
「ふんだ、つまんない人たち。情緒ってもんがないね。ポエマー素質ゼロです」
「ちがうよ。昔、オレが言ったのと同じなんだ、キミの答え。……母親にピアノやらされてたってのは、教えたろ?」
リュウ君とあたし、この部室で一緒に歌ったあの日、言ってたね。ピアノなんてしてなければ、キミはそのケガしなかったのかな。
昔を振り返っても仕方ないか。過去は変えられないんだ。それも、あたしと一緒だね。
「うん聞いたよ。もしかしてそれもウソ?」
「それはホント」
「じゃあ、お母さんにしごかれてたのがウソか」
「それもホント。ションベン漏らしても、課題をクリアするまでトイレに行かせてもらえないくらいのやさしさです」
えげつない、というか、そんなのイス汚ないじゃん……。リュウ君ママは鬼ババだ。
「うわ~、大変だね」
「うん。辛かった」
「そんななら、ピアノやめちゃえばよかったのに」
「まあ母親なりに頑張ってたんだろ。子供心に、それは感じてたから我慢してた。というか、ガキに選択肢なんかないもんな。どうしたって親が絶対的だ」
「お互い、母親には恵まれないね」すこし彼に同情。それとも共感かな。
「そうだね」なんて、リュウ君が微笑む。
「でも、そんな中で楽しいこともあった、連弾だ。二人で同じピアノ弾くやつ。ケンちゃんはわかるかな?」
あたしテレビとかで見たくらいだけど、なんとなくわかる。同じピアノに横並びで座って弾くやつだよね。
「オレがピアノやってる中で、それが唯一の癒しだったんだ」
「なるほど。お母さんと心の通い合いって訳だね。けっこう仲良くしてたんじゃん。なんだかんだで」
「違う。あんな母親なんぞと一緒に弾くか。隣に来たら跳んで逃げるわ」
カエルのモノマネをして、イスから飛ぶフリをするリュウ君。そんなに嫌ですか。
「え? じゃあ誰と連弾してたの?」
「……妹と」
へえ、妹さんいるんだ。それを聞いて心の奥が痛んだ。もし産まれてたら、あたしにも父親違いだけど弟か妹がいたんだ。余計なことを考えてレスポンスが遅れた。
急いで「そっか」弱々しく返事する。
「自分のしたこと、思い出してたか」
「……うん」
「後悔してるか」
「うん」
「あの日に帰りたいよな」
「うん。自分を引っ叩きたい」
「オレもだ。ぶん殴りたい」
どういうこと? なんかあったのかな、妹さんに。
「とある日に妹に聞かれたんだ『お兄ちゃん、ピアノの中って何が入ってるの』ってな」
「それでさっきの質問なんだ」
「うん。恥ずかしいことに、さっきのキミと同じことを答えた。正直、言った瞬間オレって詩人だと勘違いした」
「あはは、二人して恥ずかしいね。まったくさ」
「そのときオレ十二歳だけどね。ちなみに妹は七歳」
うごっ。あたし誕生日すぎたから、いま十六歳。子供と同レベルかい。
「まあそれは置いといて。あの時、妹は目をキラキラさせてた。『ピアノさんスゴイ』なんてこと言ってね。……そんで、それが、妹を見た最後の姿だった」
ええっ。なんで。声を出しそうになるけど黙って聞く。
「……オレがくだらんこと教えた次の日、グランドピアノの蓋に挟まれて死んでた。おそらく中に入って、蓋を支えるつっかえ棒を倒した際に……っていう警察の見解だった。事故で処理されたよ。オレがあんなこと口走らなければ、アイツは、そんなことに、ならなったはずだ、絶対」
「リュウ君のせいだなんて言いきれないじゃん」
「オレがそう感じてるんだから。それでいいんだよ」
「あたしはそう思わないけどね」
「なんで?」
「あたしがそう感じてるから。それでいいの」
リュウ君が笑った。ゲコゲコという表現が一番ピッタリ当てはまるよう。だけど、どこか悲しい音色の甘いその声。
「じゃあ『キミは悪くない』って言った、ソウちゃんも正しいんだな」
「うーん……もう好きにすればいいんじゃない? バンドマンなんて勝手なもんだし」
三人が声を上げ、笑う。あたしもそれにつられて、ゲラゲラと笑う。一息ついてからリュウ君が口を開く。
「なんか、すっかり毒気が抜けた。この話もうやめーーいや、最後まで言うよ。ケンちゃんが、オレたちに最後まで伝えてくれたように」
「うん。あたし、ちゃんと聞く。話して、最後まで」
「どうも」優しく落ち着いた、いつもの彼の声。
それからリュウ君の猫背が、さらに丸くなった。カエルと言うより亀のよう。
「それで……ま、妹の葬儀があってな。一番つらかったのは、だれも妹のことなんか気にしてなかった事だった。会う人がみんな、オレの話ばっかりでな。親ですらそうだった。『もうすぐ発表会だから頑張るのよ』ってな具合で、だれもアイツの死なんか悼んでないように見えた。妹なんか、最初からいないみたいな、扱いだったんだ」
彼は、震え出す。
「周りにも自分にも腹が立ってーーそれで、指をかみちぎったんだ、連弾の時に妹とよく触れ合った左手の薬指と小指をアイツの棺に入れるために。そんで、オレはピアノをやめた。親はなにも言わなかった」
リュウ君の指がズボンに食い込んで、チェック柄が盛り上がり、複雑な模様作る。あたしはソファから立ち上がる。
「そうーー痛かったでしょ」
丸まった背をさする。じんわりした熱が、手のひらに、ほんのりと。
「オレのせいでアイツが死んだのに、それを誰にも言えなくて……苦しかった。ずっと。臆病物の、弱虫だ。ケンちゃんのことなんか糾弾する資格無いね」
あたし、なにもいえないよ。だってよくわかるもん、そのキモチが。
自分の犯した罪をだれかに罰してほしくて、でもそれが怖くて、心と口を閉ざし、逃げる。
「はじめて人に言えた、最後まで付き合ってくれて……ありがとう」
顔を上げてこっちを見るリュウ君。うん、ぐちゃぐちゃな顔。
「妹さん、怒ってないよ。またお兄ちゃんのピアノ聞きたいと思う」
顔面から得体のしれない液を垂れ流し、リュウ君うなずく。
きっとまだ、ピアノ弾きたかっただろな、妹さん。ステキなピアノを彼と一緒に。
「リュウ、汚ないな~。これで拭きなよ」
ソウ君がリュウ君にティッシュを差し出す。
「おいカエル。なげえ付き合いなのによ、なんで言わなかった。ったくよ」
悲しみか、怒りか、どっちともとれない二面性の声色でコーキ君がリュウ君に問う。
「言いづらくってね。すまんコーキちゃん、ソウちゃん」
「お前がマジ顔で謝るなんてな。明日は隕石が降るぞ」
コーキ君はリュウ君の背中を思いっきり叩き、カエル男は顔に浮かべていた汁を床に飛ばした。あっ、また汚して。自分で掃除してよね、まったく……いまはあたしが拭いたげるけど。
「おっし、俺のオヤジは残念ながら生きてっからよ、そのうち会いにいってみるか。ついでに昔のボーゲンも謝るか」
「ふふん、コーキ君どしたの? あなたの方がキャラ違くない? それにしても、お父さんに『殺すぞ』はないよね~」
コーキ君、あたしにパンチ。いてっ!
「友達に『ブタ野郎』もないよ。愛ちゃん」ソウ君もすかさずツッコんでくる。
あたし直接言ってないし、問題ないはず。先に言ってきたの、晶ちゃんだったし。
「なんでもいいからコーキ君、謝ってきなよ。キモチ伝えてあげて。あたしはもうできないから」
「できなくはねえだろ、母親には」
うん、そうだね。あたし、お母さんには謝れる。でも、殺したのは二人の子供。だから謝るなら、お母さんと義父の二人に、だ。
会いに行く……あたしどんな顔すればいいのかな、怖いよ。
「あたし、あの、お恥ずかしい話ですが、踏ん切りつきません。その状況を想像しただけで、足がくがくなんです」正直に、率直に、思ったままの心を吐き出す。ウソはつかない。カッコ悪くても。
「あ、愛ちゃん、久しぶりにヒドイ顔……なら、きっかけ作りでさ。ボクらが大会優勝したら会いに行くーーとかでどう? 練習にも身が入るんじゃない?」
ソウ君が妙案を出してくる。こじつけかもしれないけど、それならあたしが部活やる動機になるのかな。
「じゃあ……そうする」
「人に言われたから『そうする』ってな。ダセえな」
「『じゃあ』じゃないだろ。キミ自身はどうしたいんだ」
そんなの決まってるじゃん。まだ、みんなと一緒にいたい。あたし、やめたくない。
「あたしここに居る。そんで大会優勝して、お母さんに謝る。それが、あたしの目標です」
「……うん。これからもヨロシクな、ケンちゃん」
「ったく、長えんだよ話がっ。俺はバカなんだぞ、まとめろ!」
「やったね、愛ちゃん」ソウ君が包帯の巻かれた右手を掲げる。よくわかんないけど、あたしもそれにならって右手を挙げたら、次の瞬間ソウ君がハイタッチをしてきた……部室のライトに照らされて、やたらに白く見える右手で。
「いっったぁあ!?」
右手を押さえてうずくまるソウ君。そうなるでしょうね、単細胞王子。
「アホぉ、次のライブまでに治してくれよ、ソウちゃん。頼りにしてんだから」
「ううぅ……リュウがボクのこと頼るなんて、珍しい。明日は流星群だね」
「何言ってんだ、ソウちゃん? いつもそうだぞ。リズム隊がなきゃギターなんかただの騒音なんだ、バカたれ。そんなバンドは基礎の腐ったタワマンよりひどいぞ。ぐらぐらだ、積み木のオモチャだ」
「めずらしく弱気だな。カエル野郎」
コーキ君がニヤつきながら、カエル野郎の背中にパンチする。
「痛い……痛いです、やめてコーキちゃーー瀬名さん。いいえ、瀬名様!」
リュウ君が苦悶の声をあげても、パンチし続けるド不良。小突きじゃなくド突き。
「マジに痛いってば……コーキちゃん。なあ、コーキは『フリージア』にケンちゃん取られたくないんだろ?」
「あ? おう、まあな」
「コーキだけじゃなくて、ボクだって愛ちゃん取られたくないし。リュウは?」
ソウ君、犬の目でカエルを見つめる。
「……オレだっていやです。ケンちゃんといたいです」
そのセリフで、あたしの心臓がカエルになって、胸の奥でピョンピョンと跳ねだす。リュウ君もそんな風に考えてくれるんだ。あたし、邪魔物だと、思い込んでた。
「けっ、ぜってえ負けねえぞ。誰にもな」
コーキ君が自身のこぶしを反対の手にぶつける。気合十分ですね。
……ぐふふ、みんな、そんなにあたしが必要なんだ。まったく、モテる女は辛いよ。
「うわっ。ケンちゃんの顔、気持ち悪っ! やっぱ、弦音ちゃんのがいいや」
「あ、ひどっ。部長さん本音が出ましたね。もうみんな知らない、あたし女子軽音入る」
「じゃ、オレも」
リュウ君は〝女子〟じゃねえし。無理です。それ、ソウ君も言ってたし。
「いや。やっぱ入んない。全校放送で人をチェリー呼ばわりする部長がいる部なんか。死んでもゴメンだ」
あらら、リュウ君ってば気にしてたんだ、あの放送。
「だから、弦音さんが欲しいの? 学校卒業前に、そっちも卒業したいってわけなんだね、高校五年生さん?」
「ケンちゃんって、たまにおっさんになるよね」
「うるさい、はぐらかすな。そこんとこ、どうなんですか部長さん」
テレビリポーターのようにマイクを持ったフリをして、彼の口元へ近づける。
「ノーコメント」
「あ~あ、リュウ君、正直者じゃないね。それがホントだったら、あたしが卒業させてあげようと思ったんだけどな」
軽口たたいてから後悔する。こんなこと言うから男の人に引かれちゃうんだ。カズヒロ君にだって、だれにだってーー尻軽女なあたし。バーカ。
「先生、よろしくお願いします!」
高らかに叫んで、五体投地よろしく汚れた床に全身をなげうち、あたしの目の前で土下座をするリュウ君。その姿はまぎれもなくカエルそのもの。プライドないんかい。
ていうかあたしの話聞いてた? 嫌じゃないのかな……あたしみたいな汚れた女。
「じゃあ、ボクも!」掛け声とともにあたしの真後ろでソウ君もクイック土下座。え、ソウ君も〝さくらんぼ〟さん、なの? やだ、意外です。
「まってまって、冗談だから。二人とも顔上げてよ」
「じゃあこれで。土下座ならぬ土下寝」
そう言ってから床に全身をつけて、両手足を直線にそろえるソウ君。その姿はさながらーーなんだこれ、きっもちわりい。形容したくないし直視もできない。
それは、自身の欲望のため最低限の誇りすらかなぐり捨てた、見るも無残なクズ王子の残渣だ。蹴りたいというか、踏みたいというかこの背中……どうしてくれようか。
「俺はセイコーホーで行くからな。今夜オマエんち行くぞ」
コーキ君まだ言ってら、しつこい。
「オマエって言ったからダメ」
「……じゃあアイコ」口を尖らせながらコーキ君が言う。『愛』は恥ずかしいってことかな。
その呼び名に懐かしさを覚えて、あたし、なにも言えなくなっちゃう。いじわる。
「ねえ、愛ちゃん」
寝そべったままのソウ君が話しかけてきた。顔が床に接触してるせいか声がくぐもっている。ハスキーボイス台無し。いや、存在が無し。
「ボクも言ってないことが……親が離婚したっていったじゃん」
「そうだね。あんまりあっけらかんと言うから、ソウ君すごいなって思った」
「子供の頃だったし。でも、姉さんと離れ離れになるのが辛くて……毎日泣いてたってのは伝えてなかった。ボク恥ずかしくて、ごめんね。嘘つきだね」
「そんなことないよ。ソウ君が、みんなが過去と向き合う姿を見せてくれたから、あたしも向き合えたんだ。ありがとう」
うつぶせのままのソウ君の背中に手を乗せる。はうっ、シャツからいい匂いするぅ。
「このシスコンが」リュウ君が土下座状態で首をこちらに向けてほざく。
「そっちこそ」寝そべったままソウ君も顔を向けて反論する。二人セットで気持ち悪さ倍増です。
「だからベースがあの色なんだな、ソウちゃんよ」
「そうだよ、姉さんの名前だから。なんか文句でも?」
そういえばソウ君のベースって蒼だけに青色……じゃないんだよね。それだったら安直すぎか。
「いいじゃねえか。俺はイカスと思うぜ」コーキ君がソウ君の背に語りかけ、うれしそうに返事をする背中。そんな二人を見て、あたしなんだか和む。
「オレだって悪いとは思ってないです」
なぜか敬語になるリュウ君。そちらを振り向くと、土下座したまま頬を床に擦り付けている彼と目が合った。
おい、どこ見てた。カエルちゃん。
「どうしたの?」優しく聞く。優しくね。
「いや、オレの妹の名前って『花』なんだけど。いま思い出して、なんか切なくなっちゃって」
「へえ~、奇遇だね~。今日のあたしのパンツ、花柄なの。あ、恥知らずなお兄ちゃんは知ってるよね」
「あふ、その……スカートの中って夢が詰まってますよね」
あたしはカエルのイスに腰かける。あ、いいクッションだ。きしむたび、子供の靴みたいな音が鳴る。ピコピコじゃなくて、ゲコゲコと。ほれ、鳴けっ。
あはは、カエルのうたが聞こえてくるよ。風情だねぇ~。夏だけど。




