スタンド・バイ・ハー②
全身の熱さも和らいできたので、またソファに座る。コーキ君が「お前、夏休み予定無いのか?」と聞いてきた。よし、クールな女然で答えよう。
「まったくないよ。部活とバイトだけ」
クールというか、人生が冷えているだけだった。これでいいのか、花の高校生。
「寂しい女だな……バイト先で声掛けられたり、とかもねえのかよ」
「コーキ君が前に助けてくれたことあったじゃん。あたしがチャラい先輩に絡まれてる時に」
「んなこと、あったかもな」コーキ君がしかめっ面する。ホントに覚えてるのかな。あたしは忘れないけど。
「あの時、あたしの事、カノジョってことにしてくれたじゃん。もちろん、かばう為のウソだってことはわかってるよ?」
聞いてから、コーキ君しょんぼりした気がする。なんでだろ?
「でもそれのせいか、バイト先で『剣崎さんはヤンキーの彼氏がいる』ってことになっちゃったから。男の人は誰もそういう目的では近づいてこないんだ。お客さんに何回かデート誘われたこともあったけどね」
「そりゃ、悪かったな」
「コーキ君が謝ることじゃないよ。ってか、むしろ助かるし」
「もっとうまいこと言えりゃあな。俺、バカだからよ」
「十分だってば。なんなら、ホントに付き合っちゃう?」
「……おい」
「あはは、ウソだってば」
あれ、どこかで同じ会話をしたような?
「この流れ、あの焼肉の夜みたいだね」
「おう。『お茶してく?』ってか」
コーキ君覚えてたんだ、あの日のこと。ちょっと照れくさいかも。
「あ、あはは。あんなこと急に言われてもね~。コーキ君だってあたしの部屋なんか別に入りたくなかったでしょ。あたし色気ゼロだし。コーキ君はもっとナイスバデーな美女がいいよね。梓ちゃんとか、フリージアのーー」
「んなことねえよ」
思わぬ返答に、心臓が高鳴る。どうしたの。さっきから変だよコーキ君。
「今夜、行ってもいいんだぞ」
言いながらコーキ君があたしから目を背ける。その視線の先にはコンビニの袋があり、中にはさっき一緒に買ってた「男性用ラバー製品」が顔を覗かしてた。というか弁当ごと冷やしてたんかい。鞄にでもしまっといてよ、デリカシーないな。
その一連の動作を見て、あたし「今日はダメ」と答える。向こうはからかってるだけだよ。あたしは、なにを真に受けて、マジメに返してんだか。
「なんでだ。じゃ、明日ならいいのか」
へ、本気ですか? いやいや、何言ってんだこの人は。後輩をからかうんじゃないよ。
「そういうこと、は、お互いのことよく知ってから……です」
あたしも何言ってるんだか。そういう事じゃないって。じょ、冗談なんだから、さ。
「どうすりゃ、知れるんだ」
「はいぃ!? わ、わかりません……」
「教えてくれ」
真摯な眼差しでこっちを見る、コーキ君。あの、真剣なんですか? いろいろ端折ってるけど、あたしのこと、どう思ってるんですか。こっちが教えてほしいよ。
彼の真直ぐな視線から目をそらして床を見る。その途中でコーキ君のチェックパンツの股間の中心が大きく盛り上がってるのが……見えちゃった。
…………あれはきっと、そうだ、ポケットに入ってる、ケータイとかだよウン。あ、スマホか。最近のはおっきいもんね~。あたし持ってないけど。
「教えろ」
ソファに座って体を向けてくる、ポケットに長物入れ男。あたしは正面を向きつつ、視線は床にロックするっす!
煮え切らない態度をしているあたしに、しびれを切らしたのか。コーキ君があたしの肩を取り、強制的に体ごと向けさせる。
交わる眼、精悍な彼の顔、立体感のある制服ぅ!?
コーキ君は「どうした」といぶかしげながら、あたしを揺らす。合わせて彼の下半身も揺れる。メトロノームのように規則正しく。さすが、ドラマー。いやいや、関係ないって楽器は。
そのサイズ感からしてスマホには見えなくなってきたので、ポケットの内容物を別のものに脳内変換する。そうだ、これは、ニンジンだ(ということにしよう)!
振り子運動のように動くソレを見ながら、イメージを切り替えていく。キュウリ、ゴボウ、大根、ゴーヤ、しめじ、エリンギ……いやいやキノコ系はダメだってば。理由は言えないけど。
いつまでも俯いているあたしに、業を煮やしたのか「おいっ!」という言葉と共に立ち上がるコーキ君。
そして、眼前に迫る「ナニ」を見て、あたしは、
「イヤッ! えのきっ」
叫んで、山頂を思いっきりぶん殴る。頭の中は菌糸類でいっぱいだ。
あ、等高線を描き出してたズボンが萎んでいき、平たんになった。
セクハラ男はソファから崩れ落ち、汚い床にうずくまり「いや、せめてマツタケ……」とかほざいてる。まいたけで十分だよ、あなたはね。
あたし、今のつぶやきでからかわれていたのを確信。さっきのドキドキ返してよ変態さん。自分の状態わかるよね、普通は。やっぱバカ。コーキ君はバカ。高校六年生へ一直線です!
……それとも、彼も緊張してて気づかなかったとか……まさかね。
お昼時間も終わり、コーキ君はふらふらしながら、しぶしぶ補修へ。あたしは選曲が決まらず、ああでもない、こうでもないと部室で一人悩む。チャイムが鳴って時計を見ると四時前になっていた。時のいたずらに、あたしポカン。
自分の優柔不断さにため息ついてると、ソウ君が部室に来た。こんな時間なのに、ばっちりセットのクリクリ茶髪、それとーー右手に包帯。
「やあ、愛ちゃん」なんて爽やかに決めつつも、その白い部分が痛々しい。
「どうしたの? その手」
あたしが聞くとバツが悪そうに語りだす王子。この前バレーボールからあたしをかばう時に指をやって……全治三週間とな。だから前回のライブでソウ君のベースいまいちだったんだ、納得です。打ち上げで勝手に悪態をついていた自分を情けなく思うよ。
内省しつつ「なんであの時、言ってくれなかったの? ファミレスだって、行かなくてもよかったじゃん」
ちょっと怒りながら言う。守ってもらった人間が怒るなんて、ね。
「だって、ライブ楽しいから。絶対やりたい。ボク抜きなんてありえない。打ち上げだって、参加する」
ソウ君わがまま。あたし、弟みたいに思えてきた。かわいいヤツめ。
「あたしだって部活楽しいよ? でも次だってあるんだーー」
「次ってなんだよ!? 文化祭で負けたら、愛ちゃんいなくなっちゃうじゃん。ボクそんなのヤダからね。少しでもみんなに『ダンデライオン』を知ってもらって、票を集めないとさ」
ソウ君、あたしと同じこと考えてたんだ。
そして、あたしがいなくなるの嫌だって。さっきからなんなんだ、この部活の先輩方は揃いも揃って。あたし、とろけちゃうぜ。
この前、一人で、必要とされてないのかも。なんて落ち込んでたのがバカみたい。思い込み激しいからな、あたし。猛省々々。
「わかった。ありがとう、嬉しいよ蒼センパイ。だからこそ万全な態勢で、ね?」
上目遣いで顔を綻ばしながらソウ君のミイラになってる手を、あたしの両手で包み込む。
あれれ、ソウ君の顔、トマトみたくなっちゃった。夏野菜だね。あはは、蒼なのに真っ赤。オモシロし。
「もう! からかわないでよ、愛ちゃんのくせに。ば、罰金だよ。たぶらかし罪だからね!」
恥ずかしがんないでよ~、如月蒼センパ~イ。あたしもトマトになっちゃうぜぇ~?
そんなイチャイチャしているあたし達を「室温が上がるからやめろ」と、冷やかしながらリュウ君が入ってきた。
わかってますよ部長さん。重音部は恋愛禁止なんですよね。
二人より遅れてコーキ君が再び部室へ。顔がやつれてる(補修のせいだよね。あたしのせいじゃなくて)。
「へえ~、コーキの金髪って地毛じゃなかったんだ」
髪の色にソウ君が反応した。なわけあるかい。鼻筋通ってて堀は深くとも、純国産な顔つきでしょうが。
「あ? ホータイでビジュアル気取ってる、ナル野郎よりマシだろ」
「ふん。コーキだって、コスプレの域じゃん」
「お、コーキちゃん。シドですか」
リュウ君が変な単語(人名?)をはいて、黒髪ツンツン男は朗らかな表情に。それから二人でこぶしを合わせる。ゴンゴンと鈍い音がして、カエルさんはうめいた。
なんだコーキ君の黒髪、誰かのモノマネかよ。ま、なんでもいいけどね、あたしは結構好きですよ。金髪の頃より近寄りやすくていいと思う。逆不良デビューか……夏休み明けでクラスの人びっくりするだろうね。そんな思い出、あたしにもあるよ。
全員そろってから、教室の中心にパイプ椅子で腰掛けるあたし。そして左にリュウ君、右のソファにコーキ君とソウ君が陣取る。
「みんな次の曲は決まった?」あたしが切り出すと三人とも返事をする。げ、あたしだけ決まってないのか。マズい。とりあえず他の人のチョイスを聞こう。
ソウ君はまた男性アーティストのラブソングを選択し、自分がメインボーカルですか。うん、いいと思う。女子の票取りにいかないとね。
雨をモチーフにした別れの歌だけど、ブルーなあなたに最適だよ。あたしも、バックコーラスでこっそり参加しちゃお。ひひひ。
リュウ君の選んだヤツは……え、ゲームの最終ボスの戦闘曲だって。何それ。どうせまた、クラスのメガネさん達にでも教えてもらったんでしょ。
ためしに彼のスマホでその曲を聞くと、疑問が一つ生まれた。
「この曲、ボーカルあるの?」
「あ、ないな。でもイカす曲だろ。熱くて」
なんなんだろ、この人。バカじゃないかな。あたしはどうしろと? コーキ君みたいに、あたしもそのボスのコスプレでもしたろか。
存在を無視されているようで、腹が立つ。なんだよ、リュウ君はあたしが移籍してもいいのかよ。ふんだ。負けたら、あなたが大好きな弦音さんもこっち来ないからね。
「ねえ、せめて歌詞ありのヤツにしてよ」
「じゃあ、ボイスパーカッションを追加しよう。オレ、かんがえーー」
却下です。目で抗議光線、発射!
「根本から自分を見つめ直します」
猫背をさらに縮め、つぶやくカエル男。当たり前でしょが。あほう。
最後にコーキ君の決めたやつを聞く。ニヤつく彼が、お昼にこれから選ぶって言ってた『性別拳銃』さんのアルバムを持ち出した。それを、ひびが入ったプレイヤーにセットし、曲が流れ始める。
その歌詞はある国の王室批判をしていて、旅行者が紙幣だぜって内容。うーん、これぞパンクど真ん中って感じ。意味わかってんのかな、ホウキ頭さん。あたし歌っちゃうけどね。
「あ、すまねえ。これじゃねえわ」そう言ってコーキ君、曲送りをしだす。あれま、やりたいの違うやつなんだ。
その次に流れ始めた曲は「中絶」について歌われた楽曲だった。前半はソレをした女性について語られ、後半は堕ろされた胎子が世の中に悪態をつきながら死んでいくという流れの歌。
……よりにもよって、何でこの歌なの? 高校生が演奏する曲じゃないよね。
全然あたし達向きじゃない。ふさわしくない。
「名曲だろ?」単細胞さんが聞いてくる。どうせ意味なんか理解してないくせに。
「あたしこの曲歌うの、ヤダ。歌詞よくわかんないし」
「あ? 避妊しろよってことだろ。和訳ついてんだろが」
コーキ君、アルバムケースから歌詞カードを取り出し渡してくる。やっぱり、この歌詞の言わんとしてることなんか、わかってないじゃん。
「アレ買ったから、この曲にしたの? ずいぶん単純なんだね。あ、元々そっか」
「なんだと、お前」
コーキ君があたしに凄む。この人、こんな顔するんだ。いつかのあたしを助けてくれた獅子の目が、今はあたしを貫く。
……だからって怯んだりするもんか。
「ねえ、あたしのことお前って言わないでくれない? エセパンクマンさん。お金持ちのくせに。あんたが一番、パンクの精神なんかとは程遠いでしょ」
黒毛のライオンが唸りをあげ、あたしに牙をむく。
ソウ君が「愛ちゃん、パンクマンじゃなくてパンクスっていうんだよ」と謎のフォロー。いいんだよ、こいつ、頭パンクしてるんだから。車とおなじに。
無言でコーキ君とにらみ合い、無音が部室を埋め尽くす。あたしぜったい譲らないし。
そこで、空気を読めないリュウ君が、
「なぁケンちゃん、この楽曲はね、英国の七十年代の労働者階級における悲哀を歌っててね、世間体を気にしてなかば強制的に『堕胎させられてしまった母親』と、世の中に対し憎悪をまき散らしながら『死んでいく子供』の視点から見た作品なんだ、決して、ただのセンセーショナリズムにとらわれた、安易なものじゃないんだ、ってか、ケンちゃんなら分かるだろ、英語、得意だもんね、さっきオレが言った『シド』はこれの作曲者で、いまのコーキちゃんの髪形のそっくりそのままなんだ、カッコいいだろ、お二人とも、仲いいのはわかりますけど、お、穏便に、」
ブツブツうるさいな。歌詞の意味なんてわかってますよ、そんなの。あたしは、万年高校生のあなた達とは違うんです。
「まあまあ、みんな落ち着いて。ボクも反対かな。コーキが言うように、いい曲なんだけど、これじゃ票が取れないでしょ。文化祭はまだ先だけど今のうちに『ダンデライオン』の地盤固めしとかないとさ。ね、愛ちゃんもそう言いたいんだよね?」
ソウ君が場を取り持とうとしてくれている。あたしに残ってほしいって言ってくれたもんね。ありがとう、優しい王子さま。
「うん」返事をし、その助け舟に乗っかる。
「……んとに、それだけなのかよ」
いくぶん緊張のとけた顔でコーキ君があたしに問いかけ、まっすぐ見てくる。その目と、髪の黒に追い立てられ、あたしは目をそらす。その先にはリュウ君の三本指の左手があった。
それは、弦音さんが叩いた手。
ステキな音を奏でる手。
この部に迎え入れてくれた手。
あたしと絡んだ手。
あたたかかった手。
もしホントの事言ったら。ここにいれなくなっちゃうから。そんなのは嫌だ。
「それだけだよ」
あたしはリュウ君の手を見たままーーウソ、ついた。
「……うん、変えよう他の歌に、候補はいっぱいあるから、いいんだ、イヤならイヤで、オレたちのレパートリー、たくさんあるからね、おっし、もっと一般受けするやつにしよう、時間無いぞ、ほら、探そう、ケンちゃんなにがいい?」
ペラペラとしゃべりながらリュウ君が左手を右手で覆い隠す。あたし、じっと見てた……失礼だ。
思えばみんな正直、この部の人たち。
親が離婚したと、さらりと教えてくれたソウ君。
お父さんが自殺して、せいせいしたと言い放ったコーキ君。
ピアノの蓋で指を失って、練習しなくてすむとリュウ君。
みんな、ホントは辛かったんだよね。それを感じさせなかったのは、きっと自分の気持ちと向かい合って、人に話せるくらいに強かったから。あたしなんかとは全然違う。
なにが、『ここに居たい』だ。ウソつきのあたしに、この人たちのそばにいる資格なんかないんだ。
「ダンデライオン」の一員でありたいなら、言うんだホントの理由。なんでこの歌が嫌なのか。
でも、そしたら、前みたいには仲良くできないね。受け入れてくれないよね。しょうがない、それがあたしなんだから。
伝えよう、あたしの過去を。誠実なこの三人に。
「ねえ、聞いてくれる」
誰に向かってでもなく、あたしは床を見ながら一人つぶやきだす。
これが、あたしの最後の歌だ。




