スタンド・バイ・ハー①
耳元の目障りな音で目が覚める。起き上がると、耳からイヤホンが抜け落ちた。昨日の夜にポータブルCDプレーヤーで音楽を聞きながら寝ちゃってたらしい。なんだかプレーヤーから変なノイズが出てる。こいつももう古いからな、と一人で感慨にふけた。
次の放課後ライブは八月の二学期が開始した週の予定になってる。その曲決めをしようと、みんなからおすすめされたCDを部室から持ってきて片端から聞いていたけど、あのフリージアさんに勝てるような曲がどうにも見つからない。
どうすっかな~。悩みながら今日の補習を受けるべく、登校の準備をする。
明日もバイトだし……あたしの夏休みはいずこぉ~?
先日、作った夕飯をヨネさんにお裾分けしたとき、和泉ちゃんの日傘を返してもらったので、それを差しながら朝日がサンサンと降り注ぐ道を歩いていく。汗が垂れてくる。あづい、なづい。
道中がたまらなくなり、涼をとるべく途中のコンビニにGOする。ひやかしだと悪いから、お茶くらいは買おう。あたしは飲み物コーナーを目指すーーその流れの先に奴がいた。
髪の毛が真っ黒になってはいるが、高身長に細身な体つき、間違いなくコーキ君である。毛を染めたんだね。ちょっとドキッとしたよ。うん、案外似合う。
黒コーキ君はチェックパンツの裾をまくり上げてハーフパンツにして、ローファーのかかとをつぶしてる。そのだらしない制服の着こなしだと、髪を染めたとこでマジメな生徒像とはほど遠いのが残念ですな。
距離をとって、彼の堀の深い端正な顔をガン見する。こうしてみるといい男だ。彼女いないのが不思議。でも、前も言ってたけど女友達はいるのかも。特定の恋人は作らないタイプか。ドスケベハンター瀬名光樹め。
それにしても、いつにない真剣な眼差しでコーキ君は本の棚の一点を見つめてる。大人向けのいやらしいコーナーの一角を。……おいおい。
知り合いだとバレたくないので反転しようとしたら、向こうも気づいたらしい。こっち見んなし。
「おう」いつもよりトーンが低めなコーキ君。決まりが悪そうだ。
「おはよう。なんか見てたの?」
余計なことを聞いてしまった。スルーすればよかったのに。バカだね。
「……最近、〝ゴブサタ〟だなと思ってよ」
あ、そうなんですか。変なこと聞いちゃって、すいません。いかん、空気を入れ替えねば。なんかネタないかな……あっ、これだ!
「この表紙の人、あたしに似てない? ほら、コーキ君が没収された、ソウ君のエッチなDVDの人でしょ」
「……ああ、たしかアレと同じ女優だ。お前に似てるかもな」
うちの学校制服に近いデザインの服を着て、片口まで伸びたパーマ髪の女の人が煽情的なポーズをとっている表紙の雑誌を二人してみつめる。なんだっ! この状況!?
「似てないし……よく見なよ、あたしこんな胸ないもん」
「おう。そうだな」なんてコーキ君が笑う。
うん、会話の軌道修正したのは良いけど、腹が立った。どいつもこいつも。そんなにデカいのがいいかぁ~!? モデルさんとかはスレンダーでしょおぉ! 落ちつけぇ、あたしはクール、クール、クールビューティッ!
「ふんだ。そんな本なんかより、女友達でも誘ってみれば?」
「ったく。んだよ、気にしてんのか」
「何も言ってないでしょ。ほら、コーキ君に必要なのはあっち」
男性用化粧品コーナーの下の方にある「夜のエチケット用品」を指さして言う。
一瞬の間をおいて「なら、買っていくか」なんて、カゴに一つとって放り投げるコーキ君。そのまま、お弁当の方に歩いてく……使うのかな、アレ。
あたしもお茶を棚から取りつつ、レジに並ぶ。すると後ろにコーキ君が来て、あたしの手に持っていたペットボトルを取り上げた。
「一緒に買ってやる。金は後でな」
それならと、その申し出をありがたく受ける。あれ、さっきのヤツと一緒に買うことになると言うことは。あたしとコーキ君が使うみたいになってる?
店員さんにそう思われたくなくて、先に店から出る。恥ずかしっ。
コンビニから出て、再び夏の光に焼かれながら学校を目指す。あたしは日傘使うけどね。
「んだよ、そのフリフリの日傘。お嬢サマじゃあるまいし」
「友達のを借りてたの。今日返すから、持っていくついでに差してるだけ」
話を端折り説明する。持ち主は心優しき貴族なんです~。あたしみたいな、田舎娘じゃなく。
「へっ、そうかよ。こんな時間に会うってことは、お前も補修か、優等生」
「コーキ君とあたしで、一緒に松田先生に怒られたでしょが『重音楽部二人で赤点とは情けない』って。あたしバイトと部活で忙しかっただけなのに。テストの解答欄ズレてただけなのに。そもそも数学テスト、内容ムズすぎだったし」
「そうだったな。俺も一緒だ。お揃いだな」
ニヤニヤしながらあたしを見てくる黒ウニ頭男。同列で語るな五年生が。あ、一緒といえば。
「髪の毛どうしたの? マジメに目覚めたか」
コーキ君の黒々とした頭を見上げながら言う。夏の青空に黒い星は似合わないぜ?
「いや、補修の高橋サンがよ『お前のドラムは芯がある、中身が真直ぐじゃなきゃ出せない音だ。髪なんか染めんな、男なら直球で行け』ってよ。アレもドラムやってたらしいぜ」
その情報あたし知ってる。でも、高橋先生がそんなこと言うなんて意外。最近もろもろの嫌がらせで、あたしの先生評価は赤点通り越して採点不可になってた。
けど、あの身だしなみチェックだって生徒の為を思って、やってくれてるのかもね。
見てくれなんかより、大事なのは心意気ってことか。うんうん。見直しましたよ、高橋先生。
「そういや『黒髪にして女装して女子軽音入れ。なら単位やるから。な?』とも言われたぞ。何考えてんだアイツ……すこし悩んだぜ」
まだあきらめてないのか、アホの高橋先生は。職権乱用の極みですな。
「もしくは『剣崎をひき殺せ、アタシが許す』だとよ。お前、愛されてんな」
いよいよ手段を選ばなくなってまいりましたな。教え子に殺人教唆してんじゃねえし、殺人教師め。教育委員会どころか、警察に直電したろ。
「……それ、完全に私語だよね。補修中にそんなこと喋ってて平気なの?」
「俺しか現国の補習いねえからな」
あれま、高橋先生も大変だね~。一人の為にわざわざ~。ざまあ~。
「じゃあ、二人っきりで補修なんだ。そのまま夜の課外授業にも繰り出せば? けけけ」
オジサンみたいなセリフを吐くあたし。何言ってんだろ。
「前から少しおかしいな、お前。どうした」
「そう? あ、女子軽音繋がりなら梓ちゃんもいるよ。コーキ君の好きな巨乳のね」
梓ちゃん勝手に名前出して、ごめん。でも、もしかしたらお誘い来るかもよ。お気に入りの「瀬名さん」から。
「バカか、いつ俺がそんなこと言った。惚れたら胸があるもないもカンケーないだろが」
真直ぐあたしを見ながらコーキ君は言う。なんで、そんな真剣なんだよ。ジョークなのに。
「ごめん。あたし、サイテーでした」
「へっ、わかりゃいんだ。おい、今日は部活やんのか」
今日は夕方に部室に集まって、練習の予定になってる。バイトも無いから、夜もフリー。
「あたしの補修は朝一だけで後は暇。で、次のライブでやりたい曲決まってないから、みんなが来るまでに部室のCDの中から探すつもりなんだ」
「食いモン買ってなかったけどよ。昼はどうすんだ」
「昨日の夕飯の残りでお弁当作ってきたから平気」
「なら、部室で一緒に食うか。昼メシ」
「いいよ」
あたしが言うと、コーキ君の顔が晴れた気がした。
「いや、ずっと補修やってっと、気がめいちまってよ。ありがとな」
コーキ君、なんか照れくさそう。いえいえ、あたしこそ「ありがとう」だよ。一本気の彼を見てて、不貞腐れていた自分に活が入った気がした。がんばるぞ。
学校についたら部室に直行し、お弁当を冷蔵庫に入れ、コーキ君と別れた。
朝一で鬼顧問の松田補修(非ユークリッド幾何学って、何すかぁ~?)が終わり、あたしは部室でソファに座り、片端からCDを聞きまくる。けど、何一つぴんと来ないや。腕を組みながら深くうなだれる。
首を固定された扇風機がカタカタ音を鳴らし、温い風であたしを冷やす。「はよ、決めろ」と、急かしてくるようにも感じるぜ。……うるさいな、電源切るぞまったく。暑いからやらないけど。
どうすれば、あの「フリージア」さんに勝てるかな。だって、前までの弦音さんワンマンショーはどこへやら、リズム隊二人の迫力たるや申し分なし。ベースの燈さんボーカルもよし。三ピースの数の不利をカバーするためのドラム梓ちゃんコーラスもいい。
それに、全体の構成も考え抜かれている。キャッチーな曲でオープニングを飾りオーディエンスを引き込み、最終的にはギターソロまでもっていくと。ふむぅ、ドラマチックだぜ。
うーむ。やっぱ「一体感」が重要かも。あたし達「ダンデライオン」とはもっとも対極にあるものですなあ。
さらに、当日の流れを脳内シミュレートする。
投票対決は文化祭の会場にいてくれている人に投票券を配る手筈らしいので、この学校の生徒のみならず部外者の人間にも投票される。
で、お互いの演奏終了後に投票。その場で開票し勝敗を決める。学校外の人もいるけど、大半はこの学校の生徒か。ならそれまでの票固めーー知名度が重要ですね。……ホントの選挙みたいで嫌だなあ。
ソウ君のおかげで(一部)女子たちの票は堅いとしても、あの美人たちなら男子の票は得るだろうし。美形でも王子一人だと分が悪いかな、やっぱり。
あたしが当日になんか色気でも出しちゃうかね。いやいや、そんなの焼け石に水だ。むしろ下手したら……いや、下手しなくても向こうの引き立て役になるだけ。そう考え、一人落ち込む。神様って意地悪い。
考えがまとまらなくて、思考が知恵の輪よりこんがらがってくるぜ。……無駄に時間を浪費しているとコーキ君が部室へ来た。うわ、もうお昼か。
あれま、コーキ君、染めたばっかしの黒髪と同じ暗い顔してる。ずいぶんとグロッキーそう。
「お疲れ様~。センパイ、今年は卒業できそう? あたしと一緒に授業受けるのだけはやめてね」
扇風機の首固定を解除して、げっそりコーキ君に風を当ててあげる。うわ、デリカシーゼロ男が半袖シャツをバサバサしだして、割れたほっそい腹筋と、腰履きのズボンから下着がモロ見えだ。あたしは目そらす。
「卒業はどうだかな……まあ、毛染めたから、高橋サンとマツさんには褒められたぜ」
喜ぶ先生たちの顔が浮かんだ。教え子の成長(?)って嬉しいよね、きっと。ついでに服装も正そうぜ、ヤンキー先輩。
「おう、腹減ったしメシ食うか」
あたしは頷き、部室の冷蔵庫からコーキ君のコンビニ弁当が入った袋とあたしの弁当箱を取り出す。
二人でソファに座り「いただきます」と一礼した。コーキ君、変なとこ礼儀正しいね。
二人で同時に食べ始めたのはいいものの、あっという間に食べ終わるコーキ君。よく噛んでなさそうだから消化に悪そう。太っちゃうよ。
「おい、曲決まったのか?」
手持ち無沙汰なコーキ君が聞いてきた。
「あたしまだ決まんない。そっちはまたパンク系?」
選曲は各個人の好みが反映されるので、必然コーキ君はパンクロックばっかり。ま、シンプルな楽曲が多くて英語の歌詞でも歌いやすいから、あたしは助かるけどね。
「おう。これなんかどうだ」
コーキ君が一つのアルバムを(重音部内で宝物庫と呼ばれる)棚から取り出し、見せてくる。
それは黄色地にピンクの文字が入った、目に痛いビビットなジャケットだ。……あたし、前に一回聞いた。バンド名は卑猥なので漢字による当て字で『性別拳銃』としよう。
「うーん。ソレはまあまあ」
「かっ、近頃の奴はまあまあかよ。この名盤が……ったく。俺はここから選ぶからな」
そのアルバムはいかにもパンク然とした政治色の強い歌詞が多くて、あたしはともかく鳥頭君が意味を理解しているとも思えないけど、黙っておく。
ご自由にどうぞ、母国語ですら赤点の人。
「おう。箸、止まってんな」
コーキ君があたしの手元を見る。確かにさっきから食事が一向に進まない。途中で話しかけられたせいもあるけど、部屋の暑さにうんざりしてて食欲が湧いてこないせいだ。
「食わねえと、力でねえぞ? 部活やんだろ」
「そうだけど。なんだかお腹いっぱいでさ、胸と同じで」
昨日と同じハンバーグで飽きたって理由もあるけど、冷凍食品のから揚げも入れてきて、胃もたれしちゃった。チョイス失敗。
「んだよ。なら俺が食う。よこせ」
コーキ君があたしの手からひったくるように弁当箱を奪い取る。
「どうぞ、あたしが作ったので気持ち悪くないならね」一応、念を押す。
「あ? 泥でも入ってんのか?」
「いや、あたしも食べてたでしょが」
すかさずツッコむ。あたしはカエルと違うぞ、泥沼で生活してねーし。
「そのお弁当のハンバーグあたしが作ったやつだから、嫌かなと思ってさ」
「なわけあるか。いただきます」
キチンと一礼し、コーキ君は自分のお弁当を食べるのに使った割りばしで、あたしのお弁当食べ始め、ものの一分で終わる。食べるの早いってば。太るぞ~。せっかくの細マッチョが消えちゃうぜ。
「うまかった。ごちそうさん」
「美味しかった? よかった」
「おう。特にから揚げとゴマ団子がな」
うん? コーキ君てば褒めようとしてくれてんのかな。
「それは冷凍のヤツです、愛情いっぱいのね」
あたしは意地悪して言う。へへ、バーカ!
「……ハンバーグが一番、うまかった」
えっと……ハンバーグ、さっきあたしが作ったって言ったよね。それを踏まえて、言ってるんだよね。
あ、あたしの顔が温暖化してきた。いや、部屋の気温のせいだ。扇風機の風も当たらないし。
「いい嫁さんになるぞ、お前」
ぐっは。やめて、何それ。ソウ君じゃあるまいし。
少年時代の面影を残した無垢さ溢れるはにかみ笑顔で、今時だれも言わないような臭いセリフを言う成人男性(免許持ち)。
気の利いた返しが浮かばず言葉に詰まっていると「おい、なんだよ」と脳みそパンク男がせっついてくる。が、あたしは無視して、顔を見られないよう背を向け、風神様の前に体育座りする。
あ~、暑いな~。夏だもんな~。全部、太陽がいっぱいなせい。そういうことにする。子供の時以来な、扇風機使った宇宙人ごっこもしちゃろ。「ワレ・ワレ・ワ~」っと。




