微笑みの偽り①
七月に入り学校は夏休みに入った。が、あたしは登校の為に朝七時に目を覚ました。
なぜなら、一学期の期末テストの数学で赤点を取ったため夏休み補習を受ける必要があるからだ。よりにもよって補修講座開始が朝一なのが悔やまれる。重音部顧問の数学教師、松田先生にもしこたま怒られたし(コーキ君とセットで)。
まあ、それがなくてもこの部屋の暑さじゃ起きるしかなかったかな。何度あるんだろこの部屋。じっとりした布団からだらだら出る。アパートの外から聞こえてくる、セミの求愛する声があたしを急かすみたいだ。やかましいな、今起きるってば。
朝食を適当にとり、衣替えで半袖になったワイシャツを着る。とたんに肌に布地が纏わりついてきて、不快感が高まる。
こりゃ、学校かバイトにでも行く方がましだ。朝からこのザマだと、このアパートは昼にはサウナだ。
エアコンを使えばいいんだろうけど、何年まえの型かわからないような物だし電気代を食いそうなので使用を控えてる。というか引っ越してきてから使ったことがない。視線をそちらに向けると、仕事を与えられないエアコンが恨めしそうな顔をしている気がした。
汗だくになりながら準備終了。鏡を見ながら身だしなみの最終チェック。よし、完璧かわいい。ベリーキュート。……自己陶酔して途端にアホらしくなる。ソウ君じゃあるまいし。
そう言えば最近まったく笑顔練習してない。いや、必要ないんだ、今のあたしには。だって毎日楽しいし、そんなことなんかしなくたって自然と笑えてる。
やっぱり部活入ってよかったな。あの日、みんなに会えてホントに……。今更ながら感謝かも。照れくさいから直接言うこともないけどね。
陽光降り注ぐ中、蜃気楼が立ち込めてきそうなアスファルトの上を歩いてく。な、夏なんだなぁ~。日に焼かれた木は道路に影作り、あたしはそこで休憩するも、やおら暑ひ。
モウロウとしてると前方にフリフリフリルでデコられた日傘をさしている人を発見。あたしと同じ制服着てる。スカートから覗く白い足が否が応でも美人を想像させる。どんな人なんだろ。あたしは好奇心に促され、足早にその人を追い越し横目で傘の中を見る。
「あ、愛ちゃん。ご機嫌麗しゅう」
我がクラスメートの和泉ちゃんであった。後ろ姿だけなら美女(失礼発言)。
「あれれ、愛ちゃん。朝からわたしの美貌に当てられて、眩暈?」
放心状態になったあたしを見て、和泉ちゃんが心配してくれる。
「うん、そう。夏って怖いね」
「そうだね。水分補給に気をつけようね」
ごめん和泉ちゃん、あとでジュースおごるね。勝手に反省しつつも、学校への道を二人で歩き始める。
「しかし、愛ちゃんも補修か。優等生も地に落ちたもんだね」
「最近、勉強がおろそかになってたのは事実だからね」
あたし近頃はバイトと部活ばっかりにかまけてた。でも赤点補習は数学一教科だけだし。それに松田先生の数学テストは超難しかったので補習には大量の生徒がいたし。一学期なのに複素数って……数Bじゃないっすかぁ? とばし過ぎっス。
「ちなみに和泉ちゃんの補習は何個?」
「四個だよ。いや、テストの日に体調悪くて」
いいわけすんな、式部。あたしより暇人だろ、あなた授業中寝てるし。
「『勉強してない』って言って、ホントに勉強してない人っているんですね~」
「うう……そういえば、今日の夕方にまたライブでしょ? 体育館、借りて」
和泉ちゃんが会話の流れをぶった切る。式部逃げんなし。彼女の言う通り、今日の夕方には体育館を貸し切って対バンライブの予定。あの放送で大人数が押し寄せると予測されたためだ。先月の放課後ライブでも視聴覚室、人数オーバー気味だったからね。
対バン相手はもちろん、女子軽音楽同好会……改め『フリージア』さん。私たち『ダンデライオン』との全面戦争に突入し、今回のライブが初合戦の場となる。
「どっちも花がモチーフだから、お花大戦とか言われて話題になってたよ」
「あんまり〝対決〟って感じがしない……あっちのが花としては格上な気がするし」バンド名原案のあたしが自虐する。
「愛ちゃんじゃ、あの美人さんたち相手に勝てないよね~。役不足だね」
「はいはい。あたしじゃ役者不足ですよね~。和泉ちゃんが重音部入れば?」
「なら楽勝だよ。わたしこそが救世主!」
和泉ちゃんは日傘を頭上に掲げる。そのまま焼けて灰になれ。
「ほほう和泉さんの担当楽器は?」
「わたしカスタネットを小さい頃に少々たしなんでおりまして」
「そんなのだれでも経験あるよ! あたし、和泉ちゃんは竪穴式住居の中でお琴でも弾いてたのかと思ってました」
「ねえ剣崎愛さん。せめて平安で世界観統一していただきたいですね」
和泉ちゃんが日傘を剣みたいに構えたので、あたしは距離を取る。
平安貴族と村娘の手に汗握る剣劇がここに開幕ぅ!
炎天下でのおふざけもそこそこに移動を再開するあたしたち。無駄な血と汗が流れたぜ。
あれ? そろそろ学校坂道に差し掛かかるとこに、ヨネさんがいた。散歩かな? こんな暑い日に……ふらふらしてる。危なくない?
「おはよう、ヨネさん。こんな日に大丈夫なの?」
後ろから声かけ、彼女は力なくうなずく。脱水症状起こしてるんじゃないかな。震える手を見てそう思う。近頃忙しくて料理してなかったからお裾分けで会う機会もなかったし、なんだかすごく弱弱しい。
「待ってて」坂前の自動販売機でお茶を買いヨネさんに渡す。
——え、悪いって? いいから早く飲んでと促す。ヨネさんはお茶をチビっと飲んで、一息ついた。
「こんな暑い日に外でない方がいいよ、アパートも暑いけどね。下手したら死んじゃうんだから」ちょっと大げさに言う。
——日陰を選んで帰るって? でもここからアパートまでなら道路沿いの、この道を行くのが最短ルートだ。遠回りになっちゃうかも、と悩んでいると。
「はい、おばあちゃんこれ使って。返却は愛ちゃんへ」
和泉ちゃんがヨネさんに日傘を差しだした。うわ、初めてカッコいいと思った。この子のこと(失礼発言プレイバックパート二)。
ヨネさんが和泉ちゃんにお礼を言い、日傘をさしてアパートへの道をもどって行く。うーむ、フリフリのフリルがアスファルトに咲く、日輪のようだ。
「和泉ちゃん、ありがと。傘は今度、返してもらうから」
「うんよろしく~。愛ちゃん、親切だね。わたし感心しちゃったよ。あの人が隣に住んでるおばあちゃんなんだ」
前に和泉ちゃんにヨネさんのこと話したことあったかな。
「そう、最近会えてなかったから……ヨネさんちょっとやせたかも。元々ガリガリだったのに」
「顔色も良くなさそうだったね、心配」
「和泉ちゃんにもそう見えるか。また料理作って持っていこ」
「今時そこまでする子、いないよ~? よっ、若者の鏡」
「あたしおばあちゃん子だったから、ほっとけないんだ」
「へえ~、そうだったんだ」
和泉ちゃんの返事と同時に、あたしたちの横を大きなトラックが通り過ぎ、地面を揺らした。巻き上がる粉塵が汗かいた肌にファンデよろしくまとわり付き、不快感を加速させる。
朝一の数学補習が終わり、暇なので部室に来た。リュウ君が首を固定された扇風機の前に立って、その猫背に風を受けている。ズルい。
「お、ケンちゃんか。まったくあつがなついね! いや~、日本の気候は楽器に悪いよ」
小学生かよ、高校五年生のくせに。
「うんなついね今日も。リュウ君も補修? あたしとお揃いだね」
「オレは今日の準備で早く来たんだよ。流石に高校六年は勘弁です」
なんだ。お揃いじゃなかった。
「コーキちゃんは朝から夕方まで補修が入ってるけどね、六年生にリーチ」
言いながら手を叩くリュウ君。楽しそうだねと思いながら、その手をチラリと見る。
この前のライブの打ち上げの時に早乙女先輩……いや、めんどくさいから弦音さんにしよう。梓ちゃんもそう言ってるし。
あの時、弦音さんはリュウ君の指をじっと見てた。リュウ君きっと頭に来たんだ、ジロジロ見られて。だから、あんな「前座」なんて失礼なこと言ったんだね。普段のリュウ君なら空気は読めなくても人を傷つけるようなことは絶対言わない(小バカにはしてくるけど)。キチンと言葉を選んでる、と思う。短い付き合いでもそれはわかる。
あたしが初めて部室に来た時も「左手見なかったね」って言ってきたもんね。結構気にしてるのかも……今後は気をつけよう。
そう意識して手を見ないよう、リュウ君のどデカい顔の方に視線を移す。
「なんかオレの顔についてる?」
「うん? 別になにも」
「ソウちゃん来るのは午後過ぎだよ。ケンちゃん残念だったね」
しゃべりながらリュウ君は後ろの扇風機に振り返り、あたしは彼の猫背を見つめる。なんでソウ君の事、いま言うの?
「ふーんそっか。暇だね」
「当然ながらコーキちゃんも夕方に合流だし、ドラムくらいは運ばせないとね」
「そうだね。担当楽器くらいは自分でね」
コーキ君、最近はバイトで疲れたとかぬかして、動こうとしないからな。部室の掃除だって、あたしとソウ君ばっかりやってるし。……リュウ君もやってよ。ひどい先輩たちですね。
「緊張してない? 最初みたいに黙ったら、またスカートめくるからな?」
「リュウ君のエッチ! ふん、あたしぜんぜん緊張してないし。楽しみなくらいです」
「ケンちゃんはやっぱ大物だな。オレの目に狂いはなかったね」
「……だから弦音さんも欲しいの?」
「うん? ケンちゃん唐突だね。まあ、あの弦音ちゃんギターがいれば、もっと幅広く楽曲表現できるし。全国一なんて余裕だよ」
「リュウ君よりギター上手って褒めてたもんね」
「だな。あの子とオレじゃ、かけた年月が違うよ」
「あっさり敗北宣言ですか、部長さん」
「俗にいう惚れたってやつかな」
あっそう、好きなんだ。……ふ~ん意外。リュウ君って女の人に興味ないと思ってた。
「綺麗だもんね弦音さん。あたしごときじゃ嫉妬も出来ないや」
「おん? そだな、綺麗な指してるよね」
バカ! そこじゃないでしょ。わかるよね、会話の流れで。
トークが脱線して肝心のところは聞けずじまい。なんで弦音さんの見た目の話なんかしちゃったんだろ。
あたしの意見も聞かないでトレードなんか決めて。そんなに弦音さんが欲しかったの? 負けたらいなくなるよ、あたし。みんなそれでいいんだ。リュウ君もそうなの?
「教えて」って、ホントはそう聞きたかった。カエルのバカ。
いい加減部屋が暑くなってきたので、あたしは扇風機の首の固定を解除する。
「暑い」とかリュウ君が文句を言ってきたから「『あつ』が『なつ』いのは当たり前。ここは日本です」って言ってやった。ふん。
午後になってソウ君が部室に来てから、アンプやらマイクやらのライブ用の機材を移動する。
体育館には色々な競技に使えるコートが三面分あって上から見ると、漢字の「目」と同じ並びになっている。なかなかこのサイズの体育館がある学校はない。さすが在校生が千人弱の高校ですね。あたしの地元とは全然ちがうな。
バレー部やらバドミントン部が使っているスペースの後ろ(ボールがバンバン飛んできて怖い)を通り壇上へと機材を持っていく。
コート同士は、ネットで区切られていて、隣に球が飛んでいくことはないけど、壇側には何もかかっていないので、無防備なままだ。
あちらには一応お邪魔するという旨は伝えたはずだけど、あたしたちのことなど知らんとばかり。この暑さで、いら立ってたのかな?
「そんな球くらいキチンと返せ!」という怒声と共に、ボールが壇上にいるあたしの目の前を飛んで行き、びっくらする。
ちょっと気を付けてよ、ちゃんと使用許可取ってるんだからこっちは。配慮してくれてもいいじゃん。なんて、心の中で文句を言う。
我が物顔でコートを使ってる奴らに、腹を立てながら背を向けて、あたしはマイクスタンドとアンプを設置し出す。
作業中急に「愛ちゃん、危ない!」とソウ君の声が聞こえ、振り向いたらバレーボールがこっちに飛んできてた。
アンプに当たると思い、目をつぶりボールに背を向け、とっさに抱きかかえるあたし。死むっ!
……あれ? 痛くない。
目を開けるとソウ君が立ってて、遠くで玉がバウンドしてる。あ、王子かばってくれたんだ。
「大丈夫?」微笑みかけてくるプリンスにあたし飛びつきたくなる。ううっ、カッコいい。王子の後ろにバラの花が見えるよ。
しばし見つめ合うあたしたち。時間よ止まれ、我らの為に世界はある。村娘でも、きっと成れる、シンデレラ。
ソウ君、あたしの事「好きになりそう」って言ってたよね。いいよ二人で行こう、どこまでも。和泉ちゃんが追って来るけど恋に障害は付きものだから。邪魔するなら叩き潰すまでだよ。
あたしがくだらない妄想でトリップしていると、ソウ君はバレーコート側に振り向いた。怒った顔してたかも。どしどし音を立てながら壇から降りていく。
「危ないな、へたくそ!」
ソウ君こういう時にすぐ突っかかる。あたしがバイト先でからまれてる時も、高橋先生の身体検査の時も、今だって。誰かの為なのは分かるけど短気なのはよくないな。
さっきまでの熱もどこへやら、あたしは冷めた目でソウ君を見た。
ソウ君と女バレのゴリラみたいな大女がケンカを始める。ああ、まずい流れだよ……ライブ準備も途中だし。どうしようと思ってると、
「コラ! 如月ぃ、何してる」
体育館の端っこからでも届く音量で、松田先生が怒鳴る。いつから見てらっしゃったんですか。
「まっつん聞いてよ。バレー部がさーー」
「バカ野郎っ! ケンカふっかけたのはお前からだろうが!」
先生がソウ君を戒める。「松田だ」のくだりがないから、かえって本気で怒っているのがわかる。松田先生の口から出る衝撃波でソウ君はしゅんとした。
二人はバレー部に向き直し頭を下げて謝る。ソウ君は頭を押さえられて無理やりにだけど。
あちらの女子は納得しかねる顔で憮然として立ち去って行った。
「ごめんなさい」あたしも心の中で謝る。結果こっちが迷惑かけちゃった。
「無事か?」
いつの間にかリュウ君があたしの背後に音もなく立っていた。
「あ、あたし平気だよ。うん、ケガ無し」
「ケンちゃんとソウちゃんのバカ。幕下げとけばネットの代わりになるでしょが」
心配したのは「機材」なのか「あたし」なのか。リュウ君は壇上脇のスイッチを押し、マントの様などん幕が下りてきてコートとこちら側は分断される。まるで今日のあたしたちみたいにバラバラだ。
なんか感傷的だな今日は。ダメダメ本番前に余計なこと考えたら。準備に集中しよっと。




