胸いっぱいの愛と①
〝私〟の目前を居合切りのように弦が裂き、アンプから間抜けな音が飛び出した。そしてベースとドラムも合わせるように演奏停止。
それから二人の薄ら笑いがこの場の張り詰めた空気を弛緩させる。
私のことバカにしているの? ……ムカツク。
替えたばっかりの一弦切れたのも。ムカツク。
私の自慢の長いストレート黒髪に今朝クシが通りづらかった事も。ムカツク。
去年高校生バンド全国大会で五位に入賞したにも関わらず、横断幕が作られないことも(他の運動部は県大会出場程度でおめでとうと書かれているのに)。ムカツク。
同好会に都落ちしたにも関わらず、のほほんとしている部長兼ベース担当である三年生の橘燈先輩の緊張感のなさも。ムカツク。
今年入部してきたドラム担当の一年生、林田梓のおずおずとした態度も。ムカツク。
我が部の顧問である高橋先生の竹刀を持った威圧的な態度もムカツク。
重音楽部同好会もとい重音楽部。『ダンデライオン』とかいうあのダサいバンド。ムカツク。
さらに言えば、あの入部した一年女子。一番ムカツク(高橋先生はあの子のこと褒めてた……これまたムカツク)。
あの子さえ向こうの『重音楽部同好会』に入らなければ、あっちが『部活動』になり全国大会に出場資格を得ることもなかったのに。
考えただけで、ピックどころか弾いてもいないギターの弦が震え出すぅ! ムカツクゥ!
「あ。ねえ、弦ちゃん平気? 顔とか当たってない?」
桜ヶ丘高校、女子軽音楽『同好会』に所属するギター担当二年生の〝私〟こと、早乙女弦音は、最近ピックを持つ手が震えることがある。放課後に旧校舎一階のオンボロ音楽室で練習中のいまもそう。すべてにムカツク。
「おーい、弦ちゃ~ん? えと……顔色悪いけど大丈夫?」
橘燈先輩がベースを肩に掛けたまま、心配そうに聞いてくる。
「なんでもないです。練習続けましょう」
「そう、ならいいけど……。てか、ギターそんなだし。あ、じゃあついでにいま聞いちゃお。この前ね、今度の重音学部ライブで対バンしないかって、むこうの部長さんに持ち掛けられたんだ」
「対バン? 何のためにですか」
私はぶっきらぼうに聞き返す。対バンとは複数のバンドが演奏で競い合うことだけど、あいつらとそんなことして意味ある?
「あのね、ワタシたちって今までは文化祭と大会くらいしかライブ活動してなかったじゃない? それじゃ勿体無いって言われて……どうかな」
燈先輩のショートボブの前髪が、小首といっしょにかしげた。
私が所属する女子軽音楽部は名の知られたバンドで、全国大会の常連でもあった。もっとも今年は同好会に格落ちし、各高校に一バンドしか与えられていない出場枠も『重音楽部』に取られてしまっている。したがって、せいぜい学園祭での演奏くらいしかライブ活動の場所はない。
「いいと思います。わたくしライブしたいです」
綺麗なブロンドの髪をなびかせる梓が、燈先輩に賛同する。珍しく積極的だ。
「とりあえず、私、弦交換しますんで」
不愉快な連中の事を脳裏から振り払うべく、私は会話を打ち切る。
「梓っ! バスが弱い!」
私が怒鳴って、ブロンド髪で光る梓の顔が曇り、下を向いた。
梓は中学でブラスバンドのドラムをしていたらしく、卒業したドラムスの代わりとなる貴重な戦力だ。今年の新歓でリズムパートの重要性を痛感したところに現れた期待の新星であり、正直ありがたい。
実家はお金持ちらしく、召し使い達が部室に新品のドラムをセットしていった時は本当にびっくりした。
そんなお嬢様の梓はおしとやか根性が抜けないのか、ドラムの音が弱い。大所帯のブラスバンドでは自己主張よりも親和性が求められる傾向にある。その影響か梓のドラムは軽音楽のドラムとしては物足りないものになってしまっている。
なんせ三人しかいないんだから、私たち弦楽器組に負けないくらいの大きなドラミングが欲しいところ。もっとグイグイきなさいと何度か梓に注意したが一向に良くはならない。それどころかどんどん弱くなっていって、テンポズレまでする始末。そして、また私が文句を言い、梓が委縮という負のスパイラルが練習中に起こる。そうすると決まって燈先輩が私たちの間に入り仲裁をする。今もそうだ。
「まあまあ、そんなに言ったってすぐには変われないでしょ。大事なのは最後まで続けること、ミスってもーー」
「燈先輩は甘いんです。私たちはーー」
「強豪校である桜ヶ丘高校の女子軽音楽部だって? もう同好会だけどね。出場資格すらない」と、燈先輩が自虐。
……わかっている、すべて私のせいだ。それを理解しているから一人で焦っている。意味もなく。梓は良いとばっちりだ。
そもそも、私の世代である二年生は自分を含め五人が入部したけど、ことごとく辞めっていった。その原因は私。経験者という話であったにも関わらず、レベルの低すぎる子たちに片端からダメ出しをしまくったからだ(担当問わず)。
そういえばあの子たち陰で嫌いな人ランキングとかやってた。当然一位は私だった……別に、気になんかしないけど。どちらかと言えばそれが後日、燈先輩に知れて大激怒したことの方が印象に強い。普段おっとりしてる先輩が怒ったら、高橋先生なんか目じゃないくらい怖かった。
「影でそんな真似するなら部活辞めればいいじゃん。ダッサイなっ!」
そんな燈先輩の一言が発端となって本当にみんなはいなくなり、「ありゃ、ワタシのせいでみんな辞めちゃった……ミスった~。でも、弦ちゃんが居れば百人力だから」
燈先輩が言い訳(私を慰めて?)してて可愛かった。この人昔から気配り屋だったな。
私はこの十年、ギターのプロ(演奏を生業とする、いわゆるスタジオミュージシャン)になるのを挫折した父に、徹底的に技術を叩きこまれた。もはや父をも超えたと自負しているが、ギターに対する愛情はない。むしろ憎んですらいるかもしれない。
それでも妥協して練習している人間を見ると腹が立ってしょうがなかった。子供の頃いくら泣いても練習させられたせいかもしれない。ーー今思い出しても拷問のような日々。ほとんど虐待の様な時間。
そんな私を見かねた母が父に抗議をしてくれたけど聞き入れられず。最終的に母は愛想を尽かして家を出ていった。
そんな幼少期を過ごして中学を卒業しなんとか高校にも入学したが、学校の成績は最低ラインな私。
大学の為に予備校に通いたいけどギターさえあればいいという父の教育方針に逆らえず、一芸入試制度を使いなんとか音楽大入学を画策しているところ。そうすれば初めて家から……父から離れられる。そう思っている。
そのためにも何とかこの有名な『桜ヶ丘高校・女子軽音楽部』で全国大会入賞をし、目標への足掛かりにしたいのに、それすらままならないとなると八方ふさがり。本当に。
「弦ちゃん、どしたの?」
昔を思い出して呆けてしまっていた私に、燈先輩が話しかけてきた。
「なんでもないです」
なにもなかったように取り繕う。燈先輩は心配そうな様子だ。
燈先輩の代にいたギター担当は私が入ったことにより控えになってしまい、そのまま部活を辞めていってしまった。結果、三年生の代でたった一人で、そのまま部長になった燈先輩。私をどう思っているのかな。本心では疎ましいと思ってるのかも。
演奏メンバーを選出するのは顧問である高橋先生なので、私が気に病む必要はないとも言ってくれた燈先輩。その言葉が嬉しかった。立場上、形だけだったとしても。
……とんだ疫病神だ、私は。申し訳ない気持ちが溢れてきて「対バンしましょうか『タンポポ』さんと」なんて言葉が、つい出た。
それを聞いた瞬間、燈先輩の顔がパッと晴れて、いい笑顔する。そんなにライブしたかったんですか? 私たち三人で。
「じゃあ六月だね。連絡とっておくから」
笑う燈先輩と小さく頷く梓。二人が喜んでくれるならいいかな。無理矢理、自分を納得させる。
六月になり、例の放課後ライブの日。私たちは演奏を終えて、その後の「タンポポ」のライブを見ている。本音ではとっとと帰りたいんだけど、ライブ場所を提供してもらった手前、後片付けも手伝う約束になっている。なのでしょうがなしに視聴覚室でおとなしく聞いている始末。
憎くたまらない『ダンデライオン』のあの一年女子が、バカみたいにステージで飛び跳ねている。スカートがめくれて中が見えそうだ。少しは気にしなさいよ。
前の方に座っている男子たちは心なしか椅子に浅く腰掛け、上体を反らしている気がする。私たちの時もそう感じたけど。いやらしい、不潔。
梓に連れられて見に行った前回のライブの出だしは酷く、ボーカルの新入生はスカートめくりされてた。……バカ軍団め、何やってたんだか。さて今回はどうかな?
一曲目にアップテンポな有名パンクのカバーでなかなか激しい曲。体をほぐす意味合いもかねてピョンピョン飛び跳ねているのか。バカなりに考えてはいるのね。
あのちびっ子は「バカなアメリカ人になりたくない」みたいな意味の歌詞を叫んでいる。バカはそっちだ。何で女子のくせに女子軽音楽部に入らないんだよ。
彼女はさらに「ボーン・イン・アメリカ!」と絶叫しジャンプした。あなたどう見ても日本人でしょ。
あ、着地を失敗して態勢を崩している。頭を掻いてごまかすな、コラ。
二曲目は知らない歌。なんだこれ……ひょっとしてオリジナルかしら(なら凄い完成度だ)。敵ながらやるな、と思っていたら隣の燈先輩が、「これはっ……新曲の!」と食いついた。
え、なになに? なんでも先輩いわく、深夜でやっているアニメの新しいオープニングだとか。知るか。さっき私たちが演奏したのはそれの前期の方とか何とか言っている。
燈先輩……アニメ見るんですね。深夜にやっているようなマニアックなのを。
ボーカルもやるって張り切っていたのはそういう事。結構上手だったから聞き入ったんだけどな、先輩の歌。今はただのアニメ大好き女子にしか見えない。
燈先輩が早口で、既存の作品にはない斬新な演出がどうのこうの言っていたが、無視してやった。興味なし。前方で合いの手を入れて盛り上がっている、インドア系男子連中とでも話してくればいいのに。
そんな話よりも途中で言った「スコア化はまだ、されてないはずだけど」という燈先輩の言葉が気になる。ということは少なくとも曲を譜面に起こせるような人間がいるということだ。なかなか侮れないなタンポポ軍団。
三曲目は……なんか古臭いフレーズが聞こえてくる。なるほどフォークソングだ、これ(高校生のくせに選曲、渋っ!)。
情感たっぷりに歌い上げるボーカルのあの子を見てると、場末のバーとかでオヤジにモテそうだと思う。ああいう、ちっこい子の方が庇護欲掻き立てられるんじゃないかな。壁際の重音楽部顧問の松田先生と、我が女子軽音同好会顧問の高橋先生は目をつむって、うんうんうなってる。いやいや、二人ともフォークソング世代じゃないですよね。なに聞き入ってるんですか。私の祖父母くらいの世代でしょ、どストライクなのは。
ふん。新人を加え新たな方向性を得たってところかタンポポ軍団め、やるじゃない。でも私はあの子の事、認めない。
四曲目は今はやりの男性シンガーのカバー。シンプルなロック調。女子なら大体好きでしょうね。私はなよなよした歌詞のこの歌、嫌いだけど。
メインボーカルがベースのフワフワ茶髪をきっちりセットした美形男子と切り替わるようだ。前回も感じたがあの男は自分が目立ちたいみたいだな。おそらくこの歌をチョイスしたのも奴。
そういえば去年、うちの女子軽音楽部に入ろうとしていたなアイツ。気持ち悪い。男は顔じゃないとつくづく思う。とはいえ、あのギター弾いているカエルみたいな男も嫌だけど。
会場の女子たちがキャーキャー叫び、隣の燈先輩もそれに混じる……うるさい。わき腹を小突いて黙らせた。あいつらは敵。
そして曲がサビに入り、バックコーラスをしていたあの女子がスタンドからマイクを取り、ギターカエルの口元へ当て、サビを歌わせた。
……おいおいおい、往年のロックバンドか! カエルは意外な美声で、私少し驚いたけど(アイツも歌えばいいのに)。
それをやって満足気なちんちくりん女子はマイクを下ろし、そのタイミングで会場に雑音が広がった。ギターアンプの音をマイクが拾ってハウリングをおこしたのだ。
音が出た瞬間にあの女子も、「ハウッ」と叫んだ。
バカが気をつけろ。おそらくこの場にいる全員が耳を押さえながら、あの子を睨んだことでしょう。また頭を掻いている。なんかムカツク。
そして四曲目の演奏が終了。部員一人につき一曲という話だったのでこれで片付けをして帰れる。そう思った矢先、
「これで最後の曲。だけど、みんなアンコールは?」とかほざくボーカル。ちょっと間をおいて「アンコール」と一人で言い始める。
本物のバカだ。それは客側から要求するものでしょ。
しかし、そんな私の殺気もかき消されるほどの「アンコール」が教室に立ち込めだす。
両隣に座っていた燈先輩と梓もそれに参加し始める。ムカついたので二人の太ももをつねる。どっちも黙りなさい、敵に塩を送るな。
が、私のそんな抵抗もむなしく、予定外の五曲目が始まる。これは新歓で奴らが演奏した、あの〝ハート〟の曲。燈先輩……気分が優れないので早退していいですか?
そんな私の心とは裏腹に教室には手拍子が鳴り響き、奇妙な一体感が生まれる。まるで私だけが異邦人になったように取り残された気分。
サビに入り「やるなよ。絶対やるなよ」と心の中で願う。
そして例の瞬間、真ん中のボーカル女子が両手を地面と平行に左右に広げ指でハートの形を半分模したものを作り、間髪いれず両隣のギターカエルとベース優男が片手を伸ばしその半分を補う。こうしてステージ上には二つのハートが降臨!
……はい、やりました。前回よりダサさに磨きがかかってる。センスのなさが気持ち悪い。
唯一ドラムの不良だけは参加しなかったらしい。当たり前だけど。でも新歓ではやってたなこいつも。
ハートポーズの振り付け(?)をやった時、新歓と同じく手拍子も止むだろうと思った。だけど今回は止まることはなかった。なぜなの? 理解不能。
そのまま連中は最後のくだりでもまた同じことをした。聴衆たちもそれにのってハートマークを指で作る。
当然のように私両隣のおバカさん二人も曲に合わせてハートを指で作り頭上に掲げる。それを見て私はこぶしを固め二人の胸にたたきつけた。
パイプ椅子ごとひっくり返った二人を見下し「心臓砕けないでよかったわね、おふたりとも」と声かける。私って優しい。
最後の曲が終わりみんなが出ていく。やっと後片付けだ。一曲分の遅れを取り戻すべく、急いでやる。
並んであったパイプ椅子をたたみ、重ねているところに例のバカ女子が近寄ってくる。私から離れろ。だがバカはお構いなしに話しかけてきた。バカゆえにだ。
「お疲れ様です。いや~、盛り上がってよかったですね、早乙女先輩。あ、初めまして。あたしダンデライオンのボーカル、剣崎愛です」
盛り上がったのはあなたたちだけ。私たちの演奏はいまいち受けていなかった。そしていつ私の名前を知った? 梓から聞いたのか。私は無言で答える。
「あはは……早乙女先輩の長くて綺麗な黒髪、うらやましいです。あたしクセっ毛だから」
確かに、この子パーマやってるみたいなくせ毛。
「ギターカッコよかったです。あの矢印みたいな赤いやつ。ソロの時にクボミに膝をはさむのが特に」
ふん意外ね、おべっか使ってくるなんて。ギター足ではさむのはソロに集中するために、スカートを押さえたいからやってるだけ。周りの男の目が気になるから。
「それに梓ちゃんのドラムと橘先輩のベースも迫力あって最高です」
そう、あの二人も実力はある。私たち、本当なら全国一だって夢じゃない。この一年生わかっている。
「おまけに、三人とも美人だし」
実力と美貌は比例する。私たちがその証拠。偉いじゃないあなた、よくわかってるわね。
「あたしも入りたいくらいですよ」
歌っていた時と違う殊勝な態度を見て、この子を見直す。第一印象より、いい子じゃない。思い込みっていけないな。私が「じゃあ入部する?」なんて言いかけると、
「でも無理か、あたしおっぱいないし」
「……は?」
何言ってんだコイツは。
「いや、あたしと違って三人とも胸おっきいじゃないですか~、中でも早乙女先輩は特に。そのサイズ感でギターやってると、めちゃくちゃ肩コリそうですよね。どうやったらそんなにーー」
「うるさい、黙れ」
睨みつけながらドスを効かして、私はささやく。それを聞いた向こうは小動物のように震え、お口が止まった。少しでもいい子と思った私がバカだった。
さあ、残りの椅子を怒り任せ雑に片すか(オラオラァ!)。




