メランダ屋 大和高田店
TKB48のメンバー、八尾かおりは、故郷の大和高田を目指していた。人気アイドルグリープTKBの恋愛はご法度だ。けれど、かおりには高校時代から付き合っていた恋人がいた。もしこのことがばれたら、マスコミの餌食。TKBメンバー、いや、芸能界からも干されるだろう。けれど、かおりは恋人、高橋達也との遠距離恋愛をはぐくんできた。それは、PCを使っての電話や、スマホを使ってのメールのやり取りなど、たわいのないものであったが、それでも多忙なかおりにとって、その瞬間だけが、心を落ち着かせる、いや、心が折れない唯一の時だった。
思えば、いつ以来、達也と会っていないのだろう。一年か。一年半ぶりか。
新幹線で名古屋。名古屋から近鉄特急で大和高田へ――
「達也君、元気かな。楽しく大学生活送っているかな?」
近鉄特急の車内で、かおりはいろいろと物思いにふける。車窓には夕日が差し込んできた。
◆ ◆
高橋達也は、大和高田から近鉄で大阪のとある私立大学に通っていた。テニスサークルも、ええ加減。居酒屋のバイトもええ加減。そして本業の勉強もええ加減な生ぬるい学生生活を送っている。
ところが恋人の八尾かおりはどうだ。同じ21才でありながら、一人前以上の金を稼ぎ出し、親に仕送りまでしている。
「母子家庭の母親だけでなく、高校生の弟の面倒までみているじゃないか。それに引き換えこの俺は……」
達也はため息を吐きだした。
部屋にはTKB48のポスターが所狭しと貼ってある。数多くの水着姿のかわいい女の子たちがポーズをとり、笑顔を振りまいている――その中で、かおりは光り輝いていた。
「もうすぐ会えるな。かおりに……」
達也はそうつぶやき、聞いていたアイポッドのイヤホンを外した。イヤホンからは、かすかにTKBの音楽が流れている。
◆ ◆
オーナー松尾は、メランダ屋という、奈良県に8店舗を構えるカフェレストランの社長である。
もともとは、大和高田にある小さな店舗を持つ、ただの喫茶店だったが、出されるパンがおいしいと、地元のテレビ局や雑誌に紹介され、人気に火がつき、時代もよかったのか、客が押し寄せた。
「かなわんな。これじゃあ、大好きな近鉄バファローズの応援にもいけへんワ」
“近鉄の応援より商売やで”
嫁さんに尻を叩かれ、喫茶店を拡張。カフェレストランとし、全国から腕のいい職人を集め店舗を増やすと、「奈良にうまいものあり」と、全国のバラエティに取り上げられ、県内で8店舗となった。商才があったわけではない。たまたまだ。
オーナー松尾は、高田でこじんまりと商売をしていた頃が懐かしい。あの頃は、コーヒーを飲みに来てくれる、お馴染みさんの顔がわかった。
「あんた、今日も奥さんに商売任せて、バファローズの応援か!ええ加減にしときや!」
そうお客さんに怒られながらも、藤井寺球場に通っていた頃が懐かしい。
商売を拡張し、必死になって働いた。その間、二人の子供も大学を卒業させ、社会人となり、結婚までさせた。8店舗はどういう訳か、未だに人気があり、奈良という田舎にも関わらず、ランチやディナーに行列ができる。
“忙しかった頃、近鉄バファローズの応援には行けなかった。暇ができたら行こうと思っていたら、オリックス・バファローズになってしもうた“
オーナー松尾は61となっていた。
「今日もちらっと顔を見せてくるワ」
バラエティを見ている妻に、そう声をかけ、外に出る。
◆ ◆
大和高田本店に行き、客として、コーヒーやパンを楽しむ。気心の知れたスタッフは、オーナーだからといって、特別扱いはしないでいてくれる。それが嬉しい。
店内を見渡す――主婦や学生・カップルなどが、それぞれディナーを楽しんでいる。そんな風景を見て、オーナー松尾も嬉しく思う。
“でも、あの頃と比べてお客の顔がわからなくなってしもうたワ“
そう思うと、寂しくなる――
「ちょっとコーヒー造らせてもらってええか?」
店を任せている店長に声をかけ、サイフォンをいじらせてもらう。オーナー松尾はこの時間が一番うれしい。間もなく「ボコボコ」という音をたてながら、黒い液体が抽出される。
メランダ屋・店内は平日なのに8割がた埋まっている。みんないい顔をして食事やコーヒーを楽しんでいる。
“顔なじみも店が変わってしまい、姿を見せなくなったが、これはこれでよかったのかもしれん“
オーナー松尾は、心の中でそうつぶやき、何気なく窓際の席に目をやった。そこには大学生と思われる青年が文庫本片手にたたずんでいる。
“あの青年ひさしぶりやな。高校の頃は彼女を連れてよく来てくれとったな。もうあの彼女とは別れたんやろか?”
アルバイトの女の子が、メモ帳をこそっとオーナー松尾に手渡す。
「なんや。これは」
「窓際のお客様が、店の偉い人にこれをと言われましたので」
バイトの女の子は、事務的に一礼し、その場を立ち去った。“なんやろう”オーナー松尾はメモ帳に目をやった。
『こんばんは。オーナーさん。おひさしぶりです。僕は高校時代、よくここを彼女と利用させてもらった高橋達也といいます。今日、一年半ぶりに彼女と再会します。彼女は、TKB48の八尾かおりという有名人です。お店にご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします』
“TKBの八尾かおり――テレビでよく見かけるあの子か。そういえば、嫁さんが、あの子は大和高田出身やというとったな。あの青年の彼女が八尾かおりか。
大和高田出身のスターは割とおる。高田の高校に通っていたスポーツ選手や、人気歌手というのは割とおるもんや。そんなこと気にせんでええのに“
窓際の青年――高橋達也が、オーナー松尾に向かって会釈した。
“気を遣わせてすまんのぉ”
オーナー松尾はうなずいた。
やがてドアが開き、八尾かおりが、こそっと入ってきた。数名の客やアルバイトの女の子たちが「はっ」と息を飲んだが、また客たちは食事を再開し、従業員たちは業務に戻った。
“当たり前や。うちの店の客やで。高田の人たちやで。なにも起こるはずがない“
オーナー松尾は自信にあふれていた。
「ひさしぶり」
「そうやね」
達也は、コース料理を注文した。メランダ屋大和高田店は、ふたりがデートをした高校時代と変わりなく、温かく迎え入れてくれた。
かおりは、達也と再会しても、ひさしぶりという感じがしない。毎晩、寝る前にパソコンで会話している。達也の声、達也の顔がそこにあった。でも、パソコンの画面ではない。実物の達也なんだ。
達也が東京に出てきてデートする、そういう計画も練ったことがあった。でも、芸能レポーターに、いや、一般の人にスマホで撮られたら――SNSで一気に拡散され、大騒ぎになるに違いない。だから二人の『東京デート』はなくなった。
料理が次々と運ばれてきた。
ふたりはオレンジサワーを飲む。
話すのは高校時代の話だ。
昔話に花が咲く。そんな時だった――
小学の高学年くらいの子供二人が達也とかおりの前にやってきて、
「TKBの八尾かおりさんですか?」
もう一人が、スマホをもって、
「一緒に写真、とってください」
メランダ屋の店内が一瞬にして静まり返った。
店長がびっくりして、オーナー松尾のところへ駆け寄った。
「安心せえ」
オーナー松尾は、力強くつぶやいた。
静まり返る店内に、おばちゃんの声が響き渡った。
「あんたら、その子は八尾かおりやないで!」
「えっ!?違うの」
子供二人は、怪訝そうに顔を見合わせる。
「そや!TKBのかおりちゃんは、もっと別嬪さんや」
店内は大笑いに包まれた。
つられて、達也もかおりも笑った。
おばちゃんは、ビール片手にこう続けた。
「そのおねえちゃんも、そこそこ別嬪さんや」
店内には、再び大爆笑が湧きあがった。
子供たちは、きょとんとした顔をし、親のところへ戻った。両親も怒ることはなく、子供たちを迎え入れた。
“これでええのや。これで“
時間も経ち、達也とかおりのデートもおしまいだ。
「達也、今晩はありがとう。故郷に帰れて本当によかった」
「また帰ってこいや。また、メランダ屋で会おうや」
二人は会計を済ませ、ドアの外へ出ようとした。そして、店内を見渡すと、お客さんたちの目が、達也とかおりに注がれていた。
さっき二人を助けてくれたおばちゃんが、大声でこう言った。
「あんたら若いねんから、頑張りや!」
達也とかおりは、店内の客に向かって深々と頭を下げた。
店内から、自然と拍手がわきあがった。そして、達也とかおりは、もう一度頭を下げ、メランダ屋から去っていった。
◆ ◆
オーナー松尾はビールを楽しんでいた。嫁さんは、横になってテレビの歌番組を見ている。
“気楽なもんやで”
オーナ松尾は、そうつぶやく。
テレビの司会者が、
「次は、TKB48の皆さんのメドレーです」
と紹介し、彼女たちの歌とダンスが始まった。画面には、八尾かおりがアップになって映し出された。
横になっていた嫁さんが、振り向きもせず、こう言った。
「この子な、なんかしらんけど、高田に帰っていたという噂があんねん。見かけた人がおるんやと」
オーナー松尾は、こう答えた。
「そうかいな。この子の故郷は高田やさかいに帰ってきていたかもしれんで」
「そうやな」
嫁さんは気のない返事をした。
オーナー松尾は、窓を開け、ベランダに出て、タバコに火をつけた。
空には星が輝き、大きな月が上がっていた。
(おわり)
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