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メラメラ

 シェイラの赤いバットは変化球を狙っていた。その球が来た。

 芯でとらえた打球があっという間にセカンドベースを通過していく。

 しかしその先に続く道は閉ざされていた。


 大胆に守備位置を変えていた遊撃手が、ゴロを難なくさばいて一塁手に届けた。

 駆け抜けたシェイラは、アウトを宣する審判に振り向いて地団駄を踏んだ。

むかつくーっワジワジーッ!」


 あぁ、とサンフラワーズベンチもため息に包まれた。「惜しい!」

「惜しくない」と指宿がつまらなさそうに、膝の上に頬杖をついて言った。「いっつもシフトにひっかかるんだから。少しは裏をかこうという気にならないかなぁ」


 玉井コーチが、へっ、と面白くなさそうに言った。「初球から打たせてやりゃ、もっと良い打席にしたと思うけどな」

「待球はパールボールの基本ですよ」と指宿は穏やかに答えた。


 続く新富もフルカウントまで粘ったが二ゴロ、花田は打ち気がないのを悟られてどんどんストライクを投げ込まれ、結局ファウルフライに打ち取られた。


「はああ」

 ダグアウトに戻った川村が、川田の隣に座ってぐったりと肩にもたれた。

「もう疲れたっちゃん。早よ代わってー?」

「あんたが最後まで投げんね」

「イヤたい!」


 けらけらと笑うふたりに、ジヒョンが怒り顔で振り向いた。

「投げたくないん? やったらウチと代わりぃ。今すぐ」

「……あは、冗談やけん」と川村は笑い顔で弁解し、逃げるようにその場を離れた。

「そんな怖い顔ばせんと、アイドルが台無しよ」と川田はいくぶん余裕のある返事を置いていった。


 そのままダグアウト裏の通路に――用意された軽食やフルーツをイニングごとに食べるのが彼女たちの習慣らしい――向かったふたりを眼で追いながら、ジヒョンは歯を軋ませた。


 チェリーズの球団組織においては、十代の選手同士に限り、いわゆる「タメ語」のコミュニケーションが推奨されている。それをいいことに、この四月に高校三年生になる新人コンビは、芸歴では先輩にあたるジヒョンに対して、見下していることを隠そうともしない。


「ほっとけば?」

 そう声をかけてきた朝倉に対して、ジヒョンはちょっと意外そうに眼をしばたたいた。

「あのふたり、勘違いしてるんだよ。大人が特別扱いするから」


 滔々と言い募る朝倉は、手袋を守備用から打撃用に替えている手元を見つめたまま、ジヒョンのほうには顔も向けない。


「ふたりやなくて、三人やろ」と皮肉を言って、ジヒョンは隣に座った。

「そうだね。私も特別」と朝倉は振り向いてゆっくりと笑みをつくった。「オープン戦で誰よりもホームランを打ったのにここにいる。不思議」


 たじろいだ表情でジヒョンは返す言葉をなくした。そこで打席に立った吉永すももの大きなスイングから快打が生まれた。打球は外野のフェンスに当たったが、当たりが良すぎて吉永は二塁まで行けなかった。


「さっすがヨッシー!」

 戻ってきた川田と川村が声を合わせてはしゃいだ。

「うちらも去年の夏大なつたいでやられたけん」

「アイドルのアカデミー育ちが抑えられるわけなか」


 今や自分たちもアカデミー生であるにも関わらず、この言いよう。ジヒョンは振り返りこそしなかったが、口の中で唸りながらますます険しい顔になった。

「あの子ら、何なん……!」


「彼女たち、アマチュアでは有名だったらしいよ」と朝倉がまた口を開いた。「強豪のダブルエースに、県選抜チームの四番……。それがいきなり部活を辞めてアイドルのオーディション受けるなんて、普通じゃ考えられない」目つきが変わった。「あのひとが……」


 朝倉の視線の先には指宿がいる。

 相手ベンチで采配を振るう彼女の存在は、チームBの選手たちに少なからぬ動揺をもたらしていた。元来が何を考えているのかわからないひとなのだ。


「やめり」とジヒョンは声を低めて言った。「そんなん、ウチら選手が考えよっても何にもならんけ」

 黙っている朝倉の表情は、素直に忠告を受け入れる者のそれではなかった。


「ミナミ、ランナー気にしないで!」

 マリーが声をかけている途中で美波は足を上げた。

 セットポジションの投球はワンバウンドし、さらには花田の身体に当たって大きく逸れた。ランナーは労せずして二塁を陥れた。


「持ち時間があるのに、なん慌てよるん」

 そう言った久礼だけでなく、サンフラワーズの投手たちはみな、一様に歯がゆさをあらわにした。

 ランナーの吉永の走力が、そのふくよかな体型に見合ったものであることを考えても、無理に素早く投げる必要はない。


 相手選手ひとりひとりのデータは事前のミーティングで共有したはずだが、美波の頭には入っていないようだ。また急いで投げた。


「センター!」

 今にも落っこちそうなテキサス製の飛球に対して、判断良くチャージをかけた真中はスライディングキャッチ。着陸を許さなかった。

「ナイスキャー!」

「その調子!」


 ワンアウトを獲っても、美波の表情に余裕は出てこない。しかし投げるボールには力があった。


「クイックにして正解」と指宿は少し機嫌がなおった顔で言った。「身体の動きが小さくなったから、結果的にフォームが良くなってる」


 平均140キロに迫るスピードボールと、長身からの落差あるカーブは、下位打線にはなかなか手が出せない。打者は見逃したあとで、あっと口を開いた。

「――ストライ、バッターアウ!」

 よし、と花田はマスクの下で安堵の声を洩らした。


 っし、とジヒョンは人知れず拳を握った。

「悪いけど――」

 急に朝倉が喋ったので、ジヒョンはビクッと猫みたいに毛を逆立てた。

「あのピッチャー、そう長くはたないよ」

 朝倉はバットを軽く持ち、それほど力は入っていないが剣道の正眼に似た恰好で、切っ先ヘッドをぴたりと美波に向けた。

「――私が打つ」


 打席にはラストバッターの国久が入った。

「ツーアウトツーアウト!」サンフラワーズのベンチからは、もう攻勢に移ったかのような元気の良い声援が飛ぶ。「しっかり守ろう!」


 この流れの中で美波は相手のバットを圧した。セカンドゴロ。

 シェイラが逆シングルで捕球して投げた。そして小柄な一塁手の新富がジャンプし、その遥か上をボールが飛んでいった。

 ワッ、と弾ける客声。


「よっつよっつ!」

「ミナミ、カバー!」

「ラヴァリエール」と言って、久礼がマリーに近づいてきた。「そろそろ危ないけ、ボクもつくる。あんた受けり」

 手を引かれていくマリーは、裏の通路に入る前に、もう一度だけフィールドを振り返った。


 呆然と立ち尽くす美波の姿を場内のドローンカメラがとらえ、その映像はタイニーガーデンのバックネット裏、最上階の貴賓室の仮相テレビに大写しにされた。

「ははははははは! やりおったやりおった!」

 黒革の椅子の上で中久保は身を揺すった。椅子の足がガタガタと軋んだ。


 ひとしきり笑ったあと、一軍監督はうしろに控えた付き人に振り向いた。

「次に何が起こるか当てようか。試合がめちゃくちゃになるぞ」

 げんなりしている付き人の表情も意に介さず、中久保はふたたびフィールドを見下ろした。

 大きな顔いっぱいに昏い笑みが張りついていた。



         ◇



 たった五球のあいだのできごとだった。

 レフト線を破った一番、対馬を二番、カレイドがセンター返しで迎え入れ、そして三番の彼女がすべての塁上を洗い流した。


 バックスクリーン弾。


 地面に膝をついて動かないピッチャーを弔うかのように、朝倉は感情を押し殺した様子でその周囲をまわった。


「ゆーひちゃーん!」

「かわいいいいいいいいいいいいいいい!」

 スタンドも、どちらのダグアウトも、騒ぎになっている。静かなのはフェアグラウンドに立ち尽くしているサンフラワーズの選手たちだけだ。


「指宿さん、もう代えましょう!」と有町コーチがついに言った。

「まだです」と指宿はしかし動かない。

「正気かよ?」と玉井コーチは嚙みつかんばかりだ。


 審判がプレイを宣してゲームを再開させたが、美波はもはや足を上げて腕を振るだけの人形と化していた。

 四番の森田に対して二打席連続の四球。続く五番、藤井には初球を当ててしまった。


「ごめんなさい」と花田が立ち上がって言った。

「いいよ。それより……」

 藤井の気遣うような視線の先で、美波はグラブを掲げたまま突っ立っていた。


「帽子取れ!」

「謝る気ねえのか!」

 スタンドからのブーイングにも美波は反応しない。目元がサンバイザーの影に隠れ、自分の投球もその結果も見えていないのではないかと思わせる恰好だ。

 花田はタイムをとり、急いでピッチャーズボックスに向かった。


「聞いて、美波」と花田は美波の腰に手をまわし、バックスクリーンのほうを向かせた。「まだ二回だよ。逆転の芽はある。試合が終わるまではあきらめちゃ――」


 花田の身体がよろめいた。美波がぐっと肘を上げて、女房役を乱暴に押しのけていた。

「ほっといて……!」と美波はかすれた声で言った。「あたしはもう終わりなんだ……」


 場内がざわついてきた。このバッテリィの夫婦喧嘩は屋内ブルペンの仮相モニタにも映り、それを見たマリーは眼を白黒させた。

何やってるのイルフェクワ……」


「ラヴァリエール!」とプレート上の久礼が呼んだ。「構えり!」

 ほかの投手たちも強めのキャッチボールで肩をつくっている。しかしベンチから投手交代の指示は出ない。


「指宿さん」と有町コーチは選手に聞こえないようにしながらも強い口調で言った。「美波を代えましょう。このままでは次の登板に影響が――」

「彼女に次があるとお思いですか?」

 指宿は顔色ひとつ変えずにそう言った。


 チェリーズのダグアウトで、川田と川村はにやにやしている。

「あーあ見とられん」と川田。

「肩冷えるけん、早よ終わらせて~」と川村。

 ジヒョンは奥歯を噛みしめ、膝の上でそっと祈るように両手を組んだ。


「――危ない!」

 天保コーチが叫び、ベンチのチェリーズ選手たちは一斉に腰を浮かせた。

 打席の吉永が地面に突っ伏し、ずり落ちた眼鏡をあわてて押さえている。めちゃくちゃな腕の振りから放たれた変化球に足元を崩されたのだ。


「どこ投げてんだーっ!」

 スタンドからのブーイングが激しくなり、守備についたサンフラワーズの選手たちは気おくれした表情になった。これではまるでアウエーだ。


 吉永は観客の反応を自分への応援ととらえたようで、発奮した様子でバットを高く構えた。そしてやや外にはずれた次の投球に対して、ずいと踏み込んで強引に打ち返した。


 速い打球が美波の足をかすめた。しかしシェイラが豹のように追いついた。

 流れるようなジャンピングスロー。強い送球が一塁手のミットを鳴らす。

「――アウト!」


 塁審の声がやけに大きく響いた。

 盛り上がりはなく、サンフラワーズの選手たちは百年ぶりに解放された牢人のような足取りでダグアウトに戻り、観客はやれやれといった感じで伸びをして売店やトイレに向かった。


 グラウンドを睥睨する貴賓室には、ガリゴリとカクテルグラスの氷を噛み砕く中久保の姿があった。


「ふん、呆気ない」と中久保は吐き捨て、付き人に振り向いた。「あの美波というピッチャーは欠陥品なのだ。味方の失敗のあとで踏んばれない。私の最も嫌いなタイプだ」そしてグラスの残りを飲み乾した。

「あのう」と付き人はやや腰を低くして言った。「そろそろ出発しないと、チームの飛行機に乗れませんよ」


「構わん。先に行かせろ」

 ぞんざいに手を振った中久保は、眩しげな眼で仮相テレビを見やった。

 場内中継のドローンカメラがベンチの指宿をズームでとらえている。

「私は見届けるぞ、この小娘の敗北をな」

 中久保の脂ぎった卑しい笑みが貴賓室の窓に反射した。


「まだ代えないよ」

 真っ先に戻ってきた美波に、指宿はそう言い放った。

 美波は震えながらベンチ裏に引っこんだ。

 サンフラワーズは誰も声を発しなかった。



         ◇



「いや~~~~すごかったなぁ!」

 杉野はホクホク顔でレトロカメラを構え、センターの守備についた朝倉をパチパチ撮りまくった。

「パールボールっち簡単に点入りよるね」

「せやね」

 サッカー部の連中はリラックスした様子でお菓子を食べている。

「なぁ雄吾」と杉野は上機嫌に言った。「この展開だったら、おまえのいもうとも出番あるよ。よかったなぁ!」


「――うるさい!」

 同級生たちはぎょっとのけぞった。

 雄吾はごそごそと荷物をあさり、この日のために用意したサンフラワーズグッズを取り出した。

 BBキャップにサングラス、メガホン。

 タオルとユニフォームはもちろん「LaValliere」の42番。

 その場ですべて身にまとい、声を張り上げた。

「ゴォー! サンズ、ゴォー!」


「おやおや」とうしろのチェリーズ帽子キャップをかぶった男が気づいた。「こんなところにひまヲタが」

「何だと? 調子に乗るなよ、博多ぁ!」

 牙を剥いた雄吾を同級生たちが抑えつけた。

「マリーが出たらおまえらなんか一発だかんな!」

「やめりぃよ!」

「こいつ、人が変わりよぉっちゃ!」


 うお、とチェリーズ帽子の男が不意に声を上げた。と同時に、周囲の観客が一斉に立ち上がる。

「何だ?」

 視線が集まっているレフト側、観客席よりもさらに上、宇宙旅行社の看板に何か小さいものが当たって落ちていった。


 まるで隕石が落ちたかのような騒ぎになった。


 プレート上で放心している川村を尻目に、打席のアイスはゆっくりとバットを放って一塁に向かった。

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