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20XX年の学生生活 2

 学校前のバス停に着くころには、もう雨はやんでいた。

 雄吾は我慢できなくなって、仮相環境にリアルタイムスコアを表示させ、各球場の戦況をチェックしながら校門に向かって歩いた。


「鶴田、こっちへ来い!」

 怒声が聞こえる。

 お馴染みの光景と言っていいだろう。今日もまた小倉一校の門番、もとい生徒指導の教師たちが、目についた生徒をしょっぴいている。


 いちばん多いのが、届け出ていないデバイスを持ち込もうとして、学校のファイア・ウォールに引っかかってしまうパターンだ。


 女子の場合は、デジタルタトゥーが見つかることが多い。アプリで簡単につけたり消したりできる優れものだが、埋め込んだナノチップを探知されてしまえばそれまでだ。


 教師のひとりが雄吾を見た。クラス担任の河田だ。

 雄吾は視線を合わせずに会釈した。その間、無表情を崩さなかった。


「――高梁雄吾さん、おはようございます」

 見守りAIのもったぶった声が聞こえ、水色の人型をした仮相体もそこに現れた。


 生徒は校内の局地ネットに対して、端末への自由なアクセスを許可しなければならないと校則で決められている。プライバシーも何もあったものではない。


「――もうすぐ試験ですが、勉強は進んでいますか?」

 AIはそこで、野球情報を表示している雄吾の仮相ウィンドウに気づいた。


 彼だか彼女だかわからないそのシルエットは、くぼんでいるだけの「眼」でヤンキースタジアムのスコアをじっと見つめたあと、「教室に入ったら消しましょうね」と慈愛のこもった口調で言った。


 雄吾は片手を振って、自分の仮相環境からAIを追い出した。

 そのまま中庭に行き、東屋にたむろっている同級生たちの輪に近づいた。


「お~す、雄吾」

 のっぽの男子が手を上げた。眠そうな顔をしている。

 朝だからというのでなく、いつもこうなのだ、栗田というやつは。


「観よった?」と栗田は背後のテーブルに親指を向けた。

 一見、そこには何もないようだが、みんな身を乗り出して何かを見つめている。


 その何かに雄吾の端末眼鏡が反応し、テーブルの上に【Tag On】と仮相文字が出た。

 仮相環境に展開されている複合現実が、どっと洪水のように押し寄せてきた。


 英語の試合実況と球場のざわめきは心臓を悪くしそうなほどうるさい。


 宙に浮かんだ仮相のボリュームバーを指で下げると、端末眼鏡のエアリアル・インターフェイスがその動作を感知し、すーっと試合音声が遠のいた。


 栗田の声がよく聞こえる。「さっき、ゴーギャンがホームラン打ったんよ。今のヤンキースで頼れるのはこいつしかおらん」そこで快音が響いた。


 オリオールズの選手がNYCのブロンクスで放った打球は、小倉北区の中学校の中庭を悠々と泳いで、ニューヨーカーでいっぱいの右翼席に舞い落ちた。


 栗田は東屋の天井に向かって両腕を広げた。「ルノワール最高!」

「ヤンキース逆転されたけど、いいのかよ?」と雄吾は訊いた。

「俺の持っとぉ選手が活躍してくれれば、それでええ」


 上機嫌に言って、栗田は高機能コンタクトレンズのi‐risで仮相環境にアクセスした。

 ゲームアプリの〈ナインス・ヘブン〉を開き、自分の持つ架空の野球チームのポイントや各ステータスを指でなぞっている。


 友人登録された雄吾のデバイスなら、共有スペースに広げられたそれらの仮相映像をありありと見ることができる。


「お、ランキング上がっちょる!」と栗田は言った。


 ナインス・ヘブンはMLBが公式に携わった野球オンラインゲームだ。現実の試合における選手たちの活躍が逐次ゲームの中に反映される。


 雄吾も栗田も、現実のプロ野球に贔屓の球団はないが、ゲーム内にそれぞれ自分のチームを持っている。なまの試合で気にかかるのは選手の個人成績ばかり。それがゲーム内の自チームにどう影響するかをたしかめるという、それだけの目的で試合を観る。

 

 アメリカ国内でも、目の前の野球ではなく、仮相世界のそれを注視している人のほうが多くなっているという。MLBはこの現状について、伝統的な(t)スポーツと、電子の(e)スポーツの融合だと言い、胸を張っているようなところがあった。


「あぁ! また打たれちょお!」

「もうええわこいつ」

 テーブルを囲んでいた連中がひとり、またひとりと輪を抜けてきた。


 彼らは自分の仮相環境を開いてゲームの操作をはじめた。「去年の最多勝ピッチャーゆーて全然使えん」

成績スタッツ見ないからだよ。なぁ、雄吾?」

「まぁ」と雄吾は一応うなずいた。「指標悪かったし」


 あっとひとりが声を上げた。

 テーブルの上の立体映像が見る見るうちに消えていく。


「杉野」と栗田が呆れ顔で言った。「すぐチャンネル切るのやめーや」

「いいじゃん、別に」と杉野は答え、映像を投影していた高級デバイスをポケットにしまい、ズボンをぐいと引っ張りなおした。


 雄吾は残念に思ったが、ほかの連中はもう現実の野球に興味はないようだ。


「このゴミP捨ててどっかの有望株もらうわ」

「やめとけって。今ノックアウトくらったばっかだぞ」

「クソほど値崩れしてっからトレードしても絶対損するわ」

「あぁもう、ただの疫病神やん!」


 陰気な笑いが起こった。

 その輪の外で、雄吾と栗田はなんともいえず、突っ立っていた。


「おう、おまえら」

 どすのきいた声が聞こえたかと思うと、ふたりの男子が東屋に乗り込んできた。

 野球部の豪田と須根だ。


「なん気持ち悪ぃ遊びしよんかちゃ」と豪田がひとりずつにらみながら言った。

「さっさとどっか行けーっ!」と須根がちょっと離れたところから叫んだ。


 ゲームをしていた連中は何も言い返さず、その場を離れようとした。けれど雄吾はそうしなかった。


「俺たちがどかなきゃいけない理由は?」

 雄吾は豪田を正面から見上げた。体格の良い野球少年の日焼けした鼻がぴくぴくと神経質に動いた。


「むかつくんよ。野球のこと何も知らんくせに、選手のこと馬鹿にしよる」

「なんで知らないって決めつけるんだよ? プレーしてないからか?」


「口答えすんなちゃ!」と須根が豪田の背後から言った。「弱虫の根性なしのくせに!」

「そっちはどうなんだよ」と雄吾は笑みを見せて言い返した。「後輩いびってるだけで、まともに練習してないって聞いたけど?」


「雄吾、こん野郎……!」

 つかみかかってきた剛田に、雄吾は思いきり体当たりして尻もちをつかせた。

 豪田は一瞬ぽかんとしたのち、憤然と立ち上がった。

「なんしよん!」


 顔を殴られた。しかし豪田の拳には戸惑いがあって全然痛くなかった。雄吾が相手の横腹に返した蹴りのほうがよっぽど乱暴だった。


 豪田の眼にカッと火が点いた。しかし次の瞬間にはまわりにいた連中が飛びかかってきて、何がなんだかわからなくなった。


「やめんか!」


 全員が動きを止めた。

 生徒指導の河田がそこにいた。

「先生……」

 野球部顧問でもある河田の登場に狼狽した須根は「こいつが」と指をさまよわせた。


「おまえか、高梁」

 ニッと笑んだ河田の笑っていない眼をにらみ返し、雄吾はまだ押さえつけようとする栗田の手を払いのけた。


 連れて行かれた先は保健室だった。

 名門小倉一校はそこらの普通校とは違う。問題を起こした生徒をすぐさま警察に突き出すような真似はしないのだ。


 そのかわり、スクールカウンセラーが少年心理の異常を発見するための質問を百本ノックのごとく浴びせてくる。


「どうして喧嘩したの?」

「カッとなったんです」

「半年前と同じ答えね」

「説明書にそう書いてあるんですよ」

「……どういう意味?」

 雄吾は答えなかった。


「君、どうしてこっちを見ないの」と若いカウンセラーの先生は言った。「さっきからずっとよ」

 雄吾はフッと鼻で笑った。

「先生知ってますよね? 俺が斜視だってこと」


「そんなこと気にしてるの? 別に、君の眼におかしいところなんてないわよ」

「てきとうなこと、言わないでください」

 雄吾の声はにわかに大きく、早口になった。


「俺わかるんですよ、自分の資料に何が書かれてるか。斜視だけじゃない。衝動的で、注意散漫で……ほかにもいろんな欠陥がある。DNAにもそう書かれてるんだ」

「それは――」

「遺伝子審査のとき、先生もいたじゃないか。知らないわけないだろ」


 投げつけた言葉は静寂となって跳ね返ってきた。

 ここにはキャッチャーもバッターもいないのだ。

 そのくせ審判はどこにでもいて、絶えず勝手な判定を下してくる。


「ひとは遺伝子で全部決まるわけじゃないわ」


 でも、あんたたち大人はそれで何でも決めようとするじゃないか。劣った遺伝子を将来性のないものとして切り捨てようとするじゃないか。


 雄吾は拳を握り、激しい言葉をぐっと飲み込んだ。「……俺は、特進クラスに入れなかった。野球部も辞めさせられた。それが全部ですよ」


「雄吾」

 はっと振り向く。

 野球部のふたりがそこにいた。

「おまえ、自分から退部したんやないん?」


「……知らない。どけ」

 雄吾はふたりのあいだを突っ切ろうとした。

「待てって!」

「離せ!」


 そこへ河田教諭が現れた。「おまえたち、いいかげんにしろ」

「待ってちゃ先生!」

「違うんやって!」


 河田の眼がぎょろっと動いて雄吾を見た。「高梁、何か言いたそうだな?」

「先に手を出したのは、俺です」

 豪田と須根は眼をぱちぱちさせた。

 河田の表情は動かない。

「三人とも、指導室に来い。たっぷりしぼってやる」


 豪田と須根は不安そうに顔を見合わせた。

 ふたりとも、はじめてあの部屋に行くのでびびっているみたいだが、何のことはない、ただ残りの授業をそこで受けるだけだと雄吾にはわかっていた。


 他校の生徒と喧嘩したときでさえ、その程度で済んだのだから、同級生とのいざこざなどいわんや、それほど問題にはされない。


 小倉一校は国が認めた名門で、社会のルールを破る生徒などいるわけがないのだ。


 在学中に複数回「指導」された生徒は、おまえで五十三人目だ。五十二人目は、俺の先輩だったよ。今はたしか、工場で働いているそうだ。


 さっき河田は雄吾にだけ聞こえる声でそう言った。

 遺伝子がそう言ったように雄吾には感じられた。

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