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それぞれの週末へ

「私たちの懸念は、チームBの実戦不足です」

 野口あき二軍監督の発言に、コーチ陣は一様にうなずいた。

 ピッチングコーチの天保が補足を加えた。

「教育リーグの残り試合は静岡、熊本でのビジターゲームですが、どちらも予報は雨……。中止になる可能性が高いでしょう」


 チームBのスタッフミーティングの最中だ。

 組織全体のトレーニング施設であり、二軍本拠地でもある通称〈平和台〉内のクラブハウスで行われている。


「そういうわけだから、今度の金曜日は練習試合を組みたい」と野口監督は続けた。「ちょうどトップチームは遠征でドームが空きますよね。Bに使わせてもらえませんか、指宿いぶすきさん」

 指宿は重像機レイヤーを使って参加している。

 議長席に座る彼女の仮相体が口を開きかけたとき、芸能部から異議が出た。

「ちょっと待ってくださいよ」

 チームB担当のプロデューサーが手を振り上げた。カメレオンサングラスをかけたちょび髭の男だ。

「金曜日はゲリライベントをやるんです」


「初耳ですが」と天保コーチは怪訝そうに片眉を上げた。

「いま思いつきました」とプロデューサーは鼻息荒く答えた。「この時期ですから、どこかの学校で卒業式をやるでしょう? そこへメンバーたちがサプライズでお祝いしに行くんですよ! そうだ……舞台裏を撮影してアイドルリーグの番組で流してもらおう」


「それは結構ですけど」と野口監督はテーブルの上に手を出して言った。「別の日にしてくれないかしら? こっちは急を要する。来週には2部リーグが開幕するんです」

 プロデューサーはやれやれと首を振った。「監督さん、ここはアイドルリーグですよ? 芸能活動をおろそかにしちゃ駄目でしょ」


「我々が芸能部に協力していないとでも?」

「そうは言いませんが、チームBの選手、とりわけ新人たちは、そのへんの意識が足らないんですよ。ぶっちゃけ、芸能界なめてますね。ここらでガツンとアイドルリーガーの心得を叩き込んでやるのも彼女たちのためですよ。ねえ、指宿さん?」


 指宿はテーブルの両サイドに一瞥をくれ、顔の前で合わせていた手をぱっとほどいた。

「みなさんの考えはわかりました。新人の、特に部活動出身者の態度については私も気になっていたところです」

 よし、とプロデューサーは小さく拳を振った。


「ただし」と指宿は言った。「金曜日はドームで試合です。これは決定事項」

 そんなぁ、とプロデューサーは情けない声を出した。

「対戦チームなら、私につて・・があります」と野口監督は言った。

「それには及びません。――ちょうどいい相手がいますから」

 指宿は意味ありげな微笑を浮かべた。



         ◇



 ロッカールームのドアが開いた。

 着替えをしていた選手たちが振り向く。

「あっ……」

「?」

 隣のロッカーの井上百合が声を洩らしたので、真っ黒のゴーグルをかけたマリーは首を傾げた。


 美波零が中に入ってきた。

 顔をうつむかせた彼女は、チームメイトたちの視線を浴びながら、足早に自分のロッカーに向かった。

「久しぶり」と真中真心が声をかけた。「ライブのとき以来ね。調子はどう?」

 美波は一瞬足を止めたが、無言で顔も向けずに通り過ぎた。


なんだば、あの態度」とシェイラは舌打ちした。

「あんたが言うなちゃ」と沖山ハラがすぐさま指摘した。

「はぁ?」

「なん?」

 ばちばちと火花を散らせたふたりは、練習がはじまってからも何かと張り合った。同じ組になった三十メートルのタイム走で声を上げて競走していた。


 ポジション・プレーヤーとバッテリィはメニューが違う。フィールドでフリーバッティングが行われているとき、ブルペンでは投手陣が投げ込みをしていた。

 サニーグラウンズのブルペンは一塁側スタンドをくりぬいてつくられており、ホーム用とビジター用の二段に分かれている。フィールドに近いほうがホーム用だ。


「オッケー、ナイスボール!」

 投球を受けている花田雪が元気よく声を出した。

 マリーも防具を着けていたが、ホームプレートのうしろではなく横にいる。

 先にブルペンセッションが終わったため、次の投手が来るまでのあいだ、打席で眼慣らしをしているのだ。

 プレートには、十九歳の左投手、久礼くれい色李いろりが立っていた。


「マリー、左に立ってみて」と花田が言った。

 マリーが左打席に移ると、久礼はノーワインドアップでモーションに入った。

 左腕がうまく隠れ、出どころが見えにくい。

 不意にピュッと飛び出したボールが、ギュンと外に逃げて、花田のミットを小気味良く鳴らした。

「オ~……!」

 マリーはオレンジ色のサングラスの奥で眼をみはった。


「今のいいよ!」と花田は声とボールを投げた。

 返球を受けた久礼は表情を変えない。

 パールボール選手としては華奢で、人形のような外見の彼女だが、その大きな瞳には刃のようなきらめきがある。


色李いろりは一軍も経験しているピッチャーなの。キレが違うでしょ?」

「ええ。でも今のボールなら打てるわ」

 マリーはこともなげに答えた。ジョークを言ったわけではないとバベル言語が裏づけている。

「そ、そうね……。色李、まだ本調子じゃないから」

 花田はマスクの下で面食らった顔をしていたが、あいまいに笑って取り繕った。


「雪さん」と久礼は言って、花田のほうに近づいてきた。

 バッテリィはゆるいボールを投げ合った。

「肘の具合はどう?」

「良い感じやと思います。日によって変わりよぉけど……」


 そのとき、美波がブルペンの横のファウルグラウンドを通りがかった。

「ミナミ!」

 マリーはフィールドとの境にあるラバーフェンスに身を乗り出した。

「今日は投げないの~?」

 美波は立ち止まってマリーを見た。その眼に突然じわ、と涙が滲んだ。

「――わぁぁぁぁぁぁああああ!」

「どうしたの~っ?!」

 全速力で外野に走っていった美波は、守備をしている真中に「危ないでしょうが!」と怒鳴られた。


「ボク、あの子好かん」

「えっ?」

 久礼がはっきりと言ったので、キャッチャーのふたりは驚いた。

「そんな……ミナミは頭ヘンだけれど良いところもあるわ!」

「うんうん! ってフォローになってないから!」


「そういうんやないんです」と久礼は真剣なまなざしで言った。「体格に恵まれよるのに全然活かしきれてない。故障もない、年齢も若いのに、ちょっとのことでへたりよる。そういう選手は好かんのです」

 久礼はメスを入れた左腕にそっとウィンドブレーカーをかけ、投球後のケアのためにダグアウトに戻っていった。


 昼になり、全体練習が終わった。

 有町コーチが選手たちをダグアウトの前に集め、簡単な振り返り(全体的に守備の意識が低い!)とお決まりの連絡事項(午後は各自の予定で動いてください。個人練習、ダンスレッスン、外仕事が入っている人もいるでしょう)を話したあと、付け足すようにこう言った。

「今度の金曜日、練習試合をします」


「監督おらんのに……?」と新富が心細そうにつぶやいた。

 有町は構わず続けた。「対戦相手は、チームBです」

 どよめきが起こった。

「Bって、二軍の?」

「なんで……?」


「なんだっていいやっし!」とシェイラが威勢よく言った。「あいつらアッターには絶対負けん!」

【調子イイヤツダナ】とアイスがスケッチブックを出した。

「そうと決まったらウェイトだ! な!」

 シェイラはいつもつるんでいるふたりと肩を組んだ。

「うちらも~?」

「嫌だゼ……」

 小方とホアは顔を歪めた。シェイラのウェイトトレーニング嗜好には、取り巻きの彼女たちでさえ閉口しているのだ。


「ミナミ、チャンスね」

 マリーがそう声をかけたが、美波はちらっと視線を返しただけで口をつぐんだ。

 ほかの選手たちの眼には静かに火がともっていた。



         ◇



「朝倉の試合……?」

「うん、今度の金曜!」と杉野が言った。顔が輝いているのが、煙の向こうからでもわかった。

 雄吾は眼をしばたたかせ、焼き目のついた肩ロースを持ち上げたまま箸を止めた。

 するとテーブルいっぱいに座った同級生たちが口々に言ってきた。


「みんなで行こうや」

「俺ら、もう卒業やろ?」

「中学最後の思い出ちゃ」

「それは大げさやろ!」


「俺は行くけ」と栗田が隣でぼそっと言った。

「どうする、雄吾?」と杉野が迫ってくる。

「……シフト見てから」

 肉を口に運んでごまかした雄吾に、みんな大ブーイングを上げた。

「なーん、こいつ!」

「ちゃきい!」


 この日は中等部の三年生にとって最後の登校日だった。特別講座に参加する生徒を除けば、あとは卒業式を待つのみだ。

 クラスや部活も関係なく集まった仲間たちの、ありきたりだがここにしかない打ち上げで流れる時間は、あっという間に過ぎていくのだと雄吾は知った。

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