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サプライズ

 日曜日。福岡チェリーブロッサムズのコンサート当日。

 博多の街は夜明け前からの雨に濡れていた。海辺にうずくまったドーム球場はさながら亀の甲羅のようだ。


 会場となる福岡チェリーブロッサムズの本拠地、タイニーガーデンの周辺には、さまざまな色の傘の花が咲き乱れ、物販コーナーの付近には長い列ができている。


 場内ではリハーサルの真っ最中で、メンバーたちは入れ代わり立ち代わり楽屋からステージに向かっていく。通路は裏方や報道関係者も入り乱れてごった返している。


 そんな喧騒をドアの向こうに聞きながら、マリーは同期の三人と話し込んでいた。


「百合、すごいですね。全試合出場してるじゃないですか」

 満重(みつしげ)あゆみが仮相環境の成績(スタッツ)を見ながらそう言った。

 山口出身の十六歳で、素朴な人柄の彼女の言葉には、いつも素直な気持ちが表れている。


「や、でも、全部途中出場だから……」

 こちらも十六歳、井上百合は謙遜した。

 ささやくような声で、手と首をふるふると動かす様子は、かわいらしい小動物を思わせる。


【ソレデモやるジャン】と書かれたスケッチブックをテーブルの上に置いたのは、もちろんアイス・アイクルだ。


 うんうん、とアイスに同意したあと、満重はため息するように言った。「それに比べて我々は……」


 チームKの満重の成績は、3試合出場/4打数ノーヒット/1エラー。

 チームAのアイスは、出場なし。

 そしてマリーも、出場なし。


 マリーは隣を向いた。「ユリィ、もしかしたら今期中に昇格するかもしれないわね?」

「私はこっち」

「アラ?」

 マリーは顔を反対側に向けた。すると井上がマリーの真っ黒なゴーグルをちょんちょんと指でつついた。

「もーっ、話してるときは見えるようにしてよぉー」

 同じチームBで活動するうち、ふたりは特に親しくなっていた。


 部屋のドアが開き、サンフラワーズのマネージャー山中が入ってきた。

「時間だ。準備はでき――」

 山中は部屋の一点に眼を止めて固まった。


 アイスは予期していたように椅子から立ち上がり、手にしたモデルガンの銃口を山中に向けた。

 どういうわけか彼女は、あちこち破れ、あちこち返り血のようなしみがついたセーラー服姿だった。おまけに眼帯までつけている。


 ほかの新人アカデミー生たちがおろしたてのチームブレザーに身を包んでいるのとはあまりに対照的だ。


 山中は今にも火を噴きそうだった。しかし結局は見ないふりをすることに決めたようで、背を向けて廊下に出て行った。


 同じ部屋に、チェリーブロッサムズアカデミーの新人たちもいたが、彼女たちはアイスを横目に何やらひそひそ話していた。


「今日のコンサートでおまえたちの出番はない」と山中はずんずん先を歩きながら言った。「だからといって、お客さん気分で浮かれるなよ。しっかり見学しろ。……聞いているのか、アイス!」


 アイスはぷいとそっぽを向いた。

 前を行くチェリーズアカデミー生たちがちらちらと振り向いた。川田と川村の「川川コンビ」はやれやれといった具合にかぶりを振っている。

 すでに機械を起動させているマリーは、特製サングラスの奥から全員の顔をざっと眺めた。


「ユーヒがいない……」

 マリーのつぶやきを井上が拾った。

「あの子はドラフトで入ってるから、最初から正規メンバーなんだよ」

「きっと出番ありまくりですよ」と満重はうなずいた。


 井上は仮相環境にコンサートのセットリストを出し、中盤あたりの曲目を指さした。

「このソロ曲は優姫ちゃんが歌うの。関係者しか知らないサプライズ演出だから、SNSにゲロっちゃだめだよ?」



         ◇



 夜の海を思わせる会場に色とりどりのサイリウムが揺れている。

 明滅を繰り返すステージから、曲に合わせた仮相のイコンが踊る中空をすり抜けて、歌声と音楽が客席の隅々まで行き渡っていく。


 きらびやかな表舞台。

 その裏側で、誰も彼も駆けずり回っている。

 パールボールのほうがよっぽどのんびりしてるね、と朝倉は身に染みて思った。


「――ありがと~っ!」

 パフォーマンスが終わったようだ。沸きあがる観衆の熱気とともに、五人のユニットメンバーたちがばたばたとステージ裏になだれ込んできた。

「いそげっ、いそげっ」

 彼女たちはそこに突っ立っている朝倉には見向きもせず、通路を曲がって向こうに消えた。


 タイニーガーデンのグラウンド上に建てられた特設ステージ。

 その裏側は薄暗く、工事中の足場のようなセットが組まれ、うっかりすると道に迷ってしまいそうだ。


 袋小路のようなくぼみがそこらじゅうにある。その中のひとつに朝倉はふらりと身を隠し、オプティック・デバイスを使って仮相ウィンドウを呼び出した。

 半透明のチャット画面が目の前に浮かび上がった。


【君、サボり?】

【違う。休み】

【天神デート?】

【違う。神戸】

【神戸デート】

【違う】


 そこへスタッフが通りがかった。

「どうしたの優姫ちゃんっ? どこか具合悪いっ?」

「ううん、大丈夫……」


 彼女の必死な様子に朝倉はちょっと気後れしてしまった。

 みんな真剣なのはわかるけれど、どこか乗り切れない自分がいる。

 この空間の忙しなさも、この衣装の鎖骨まわりの涼しさも、そう。良い心地がしないのだ。


「緊張するのも無理ないけど、でも優姫ちゃんならできるよ」

 このスタッフはいいひとだ。朝倉はせめてもの微笑を返した。



         ◇



 そのとき、不意にすべての照明が落ちた。

「何っ?」

「停電?」

 舞台裏のメンバーやスタッフに混乱が広がる。


 客席も騒ぎになっていた。

 ステージの大型スクリーン、そして空中のいたるところに浮かんだホロウィンドウに、赤い文字がひとつずつ、効果音とともに打たれていく。


【緊急告知】


 ドン、と大きな音とともに、今度はこの言葉がひと息に現れた。


【開幕ロースター発表】


 どよめきの中、ステージ上にスポットライトが当てられた。そこにタキシードを着た提携プロダクション代表が立っていた。

「これより、開幕ベンチ入りロースターメンバーを発表します」


 ええーっ、と悲鳴のような声がドームの中いっぱいに響いた。


「チームAとして呼ばれたメンバーは一軍、チームBは二軍、そしてチームKは北九州サンフラワーズの所属となります」


 野村がそう述べても、まだ信じられないというようにファンたちは隣同士で顔を見合わせた。

うせやろ……?」

「まだオープン戦終わっとらんに……」


 対照的に、バックステージは静まり返っている。

 メンバーたちはみな、凍りついた表情でモニタを見つめたまま、誰もその場を動かない。


 ぱんぱん、と手の鳴る音が響いた。球団CEOの瀬戸内が上級スタッフ陣を引き連れて、メンバーたちの前に現れた。

「みなさん、お聞きの通りです。名前を呼ばれた者は速やかにステージに上がってください」


 まぶしいステージ上で、汗だくの野村は眼をすがめたまま、ひとりめの名前を告げた。

「あ、朝倉、優姫……チームB」

 瞬間、場内は阿鼻叫喚となった。


 バックステージで、朝倉といっしょにいたスタッフは、おそるおそる声をかけた。

「優姫ちゃん……大丈夫?」

 朝倉は眼を見開いて呆然としていた。


 発表は続く。あ行が終わり、か行に入るといった具合に、次々名前が呼ばれた。

「吉良莉里子、チームA」

「国久あえか、チームB」


 野村は手持ちのメモを淡々と読み進めていた。発表した瞬間はその選手のファンが歓声を上げるが、それもすぐさま怒号に飲み込まれた。

「ふざけんなーっ!」

「指宿出せや、こらぁ!」


「酒井詩乃!」と野村はいくぶん大きな声を出した。「チィームA!」

 驚きの声が場を支配した。

「――サッシーが、朝倉抜かした……!」


 酒井詩乃は朝倉に次ぐドラフト2位で入団した十八歳のピッチャーだ。

 長崎県大会で十六者連続奪三振という離れ技を成し遂げ、「怪物サッシー」と呼ばれるようになった高校真球界きっての好投手だ。


 しかしプロでの酒井詩乃は、朝倉優姫に比べると無名に近い存在だった。

 今日このときまでは。


 挙動不審な様子でステージに現れた酒井を大歓声が出迎えた。

 メンバーたちも嬉しそうに拍手している。

 朝倉も手を叩いていた。微笑を浮かべる彼女の前には「チームB」と書かれたプラカードがあった。


「優姫ちゃん……」

 衣装スタッフがメンバーたちの陰に隠れるようにしながらやってきた。

「ごめん、その……今すぐ、着換えてくれる?」

 朝倉は自分の首から下をちょっと見たあとでスタッフに笑み返した。

「喜んで」



         ◇



 すべての発表が終わり、コンサートは予定のセットリストに戻ろうとしていた。

 酒井詩乃がソロパフォーマンスの舞台に飛び出したとき、マリーは控え室にいた。

 チームK所属となった二十名がそこに集まることになっていた。


「っく……うぅ、っく」

 沖山ハラの震える肩を、新富うさぎが抱いている。

 泣いているのは彼女だけではない。何名かは唇を噛んで耐えている。

 何名かは心ここにあらずといった感じだ。マリーの隣の美波もそういう状態だった。


 まだ姿を見せない選手もいる。そのうちのひとりは控え室のすぐ外にいて、スタッフたちと激しく言い合う声が聞こえた。


「なんでシェイラが降格だわけ!? なんで!?」

「自分でわかるだろ!」

「知らんし! おまえらイッター、外国人差別か?」

「馬鹿言うな! おまえが業界のルールを守らないからこうなったんだ。……おい待て! どこ行く」

 ばたばたと足音が去っていく。


 ドアが開いて、頭を抱えた山中マネージャーが姿を見せた。彼は部屋に入る前にふと横を向き、うんざりした顔で舌打ちした。

「やっと来たか。さっさと入れ」

 山中に背を押され、アイスが中に入ってきた。


 アイスは不満顔でスケッチブックを出した。【アイス、名前呼バレナテナイ】

「野村さんがうっかりしてたんだ」と山中は苦々しげに答えた。


「嘘よ」と真中が静かに言い差し、立ち上がった。「朝倉を一番に呼ぶために、アイスを抜かしたんですよね?」


「……言いたいことはそれだけか」

 口調こそ平静だが、山中のこめかみには血管が浮き出ていた。

「真中、おまえはステージでもそんな顔だったな。ひとごとみたいに、無表情で」

「…………」

「わかっているのか? おまえは三軍なんだぞ。ここにいる全員、アイドルリーグの底辺に落っことされたんだぞ! 悔しくないのか!」


 真中の表情は動かなかった。じっと山中の眼を見返していた。

 山中は舌打ちした。「おまえたちはみんな、足りないんだよ。選ばれなかった理由を考えろ」それだけ言って背を向けた。


 するといきなり真中は椅子を持ち上げ、投げようとした。

「ちょ、ちょ――」

 周囲のメンバーが止めに入り、そのあいだに山中は振り返ることなく部屋を出て行った。それでも真中は椅子をおろさなかった。


「やめなって!」

「みんなも手ぇ貸して!」

 真中の眼はドアの向こうをにらみみ続けた。「あんたらの思いどおりに……笑ったり泣いたりしてたまるかぁっ!」


 部屋のうしろのほうで、がたんと音を立てて椅子が倒れた。

「ミナミ!?」

「どうしたの!」

 美波が床に突っ伏し、ぶるぶると震えている。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ」

 咽び泣く美波をマリーと満重で抱き上げようとした。しかし美波は巨大なバッタみたいに手足を突っ張って暴れた。


【仇討血】と書かれたスケッチブックとモデルガンを持ち、アイスがドアに突進していく。

 うわわ、あいつも止めろ、とメンバーたちは慌てふためく。


 折悪く、スタッフが中に入ってきた。

「チームKさ~ん、そろそろ出ば――」

 モデルガンの銃口がスタッフの口の中に入れられ、【デス】の文字が掲げられた。

「NO~!」

「誰かあっちも止めてーっ!」


 そんなドタバタからは遥か遠く、光のステージは最高潮に達していた。

 ひとりきりのパフォーマンスを懸命にやりきった酒井に、観衆はこの日一番の声援で応えた。

 少女は手を振り返す。

 その瞳は星のようにきらめいていた。

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