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play by play 1

 煉瓦造りのファサードに、やわらかい昼中の光が降り注ぐ。

 場外の庭園では、観衆のざわめきに呼応するようにひまわりが揺れている。

 春の訪れとともに、サニーグラウンズにも活気が戻ってきたようだ。


 少し雰囲気が違うのはライトスタンドだ。サンフラワーズカラーの黄色と緑ではなく、黒とピンクに染まっている。

 福岡チェリーブロッサムズ応援団がひしめくその一角から、にわかに応援歌の大斉唱がはじまった。


 しかし、大方の観客は自分の席を探したり、飲み物を買い求めたりするのに必死で、あまり気にしていないようだ。


「すげえ」

「こんな大入り、はじめて見た」

 休憩室のモニタに映るその光景に、若いバイトスタッフたちの眼は釘づけになっている。


 雄吾も、彼らと同じようにモニタから眼が離せなかった。短い休憩のあいだに急いで昼食を済ませないといけないのに。


「おい、そろそろ交代だぞ」

「やべ」

 彼らはクラブサンドをくわえたまま出て行った。雄吾はひとりだけになった。


「いい天気だね」

 突然声がして、雄吾はびくっとのけぞった。

「な、鍋島さん! いつから、そこに……?」

 鍋島はさっきからいたよと言いたげに肩をすくめ、それからモニタに眼を戻した。


「今日は大入りだけど、もっと多いときもあったよ。昨シーズン中に六回はあった。そのうち五回は橋本、玉城のふたりが揃ってスタメンに名をつらねたときだ」

「はあ」

「今回は……そうだな、篠田のおかげだろうね」

「篠田?」


「知らないの」と鍋島は珍しく驚いた顔を見せた。「チェリーズのオリメンで、その前は初代アイドル球団テディベアーズのオリメンでもあった選手だよ」


 オリメンとはオリジナルメンバーの略である、ということくらいしか雄吾には通じなかった。ぱちぱちとまばたきを返す。


「オールスターゲーム常連のクローザー」

「えぇっ、すごい!」

 やっと通じた、というように鍋島は小さく息をもらした。

「そんな人気選手が、どうして北九州に?」

「指宿GMの企画だよ」


 鍋島は仮相環境を使って空中に図を描いた。

「球団組織の全選手をA、B、Kの三隊に振り分けたんだ。戦力が均等になるように、レギュラーも控えもシャッフルしてね」


 雄吾は首を傾げた。「普通は実力順に振り分けますよね?」


「一軍、二軍、三軍とね。ほかのチームはそうしているよ。でもチェリーズの場合、この3月のプレシーズンマッチ期間中は、一軍トップ二軍以下マイナーも関係ない編成にしているんだ。ABKの3チームは、1部リーグから3部リーグまでの調整試合をかわりばんこに戦っている」


「それって……」雄吾は考えたが、ぱっと思いつくものがなかった。「何か意味があるんですか?」


「まだレギュラーは決まってないよ、全員にチャンスがあるよっていうGMの意思表示らしい。球団の公式見解ではね。まぁ、下のリーグに注目を集めようとする営業的な思惑もあるんだろう。三軍の設立に音頭をとったのは指宿さんだからね」


 雄吾はモニタを見た。「この満員のスタンドも、指宿GMの計画どおりってことですか」


 鍋島はうなずいた。「今日は篠田のほかに三人もオールスター経験者が来ている。しかも土曜日。サニーグラウンズのキャパは一軍本拠地タイニーガーデンの半分もないから、これだけ入っても不思議じゃないよね」


「金にはならんがな」

 また聞こえるはずのない声がした。雄吾はもう少しで悲鳴をあげるところだった。


 休憩室に入ってきたアシスタントGMはかなり機嫌が悪そうだった。しかし油を売っているふたりのスタッフを叱ることもなく、ちまちまと包みをといて愛妻弁当をテーブルに広げた。

 雄吾はトラの檻から脱出するように慎重な足取りで廊下に出た。


「河村さん、なんだか元気なかったですね」

「そりゃそうだよ。この試合、無料ただでやるんだから」

「え」

 立ち尽くす雄吾を置いて鍋島はトイレに入った。

「どういうことですか?」と追いかけて訊いた。


「今からここで試合をするのはサンフラワーズなんだ。中身は一軍レベルの選手が揃っているとはいえ、形式上はそうなる」

 鍋島は用をたしながら、捜し物をするみたいに小便器の中を見つめた。

「サンズの所属する3部リーグでは公式のオープン戦がないから、今日みたいに自分たちで相手を探して練習試合を組まなきゃならない。でも、練習試合ではチケット代をとっちゃいけないんだよね」


 なるほど、と雄吾はふたつの点で納得した。それなら河村が落胆するのも無理はないし、それだからこそこんなに観客が多いのだ。


「じゃあ、これだけお客さんがいても、儲けはないんですか」

「そんなことはない」と個室から声がした。

 水を流す音が聞こえ、晴れやかな顔をした大下が両腕を広げながら出てきた。


「こういうときはフードやグッズで稼がせてもらうんだよ。我々にはグリーンハウスという新しい目玉もある」

 フロントオフィスのボスは、雄吾と鍋島の肩を軽く叩いた。

「さぁ、仕事に取りかかってもらうぞ」


 雄吾はほかのバイトスタッフ数人と、グリーンハウス一階のチームショップに向かうよう指示を受けた。


 そこは路地に面していて、チケットがなくても入店可能なのだが、店の前でたむろするグループがいるせいで、向かいのマンションから苦情が来ているという。


 現場に小走りで向かいながら、端末眼鏡でロバートの実況を聞いた。


「ここサニィグラウンズでは、もう間もなくティームAの試合がはじまりますが、同じ時刻に博多ではティームBの試合がプレィボゥ予定です。どちらもMR観戦席をご用意しています。あなたのお宅の居間に、白熱するゲィムの今を重ねてみませんか。ティケット購入方法は球団公式サイト、またはGLLドットコォ、または」……


         ◇


 殺風景な関係者通路にかすかな振動が伝わってくる。

 その震源は、配管が剥き出しの通路天井のさらに上、内野外野バックネット裏に詰めかけた二万五千の観客たちだ。


 ILP屈指の規模を誇るドーム球場タイニーガーデンのスタンドはこれでも六割しか埋まっていない。最上階スタンドはひとっこひとりおらず、空席が目立たないないように大きな布幕で覆われている。


 ともあれ、ここが一軍の本拠地であることに変わりはない。

 その雰囲気、そして身に着けた桜色のユニホームは、マリーの気持ちを否応なしに昂らせた。


 だから、ピンクと黒の防具で身を引き締めるとともに、何度も自分に言い聞かせる必要があった。目先のゲームに色気を出してはいけない、と。


 舞台に上がるのはまだ先だ。

 今は一歩一歩を積み重ねるしかない。


 マリーは通路を抜け、屋内ブルペンに入った。並んだピッチャーズプレートの一番奥に47番の背中が見える。

 振り向いたジヒョンは、防具姿のマリーを見ても表情を動かさなかった。


 言葉より先にボールのやりとりがはじまった。十球ほど投げ交わしたころ、ジヒョンが「座って」と言った。

 マリーは言うとおりにし、ホームベースの上をさっと手で掃った。


 ジヒョンはどんどん投げ込んできた。一球捕るごとにボールが強くなった。

 四球目には主戦武器のツーシームが投じられた。ヒットするのは骨が折れそうな球だが、キャッチするぶんには何の問題もなかった。


「ナイスボール!」

 マリーは言葉とボールを返した。

 ジヒョンは次の投球に入る前に、獣のように左手の爪を立てて見せた。

「ナックル」


 それは本物だった。「揺れ」があり、そして「意思」があった。

 マリーはそのボールの軌跡を3パターン予測したが、すべてはずれ、ミットで弾いてしまった。


「あっ……」

 転がっていったボールを焦げ茶色のキャッチャーミットが拾い上げた。

 涼やかなアジアンビューティがそこにいた。

 カレイドだ。

「替わりましょう」と彼女は言った。



         ◇



「――オーッホッホッホッホッホ!」

 広々とした選手ロッカールームに、場違いな高笑いが響いている。


 アルミの格子と木材でできた個人ロッカーにも、中央に置かれた大きなソファセットにも、誰もいない。ほとんどの選手はすでにダグアウトやフィールドに出ている。


 ところが、ひとりだけまだ着替えていない者がいるのだ。

 彼女は全裸だった。


「オホッ、オホッ、オホホホホホ!」

「……! おつう、何してんの!」


 ロッカールームに入ってきた真中真心は一瞬のけぞり、そして怒鳴った。

 しかし対馬おつうはどこ吹く風で、鏡の中の自らにうっとりと見入った。


「なんと美しいのでしょう……。この姿こそわたくしの完全体……。粗末な布で隠してしまうなんてもったいない。あぁ! もったいない!」

「さっさと着替えろノータリン!」


 ユニホームとグラブとスパイクを投げつけられても、対馬はびくともしなかった。実際、彼女はフィジカルに恵まれていた。ぷりぷりの前とうしろの真珠四つはどんな罵詈雑言も弾き飛ばしてしまいそうだ。


 そんな対馬とは対照的に、吹けば飛びそうなひょろひょろの選手が、さっきから部屋の隅をうろうろしている。


「どうしよう……」

 青ざめた顔の美波零は、今にも泣きそうに鼻をすすった。

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