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ライブドライブ

「お疲れさまです」

「まだ疲れてねえよ」

 交代の先輩スタッフとそんな会話を交わし、雄吾は晴れやかな気持ちでその日の仕事を終えた。


 出てきたばかりのブルペンの中からは、熱のこもったピッチングの音が今も聞こえてくる。ひときわ高らかなミットの音は、きっとマリーだろう。美波とのブルペン・セッションのあと、ほかの投手もマリーに受けてもらいたいと申し出てきたのだ。


 といって、マリーはブルペンキャッチャーになりたいわけではない。だからこれは小さな一歩だ。しかしくっきりと足跡の残る一歩のはずだ。


“がんばれ、マリー”

 雄吾はブルペン小屋を一度振り返り、そしてまた歩き出した。


「おまえは何度言ったらわかるんだ」

 クラブハウスの廊下を歩いていると、怒気を含んだ声が聞こえてきた。

 

 角を曲がった先に、サンフラワーズの山中マネージャーとアイス・アイクルがいた。アイスは自前の奇抜なユニフォームを着てピエロのメイクをしている。

「こんな恰好で、練習に参加させてもらえるわけないだろう」と山中は言い募った。


 アイスはふいと横を向いた。その態度が山中の火に油を注いだようだ。

「勝手にしろ」と言って立ち去りかけ、また振り向いてアイスに指を向けた。「芸能活動でも同じだぞ。そのふざけた恰好を改めない限り、表には出さんからな」

 山中が近づいてくるので、雄吾はあわてて別の廊下に向かった。


「ゆ~ひちゃ~ん! お頼み~!」

 今度は部屋の中から、男が無理にキーを上げたような甲高い声が聞こえた。

「ライブに出ないなんて、そんないけずなこと言っちゃ嫌~ぁ~!」


「今日は私、休養日なんでしょ」とこちらは朝倉の声だ。どこか冷えている感じ。「私だけ練習に出られなくて、ライブにはみんなと出れ、なんて、そんなのおかしくない?」

「指宿さんはあなたの疲労を考慮したのよぉ~!」

「そんなの通らない。私が通さない」

「もぉ~!」


 部屋のドアが開き、チェリーズのマネージャーが出てきた。

「衣装ちゃん呼んでくるからね! 考え直してね!」

 二メートル近い巨漢のマネージャーは、すぐそこにいる雄吾に気づかず、どすどすどすと早足に立ち去っていった。


「あれ?」

 続けて出てきた朝倉に見つかって、雄吾をのけぞったままの姿勢で固まった。

「聞いてたんだね」

「いやっ、たまたま……」


「別にいいけど」と朝倉はそっけなく言って、表情もなく雄吾の仕事着に眼をやった。「君、ほぼ毎日いるよね。労働法に引っかからないの?」

「時間、短いし……」

「じゃあ、今日はもう上がりなんだね。いいな。私も帰りたい」朝倉はため息をついた。


 雄吾は朝倉の憂鬱そうな顔を見て、クラスの女子たちが話していたことを思い出した。

“朝倉さんって歌はいまいちなのよねえ”

“声かわいいのにねえ”


「おまえ、歌うの嫌いなのか?」

「へ?」

 朝倉は豆鉄砲を食らったハトになった。

「いや、だからライブ出たくないのかな、って」

 すると今度は、トサカを立てたニワトリに変身した。

「違う! 私は特別扱いされたくないだけ――」


 朝倉が途中で黙ったので、近づいてくる足音が雄吾にも聞こえた。

 現れた衣装スタッフは、朝倉が廊下にいるのを見てびっくりしたようだ。

「優姫ちゃん、どこ行くの?!」


「どこにも」と朝倉は途端に澄まし顔になって言った。「早く、衣装見せてください」

「わぁ」とスタッフの女性は喜んだ。「ライブする気になったの?」

「はじめからそのつもりですよ」と言って朝倉はドアを開け、中に入る間際に小声で雄吾に言った。「君もそうでしょ?」

 雄吾がぱちぱちとまばたきをしているあいだにドアは閉まった。


 四十分後、雄吾は園道を歩き、広場にある特設ステージを目指していた。たくさんの人の足がそこに向かっていた。中には走っている人もいたが、会場手前のゲートで係員に止められた。


「なんで今日だけお金取ると!」

「いいから入れろや、おらぁ!」

 刺繍入りの特製衣装を着た連中が、警備員に向かって声を荒げている。


 雄吾は一瞬、引き返そうかと思った。あんな人たちを横目に、スタッフ特典のチケットで入場するなんて、少々おっかない。

 立ち尽くしていると、「ゆ~ご~」と聞き覚えのある声がした。


「栗田!」

 杉野やほかの連中もいる。雄吾は嬉しくなってそちらに走ったが、途中でぎくりと立ち止まった。

「な、なんでおまえら……」


「なん? おったら悪いんか」と剛田は言った。

「そうちゃ、そうちゃ」と須根は囃した。

「俺らが呼んだんよ」とサッカー部のやつが言った。

「大勢のほうが楽しいしな」と杉野はうなずいた。「雄吾もライブ行くだろ?」


 雄吾はまだ驚きが残っていて、すぐに返事できなかった。

 剛田はちょっと気まずそうにして、部活生時代とはまるで違うヘアスタイルの頭を掻いた。


 会場の中は違う季節のようだった。むっとする人いきれで息苦しいほどだ。


 ステージのほうだけは涼しそうに見える。エメラルドグリーンの海面のような、ホログラムの垂れ幕がかけられているからだろう。その波間に浮かぶ球団ロゴの向こうが透けて見えたが、ステージ上にはまだ誰も出てきていない。しかし早くも大きなかけ声や選手の名前を呼ぶ声が聞こえる。


 広場の芝生の上に、ひとりぶんのスペースの目安として仮相マーカーが表示されているが、誰も気にしていないし見ていない。押し合い圧し合い、まるでラグビーみたいに身体がぶつかった。


「ひと多すぎやろ……」

「みんなグッズ着けとぉし」

「俺ら、場違いなんやない?」

 中学生たちが縮こまっていると、杉野が「大丈夫!」と言った。

「みんなのグッズ持ってきた!」

「おお!」

「神!」


 ノリノリで鉢巻やマフラーを着けているが、一方で彼らにも線引きがあり、けっして手にしようとしないものがあった。それは消極的なグループにまわってきた。


 でかでかと朝倉の名前が入ったピンクのはっぴを手にしたまま、雄吾はなかなか次の動きをとれなかった。


 すると剛田と眼が合った。お互いすぐに視線をはずしたが、剛田も迷っているようだった。はっぴが小さすぎることに難色を示しているだけかもしれないが。


 そこで栗田が、のそのそとはっぴを着た。それを見て雄吾と剛田も決心がついた。

「はじまるぞ!」

 歓声が湧き上がった。


 雄吾の知らない曲が流れ、いくつも重なった女声ヴォーカルが聴こえた。しかしステージにはまだ誰もいない。

 と思った直後、ホログラムの幕のあちこちが人のかたちにふくらんだ。


 0と1の波間から現れたのは、少女たちだった。彼女たちは最初からそこにいたのだ。


 ほぼ全員が現れた頃、重なっていたヴォーカルが、ひとりの声だけになった。

 雄吾ははっとステージ中央を見た。

 朝倉だ。


 ホログラムが釣り紐の切れたかのようにステージに落ち、水のように弾けてオーディエンスの頭の上に散らばった。


 演出と同時に音楽が激しくなる。ヴォーカルはなく、観客のかけ声がビートに乗ってうねりをつくる。その渦の上を舞う鳥のように少女たちは踊る。


 何かが裂ける音がして、雄吾は我に返った。振り向くと、腕を振り上げた剛田のはっぴに穴があいていた。野球部を引退してからの太りようを見れば、さもありなんといったところだ。

 雄吾は剛田と顔を見合わせ、その瞬間、ブッと噴き出した。


 ステージ上は朝倉の独壇場だった。端正な振付にそつのない位置取りでフォーメーションの中心を担い、その完成度は若手中心の出演者たちの中で際立っていた。

 

 もはや腕を挙げていない観客はいなかった。泣いている観客は杉野だけのようだった。

 まわりの歓声を掻き消している元キャッチャーの大声を、雄吾はどこか遠いところで感覚していた。不思議な浮遊感の中で、朝倉の姿を追っている自分を認めないわけにはいかなかった。



         ◇



 パフォーマンスが終わり、わっと歓声が弾けた途端、指宿は重像機レイヤーの出力を切った。


 オーディエンスの頭上8メートルからの眺めを全方位で映し出していた仮相投射が消え、平和台クラブハウスのブリーフィングルームという現実の場が戻ってきた。


「……どうかしましたか」

 球団CEOの瀬戸内がわずかに眉をひそめて訊ねた。その隣で、球団提携プロダクション代表の野村が、拍手を途中で止めた姿勢のままぽかんと口を開けている。


「あの子、いっこもミスんなかった」指宿はぽつりと言った。

「それが朝倉という選手なのでしょう」

「――つまんない」


 革椅子の背の向こうから聞こえたため息に、瀬戸内と野村は顔を見合わせた。

 指宿は立ち上がって伸びをし、振り返って部屋のドアに向かった。


「おい」と野村が言った。「つまんないってどういうことだ?」

「ん~、ちょっと練習混じってこよっかな~」

「おいったら!」

 部屋を出て行く指宿を、野村はあたふたと追いかけていった。


「やれやれ」

 瀬戸内は祈るように眼を閉じた。

「また悪い癖が出ないといいが……」

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