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20XX年の学生生活

 インテリアが完成したその週末に、新しい家族は新しいおうちでパーティを開いた。出席者は、朱里絵とヴィクトルが懇意にしている友人たちと、マリーのチームメイトの女の子たち。小倉南区にある閑静な住宅街に、手土産を持って集まってくれた。


 ほかの参加者より少し遅れてやってきた中年の男に、ヴィクトルは特に篤い歓迎ぶりを示した。

「タテ」と親しげに呼び、「よく来てくれた」と抱き合った。


「ビク、今日は招待してくれてありがとう」男は無精ひげの顔でくしゃっと笑った。

「こちらこそ」とヴィクトルは言った。「神戸からわざわざ」

「なあに。統制道路に乗ればすぐだよ」


「あら先生」

 来訪者に気づいたマリーが廊下で立ち止まり、サングラスをずり下げて蒼い眼をのぞかせた。

「来てくれたの」

「君がなかなか会いに来てくれないからな」

「アハハ、そのうち行ったげる!」

「約束だぞ!」

 マリーは友だちといっしょにぱたぱたと家の奥に向かった。


「すまないな、タテ。近いうち必ずつれていくよ」

「無理にとはいわないさ。実のところ、家内のほうが会いたがっているんだよ。今日もお邪魔するつもりだったんだが、急にアルゼンチンに飛んでしまって――おや」


「……こんにちは」雄吾は新しい客人に挨拶した。

「ユーゴ、こちらタテヤマさんだ」

 館山が差し出した手を雄吾は握り返した。

「僕は眼科医でね、歯科医のヴィクトルとは仲が良いんだ」

「我々は揃ってハメ・・をはずすんだよ」


 わはは、ふたりは大口を開けて笑った。

 雄吾は曖昧に笑み返してからそこを離れた。


 リビングではさまざな料理と飲み物が振舞われ、朱里絵の業界の友人たちや、ヴィクトルの通う柔道教室の師範や門生たちが楽しげに談笑していた。


 雄吾は厄介なお喋り好きの雑誌編集者から逃げ出すため、トイレ休憩に立ったところだったが、廊下の途中でまた呼び止められた。


「ねえ」

 マリーのチームメイトだ。以前、雄吾が観に行った試合で投げていたから、顔を覚えている。


 彼女はボールによくスピンを利かせられそうな長い指をこちらに向け、「マリーの……おにいちゃん?」と訊いた。

「まぁ、うん」

「いくつ?」とまた別の子がやってきて訊ねた。


 そこで雄吾は気づいたのだが、二階への階段にマリーのチームメイトたちが集まっている。こちらをうかがっているようだ。


 雄吾がたじろぎながら答えると「十五だってー!」とすぐさま本陣に報告が行った。


「ポジションは?」

「え?」

「経験者だってマリーから聞いたよ」と三人目がやってきて言い、彼女たちはそれぞれ打つ投げる捕るの動作をして見せた。


「……勘違いだよ」

 雄吾はふいと横を向いた。

 女の子たちは不思議そうに顔を見合わせた。

 そこへ頭上から軽やかなピアノの音色が降ってきた。


 マリーだ。


「見に行こ!」

 女の子たちは連れ立って上階に向かった。

 リビングで大人たちも聴き入っている様子だ。

「お嬢さんは多才ですね」と言われたヴィクトルは謙遜したが、朱里絵は上機嫌に請け合った。ほかの人も口々にマリーを褒めた。


 雄吾は気づかれないよう、静かにリビングを通り抜け、サンダルをつっかけて庭に出た。


 新しいおうちの防音設備は、ガラス戸を半ば以上閉めると、中の音をほとんど閉じ込めてしまう。

 雄吾の頭上には、音符のかわりにぽつぽつと小雨が降ってきた。


 朝も昼もかわり映えしない灰色の空は時間の感覚を失ってしまったかのようだ。それでも、少しずつ暗色が滲み出てくる時刻になった。マリーの友だちはひとり、またひとりとお迎えの車に乗り込んでいった。


 大人たちは第二部をはじめようとしていた。ずっと食べっぱなしだったのであらためての夕食はないようだ。雄吾はお勤めを果たした気分で二階に上がった。


 自室に引っ込もうとしたとき、マリーが階段から顔を見せた。

「ユーゴ、部屋に行くの?」

「ホームワークがあるから」

「シュクダイ、毎日あるのね」


 雄吾は肩をすくめた。「日本の子どもはみんな、勉強して優秀にならないといけないんだよ」

「ふーん」


 深刻な少子化と、それに伴う外国人受け入れの拡大については、マリーもビザ取得の際に聞かされているはずだ。

 カナダの中学校にあたるクラスを飛び級ですでに卒業している彼女なら、移住コーディネーターの説明の最中に寝るなんてことはしないだろう。


 マリーは雄吾のそばに来て、壁に背中からもたれた。

 そうやって横に並び、ふたりの身長差がはっきり示されると、もともと希薄な「きょうだい」という概念はあとかたもなくなってしまうようだ。


 マリーはもっと伸びるだろう、と雄吾は思った。それこそ、プロのアスリートにふさわしいほどに。


「じゃあ」とマリーは言った。「勉強以外のことをしたい子どもはどうすればいいの?」


「才能があるってことを証明するんだよ。公式大会での実績はもちろん、指導者の推薦とか、遺伝子情報を提出したり」


「子どもの将来を、遺伝子で判断するの?」


 マリーは信じられないといった顔だ。その反応は至極まっとうなもので、半世紀ほど前に国連がバルト宣言で示した国際倫理にも則っていた。


 しかし、ここは日本なのだ。


 子どもに様々な選択肢を与えることを「資源の無駄遣い」と断じてしまうほど余裕がなく、G9のスタメンをおろされて久しいこの国は、老兵ベテラン用済みロートルの狭間でもがきながら、長いリハビリを続けている。


「この国の大人は合理的な教育をしたいんだよ」と雄吾は言った。「才能がなければ、芸術やスポーツにどれだけ時間をかけても無駄だ、って考えてる。だからさっさと見切りをつけて、別の分野に打ち込みなさい、って。がんばれば結果が出て、現実に役立つ分野にさ」


 マリーは少しショックを受けたようだった。「そんな……ちょっと極端じゃない?」

「そうかな」

「ユーゴはどう思うの」


 その質問には答えず、雄吾は足元の暗がりに視線を落とした。

「あのさ……」

「うん?」

「友だちに言っておいてほしい。俺、野球の経験者でもなんでもないから」


 マリーは困惑の表情を浮かべた。「でも……野球、好きなのよね?」

「好きってほどじゃないよ」


 雄吾は自室の前に行ってドアを開けた。それから仮相環境を勉強態勢にして机に向かった。


 いつの間にか眠りに落ち、朝起きると雨が降っていた。


 市バスに乗り込んだ雄吾は、まわりの会社員たちとお互いに傘が当たらないようにしながら吊り革にぶら下がった。


 乗客のほとんどは、種々のオプティック・デバイスが見せる複合現実に眼と耳を奪われている(それがわかるのは、顔の前に半透明の薄膜が浮いているからだ。そうでなければ、虚空を凝視する精神病者と見分けがつかない)。


 誰もがプライベート・ビューにしているので、他人が何を見聞きしているかはわからない。

 定時ニュース、おもしろうと動画、闘議場観覧、そんなところだろう。


 いつもなら雄吾もMLB生中継ライブを観ているはずだが、昨夜自分でかけた呪いを破ることができなかった。端末眼鏡をかけたまま、することもなく、ただぼうっとしていた。


「遺伝子編集は、特別なことではありません」


 その音声は不意に眼鏡のスピーカーを通ってきた。

 顔を上げると端末眼鏡が反応し、車窓の内側を流れる仮相広告を映し出した。


 大樹の幹をバックに、緑色の髪の人々――幼児から老人まで――が世代順に並び、はにかんだ様子で笑っている。


「世界中の赤ちゃんの88パーセントは、遺伝子の補正を受けています」


 今度は、銀髪に褐色肌の女性アスリートの映像に変わった。

 どの出演者も、ある特徴を持っていた。遺伝子手術を受けた者にしばしば発現する、有名な特徴を。


「わたしたちは、88パーセントです」


 誰でも名前くらいは知っている国際人権団体のロゴが出て、そのCMは終わった。


「――くん。ユーゴくん」

 振り向くと、ひとりの乗客が雄吾を見ていた。髪をお団子にまとめたオリエンタルな雰囲気の女性だ。

 眼が合うと、その女性はにこっと笑った。


「奇遇ですね。昨日の今日で」と彼女は日本語で言った。

「はい。びっくりしました」

 雄吾は笑みをつくりながら、相手の顔に重なった仮相のプロファイル画面に眼をこらした。


 彼女の名前はハィン。朱里絵の友人。昨日の引っ越しパーティにも出席し、雄吾と会うのはこれで五回目(まじ?)。


 外交的な親のもとで何十人もの知人友人をおぼえておくのはひと苦労だが、端末眼鏡さえあれば大丈夫だ。AIが社交場の空気を感じ取り、そのとき会った人たち全員をきちんと記録しておいてくれる。


「ハィンさんも、この路線使ってるんですね」

「いえ。ワタシ、乗るバスを間違えました」

「えぇ?」

 雄吾は眼をぱちぱちさせた。しかしハィンはあっけらかんと微笑んでいる。


「新しい職場なので。だから大丈夫です」

「はぁ」

 何が大丈夫なのだろう?


「楽しいところですよ」とハィンはにこやかに言った。「ユーゴくんも一度、遊びに来てくださいね」

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