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春が来て君は

 どよめきは二度起こった。

 一度目は、朝倉のバットがHRの破音をかき鳴らしたとき。

 二度目は、その打球が場外に消えていったときだ。悲鳴と歓声があとから加わった。


「別に。狙ってません」

 朝倉はインタビュアーの質問にそう答えた。

「でも、あれ・・は偶然ではないです。たまたま打てるなんてことはありえない」


 こいつすごいな、と雄吾は混じり気なくそう思った。

 キャンプ初日の紅白戦で、チェリーズのエース級左腕・川口春奈から「プロ入り第一号」を放ったことが、ではない。そのときと、そのあとの振る舞いに、感嘆した。


 この前まで同級生だったとは信じられない。プロになってからはじめての独占インタビュー、ましてやこの映像が全国に流れると知りながら、これだけ落ち着き払っていられるなんて。


「この子、雄吾の同級生なんでしょ?」と朱里絵は言った。「すごいわねぇ、特集されてるじゃない」


 息子がMLB以外のテレビプログラムを観ているのがよほど珍しいのか、朱里江は持ち帰った仕事をほったらかしにしていっしょに観ていた。


「……本当はさ、この収録でマリーと対談する企画もあったみたい」

「そうなの?」


 同じ球団組織に同時期に入団した同い年のふたりだ。つながりといえばそれだけだが、に濃厚な背景を描きたがる番組制作者たちにとってはいい口実となる。


「マリーのほうから断ったって」

「そう……そうよねぇ」


 雄吾は手元のネット記事へと眼を移した。半月ほど前のもので、十二球団の雑多な情報を伝えるこまごまとした短信の中に、この見出しがあった。


【ラヴァリエール練習復帰も 当面は別メニュー調整】


 窓の外を見る。庭木が夜風に揺れている。

 二月の列島はまだまだ肌寒い日が続き、外ではマフラーが手放せない。


 けれど、球場にはひと足早く春が訪れている。

 ボールゲームの春、球春だ。


 目前に迫ったペナントレース開幕に向け、各地でアイドル球団のスプリングトレーニング(ST)がはじまっていた。

 毎年注目を集めるのは関東の球団だが、今年は福岡の桜も一見の価値ありと評判だった。


「見てください、この人の数!」リポーターが興奮した声を上げている。「ここ平和台には、朝から多くのファンや報道陣が詰めかけています」


 まさしく、そこらじゅうに人があふれていた。けれど、撮影スタッフやカメラ・ドローンを引き連れ、器用にうしろ向きに歩いていくリポーターのまわりには、むしろ人が少ないようだった。


 放送免許を持つ彼らテレビ局の特殊機材の前では、撮影防止機器の一切が働かないため、映りたくない人々はカメラを避けるのが常なのだ。


 雄吾もそう。たまたま映り込んでしまった映像を同級生の誰かが観ないとも限らない。クラスメイトはもちろん、栗田にもまだ秘密にしている。

 スタッフとして、持ち場を離れることはできないため、撮影陣が近くにいるあいだは背中を向けてやり過ごした。


「おまえ、風邪ひきよん?」

「いえ……」

 支給されたチェリーズスタッフユニホーム(黒子みたいだ)を着ているが、加えてキャップにネックウォーマーにマスクもしている。そんな雄吾のなり・・を見て、いっしょにいた大学生のスタッフは不思議に思ったようだ。


 雄吾もこの大学生も普段はサンズでバイトしているが、親球団であるチェリーズのキャンプのため、増援として駆り出されていた。


 昼休みにST運営本部の建物に戻った。チェリーズは子分であるサンズのために、会議室のひとつを貸し与えていた。

「お疲れさまです」

 部屋の中に入ると、テレビ音声が聞こえてきた。


「一軍、二軍を分けず全選手をここに集めたのは、同じ立場で競争してもらうためです」指宿が記者の質問に答えている。「レギュラーは完全に白紙ですね。アカデミー生からの抜擢? もちろんありますよ――その逆もね」


 仮相モニタに流れているニュース映像に、なぜか苦い顔をしているのは、北九州サンフラワーズの上役たちだった。


「チェリーズめ……」河村は端末眼鏡をはずして唸った。「自分たちだけおいしい思いしよってからに……選手もファンもひとりじめか!」

 大下がなだめにかかった。「仕方がない。これもメンバーのためだ。このかたちなら、彼女たち全員にチャンスがある」


「正規メンバーからアカデミー生まで横一線のスタートだ、と」経理部長の湯田が感情を押し殺した声で言った。「球団組織の全選手を集めたのだから、当然、ファンも全員ここへ来ますよね。このチェリーズの新しい練習場に」


「我々の新しい球場はどうなる?」とは叫べど、河村は答えを求めていなかった。「例年どおり、二軍キャンプのために準備していたんだ! それが……くそ!」

「全部、ぱぁですよ」湯田が吐き捨てた。


 バイトスタッフたちが所在なく突っ立っていると、マーケティング部の西村が声をかけてくれた。

「みんな、お昼よね? 悪いけど、今日はこれでなにか買って食べてね」


 食費ミールチケットを渡され、困惑したバイトスタッフたちは互いにささやきあった。「昨日まで弁当出たやんね?」

「あの」とリーダー格のバイトスタッフが遠慮がちに言った。「すみません、この額面だとちょっと足りないです」


「文句ならチェリーズに言いなさい」湯田がコーヒーを入れながら言った。「君たちへの食事手当ては打ち切られました。突然のことだったので、今日だけはサンズのほうから食費補助を与えます。明日以降は自分たちでなんとかするように」


 落胆と抗議の声が上がった。

 どうにも良くない雰囲気になってきたので、雄吾はそこを抜け出してキャンプ場の出店エリアに向かった。


 ラーメン屋台の行列に並んでいると、うしろから声をかけられた。

「なぁ、ここ美味いん?」

「ああ、まぁまぁかな」

「雄吾はいつもここで食べてるのか?」

「いや、今日はトラブルで――」


 気づいたときには隠し球が決まっていた。

 無防備なランナーである雄吾は死相を浮かべたまま、にやついた死神のタッチを甘んじて受ける以外になかった。

「このむっつりめ」と。


 あんなに味のしない豚骨ラーメンははじめてだった。栗田と杉野にはなぜか奢るはめになり、さらには場内を案内することになった。


「いやぁ、むっつりもここまでくると犯罪だよ!」杉野は気炎をあげ続けている。

「で、おまえのいもうとちゃんは?」と栗田が訊いた。


 三人は階段をのぼっていた。すれ違った記者の話すのが聞こえた。

「今日も別メニューか……」

「昨日は左打ちの練習ばしよったと」

「迷走してますね」


 陸上競技場の観客席に出る。そこからトラックが見渡せた。

 真ん中の芝のフィールドでひとり、コンディショニング・コーチに付き添われながら必死にトレーニングしている。

 それがマリーだった。



         ◇



 みんなもいるから、つれてくるよと杉野は言った。杉野なりに何か気を遣ったのかもしれないが、まったくよけいなお世話だった。

 連中は、午後の業務に出た雄吾のもとにやってくるなり、盛大に噴き出して笑い転げた。


「おまえなんしよん!」

「マジおるしーっ!」

 いひひ、あははは、ひー、ひー……


「うるさい! おまえらそれ以上何か言ったら出禁にするからな」

「怒んなちゃ~」


 この日の午後、雄吾はブルペンの客整理を任されていた。屋根付きのブルペンの中には、関係者エリアに加えて来場者のための客席があり、自由に観覧ができる。しかしこの時間帯は人が多すぎるため、入場制限が設けられていた。

 退場したファンと入替に、雄吾は同級生たちを席に通した。


「おお、最前やん!」

「ありがとな、雄吾!」

 声を上げた彼らの顔の前に、【お静かに!】と仮相文字が現れた。この措置が功を奏してか、4ダースものファンと1ダースのアイドルリーガーがひとつ小屋にパックされているというのに、観客は本当にお行儀よく座っていた。


 静かだから、普段は聞こえない音が聞こえる。投手が投げる瞬間にシッと洩れる息づかい、それをコンマ何秒でかき消して響くキャッチャーミットの炸裂音。

 それらを耳にしながら、雄吾は歯がゆい思いがした。

 一軍レベルのアイドルリーガーの投球を見てみたいのに、それに背を向け、同級生の蕩けたツラを見張らないといけないのだ。


「あぁ~、やっぱカンナちゃんかわええ~」

「なんおまえ、推し変しよん?」

「ウィキ読んでみろよ。こういう子こそ応援しないと」


 チェリーズのリリーフピッチャー、橋本環奈。

 球団芸能部がルックスだけを見てスカウトし、当時の現場責任者である上野由岐子GMから「この程度の選手、その辺の女の子を千人集めたらひとりくらいはいる」と酷評され、マスコミから「千人にひとりの凡才」と揶揄されたが、その上野に教えを請い、ウィンドミル投法を体得して今季一軍救援陣ブルペンの救世主となった選手だ。


 雄吾も彼女を見たいと思った。ソフトボール投げのピッチャーに興味がある。


 パールボールは野球と違い、ピッチャーの足元にマウンドがなく、早く投げなければという心理にさせる投球持ち時間グレイスがある。


 これはゲームをより興行的にするため――ゲームバランスをバッター有利にし、ピッチャーの投球テンポを速めるため――のルールだが、副産物として、ソフトボール投げのピッチャーが生きていける環境をつくりだした。


 パールボール公式球がサイズや素材、製法などに独自の基準を設け、フライになりやすいように(つまり、ホームランが出やすいように)開発されていることも、ウィンドミルにとっては追い風となっている。卓越したソフトボールフォームのピッチャーは、正真正銘の「浮き上がる変化球」を投げることができるという。


 そのライズボールとやらを、雄吾はこの眼で見てみたいのだ。

 ちょっとならいいだろう、と首を動かした。


 すると、かすかなざわめきが起こった。

 それまで静かだった観客たちが突然、腰を浮かせ、ブルペンの奥を指さしはじめた。


 マリーが、選手用出入り口から姿を見せていた。

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