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新人合同自主トレ

 新人合同自主トレは、ILPの12球団がそれぞれ独自に行う、いわば新人研修のようなものだ。


 各球団とも、年明けという時期や二週間程度という期間はほぼ同じだが、その内容や参加する新人選手の選び方などは、球団ごとに少し異なっている。


 福岡チェリーブロッサムズの場合、からだづくりを中心に、練習施設の見学に加え、メディア対応やリーグ史およびアイドル論を学ぶ座学などを盛り込んでいる。


 初日のこの日は、開会のあいさつからはじまった。ルーキーたちは、報道陣とスタッフがひしめく部屋の中央に座らされ、球団の重役やスカウト部長の訓示に耳を傾けつつ、眠気に頭も傾けている様子をバチバチ撮られた。


 これだけ球団が関わっておきながら「自主トレ」と名がついているわけは、ILP独特の労働契約にある。一月と十二月はチーム公式の練習をしてはならない、という条項があるため、あくまで自主的に集まったという体裁をとる必要があった。選手の装いにもその制約の影響があり、彼女たちは正式なユニフォームではなく、自前のトレーニングウェアに身を包んでいた。


 今回参加した新人の顔ぶれは、チェリーズが直々にドラフトで獲得した選手、直系のチェリーズ・アカデミーの新入生、そして北九州や長崎など地方アカデミーからの推薦を受けた在籍三年目までの若手(一度参加した者は不可)。

 総勢十名が、今度は室内競技場に移動し、フィジカル・コーチを囲んで輪になった。


「えー、みなさん、おはようございます」とコーチは言った。

 少女たちは小さい声でまばらに返事した。まわりを取り囲んだ球団関係者や報道陣に気をとられている様子だ。


「もう一回やりましょう。おはようございます!」

「――おはようございます……!」

「今の、オッケーですよぉ」フィジカル・コーチは指で丸をつくった。「ではさっそくですが、みなさんにやってもらいたいことがあります」


 スタッフがテーブルを運んできて、その上にゼッケンを並べはじめた。

「このゼッケンの白い部分に自分の名前を書いてください。出来上がったらスタッフが写真を撮りますから、『できた!』と大きな声で言ってくださいね」


 半笑いの者、閉口している者、ノリノリで何色のペンがあるか訊く者、反応がくっきりと分かれた。

 そのすべての表情を逃さぬよう、球団広報やスポーツ専門局のカメラがしっかりとまわっている。


「はい、そこ! カタカナで書きなさい」

 注意を受けたのはマリーだ。「L」と書き出した直後だった。

「あー、んんん……」

「書いてあげよっか?」

 困っているマリーに救いの手を差し伸べたのは、ソメイヨシノのスーツとバブアーのコートに身を包んだ美女だった。


「指宿さんだ……!」

 選手たちはどよめき、記者たちは色めきたった。


「はい、できた」

 指宿はマリーの名前だけでなく、そばにイラストを書き添えていた。

「これ、何に見える・・・?」

 マリーはニッと笑んだ。「ベレー帽を被ったうさぎ」

「合格」指宿はにっこり笑った。


「指宿さん!」ひとりの記者が言った。「ラヴァリエール選手をすべてのメニューに参加させるんですか?」

「球団としてはそのつもりです。本人に異存がなければ、ですけど」

 指宿の目配せにマリーはちょっと肩をすくめた。

「わたしもそのつもりです」

 おお、と記者たちは嬉しそうに声を上げた。

「指宿さん! 一枚いいですか」

「どうぞ」


 えっ、とマリーが驚いているあいだに、指宿はマリーの腰に手を押し当て、正面を向かせた。

 たちまち、フラッシュの一斉放火。


「いやぁ、コメントとれてよかったばい」

 サブグラウンドの第二平和台球場に移動したあと、記者たちはほっとしたように言い合った。

「小倉じゃ、ちぃっとも取材させてくれんし、おまけに団体様・・・からす~ぐご意見ば来よったいね」

 ベテランも新米も一様にうなずいた。

「とかく書きにくいご時世だよ。ああやって指宿さんが気を利かせてくれると助かる」

「ほんに、よか人ばい指宿さんは」

「本業のほうも順調らしい。見てみろ」


 ルーキーたちがキャッチボールをはじめている。

 先のウォーミングアップのときは、飛んだり捻ったりの複雑な動的ストレッチを「できないできない」と笑いながらやっていた。それが、グラブをはめてボールを握った瞬間、全員、眼の色が変わった。


「ドラフト一位の朝倉ばかり注目されるが、二位指名の酒井をはじめ、アマの有力な投手と打者をきっちり獲得している」

「アカデミーにもイキのいいのが入っとーとよ。川田、川村の『川川コンビ』は140キロの速球があるったい」

「酒井もそれくらい楽に出るぞ」

「世代トップクラスの速球派が三人加わるわけだ。エースの西内頼みの投手陣が、今年こそは改善されるか……」

「これで朝倉が本物・・だったときにゃあもう……」

「いやはや、どえらいぞ今年のチェリーズは」

「ん……? おい、あれ見ろ!」


 キャッチボールの列の中で一組だけ、ほかの組の倍近い距離をとっている。

 朝倉とマリーだ。


 左利きの朝倉は、外野手らしい大きな腕の振りで投げ込んだ。球威充分のボールがマリーの胸のところにどんぴしゃ、ミットをほとんど動かせない。

「最高の球だ」記者たちは唸った。


 遠くライトフィールドの奥地から、朝倉は挑発的な顔をして見せた。ちょうど三塁線のところにいるマリーの、ゴーグルの奥の瞳に負けん気がみなぎった。


 キャッチャー特有の小さく早いスローイングで投げ返したボールは、あっという間に外野上空に達した。その勢いに観衆はどよめいた。


 しかし朝倉は眉ひとつ動かさなかった。どころか、ボールが頭上を越えていき、外野の客席にぶつかっても振り向きもしなかった。


「ナイスホームラーン!」

 内野スタンドで見学中のファンクラブ会員からそんな声が飛び、球場はどっと笑いに包まれた。


 そちらとは対照的に、記者たちは驚愕した顔でマリーを見ていた。

「なんて肩だ」

「福岡お得意のイロモノ枠じゃなかったのか」


 不満そうにスローイング動作を確認しているマリーに、コーチが雷を落とした。

「そこのふたり、ペースを考えろ! 初日から怪我したいのか!」

 コーチの真っ赤に茹で上がったスキンヘッドの上を、社のロゴがついたドローンが何機も飛んでいく。

「もっと無人撮影機カメコ飛ばせ! あのふたりに張りつかせろ!」


 報道陣エリアの騒がしい様子に、ダグアウトから練習を見ていた球団広報部の上役が気づいて、チッと舌を鳴らした。

「おい、あの連中をおとなしくさせろ。報道パス取り上げるぞってな」


「だめですよ」と指宿が来て言い差した。「せっかく注目してくれてるんだから」

「ホントそうすよね」上役はうなずき、振り向いてまたスタッフに怒鳴った。「おい何してんだ、記者さんたちにあったかいの持ってけ」


 キャッチボールのあとは敏捷性アジリティトレーニングに入った。これにルーキーたちは戸惑った様子だ。

 これまで在籍していた部活動やクラブチームでは、技術練習と体力強化を交互に行うメニューなどなかった。

 今までと違う――そう選手に思わせるのが指導陣の意図するところだった。


「彼女、どこば悪うしよると?」

 訓練ワーク中のマリーを見守る記者のひとりが感服した様子でそう言った。

「まったくだ」と別の記者もうなずいた。

「ミス・ラヴァリエールには何も問題などなさそうだ」

「彼女は機械化に対するネガティヴなイメージを変えるかもしれん」


 頬が紅潮し、口数も減った選手たちは室内練習場に移動した。次は打撃練習だ。

 球団が決めた順番に従い、最初にケージに入った朝倉は、すぐに破壊的な音を響き渡らせはじめた。


「もう驚かんよ」

「まったくだ」

 記者たちはほとんど呆れたようにかぶりを振ったあとで、軽く素振りをしているマリーに視線を移した。

「さぁて、バッティングのほうはどうだ」

「いいとこ逃すなよ」と記者はスチールカメラマンに注文をつけた。

「わかってますよ」


 カメラのレンズだけでなく、指宿GMのまなざしも密かにマリーをとらえている。


 マリーは手慣らしをするように、補助スタッフが軽くトスしたボールを打った。

 いや、打てなかった。ホームを通過する電車のように、マリーのバットは何も乗せず、背中までぐるんとまわってしまった。


「……アレ?」

 首を傾げたマリーに、まわりのスタッフや記者たちは爆笑した。

「いいぞいいぞ!」

「良い振りしよる!」

 渋い顔のマリーに、補助スタッフはティーからはじめようと提案した。


 完ぺきなスイングだった。二年前のカナディアンカップで、六連覇中のケベック州代表を破る逆転ホームランを放ったときのスイングと比べても、何ら遜色ない。


 だが事実、ボールは細長いティースタンドのてっぺんから1ミリも動かなかった。

 マリーは止まっているボールにツーストライクと追い込まれたのだ。


「おいおい……」

 大人たちの顔からみるみる笑みが消え失せた。

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