ふたりのルーキー
年が明けて一月。
冬休みが終わった白亜の校舎は、生徒たちの晴れやかなざわめきに満ちている。
その喧噪から遥かに隔絶されたような面持ちで、雄吾はとぼとぼと教室に入っていった。
栗田がおうと手を振った。「あけまお……っち顔やないね。どうしたん?」
「担任から呼び出し」
「またぁ?」栗田は噴き出しそうな様子で言った。「ユゥーゴくん、もう完全問題児やん」
「別に悪いことしてないし。進路どうするって話しただけだよ」
「え、まだ決めよらんの」栗田は真顔になった。「早く願書出さんと、勉強会に参加できんごとなるよ」
「それはもうあきらめた」
「は?」
「だいたい、入学前から実質的な授業が始まって、それに参加しないと高校三年間の評価にも響くなんて、制度がおかしいんだ」
「そんなことないさ」登校したての杉野が割り込んできた。「新人のアイドルリーガーだって、学校を卒業する前からスプリングトレーニングに参加するんだよ。その前には、ルーキーだけを集めた合同自主トレだってあるしね」
「そんなの知ってるよ」雄吾は苛立って言った。「福岡は今日からだろ」
「詳しいね」と栗田に言われて、雄吾ははっとしたが、遅かった。
杉野がにやついた顔で「このむっつりめ」と指を向けてきた。
「あ、おった!」
隣のクラスや、その隣のクラスや、そのまた隣のクラスの生徒たちがやってきた。
「中野たちから聞いたっちゃけど、おまえら今日博多に行くんやろ?」
「俺らも行ってええ?」
「おれに聞く必要ないよ」と杉野ははにかんだ様子で言った。「ただ、練習時間には間に合わないから、出待ちしかできないけどそれでもいい?」
「ええよ!」
「サインもらえるかもしらんのやろ?」
「そういう勝手がわからんけ、みんなで行きたいんよ」
「朝倉見に行くん?」と栗田が訊いた。
「そうだい」
「おまえらは行かんの?」
「俺らは……」栗田は雄吾のほうをちらと見た。
数日前、雄吾はマリーにさらりとこう言われている。“見に来なくていいからね”
「行かないよ」と答えた。
「そうなん?」
「あいつ、むっつりだから」
「そうなん!」
笑い声を背に、雄吾は苦い顔をしてその場を離れた。
にも関わらず、まわりからは同類と思われたらしい。クラスの女子たちに話しかけられた。
「ねぇねぇ、雄吾くんも朝倉さんのファンなん?」
「……俺が応援してるのは、別の選手だよ」
えーっ、と彼女たちは声を上げ、ほかの女子が溜まっているところに駆け寄った。
「雄吾くん、ほかのアイドルが好きやって!」
「えーっ! そっちのほうがなんか……ねー?」
きゃっきゃわははと騒がしい教室をあとにする。何かどっと疲れてしまった。
◇
市街地を走るバンの中で、マリーは眼の機械を起動させ、まぶたを閉じて視神経とのシンクロを待った。
「マリー」隣にいる庚まなかが言った。「わたくしが見えますか」
マリーが振り向き、しっかりとうなずき返すと、庚は安心したようだった。
「同期がスムーズですね。ドクターKは良い仕事をなさいました」
ドクターKとは、機械化手術の専門医の中でも特に腕の立つ名医たちの通称だ。マリーの執刀に当たったウッド医師のほかに、伝説的なライアン医師、毀誉褒貶あい半ばするクレメンス医師などがいる。
ウッド医師はすでに日本を離れたが、館山夫妻と福岡孫王病院の機械化医療スタッフで構成するチームは引き続きマリーの状態を注意深く見てくれている。
〈フェアライン〉も支援を続けていく方針のようで、後援会の設立や資金集めのための講演ツアーをしきりに提案してくるが、今はすべてヴィクトルのほうで断っていた。マリーにしても、機械化の先輩である庚まなかがこうしてついてくれるだけで充分だった。
「でも、無理はしないでくださいね」と庚は言う。「あなたの戦いはまだはじまったばかりなのですから」
「カノーさん、わたし大丈夫よ」と言って、マリーは助手席に目をやった。「オーシタサンも心配してるみたいだけど……」
「そりゃあ心配だよ」と大下は振り向いて言った。「しかし、新人合同自主トレ初日にサンズから誰も出ないというのはいけない。新年最初の業界イベントとして報道も大きく扱ってくれるし、なによりファンがお披露目を待っているからね。ほかの子たちの参加が遅れることになってしまった以上、マリーくんに頼るしかないんだ」
マリーと同期の井上百合と満重あゆみのふたりは、授業を休んでアイドルリーグの活動をするための申し立てをしたが、学校から許可をもらえなかったという。マリーはホームスクールに通っているのでそういう心配はない。
「あと一応、アイスもいますけど、あの子はね~……おっと」
運転しながら口を挟んだ女性マネージャーは、大下に視線を送られてぺろっと舌を出した。
「アイス・アイクル――あの娘はちょっと苦労するかもしれませんね」と庚は言った。
「しゃべれないから?」とマリーは訊いた。
日本語が下手だという点ではマリーも同じだ。チーム内では英語とバベル言語を交えて話しており、マリー自身はとくに支障を感じていない。けれどファンと接するときは考える必要がある、と大下をはじめスタッフからは言われている。
「それもありますが、一番は絵の問題でしょう」と庚は言った。「昨今のアイドルリーグでは、自分の見たい絵を持ち込む人間が増えています。見たくないものは疎外され、見たいものは無理にも舞台にのぼらせる……アイス・アイクルは前者です。そして、マリー、あなたは間違いなく後者でしょうね」
マリーと庚はお互いの機械の眼を向かい合わせた。
「あなたが注目されるのはまず間違いありません。あなたはときに不愉快な視線に晒されるでしょう。そしてしばしば相手がまったく別のものを見ながらあなたを定義し鵜呑みし解釈することに愕然とするでしょう。しかしそれが、有名になる、ということなのです」
庚はわずかに強張っているマリーの眼をやさしく見返した。
「有名になる勇気――あなたにはありますか?」
マリーは眼を伏せて考えたあとで、降参したようにかぶりを振った。「わからないわ」
「そろそろ着きますよ」女性マネージャーが言った。
バンは博多の中心街にほど近い舞鶴公園に入っていった。この広い公園の中に、福岡チェリーブロッサムズの新たな球団施設がある。
広報部が「平和台」の愛称で呼ばせたがっているその施設は、正式名称をスポーツ&カルチャー・ヴィラ平和台という。
チェリーズとその傘下組織の新人が一堂に会する新人合同自主トレは、選手だけでなく、この新施設のお披露目も兼ねているようだった。
関係者駐車場で車をおりて荷物を担ぎ、一行はとりどりの花と草木に彩られた園道をクラブハウスに向かって歩いた。
その途中、記者たちがわらわらと寄ってくるのにマリーは驚いた。それを見てすぐさま立ちはだかった大下と女性マネージャーの素早さにも眼を見張った。
「大下さん……」
「ちょっとだけ話を……」
「悪いが勘弁してくれ」大下は笑みを絶やさないが、歩く速度はまったくゆるめない。「あとで合同会見をやるから」
「マリー選手だけの会見は……」
「ないない、ないよ。彼女はまだアカデミー生なんだから」
「笑いなさい、マリー」庚がそっと言った。「あとで何を書かれるかわかりませんよ」
関係者出入り口まで来ると、取材陣は警備員にとどめをさされ、ようやくマリーは普通のリズムで歩けるようになった。
平和台のクラブハウスの中はスタッフが忙しなく動きまわっていて、サニーグラウンズの牧歌的な空気とはちょっと違っている。
「これはこれは大下さんぅー」と位の高そうなスタッフがうやうやしく応対にやってきた。
「やぁ、世話になるよ」
「こちらこそよろしくお願いしますぅー」
腰の低さでいえば、相手のスタッフが内野手で、大下が外野手といったところだ。
「お別れですね」と庚が言い、マリーと握手した。「ここまできたら、とにかくやってごらんなさい。何かあっても我々がおりますよ」
「そうとも」と大下もうなずいた。「君はどこにいたってサンフラワーズの一員だからね」
マリーは付添いの三人とそれぞれ握手しながら、感謝を伝えた。
「ここが控室です」
スタッフの案内で通された部屋には誰もいなかった。
とりあえず荷物を置こうと奥に進んだとき、背後のドアが開いた。
「来たんだね」
その可愛らしい声の主が彼女だとわかって、マリーは意外に思った。彼女の容姿が大人びているということのみならず、今アイドルリーグで最も騒がれているといっていい破格のルーキーだということを知っていたから。
「わたし、あなたが誰だかわかるわ」とマリーは言った。
朝倉優姫は満足げに眼を細めた。「私はあなたのお兄さんを知ってる」
「お兄さん?」
「うん。知らなかった?」
朝倉の含み笑いに、マリーはまばたきを返すしかなかった。そして、部屋の中を見まわした。「ほかの人は?」
「集合場所に行ったよ。私たちふたりを置いて」
「どういうこと?」
「私たち、こわがられてるみたい」朝倉は笑ったが、少しも可笑しそうではなかった。「あの人たち、私やあなたといっしょにメディアの前に出たくなかったんだ――自分が目立てなくなるから」
「考えすぎじゃないかしら」とマリーは言った。
「知らないんだね、何にも」
マリーが怪訝な顔をしていると、朝倉はグラブの点検をはじめた。
左利きの外野手用、黒い皮に茶色の紐、六本指のやや小ぶりな代物だ。
「私そろそろ行くけど、あなたはどうする?」ちらと流し目でマリーを見た。「私といっしょに行ける?」
マリーは肩をすくめた。




