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コンクラーベ

 空っ風が紅葉を揺らしている。

 博多の空には雲が低く垂れこめ、昼間にも関わらずどの通りも薄暗い。


 無言の人波は彩りに乏しく、車のブレーキランプだけが赤々と瞬く。

 雨のしみが残る車道からターミナルビルへ、自律運転の高速バスが入っていき、音も震えもなく動きを止めた。


 待合室に入ってきた乗客の中から、頭ひとつ高い美波零の青ざめた顔を見つけ、雄吾はベンチから立ち上がった。


「車酔いするなら、ほかの方法で来ればいいのに」と雄吾は言った。

 隣を歩く美波はまだふらふらしている。「お金……かかるし……」

「ヘリがいいよ。電車より安くて速い」


 雄吾はJ軍が運営する上空交通網をよく使っている。小倉と博多を結ぶラインは便数も多い。


「……乗り方わかんない」と美波はぼそぼそ言った。

「え?」

 すると美波は急に眼を剥いて怒鳴った。「何乗ろうがあたしの勝手でしょ!」


 雄吾にはわけがわからなかったが、とりあえず口を閉じることにした。

 雑踏ひしめく天神駅前に出て、呼んでおいたタクシーに乗り込もうとしたところ、いきなり腕を引っ張られた。

「ねぇ、あたしお金かかるの嫌って言ってるじゃん!」


 また美波の怒りが爆発したが、雄吾には理解できなかった。福岡市では役所や病院へのタクシー運賃は半額になるのに?

「俺が払うよ」と雄吾は半ば呆れつつ言った。

「ほんと?」美波はにこーっと笑顔になった。「じゃあ乗る」

 上機嫌で乗り込んでいく。

 しかしタクシーが出るとまた吐きそうな顔になった。


「来てくれてありがとな」と雄吾は窓の外を見ながら言った。

「ああ、うう……」

「なんかおまえ、マリーが気に入ってるみたいだから、顔見せたら喜ぶよ」


「へっ?」美波の眼に光が戻った。「そっかぁ。このあたしが」

 ぶふっ、ぶふふ、と込み上げてくる笑みを抑えようとして、よけいに変な様子になっていた。


「ほら、もう着くぞ」

「え! あれ病院なの?」

 美波が驚くのも無理はなかった。それほど福岡孫王そんのう病院の外観は洗練されている。

 もちろん見かけだけではなく、設備も充実しており、県内で機械化医療に対応できる病院はここしかない。


「支援団体の人が紹介してくれて、ここで手術とリハビリをしてもらえることになったんだ」

 雄吾はバス停からの道すがら説明した。


「マリーはもう入院してるの?」

「いや、ばあちゃん家にいるよ。今は検査しかできないから」

「ふうん。あれからけっこう経つから、もう改造・・終わったんだと思ってた」

「改造って言うな」雄吾は眉をひそめた。「まぁ、いろいろあるんだよ」


 病院の前には色鮮やかな花壇が広がっている。遺伝子強化した枯れない常春種の草花が四季をテーマに区分けされ、眼を楽しませるつくりになっているが、今日はあいにくひまわりが顔を隠してしまっていた。


「わっ」と美波が突然声を上げた。「見て、あのガイジンかっこよくない?」

 見ると、向こうの道を白衣姿がふたり並んで歩いている。

「あの人たち、マリーの執刀医だよ」と雄吾は言った。「あっちがちえみ先生、外国人の先生はドクター・ウッド」


 ドクター・ウッドは髪も髭も金色のいかつい白人男性で、美波の言うとおり俳優でも通りそうな見た目だ。アメリカの医師だが、福岡で手術してもらえるよう、〈フェアライン〉が調整してくれた。


「なんか、ふたりともこわい顔してない?」

「まぁ……」

 雄吾は濁そうと思ったが、美波がじっと眼で訊いてくる。


「先生たちのあいだで、ちょっと、意見がぶつかってて……それで手術の日が延びてるらしい」

「なんで?」

「いや、今言ったとおりだよ」雄吾は困惑しながら答えた。


 美波という子は時折、ランナーのいない塁に牽制するような、突拍子もない返事を寄越してくる。それだけが理由ではないが、十六歳の彼女のことを、雄吾はなんとなく年上扱いしていない。


「うわすご!」

 一流ホテルのような瀟洒なロビーを見まわしていた美波だが、やおら振り向いて鼻の両側をふくらませた。

「こんなとこで手術したら、お金やばくない? いくらかかるの?」


 その点は館山夫妻も指摘した。マリーがはじめて機械化の意思を示したあの話し合いの場で、だ。機械化には費用がかかる、とふたりの医師ははっきりと告げた。


「費用は問題ではない」と、そのときのヴィクトルは即座に答えた。「実際、機械化については検討したことがあるんだ。

 

 しかし、私が最終的に機械化を勧めなかったのは、マリーがスポーツ選手だからだ。

 

 柔道のヘミングウェイ、テニスのヘッセ……何人もの名だたるアスリートたちが、眼を機械化してだめになった事実がある」


「失礼ですが」とそれまで黙っていた庚まなかが口を開いた。「それは正確な言い方ではありません。


 眼の機械化をしたあとに成績を伸ばしたアスリートはたくさんいます。彼らの多くはアマチュアやマイナースポーツの競技者だったのであまり知られていませんが、たしかにいます。


 何人かのプロアスリートが機械化した眼に順応できず、成績を落としたのも事実ですけれど、そのほとんどがキャリアの晩年になってから手術を受けました。若い人よりもリハビリに時間がかかり、やっと眼が慣れてきたと思った頃には肉体の衰えが来ている。そうして道半ばで引退してしまった選手が多いのです。


 感覚器官の機械化は、若ければ若いほど成功率が上がり、復帰にかかる期間も短くなります。僭越せんえつながらこれは、わたくしの経験上の確信と言って差し支えありません」


 そこで庚まなかは、自分もまた眼を機械化した元アスリートであると明かした。十代で手術を受けたという。


「あ! あたしその人知ってる!」

 美波が待合エリアのソファで大きな声を出したので、雄吾はシッと指を立てた。


「たしか、球団の新人研修で習ったはず」蟻に話しかけるような声で美波は言った。「あんまりおぼえてないけど、なんかすごい二塁手だったらしいよ」


 話し合いのとき、雄吾は庚まなかを変人だとしか見ていなかった。なにしろ軍用ジャケットにチャイナドレスなのだ。


 大人たちもまた、この不意の訪問者に心を許してはいないようだった。自分も機械化の経験者だ、とはいうけれど、どれほどの選手だったかわかったものではないという眼をしていた。


「マリー、あなたは十五歳でしたね?」と庚まなかは話し合いの中でマリーに声をかけた。「その年齢なら充分に適応できますよ」

「そう言い切ってしまうのはどうかしら」ちえみはきっぱりと言った。「未来は誰にもわからない」


「だからこそ、我々は過去を見つめます」と庚まなかはにっこりと笑んで言った。「あなたがたは目撃したはずですよ、彼女が生まれ持った視界を一度は捨て、新しい眼にすぐさま順応してみせた一年半前の驚くべき出来事を」


 大人たちの表情が、はっと変わった。


「そうです。マリーは一度、再生手術によって両眼のとりかえを経験しています。いくら自分の細胞からつくりだしたものとはいえ、やはり前の眼とは見え方が違ったはず……。それにたった数日で順応し、ひと月と置かずグラウンドに戻った彼女の努力と資質を、我々は認めるべきなのではないでしょうか」


 この一言は大人たちを大いに揺さぶったらしかった。

 そこへマリーが言った。

「パパ、ジュリエ、センセイたち。お願い。わたしはすぐにでも自分の手が見たいの。いつまでも、いつまでも見つめていたいの」


「しかし、マリー」と館山は言った。「再生治療に比べ、機械化にリスクがあるのは事実なんだ。もし、あとで――」


「後悔なんてしない」とマリーは言った。「わたしは今しか見えないものを見たいの」


 朱里絵と館山夫妻はヴィクトルを見た。

 ヴィクトルは眼鏡をはずしてまぶたを閉じ、そして静かにうなずいたのだった。

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