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sunny side up/down

 せっかくだからと雄吾はクラブハウスのさらに奥まで行き、ひとしきり見学してから外に出た。

 もう出発したのだろうと思っていたら、どういうわけかバスはまだそこにあり、おまけに何やら言い争う声が聞こえてきた。


「お願いします!」と女の子が必死に言う。

「だめだ!」と男が怒鳴り返す。

 バスを降りようとするメンバーの子を、男性スタッフがとおせんぼしているようだ。


 男は芸能部チーフマネージャーの山中だった。いまどき珍しい視力矯正のためだけの眼鏡をかけた、いつも眉間に皺を寄せている神経質な人だ。


「またやってるよ」通りすがった職員たちが話している。「れいちゃん、いつもだよな。あれがなくなった、これがなくなったって」


「すぐ戻りますから!」

 女の子は青ざめた顔でなおも訴えたが、山中はにべもない。

「もう出発すると言ってるだろう! いいから戻れ。ほかの人間に迷惑をかけるな」

 女の子は冷え冷えとした車内を振り返って、絶望的な表情になった。


「あの……」

 雄吾が声をかけると、山中が強張りを残した眼で振り向いた。

「俺、捜しておきますよ。何がないんですか?」

「髪留め!」と女の子は言った。「ロッカーもトイレも捜して! なければそこの――」


「わかったから戻れ」山中は女の子を押しやり、肩越しに雄吾に言った。「てきとうに捜したら、あとはほっとけよ」


 バスの出発を見送る雄吾を、あの女の子が車内の暗がりからじっと見返していた。まるでカーテンの隙間からのぞく地縛霊だ。

 バスの向きが変わって見えなくなったと思ったら、今度は最後尾にいきなり現れて窓に張り付いた。

 うわっと思わず声が出た。

「こえー……何だあいつ」


 髪留めはなかなか見つからなかった。それでも請け合った以上は、と捜索の手を敷地の外まで伸ばしたとき、雄吾の前で古い型のマツダ車が停まった。


 窓が開いて、河村の訝しげな顔が出てきた。「何しとる」

「えっと、選手の落とし物捜してます」

「ああ美波のか? それならもうあったぞ」

「本当ですか!」


 よかった、と雄吾は安堵した。もし見つからなかったら、あとであの女の子に手ひどい呪いをかけられていたかもしれない。


「ま、ご苦労さん。今日はもう帰っていいぞ」

「えっ? ちょ、ちょっと!」

 窓が閉まり、車は走り去った。

「……あーあ、今日の仕事こんだけかよ」

 ひとりごちながら、雄吾は気晴らしに一塁側のひまわり庭園に向かった。

 花々は互いに寄りつ離れつ揺れている。おとなり同士でお喋りしているみたいだ。


「ねぇ、そこのあんた!」

 乱暴な呼びかけに驚いたが、よくできた使いっ走りと化してきた雄吾はすぐさま対応に向かった。


 場外からグラウンドにつながる関係者通用口に、練習用ユニフォームを着た選手がいた。こちらに番号のない背中を見せ、用具をつめこんだキャリーカートの前をつかんで引っ張っている。


「これ、サブグランドまで運んでくれない?」

 振り向いたその選手の顔を見て、雄吾はあっと指を向けた。

真中まなか真心まこ!」


 間違いない。いつかのサンフラワーズの試合で、観戦ガイドのキャラクターとして出演していたあの選手だ。

 映像よりも大人びて見える。けど思っていたよりも小柄だ。

 さらさらつやつやの髪に、ちょっとびっくりするくらい眼が綺麗で、意外に日焼けしていて――


「ちょっと」真中真心は険しい顔をして言った。「呼び捨てにしないでくれる」

「すいません……」

 ん、と真中はカートを顎でしゃくった。雄吾はあわててカートを運び出した。


「そう。それでいいのよ」と真中はえらそうに言った。「大下さんの子どもだからって、この真心ちゃんは甘やかさないわよ」

「……俺の名字、高梁なんですけど」

 真中は真顔で指を向けた。「隠し子」

「なわけあるか!」


 交差点を渡り、球場を右に見ながら道路沿いを進むと、左手に二面のグラウンドが見えてきた。

 雄吾はここを前から知っていたが、まさかプロの練習場だとは思わなかった。おじさんたちのための草野球場という印象しかなかった。


「ここ、サンフラワーズの練習場だったんですね」

「専用ってわけじゃないけどね」と真中は言った。「今日はこれからスクール生の練習があるから、アカデミーの先輩のこの真心ちゃんが手ほどきしてあげようってわけ」


「あの、スクール生って、アカデミー生とは違うんですか?」

「全然違うわよ」と真中は人差し指を立てた。「うちらはオーデ受かったアイドルリーガーの卵。スクール生は月謝払ってプロのコーチにみてもらってる普通の子たち。


 ま、中には未来のアイドルリーガー目指して親子でいれあげてる子もいるけどね。オーデ受からなきゃうちらみたいに試合やライブに出ることはできないわけ」

「ライブ? あっ、そういえば今日、博多でライブあるんじゃ――」


 真中が急に立ち止まってお尻を突き出したので、弾き返されたカートが雄吾の腹にめりこんだ。


「ぐえ」

「うちだけ呼ばれてないと思った? 心配しなくても明日出番だから」と真中はツンとして言った。

「……あんた、球場ナビやってたときとキャラ違う」

「真心ちゃんはいろんな顔を持ってるの。ユティリティプレイヤーなのよ」

 得意そうな真中の横を、ユニフォーム姿の子どもたちがこんにちはーっと元気よく挨拶しながら追い抜いた。

「ちょっと! 車道走んないでよね!」


 誰に対してもこんな調子らしい。自分だけ目の敵にされているわけではなさそうだと思い、雄吾はひそかに安堵した。


 やがてグラウンドに十五人ほどの女の子たちが集まった。全員小学生とのことだった。


 彼女たちはまず身体をあたためるランニングをはじめた。ばらばらに走り出したが、真中が最後尾について「ほらほら、抜かれたら一周追加よ!」と尻を叩くものだから、みんなわあわあ言いながら逃げていた。


「こんにちは……?」

 雄吾だけがいたベンチに、ユニフォーム姿の女性がやってきた。見た目は現役でもおかしくなかったが、アイドルリーグの選手かというとそうではない気がした。


 雄吾は腰を浮かせた。「あ、すいません、お邪魔して」

「いえいえ、どうぞそのまま」と女性はにこやかに言って、雄吾の仕事着に目をやった。「若いスタッフさんね……実はベテラン? なんて」

「いえ、まだ試用期間です」

「よかった。私も一年目なの」女性は手を差し出した。「アカデミーコーチの有町です。よろしく」


「高梁雄吾です」握手。「俺、真中選手の手伝いで――」

「真中選手?」

 有町は噴き出し、「ごめんなさい。ちょっと面白くて」と笑みを含んだ声で言った。


「ほかにどう呼べばいいんですか」と雄吾は困って訊き返した。

「呼び捨てでいいと思いますよ。あなたスタッフなんだし、あんまりカクカクした態度じゃ良いコミュニケーションとれないかも」

「へえ、そういうもんなんですね」


 よーし、と気が乗った雄吾のところへ、ちょうど真中がやってきた。

「ちょっとあんた、キャッチボール付き合いなさい」

「任せろ、真中!」

 顔にファーストミットが飛んできた。

「呼び捨てすんな」


 パタッ、パタタッ。乾いた捕球音が断続的に響く。二列に並んだ小学生たちのあいだに白い架け橋ができては消える。


 この年代でも硬球を使っていることに、雄吾は驚くよりも心配になった。男の自分でも捕るのがこわいのに、小学生の女の子が大丈夫なのか、と。


 しかしそこには、自己弁護の気持ちが含まれている。女子児童が難なく扱えるボールに恐怖を感じる自分がいるのだ。

 そう自覚した途端、雄吾の投げるボールに力がこもった。


 真中の外野手用のグラブがぱちんと鳴った。さすがにプロの卵で、どんなボールでも良い音を鳴らして捕る。


 真中は何か探りを入れるような眼つきで雄吾を見たあとで、身体を大きく使うモーションで投げた。

 向かってきたボールはノビがそれまでと段違いで、うわっと雄吾は眼を閉じてしまい、ミットから弾いてしまった。


「危ないわねえ。ちゃんと目ん玉かっぴらいて捕んなさいよ」

「こっちは素人なんだよっ」

 ボールを拾って投げ返す。

 真中は捕球するとすぐ振りかぶった。

「首から下に投げるから、全部身体で止めなさい」

「無茶言うな!」

 真中はすっと足を上げ、大きく踏み込んできた。

「うわ、わ……」



         ◇



 鉄の杭に突かれたような感じだった。

 左肩を襲った鈍痛が、じわりと心臓を通り過ぎて背中まで広がった。


「マリー!」

 悲鳴に近い女の子の声と、走り寄ってくる靴音。

「大丈夫……平気」マリーはキャッチャーマスク越しに答えた。


 実際、防具を着けているので痛みはそこまでひどくなかった。これくらいなら、ファウルチップが当たるのとそう変わらない。

 しかし、いつも向かい合っていたはずの彼女はそう思わなかったらしい。


「もうやめようよ、こんなこと」と泣きそうな声で言った。「怪我するよっ」

「そうかもね」とマリーは認めた。「でも死ななければいいのよ」


「死っ……」

 気絶しそうな声が聞こえたかと思うと、今度はうううとすすり泣きがはじまった。

「やめてよ、マリー。そんなこと言わないでぇ」


「泣かないでよ、ルー」マリーはちょっと苛立った。「いいからどんどん投げ込んで」

「いや! もういや!」

 ルーはヒステリックに首を振り、彼女のくるくるの髪がマスクにふぁさふぁさと当たった。

「あたし、ママに言うから! そしたらママがマリーのパパに言うから!」


 マリーはとっさに右手を伸ばし、ルーのほっぺたをつねった。

「あうう……」

「ほら、どう? わたしはあなたのほっぺたをつねることができるの。だからあなたのボールだって捕まえることができるのよ」


「……ばか」

 本当に小さい声だったが、ルーはそう言ったらしかった。

「あなたはばかよ……」

 ささやくだけで、抵抗しようとはしない。そんな彼女の頬を伝い、マリーの指を濡らしている涙には本物の温度があった。

 マリーは手を離した。


「マリー、わかってよ。あたしにはできない。あなたのそんな姿見るの……たまらなくつらいの」


 ルーのすすり泣きの向こうに鳥のさえずりが聞こえる。

 揺れる梢のささめき、家族連れの笑い声。

 向こう側は晴れている。このうえなく晴れているのだ。


 マリーは拳をぎゅっと握り、この高台の公園から、どこかにいる太陽めがけて吼えたい衝動を必死に抑えつけた。

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