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くっつき虫

 雄吾はフードパーカに着替えながら、マリーの部屋からのアラーム音が次第に大きくなるのを聞いていた。


 窓の外はまだ暗く、夜が明けるまであと一時間はある。


 自室を出てピアノ部屋の前を通り過ぎ、マリーの部屋の扉をノックする。


「マリー、起きろ」

 何度か名前を呼ぶと、アラーム音が聞こえなくなった。

 シーツの海からのそりと起き上がる金髪の女の子の姿が目に浮かぶ。

 

 わっという声とドシンという音が聞こえ、ばたばたした騒々しさが続いたのちに扉が開き、ヘアゴムをくわえたマリーがそうっと顔を出した。


「大丈夫か?」

 マリーは雄吾のほうを向いて、えへへと恥ずかしそうに笑った。


 玄関で靴をはきながら、雄吾はさりげなくマリーの装いを確かめた。

 運動着に身を包み、ちゃんとゴーグルをかけている。

「ドア開けるぞ」

「ウィ」


 外に出ると少し風があった。

 薄明かりが闇を掃いはじめていたが、吸い込んだ空気はまだ夜の味がした。


 静かな住宅街の路地をふたりは並んで歩いた。ぽつりぽつりと現れる街灯の下を通るたび、マリーのゴーグルの色が薄くなったり濃くなったりした。

 備えつけのAIがセンサで光量を感知し、常に遮光度を最適化しているのだ。


「今日ひんやりね」

「寒くないか?」

「ううん」と言って、マリーは雄吾のほうを向いた。「動くのにちょうどいいわ」


 街の空気も道の木々も、夏のあいだにはぐくんだ瑞々しさが抜けて、だんだん乾いていくようだった。

 

 空は日に日に高くなっていくが、それは大地が秋へ秋へと落ちていく(しるし)でもあった。


 公園に着くとマリーはいつものメニューをはじめた。

 ランニング、ストレッチ、アジリティ強化、ダッシュ。

 途中までは雄吾も付き合うが、そこから先はマリーの特別メニューになる。


 まずは雲梯だ。雄吾だと半ばで動けなくなってしまうような行程を、マリーはひょいひょいと最後まで行き、往復を繰り返す。バーを一本飛ばしで渡ったりもする。


 次は登り棒。上体の力で身体を持ち上げる。雲梯でだいぶ握力を消耗しているので、これがまたきつい。マリーはパーカの袖をまくり、頬から耳まで紅潮させて、金棒を登っていく。


 トレーニングを見守りながらも、雄吾は日の出の時刻を気にして、太陽の方向を何度も振り返ってしまう。


「マリー、そろそろ……」

「待って」マリーはいきんだ口調で言った。「もう、ちょっと……」


 じわり、雄吾は首のうしろに熱を感じた。

 振り向くと、周囲の家々の隙間から、透き通った朝日が差し込んできた。


 気温が高まったのをマリーも感じたのだろう、観念したようにするすると金棒をおりてきた。


「マリー」と雄吾は声をかけた。そうやって自分の居場所を知らせる。「今そっちに行くからな」


 マリーはこちらに顔を向けているが、そのゴーグルは真っ黒になり、もはやどんな光も通さなくなっている。


 普段はささやかな灯をともしているマリーの眼も、こうなっては何も見ることができない。本当に何も。


「ちょっと休むか」と雄吾はうまく笑顔をつくれないまま言った。


 マリーは頬をぷくっとふくらませた。

「途中交代みたいで嫌だわ」

 そう言って左手をちょっと前に出した。


 その掌に雄吾が自分の右手の甲を触れさせると、それを手がかりにしてマリーは雄吾の右肘にたどり着き、身体の向きをいっしょにして誘導してもらうポジションについた。


「行くよ」と言って雄吾は歩き出した。

「わたし、試合の途中で下げられたことなんてなかったのよ」

「マリーのせいじゃない。太陽が悪いんだよ」

「あら、じゃあ太陽でフライを見失った選手にもそう言ってあげるの? それで試合に負けちゃっても?」

「まぁ……応援してる選手になら」

「つまり、ユーゴはわたしを応援してくれてるわけね?」


 雄吾は立ち止まり、少し熱くなった顔を振り向かせた。


「ん?」とマリーは首を傾げて、雄吾の顔をのぞきこむみたいにした。


「もう、行くよ」と言って歩き出し、雄吾はこの話題を終わらせようとした。


「なに赤くなってるの~?」

「なってない」

「ウソ! わたし、見えるんだからね」とマリーは言った。



         ◇



 白を基調にしたインテリアと緑いっぱいの観葉植物に彩られたレストランで、朱里絵はテーブルに頬杖をついて深いため息を吐いた。


「どうかしましたか?」と向かいに座るハィンが訊ねた。

 このベトナム出身のスタイリストは、まだ若いが朱里絵にとって気の置けない友人だ。


「ちょっとねぇ」と朱里絵は言って、葉野菜と蝶羽根のサラダにフォークを刺した。


 メインは牛ヒレステーキで、さまざまなラーヴァを使った付け合せが添えられ、コーンとボンビックスの卵のスープも美味しそうに湯気を立てている。


「うちの子たちが心配なのよ」

「あら、やっと仲良くなってくれたのでは?」

「そうよぉ。でも最近ねぇ、どうも仲良くなりすぎてる気がするの。休みの日なんか四六時中くっついて……」

「それはつまり、必要以上に?」

「んー、難しいなぁ」


 いま現在、マリーは明るいところではものを見ることができない。光が眼に入らないように目隠しをして生活しているのだ。

 

 先生たちからは保存療法だとの説明を受けている。自然光がマリーの病気の発症要因かもしれない、だから目隠しでさらなる悪化を防ぎつつ、治療法を模索していく。そういうことのようだ。


「今のマリーには、助けが必要なときが必ずあるしー、ヴィクも私も、どうしても手が離せないときあるからー……」

「おふたりとも、仕事で新しいことに取り組んでいますものね」

「そうよぉ。いざ治療法が見つかったときに、お金足りませーん! ってならないようにいっぱい稼いどかなきゃ。それが私にできることのひとつみたいだし」


 ハィンはくすっと笑った。「ユーゴくんも、彼にできることをしたいのですね」

「でもでも、限度ってあるじゃない? 雄吾ったら夏休みのあいだずっとマリーにつきっきりだったのよ。毎日下着まで洗濯して庭に出して、きれいに干せたなぁ、って満足げな顔してるのよ。大丈夫か? って思っちゃうでしょ!」


「それは心配ですね、少し」とハィンは苦笑した。

「ほんとよぉ。このままだったら友だちもいなくなるし彼女だってできないわよぉ」


 朱里絵がサラダの残りを食べているあいだに、ハインは何か思いついたようだった。

「ワタシ、いい考えがあります」

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