表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/53

兄としての決意

「失明……?」

 愕然とする雄吾を、診察室に集まった大人たちは、それぞれの苦さを噛みしめるような表情で見返した。


「精確にいえば、弱視ロー・ビジョンです」

 ちえみはホロ・ディスプレイに表示されたマリーの眼のスキャン画像を振り返った。


「まったく見えないわけではありませんが、視野の欠けが著しく、矯正視力もあまり出ません」

 画像の倍率が上がり、微細な体組織があらわになった。

「原因は、視細胞の働きが失われたこと。眼底の異常反応が収まった途端、次々に機能を停止しました」

「花火が燃え尽きるみたいにね」と館山は言った。


「でも……治せるんでしょ?」

 雄吾は両隣の朱里絵とヴィクトルを交互に見やったが、ふたりとも難しい顔をしたまま黙っている。


「もちろん、再移植をすれば視力は戻る。網膜だけの病変なら、眼球全体を取り替える必要もない。ただ……」

 館山は妻と視線を交わした。

「そのスペアの眼にも、今回の事態を招いた、未知の遺伝子損傷が刻まれている可能性が高い」

「つまり、再発のおそれがあるということです」


「じゃあ」と雄吾はどもりそうになりながら言った。「手術しないんですか? 再発すると決まったわけでもないのに?」


「……マリーが、手術を望んでいないのよ」

 雄吾は信じられない気持ちで母を見た。しかし冗談を言っている顔ではない。

「どうして――」


「少し休みたいと言っている」ヴィクトルは静かに答えた。「あの子は今まで、度重なる手術に耐えてきた。いったんは治っても、またいつ病気になるかわからない、そんな不安と闘ってきた。眼を新しくすれば、それに終止符が打てると思っていたんだ」


 館山は無念そうにうなだれた。「すまない。我々の力不足だ」

 ヴィクトルは首を振った。「いや、君たちはよくやってくれた」

 ちえみは椅子から立ち上がった。「まだ終わりではありません。この病の原因遺伝子を特定できれば……」

「しばらく保存療法をとってみてはどうだろう。もちろん、マリーの気持ちが変わればすぐにでも移植を――」


「雄吾? どこへ――」

 朱里絵の呼びかけに答えず、雄吾は部屋を出た。


 頭の中がごちゃごちゃになっている。


 マリーの眼が見えなくなった。それだけでもショックなのに、本人が手術を拒んでいるというのはまったく考えられないことだ。


 いくら再発のおそれがあるからといって、そのままでいいなんてありえない。


 でも――そうだ、マリーは泣いていた。

 震えながら「死んじゃう」と叫んだのだ。


 それほどマリーが打ちのめされたのは、視力だけでなく、もっと大切なものまで奪われてしまうと思ったからではないか。


“わたし、プロになるのが夢なの”


 雄吾はこころのどこかで、マリーの言葉を軽く思っていたのかもしれない。夢は夢であって、現実に日常生活を送れるようになるほうが大事じゃないか、と。


 けれど、その見方は違うのだ。

 マリーにとってパールボール以上に大切なものなどこの世界にない。


 手術後のリハビリを経て日常生活に戻れたとして、パールボールの勘を取り戻すにはさらに時間がかかるだろう。

 もし再発すれば、それをまた一から繰り返すことになる。


 そうして築いたものを一瞬にして奪われる、という負のスパイラルから抜け出せなくなったら、一体どうなるだろう。


 マリーの選手生命は、終わったも同然ではないか。


 廊下の途中で雄吾は立ち止まった。あまりにも深い目の前の暗闇に足が竦んでいた。

 この先に歩き出せなんて、そんな残酷なことを言う権利が誰にある?


 ふと、にぎやかな声が聞こえた。

 廊下を進むと、右側に広い部屋があった。

 一面のガラス戸の向こう、運動器具やマットやスロープのあいだに、目隠しをした金髪の女の子の姿が見えた。


「じゃあ~次、これは誰でしょう?」

 マリーが白杖をバットに見立てて構えをとっている。

 医療センターの女性スタッフがそれを見て、困ったように首を捻った。

「そんな構えの人いるの……?」


「エ~ッ、有名じゃない! オネーサン、本当にパールボールやってたの?」

「やってたけどぉ……ていうかマリーちゃん、そろそろリハビリを――」

「じゃあ、次!」

「マリーちゃあん……」


 ぽかんとしている雄吾のところに、朱里絵がやってきた。

「不思議よね。あんなに元気そうにして」

「……無理してるんじゃないかな」

「そうかもしれない。あの子、あまり弱いところを見せないから」


 雄吾の眼には、はじめて会ったあの日の笑顔が焼きついている。しかし今のマリーの笑った顔とは重ならない。どこか曇っているような感じがするのだ。


 見上げれば、水滴のついた透け天井から、ぼやけた灰色の空がのぞいている。

 この雨の中を、眼をつぶったまま彼女はどうやって進んでいくというのだろう。

 自分ひとりで行くつもりなのだろうか。少なくとも、傘を差してやる誰かが必要なんじゃないか。


「……俺、マリーの助けになるよ」


 朱里絵は眼をぱちぱちさせた。あまりに小さい声だったので、聞き間違いだと思ったかもしれない。けれど雄吾の眼差しに気づくと、嬉しそうに笑った。


「よく言ったぞ、息子」

 朱里絵が肩を組んできたので雄吾は離れようともがいた。


 それから三か月が過ぎた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ