敵
「おい、しっかりしろミラミ」
突き飛ばされたスコルピオは、何が起こったのか分からなかった。しかし、ケガを負ったミラミが倒れている事に気づき、急いでミラミのそばへ駆け寄る。
そこでスコルピオは息を飲んだ。
ミラミの周りには真っ赤な血溜まりが広がっていたのだ。
「ダメだ。もうダメなんだ。スコルピオ、はっきり言ってくれよ。オレはもう助からないんだろ?」
「バカ言えっ、肩の肉が少し削れただけだ。それだけで死ぬかよっ」
「いいんだスコルピオ。さっき事務所で、知らない婆さんが死んだ話しただろ? 考えてみれば、今日あの婆さんが俺の前で倒れたのも、俺の死が近いってことを教えてくれてたんじゃないかと思うんだ。なのにオレはヤクが欲しくて欲しくて、やりたくも無い仕事にきちまった。ああ、あの婆さんのメッセージをもっとよく考えとけば、こんな事にはならなかったのになあ。悔やまれるよ」
倒れたままのミラミはどこか遠い目をしてスコルピオに言った。
「だから、死なねえよ。それより、お前は一体誰にやられたんだ? 未来が見えたのか?」
「誰って? わからない。そう言えば、さっきはスコルピオの頭が吹き飛ばされる未来しか見えなかったな」
「お、俺の頭が吹き飛ばされてたのか? おいおいやめてくれよ。それに、そんな威力のある武器を敵が持ってるってことか」
「確かに。でも銃声は聞こえなかった。そんな威力がある銃なら物凄い音が出てもおかしく無いのに。ありえない。もしかすると、敵にも能力者がいるのかもしれない」
「能力者か。それはちと厄介だな」
そう言うとスコルピオは深い溜息をついた。
「そうか。そう言うことか」
「な、なんだよ。何かわかったのかよスコルピオ」
ミラミは死にそうな声でそう言った。
「黒龍會だ。アイツら、敵に能力者がいるのわかってて俺らに依頼してきやがったんだ」
「そ、そうか、だから自分とこのチンピラは使わなかったのか。いくらケンカが強かろうが能力者には勝てないもんな。依頼料が高額なのもそのためか。なあんだ。それなら今まで疑問に思ってたことに説明がつく。死ぬ前にスッキリした気持ちになれて嬉しいよ」
ミラミはずっと疑問に思っていたことが分かり、清々しい表情で元気にそう言うと、目をつぶり胸の上で両手を組み始めた。
「バカやろう。何度言わせんだ。お前は肩をケガしただけだ。血は出ちゃいるが、死ぬほどじゃねえっつてんだよ。早く起きやがれ。俺らはまだ敵地のど真ん中にいるんだぞ」
スコルピオはミラミの手を引っ張り、強引に立たせた。
「痛っ。痛たたたたたたたたっ。バカ。引っ張んな。こちとら瀕死のケガ人だぞ。もう肩借りねえと歩けねえ」
「うるせえ。そんだけ文句言える元気があんなら死なねえよ。それよりもずっとここにいるのはマズイ。いい標的になっちまう。とにかく階段の方まで走るぞ」
「走る? 無理だスコルピオ。俺はほら、この通りケガ人だ。俺がゆっくり階段に向かう間に、お前が囮になってくれよ」
スコルピオに、ケガをしてない方の肩を支えてもらいながら、ミラミははっきりとそう言った。
「このクズ野郎。お前となんて仕事するんじゃなかったぜ。このままお前を置いて俺だけ逃げてもいいんだぜ? ああ?」
支えているミラミの腕関節を逆方向に引っ張りながら、スコルピオは怒り始めた。
「おい、痛っ。待て待て待て待て。嘘だよーん。本気にしたのか? 冗談に決まってるじゃん。な? スコルピオの旦那ぁ」
その時だった。
スコルピオの後ろに見える植物の、半分から上が音もなくキレイに消えた。
「え?」
ミラミは目を疑う。さっきまでそこにあったはずの植物の茎が、跡形もなく無くなった。思えば、未来を見た時もスコルピオの頭は一瞬で吹っ飛んだ。と言うか消えた。
全く敵の攻撃手段が分からない。見当もつかない。
人は正体の分からないものに恐怖を覚えると言う。それは、ミラミも一緒だった。
みるみるうちに顔が真っ青になったミラミは、肩のケガも忘れて走り出した。
「スコルピオ、走れえええええええええええ」
突然走り出したミラミに少しの怒りを覚えたスコルピオだったが、さっきと顔色の違うミラミを見て何か嫌な予感を感じ取った。と、同時にスコルピオも走り始める。
「おい、待てええええええええええええええ」
階段まではあと五メール程。
しかしミラミは頻繁に後ろを振り返っていた。なにせ、後ろを見るたびに植物の茎は無くなっていき、ひどい時はコンクリートの床も丸くエグられているのだ。
一体どうすればこんな事ができるのか。何の音もしない。
只々、階段までの距離で自分があの攻撃に当たらないことを祈っていた。
「はあ、はあ、はあ、おいミラミ、生きてるか?」
肩で息をして、スコルピオが話しかける。
部屋を出て階段を少し登った所にミラミは座っていた。
「も、もう無理だ。死にたいよ。何なんだよ今のは」
「俺にわかるかよ。只、一つだけ言えるのは、この広い地下の部屋に敵がいるってことだけだ」
「敵がいるって、どこにだよ。オレには見えなかったぞ」
「俺にも見えない。だが、俺らを攻撃してきた相手は確実にいる。問題はどこにいるのかと、何人いるのかだ」
「何人って? バカ言うなよ。あんな意味不明な攻撃してくるやつ、そう何人もいてたまるかよ」
ミラミはスコルピオをバカにしたように言った。しかしそれは、たった今恐怖に襲われた自分に言い聞かせているようにも見えた。
「それは俺も賛成だ。それに、あながち間違っちゃいないだろう。複数人が同じ能力を持った能力者なんて見たことねえ。俺らを狙って攻撃してくる時も、複数人なら一瞬で殺せたのにそうしなかった」
「じゃあ、敵は一人か。ふう。少し落ち着いたぜ。いや、逆になんだかイライラしてきたぞ。俺らは一人の能力者相手に、わざわざ尻尾巻いて逃げ出してきたってことかよ」
「おいおい、最初に走り出した奴の言うことかよ。逆に尊敬するぜ」
「うるせえ。しょうがねえだろ」
ミラミはバツの悪そうな表情でソッポを向いた。
「ん?」
それは偶然だった。顔を向けた方向が、偶然にもさっき敵の攻撃を受けた肩だったのだ。
ミラミはある事に気づく。
「おいスコルピオ。よく聞け。俺の肩、マリファナ臭いぞ」
「はあ? なんの話だよ。誰もお前の肩の臭いなんて気にしちゃいねえよ。今はそんなことより、敵をどう倒すかだろうが」
「違えよ。今までマリファナ畑のど真ん中で気づかなかったが、俺の肩からマリファナの臭いがするんだぞ? わかるか?」
あまりにも真剣にその話をするミラミに、スコルピオは少し冷静になる。
「待て。もっと分かりやすく説明しろ。何が言いてえんだ?」
「俺の肩は、敵の攻撃を食らっただろ? この臭いはその時についたものだ。つまり、敵はマリファナの何かを投げて攻撃してるってことだ」
「マリファナの何かだと? 確かに傷口からマリファナの臭いがするのはおかしいが、いや、待てよ。目に見えないマリファナの何かってことは」
スコルピオはハッと何かに気づいたようだった。
「うん。多分、マリファナの茎かなんかに含まれてる水分を飛ばして攻撃してるんじゃないかな? じゃないと、この臭いの説明がつかない」
「待て。確かに俺もそう思った。仮にそうだとしよう。しかし、水分を飛ばしてるのなら勢いを失った水分は床に落ちて音を出すはずだろ?」
「スコルピオ、よく考えろよ。敵が飛ばす水分は高速だ。じゃないとあんな威力にはならない。なら、高速で空気の摩擦を受けた水分はどうなると思う?」
「空気の摩擦だと?」
思いもよらない言葉を聞いたスコルピオは、驚きを隠せない。
「そうだ。空気に高速で触れた水分は熱を持ち、やがて気化する。水蒸気になるんだ。これなら床に水分が落ちる前に消えるから、俺らには正体不明の透明な空気砲にしか見えない」
「た、確かにその通りだ。いや、そうじゃないと説明がつかない。お前、よく気づいたな。ミラミのくせに」
「最後のは余計だ。しかしスコルピオ、攻撃方法に気づいたのはいいけど、その攻撃方法のせいで敵がどこにいるのかが余計に絞りにくくなった」
「ああ、俺も今それを考えてた所だ」
スコルピオは階段の影から地下室を覗いた。
そして、ミラミの方を振り返る。
「敵は、床に寝てる人間プランターの中の一人ってことだろ?」
「ああ。絶対にあの中の誰かだ。しかし、どうやって見つければいいんだ。あれじゃ多すぎる」
ミラミは頭を掻き毟りながらそう言った。
しかし、ミラミの行動を見たスコルピオはニヤッと笑う。
「おいおい。そこまでわかったのに、まだ考える必要があんのかよ」
「え? どう言う意味だよ」
スコルピオの言葉に、下を向いていたミラミは顔を上げた。地下階段の天井から、冷たい水滴が一粒落ちてきた。
「こういう意味だ」
スコルピオは勢いよく地下室に向かって走り出した。