炎よりも熱い熱量のグリーン
「しっかし、まさか管理人室の奥に地下への階段があるなんてな。そりゃ誰も気付かねえ訳だ。それに、まさかこのマンションを経営してる奴が売人組織だなんて誰が思うよ。なあ、お前もそう思うだろ、ミラミ」
ミラミはスコルピオの問いに返さなかった。この地下深くまで続く暗い階段が、どこか異様な気配を醸し出していたからだ。
「ったく、この下にあるマリファナ畑を燃やしちまえば今日の仕事は終わりなんだからよ。少しは喜べよ」
「うるせえ。オレは暗い所や狭い所が嫌いなんだ。それでなくてもヤク切れで調子悪いのに、喜んでなんかいられないよ」
「なんだよ。人が優しい言葉かけてやってんのによ。それはねえだろが。前々からオレはお前のその自己中心的な所がどうも気に入らねえんだよ。ああ?」
ミラミはスコルピオを無視して、階段を降りるスピードを速めた。ミラミが持つスマートフォンの電気に頼りきっていたスコルピオは、一瞬で目の前が真っ暗になる。
「おい、なんで無視すんだよ。待てって言ってんだろうが」
スコルピオもミラミに続いて階段を降りるスピードを上げるが、ミラミはいつの間にかかなり下まで行っていた。
ようやくスコルピオが追いついた時には、既にミラミは階段を降り、異様に明るい部屋の前で目の前に広がる光景をじっと眺めていた。
「はあ、はあ、おめえ、なんでそんなに早えんだ。いつもはダラダラしてる癖によお。おい、聞いてんのかよ。ははーん、そうか。マリファナ畑を見るのは初めてかよ。お前はアイスばっかりだもんな。どうだ、これが神の草と呼ばれるマリファナちゃん達だぜえ」
誇らしげにマリファナ畑の説明をするスコルピオを余所に、ミラミは震えていた。
「おいスコルピオ。これがマリファナ畑なのか? マリファナってのは土に埋まってるもんじゃねえのかよ」
「何いってんだよ。今は水耕栽培って言ってな、土なんぞ使わなくても育つんだよ、どれどれ俺がお前に水耕栽培をたんまりレクチャーしてやるぜ」
スコルピオは、ミラミを強引にどかしマリファナ畑の部屋に入る。
「ジーザス。なんてこった」
スコルピオは一時の間、それ以上言葉が出てこなかった。
「だろ? スコルピオ、これが水耕栽培か?」
「なわけねえだろ。これは......人体栽培ってか?」
二人が見た光景は異様なものだった。
照明は絶えず真夏のような光を照らし続けているし、部屋はハイスクールの体育館並みの広さで、本当に地下室なのかと疑う程だ。部屋全体の空調だろうか、絶えずぶーんと言う低い音が聞こえてくる。床は全面に浅く水が張られており、栽培する者が通る道だけ一段高くなっていた。
異様なのはその水が張られた部分に、所狭しと裸の人間が並べられているのだ。性別もバラバラ、人種もバラバラ。大人だろうが子供だろうが、年老いたジジイや産まれたばかりの赤子でさえ、水に浸かりじっと目を閉じている。しかも、並べられた人間の体からは一本ずつ茎の太い植物が生えていた。
生えている場所はその人間によって違っている。ある者は腹の上から、またある者は足、一番気味が悪いのは顔から生えている者だった。目や鼻、口など顔に存在するありとあらゆる穴から植物の根が伸び、男の腕ぐらいある巨大な茎を支えているのだ。
絶えず日光を浴び続け、人間の身体からしっかりと栄養分を吸収しているかるか、その植物達は発色がいい。綺麗な緑色だ。しっかりと手入れをしてあるらしいが、なにせ栄養の吸収が良いためすぐに枝葉か出来るのだろう。紅葉のような手の形をしたハッパが所狭しと並んでいる。
さらに気になるのは臭いだ。マリファナ特有の強い香りが至る所から出ている。それに、これだけ人が並んでいるのだ。体臭や排泄物の匂いも混じり合っている。
「うえええ、クソ、気持ち悪い」
この光景に耐えられなくなったミラミは、近くの壁にゲロを吐いた。
「おい、止めろよ。もらいゲロするだろうが」
「そんなこと言ったってよお、こんなもの見せられたら誰だって」
まだ言い終わらない内に、ミラミはまた吐いた。
「なんなんだよこれは。ボスはブランド品のハッパって言ってたはずだよな。こりゃなんてブランドだよ」
スコルピオはミラミに向かって冗談を言ったつもりだったが、ミラミからしてみれば全く笑えなかった。
「はあっ、クソ。一体全体、どんな生活してりゃこんなこと思いつくんだよ」
ミラミは口を洋服の袖で拭いながらそう言った。
「熱すぎる」
スコルピオが何かをつぶやく。
「はあ? どうしたんだよ、今なんて?」
「ハッパに対する情熱が熱すぎるって言ったんだよ。緑色のマリファナなのによ、なぜか燃えてるように見えるぜ。すげえ熱い感情だよな。こんな栽培方法まで考えて、極上の草を生み出したいって考えるやつがいるってことだろ?」
スコルピオは何か関心したような口ぶりでそう言った。
「おい、意味分かんねえよ。情熱? 熱い感情? 俺から言わせて貰えば、ただの異常者の考えることにしか思えねえよ。それに、こんな育て方したマリファナを吸ってる奴がいると思うと、それだけだゲロ吐いちまうぜ」
「まあ、俺もヤクを売りさばいてる身だからな。さすがにこんなことまでしようとは思わねえけどな。と言うか、これやりすぎだろ」
スコルピオの言葉を最後に、二人はまた黙ってしまった。
目の前の光景がとても現実的ではないからだ。一つだけ言えることは、このシステムを作った異常者のハッパに対する情熱で火傷しそうな感覚に陥っているという事だった。それも、身体の内側からジワジワと。マリファナの強い香りも相まって、どこか悪い夢を見ているのではないかと考え始めていたのだ。
「おい、ミラミ。そこのネーちゃんに触ってみろよ」
スコルピオが沈黙を破る。
「はあ? バカか? 嫌に決まってんだろ。お前が触れよ」
「俺も嫌だ。こんな死体触りたくもねえ」
「なんだとコラ。てめえスコルピオ、人にやれって言っといて自分はできませんってか?」
「落ち着けミラミ。怖え気持ちはわかるけどよ。でもよ、今オレは死体って言っちまったが、こいつら本当に死体だと思うか?」
「え? そ、それは」
ミラミはスコルピオの問いに答えられなかった。それと同時にどうしようもなく確かめたい好奇心がふつふつと湧き始めた。
「な? だからよ、ジャンケンしようぜ」
「じゃ、ジャンケンだと?」
ミラミは心が揺れていた。この人間達が生きているのか、または死んでいるのか、確かめたい衝動がミラミを動かす。
「わ、わかった。負けた奴が触るんだな?」
「そうだ。ちなみにオレはグーを出す」
「はあ? おめえそれはなんか卑怯だろ」
「どこが卑怯なんだよ。オレはお前にハンデをやってんだぜ」
スコルピオはまるで、優しい小学校の先生が、ワザと負ける遊びをやろうと言っているようだった。
「いいだろう。絶対にグーを出せよ」
「オーライ。約束だ」
「おーい、一瞬じゃダメだからな。しっかりと声をかけて、身体を揺すってやれ」
床に並べられた人間の側に寄るミラミに、スコルピオが声をかけた。
「わかってる。ちょっと黙っとけよ」
機嫌の悪いミラミは、禁断症状で震える左手に力を込めた。目の前に寝ているのは、二十歳前後の女だった。綺麗な顔立ちをしていて、肌の発色はいい。胸は小振りだが形が良かった。
恐る恐るその女の肩を揺する。温かい。
「お、おい。生きてるか? 生きてんなら返事しろよ」
女からは返事が返ってこない。
「おーい、ミラミ。どうなんだよ。生きてんのか?」
遠くからスコルピオが叫ぶ。
「生きてるみたいだ。でも、意識は」
そこまで言いかけたところで、女に触れていたミラミの手がガッと掴まれた。
「うわあ」
ミラミは混乱していた。一瞬、何が起こったのかわからなかったが、落ち着いて自分の左手をつかんだ相手を見る。
すると、眠っていたはずの女が腕だけを動かしてミラミは掴んでいた。
女の顔を恐る恐る覗き込む。
「うああああああああ」
女は口から泡を吹きながら、白目でこちらを見ていた。体は痙攣しており、時折口元から「ああ」とか「うう」と言う声が聞こえた。
その瞬間、ミラミは頭痛に襲われた。
頭の中が何かグチャグチャにかき回されている感覚に陥る。
女の手を振りほどき、両手で頭を覆う。
「おい、ミラミ。どうした。大丈夫か?」
スコルピオが叫んでいたが、ミラミに答えることはできなかった。
次の瞬間、ミラミにはある未来が見えていた。
ーー「おーい、ミラミ。待ってろ」
頭を抱える自分をどうにかして助けようとスコルピオが向かっている。しかし、自分のいる位置まであと二メートルもないところで、スコルピオの頭が吹き飛んだ。
首から上がなく、辺りに血を撒き散らしながらスコルピオの身体をだけが自分に覆い被さる。
「ん? 今のは一体?」
ミラミはやっと意識を取り戻した。
しかし、それと同時に聞き覚えのある声が聞こえる。
「おーい、ミラミ。待ってろ」
「スコルピオ、か?」
ミラミの体に電流が走る。デジャブだ。いや、さっきのは未来が見えていたのだ。
「待て、来るなスコルピオ」
こちらに向かって走ってくるスコルピオに必死で呼びかけるが、止まる様子はない。
「クソ、これじゃ未来が見えた意味がねえ」
走り出す。ミラミは全速力で走り出した。
「あれ? お前大丈夫なのかよ。全く。ちょっと待ってろ、今行くから」
スコルピオはそれでもミラミの方へ向かってくる。もうあの位置まで数メートルしかない。
「間にあええええええええええええええ」
ドン
間に合った。ミラミはついさっきスコルピオの首が吹き飛ぶのを見た位置で、スコルピオと再会し突き飛ばした。
「ぐわああああああっ」
広い地下室にミラミの叫び声が響き渡った。