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短編

悪女の微笑みは崩されて

作者: 如月あい
掲載日:2015/10/31

 私はアマリリスという女が嫌いだった。

 高慢。横暴。気まぐれで性根の悪い女。この女の侍女は、ほとんどが一月と保たない。彼女はまず気まぐれで人を止めさせるし、侍女に無茶ばかりをいいつける。

 真冬に向日葵を、真夏に雪だるまを望むような女なのだ。

 そういった気まぐれに当たった運の悪い人間は、彼女の元を去ることになる。給金だけは良いので、みんな惜しみながら去っていくのだ。

 私はこの女の元で、もう五年ほど働いている。私は運が良かったとしか言いようがない。たまたまアマリリスに無茶を頼まれず、彼女の気まぐれな追放リストラからも逃れていた。


「今日はガラスの皿で食べたかったのに、どうしてこんな皿に盛り付けたの?」


 ああ、今日もアマリリスの理不尽が炸裂している。

 新参の侍女は、運んできた料理、ではなく、その皿にケチをつけられて困ったように私を見た。

 私は視線をすっと逸らした。この仕事を辞めたくはないので、助け舟は出さない。アマリリスに無茶を言われるまでは、私はここで働くのだ。


「申し訳ございません。しかし盛り付けたのは私ではなく……」

「そうね……病気の妹がいるんですもの。お金は必要よね?」


 アマリリスがすっと微笑んだ。美しいがぞくりと背筋の凍る笑みだ。

 新参の侍女は、彼女の微笑みがどれだけ恐ろしいか知らないから、ほっとしたような表情になった。

 バカな子だ。

 私は心の中でそう思った。アマリリスという女に慈悲なんてものがあると信じているなんて。


「でも、そんなこと、私には関係ないわよね?」

「え……?」


 先ほどまで安心していた侍女は、さっと表情を変えた。


「お前はクビよ」

「そ、そんな! お願いです! アマリリス様! どうか、どうか……!」

 

 すがりつく侍女だが、アマリリスは微笑みながら、その様子を眺めているだけだった。


 アマリリスは、侍女として誰を雇い入れるかの決定権を、伯爵、つまり彼女の父から委ねられていた。

 彼女は生活に困っている者を優先的に入れる。それは、優しさからなどではなく、困っている者を辞めさせれば、その者の絶望した顔が見れるからである。つまり、彼女は人の不幸が大好きな、性根の腐った女なのである。


 ちなみに父である伯爵は戦争に駆り出され、かなり長い間、家に帰ってきていない。残された家族は、伯爵の仕送りと、領地からの税金で生活していた。

 アマリリスの母は、非常にお金の使い方に厳しい人間だったが、娘の侍女の給金に関してだけは、甘かった。

 なにせアマリリスの性根の悪さは知れ渡りすぎていて、給金を高くしない限りは応募が途絶えてしまうからだ。

 

「まだ三週間だから……さして払ってあげられないわね。さ、出て行きなさい。もう一度言わせれば、これまでの給金も払わないわよ」

 

 甘くゆったりとした声でアマリリスは言った。すると、先ほどまで泣いてすがっていた侍女は慌てて部屋を飛び出した。これまでの給金まで払ってもらえなければ、彼女の未来は真っ暗だ。


「ああ、それと、そこのお前」

「はい」


 私はこの緊張の瞬間を、できるだけ冷静さを装って待った。少しでも辞めたくないという雰囲気を醸し出すと、すぐに辞めさせられてしまうだろう。

 私がここに長く勤めていられるのは、一重にそういう空気の読み方が上手いからだと自負していた。


「これ、町で買ってきて。いつものように、帳簿にも記入してね」


 アマリリスはすっと微笑んで、私に紙とお金を渡した。彼女は馬鹿で細かい計算ができないらしく、私にいつも必要な倍近くのお金を渡す。彼女の頼む買い物は、ほんのちょっとした日用品だ。それなのに、お金は無駄に多い。とはいっても、私は一度もお釣りを誤魔化したことはないし、すべてアマリリスに返すのだから問題はないのだが。


「かしこまりました」


 私はいつもの用事を頼まれて、心の中では安心していたのだが、それを表に出さぬように努めた。アマリリスの性格を考えれば、むしろ、ちょっと嫌そうな顔をした方がいいくらいだ。


 そして私は部屋から出て行く。準備を整えて屋敷から出ようとすると、先ほどクビになった侍女が、家令に泣いてすがっていた。私は横を通る時、家令に挨拶をした。

 すると泣いている侍女は、こちらを見て、そして言った。


「お願いします! どうかお口添えを! お嬢様に五年もお仕えしているとお聞きしました! あなたの言葉なら、お嬢様も聞いてくださるかもしれません!」

 私はその言葉に、思わずすっと微笑んだ。

「ねえ、私がどうして五年もお嬢様にお仕えできていると思う?」

「そ、それは……お嬢様が気に入っていらっしゃって、非常に有能だから……ですか?」

「いいえ。私は私の身以外を守ろうとしないからよ」

「え?」

「私が可愛いのは私だけ。どうして私が、あなたのためにお嬢様の機嫌を損ねるリスクを負わねばならないの?」


 馬鹿な子だ。

 私の言葉に彼女は呆然としている。少し考えれば分かることだろうに。


「で、ですが……! 妹の薬代が必要なんです! お願いします!」

「あなた、本当に分かってないのね。あなたの可哀想な状況に、誰もが同情してくれると思っている。あなたよりもっと可哀想な子も辞めさせられているわ……お嬢様は、そういうコトがお好きなのよ」


 彼女は床に崩れ落ち、私はそれを見て家令に微笑みかけた。


「行って参ります」

「……気をつけて」


 家令は私にそういうと、泣き崩れる彼女を見つめた。家令もまた、アマリリスの我儘に振り回されている被害者だ。彼もきっと、いつ辞めさせられるか分からぬ恐怖に怯えているに違いない。

 とはいっても、アマリリスには家令を辞めさせる権限はないので、私たちよりはまだ、安定した職といえるだろう。


 私は街に出て、頼まれたものを順番に買って行った。こういう買い物は、実は私がする必要のないことだ。直接買いに行った方が経済的なのは間違いないが、伯爵家ならば商人を呼びつけて大量に買い付けた方が楽だ。ところが、アマリリスは私に買い物をさせたがる。

 これは彼女なりの嫌がらせなのだ。私が街を歩き回るのが面倒であろうと考えてのことなのだ。

 しかし私としては、むしろ大歓迎だった。いろいろな店が見れるし、気晴らしにもなる。

 ただ、アマリリスの前では、巧みに少し嫌そうな顔をする。そうすると、アマリリスは喜んで私に買い物を言いつけてくれるのだ。

 あの女は確かに性根が腐っているのだが、慣れてくると扱いやすいところもある。

 今日も彼女が望んだ買い物をしていき、屋敷に戻る。


「戻りました」

「お疲れ様です。では、これを」


 私が家令に声をかければ、彼は一冊のノートを渡してくれる。

 私は今日買ったものとその値段を付け、そしてそのノートは彼に返す。このノートには、伯爵家が買ったものとその値段が細かに記載されているのだ。私は詳しくそれを見てはいないが、ざっと見る限り、髪飾り、腕輪などの装飾品や、小さな雑貨のようなものが多い。

 この家の女主人、つまりアマリリスの母親はお金に厳しいので、あまり高額なものには手を出さないのかもしれない。





 私の侍女生活は、こうやってアマリリスの機嫌をうかがいながら、まだまだ続いていくと思っていた。

 しかしある日の朝、私はアマリリスに、庭の手入れをするように頼まれた時のことだった。


 庭の手入れは庭師の仕事であるはずなのに、庭師の姿がない。そういえば、ここのところ庭師の姿を見ていない気がする。

 私は小さな違和感を抱えながら、まずは花壇に水をやる。これが簡単そうで、重労働だ。なにせ伯爵家の庭は広い。手入れしなければならない花の数も平民の家とは比べものにならないくらい多いのだ。

 私は額の汗をぬぐいながら、黙々と作業を続ける。この作業を頼まれるのも数度目だが、いつもは庭師がいたのでもう少し楽だった。ところが今日はひとりなので、作業が果てしない。


「大変そうね」


 聞こえるはずのない声が聞こえて振り向くと、そこにはアマリリスの姿があった。


「お嬢様。何かお探しですか?」

「いえ。ただ、長く勤めているあなたに話しておかなければいけないことがあって、来たのよ」

「話しておかなければいけないこと、ですか?」


 アマリリスは静かに微笑むと、そばにあった花にそっと触れた。性格は悪くとも美人なので、花を愛でる姿は絵になる。


「実は……お父様が亡くなったわ」

「え?」


 静かな声音で語られるその言葉は、私に予想以上の衝撃を与えた。

 伯爵が亡くなったとすれば、この伯爵家はどうなるのか。私はなんとなくこの伯爵家がずっと続いていくものだと思っていた。


「伯爵家はこれから傾いて行く。それで……人を減らさなければいけないのよ」


 アマリリスは悲しげに微笑んでいた。

 そういう表情を見せるのは珍しい。今日の彼女はどこかいつもと違っていた。


「給金を払えるうちに、人を減らさなければね。それに、伯爵家で働いていたという箔がつくうちに、動いた方が皆のためでしょう」


 私は何も言えなかった。アマリリスの言うことは、ひどくまともだった。確かに沈みかかった船に乗り続ける必要はない。今の内に乗り換えた方が、この先の航海は楽である。


「もし、伯爵家の負担になるようでしたら……お暇をいただいて、他に仕事を探してみます」


 私は慎重に言葉を選びながらそう言った。あくまでも伯爵家のためというスタンスを崩してはならない。

 しかし私は既に、ここから出て職を探すことを考えていた。私は沈む船に乗りたくはない。私と伯爵家をつなぐものはお金だけなのだ。一緒に沈んでもいいと思えるような忠誠心などない。

 それに今なら、アマリリスの侍女を五年も勤めたというだけで、どこでも雇ってもらえるはずだ。


「本当に? 長く勤めてくれたから、止めてもらうのは気が引けたのだけれど……」


 ここまできて、アマリリスが案外私のことを気に入っていたらしいことに気づく。

 彼女が侍女を辞めさせるのに悩む姿など初めて見た。


「いいえ。遠慮なさらないでください」


 こんなところで下手に気に入られて、没落したアマリリスの世話なんて勘弁だ。伯爵家が傾くというのなら用はない。

 

「伯爵家の負担になってまで、面倒をおかけしようとは思いません」


 しかし本心は隠して、あくまでも伯爵家のために、という雰囲気を装い続けた。


「そう、ありがとう。あと一週間で給料日だから……それまではよろしくね。それと、このことはまだ、誰にも言ってはだめよ」

「かしこまりました」


 もちろん言いはしない。全員が辞めたいと言って、万が一アマリリスがきまぐれに、私に辞めないで欲しいと言ったら困るからだ。


 それにしても、伯爵が亡くなって、それでも微笑みを絶やさず、普段通り振る舞えるというのはさすがというべきだろうか。

 彼女は転落していく自分の人生を静かに受け入れているようだ。

 彼女は思っていたよりは、ひどい人間ではないのかもしれない。侍女全てを巻き込むでもなく、癇癪を起こすでもなく、こうして私を解放してくれるのだから。


「お世話になりました。あと一週間ですが、よろしくお願いします」


 私が微笑んでそういえば、アマリリスも美しい微笑みで応えてくれる。ここで働いていて初めて、アマリリスという人間が、嫌いではないかもしれないと思い始めた。


 私は庭の手入れを終えると、部屋に戻って今までに溜めた貯金を確認する。一月くらいならなんとかなる。それに今の私は引く手数多なはずだ。

 ここを辞めてから仕事を探しても遅くはない。それに、あの気まぐれなお嬢様からも解放され、本来の侍女の仕事に復帰できるのだ。


 



 辞める、と決めると、仕事が非常に楽しかった。どうしてなのか分からないのだが、多分、多少は名残惜しさのようなものがあるのかもしれない。

 しかし、一緒に没落など真っ平御免なので、ここでもう少し働きたいなどということは全く思わなかった。


 アマリリスはといえば、なんだかとても優しかった。もともときまぐれで、施しをくれる人間ではあった。ただこの一週間は、彼女のお気に入りの茶葉をくれたり、装飾品で地味なものをくれたりしたし、なんと彼女は紹介状まで書いてくれた。

 アマリリスにそんな細やかな気遣いを期待していなかった私は、それを見て感動したものだ。


 こう考えてみると、アマリリスは気に入った人間には優しいのかもしれない。ただ、今まで辞めさせられた女たちが無能だっただけなのかもしれない。

 そもそも彼女が夏に雪だるま、冬に向日葵のような無理難題を押し付けるのも、それを口実に辞めさせるためだったのではないだろうか。

 私は彼女がそういう気まぐれを言うのは、ただ単に嫌がらせからだと思っていたが、本当は違うのかもしれない。

 しかしながら今、ここでアマリリスの優しさのようなものを見ても、私の心は全く揺るぐことはない。

 他の侍女たちがいつ倒れるか分からぬ伯爵家で働き続けるのも、別に関係のないことだ。

 私は私さえよければそれでいい。

 紹介状はもらった。

 もう、伯爵家には用がない。私が今働いているのは、最後の給料のために他ならない。




 そして、私は最後の日を迎えた。

 私は朝、アマリリスの髪を整えた。最後だ。それは彼女も感じ取っているらしく、鏡の向こうでじっと私を見つめていた。


「そうだわ……。この髪飾りを使ってちょうだい」

「これは……? 見たことがないものですね」

 

 宝石のふんだんにあしらわれた美しい髪飾りだ。明らかに高そうで、お金に厳しい伯爵夫人が許しそうにないデザインだ。私はそれを疑問に思いながらも、言われたとおりにその髪飾りを彼女の髪につけた。


「そうね。これは千リラもするものよ。お母さまは決してお許しにならなかったでしょうね」


 彼女の言い回しは、何かがおかしい。

 しかしよく考えると、夫人が娘に許した最後の贅沢なのかもしれない。没落前に、最後の思い出に許したのかもしれない。だから、過去形なのだろうか。

 そんな疑問を抱えながらも準備が終わり、朝食を食べ終えると、彼女は私を見て、そして庭に出ましょうと言った。私はそれに素直に従って、二人で庭へと出る。

 庭師のいない庭は、侍女たちの努力でなんとか体裁は保っていた。しかしここで美しく咲く花も、いつかは散ってしまうのだ。伯爵家の衰退とともに。


「もう少しで……終わってしまうなんて」


 アマリリスはそうつぶやくと、庭に咲いていた一本の花を手折った。彼女の言葉は、私には意外なものに聞こえた。それは私との別れを惜しんでいるのだろうか。私にとってはどうでもよいことだが、最後の最後で給金がもらえないのは困るので、少し悲し気な微笑みを作った。


「名残惜しいものです」

「まったくだわ。私もよ」

 

 私の言葉に答えるように、アマリリスは微笑んでうなずいた。

 そして、彼女はある一点を見つめて、ゆっくりとそちらに近づいて行った。私はどうしたのかと思い彼女の視線の先をたどって、そこに思いかけぬ人物を見つけた。

 そこにいたのは庭師だった。

 いったいどうしたというのだろう。

 暇を出された庭師が今更ここに戻ってくるなんて。それとも彼は”忠誠心”とやらから、ここで骨をうずめることに決めたのだろうか。もしそうだとしたら、彼はなんて馬鹿な男だろう。


「お嬢様、このたびは本当にありがとうございました。お嬢様の口添えで二週間もお休みをいただいて、なんとお礼を申し上げたらよいか!」

「いいのよ。必要なことだったの。お祝いだからね」

「はい。本当に、おめでとうございます」


 二週間のお休み、と彼は言った。彼は辞めさせられたのではなかったのか。

 私は意味が分からずに首を傾げた。

 それに、お祝いとはなんだろうか。伯爵が亡くなって、まだ葬式もしていないというのに。伯爵の死を伏せているとはいえ、お祝いするようなことがこの伯爵家に起こっているとは思えない。


「さて、戻りましょう」

「はい、お嬢様」


 しかし私はそんな疑問を追求するのは止めた。あともう少しで私はここには関係のない人間になるのだ。些細なことを気にしたってしょうがない。

 私はお嬢様について屋敷のエントランスまで戻った。すると家令が誰かと話していた。

 家令と話している人物が振り向き、私は思わず目を見開いた。

 私はこの時点でようやく、何かがおかしいことに気が付いたのだった。


「アマリリス」

「お父様。ご無事に戻られてよかった」

「ああ。お前も元気そうだな」


 なんということか。アマリリスは嘘をついていたようだった。伯爵は生きているのか。

 やはりアマリリスは性悪な女である。私を最後の最後にがっかりさせたかったようだ。しかし、紹介状がある私としては、もうこんなアマリリスの元で働く理由もない。

 伯爵がいるということは、伯爵家が衰退することはなかろうが、辞めるといった以上、しかたがない。


「それと、新しい領地を国王陛下から賜ったと伺いましたが」

「ああ。先の戦争の功績が評価されたからな」 

「おめでとうございます。伯爵位に加えて、男爵位も授かったのでしょう?」

「領地と爵位は同時についてくるものだからな」


 ああ、なんと惜しいことをしたのだろう。

 新しい領地をもらったということは、伯爵は戦争での活躍が国王に認められたということだ。そうなれば、伯爵家はもっと発展していくに違いない。

 今日、ここを去っていくなんて言わなければよかった。それとも、知らぬふりをしていたら、案外、彼女は私が最後だということを忘れていたりしないだろうか。


「お父様。一つだけ……ご報告せねばならないことがあります」

「どうしたんだ?」

「実は……」


 アマリリスがすっと家令に視線を向けると、彼は一つうなずいてすっと一冊のノートを伯爵に差し出した。それは、私が買い物に出されるたびにつけている帳簿である。

 伯爵はそれを受け取ると、すっと眉をひそめて、そしてアマリリスと家令の方を見た。


「これは?」

「このノートはある侍女の部屋から見つけたものです」

「日用品だけでなく、こまごまとした装飾品なども書いてあるが……侍女の給金で買うには額が高すぎるな」

「その侍女の部屋を探しさせたところ……これが」


 アマリリスがそういうと、家令は大きな布袋を伯爵に差し出した。その布袋を伯爵は開き、そしてその中の一つを取り出した。それは明らかに女性ものの腕輪だった。もっと正確に言えば、アマリリスのものだった。しかも彼女がずっと前から気に入って使っている品々だ。

 私は話の流れに全くついていけていなかった。


「ちなみに、それはこの侍女の部屋から出てきたものです。彼女は事細かに買ったものをつけていたようです。だからこそ、このたび問題が発覚したのですが」


 ふいに、アマリリスが私を指さした。私は話の流れが飲み込めず、ただ茫然とその場に立ち尽くしていた。彼女の言葉に付け足すように家令が前に進み出た。


「みなよく働いてくれますので、侍女の日用品にかかるお金は、給金とは融通を聞かせていたのですが……どうやらこの侍女はそれを悪用して、実際にかかる金額の二倍を言って、これだけの私物を買いためたようです。私の監督不足ですみません……」


 私はとっさに反論することができなかった。何を言っているのだろうか。私はアマリリスに頼まれた買い物をしていたのだ。

 私は慌ててアマリリスを見ると、彼女は微笑んでいた。


「これは、お前が書いたのか?」


 伯爵は私を鋭くにらみつけると、そう問いただした。

 いいえとは答えられない。たしかに私はその帳簿の一部を書いている。


「それは、はい。ですが――」

「――言い訳はよい。日用品にかかった金額を抜くと……ざっと千リラ(・・・)というところか」

 

 千リラ、という単語を聞いて、私はさきほど彼女の髪飾りにかかったお金について思い出す。もしあの帳簿が私個人のものとして扱われるのだとしたら、私がおつかいのたびに返却していたお金は、すべてアマリリスの懐に入ったはずである。

 それが千リラならば、あの髪飾りも買えるはずだ。


 まさか……私はそう思ってアマリリスを見た。彼女は美しく微笑んで、そして家令を見た。彼はすっと進み出ると伯爵に言う。


「毎度毎度、少額ながらも日用品の金額より上乗せして言っていたのでしょう。そのお金でこれだけのものを買い集めた。これは立派な着服です」

「そんな! 私は――」

「――安心して」


 アマリリスが私の言葉を遮った。彼女がにっこりと微笑んでいる。

 私は背筋が凍る思いだった。

 これは、まずい。

 彼女が楽しんでいる顔だ。


「これまで一生懸命働いてくれたのだもの。もうこれ以上働いてもらうことはできないけれど、警察に突き出すのはやめておくわ」

「……今すぐ荷物をまとめて出ていきなさい。これ以上、言い訳をするようならば、しかるべきところに突き出すことになる」


 今から私は着服などしていないと言ったとして、誰が証明できるのだろうか。彼女は五年間も、この瞬間を待っていたのだ。

 私が、彼女の罠にかかったことに気づくこの瞬間を。

 私は信じられない思いでアマリリスを見つめた。この女はあろうことか、私をこうやって追い出す算段を五年も前から着々と練っていたのである。

 それでも私は、別に構わないと思っていた。

 ここで私がどういわれようが、私には紹介状がある。ほかで職を見つければいい。確かにここの給金は高

くてよかったが、侍女以外の雑務が多すぎた。

 そう考えると私は微笑みすら浮かべる余裕ができていた。私を追い出したいというのならばそうすればいい。私だってこんな家、願い下げだ。


「お世話になりました」


 私はそういってぺこりと頭をさげると、自分の部屋に向かおうとした。

 するとアマリリスが私の腕をぱっとつかんで、そして言った。


「あ、あなたのささやかな貯金は、着服の返済ということで、こちらで引き取るわ。お父様もそれで構いませんか?」


 伯爵に彼女はそう尋ねた。

 どうやら私は貯金をあきらめなければならないようだ。それは非常に腹立たしいことだと思ったが、仕方がない。とりあえず紹介状だけもって出よう。


「……かしこまりました」


 私はどうにか微笑みを保ってそう返事をすると、今度こそその場を立ち去ろうとした。

 そして、アマリリスが私が通りすがると同時に、ぼそりと小さな声で言った。


「それと……あなたがこの家のお金を着服したことは、ここらへん一体の貴族には知れ渡るでしょうね

「なっ……!」


 そんなことになったら、私は職を見つけられない。侍女として必要不可欠な要素の一つが、信頼なのだ。お金の着服などという噂がたてば、誰も私を雇いたがらないであろうことは火を見るよりも明らかだった。そしてまた、女が職にあぶれた場合、その先に待つものであるか、私はわからないほど幼くも馬鹿でもなかった。


 もはや、私は微笑むことなどできなかった。

 私の微笑みは崩されて、そしてアマリリスをきっとにらみつける。


 アマリリスは優雅に微笑んでいる。私の絶望に染まった顔を見て、アマリリスは喜んで微笑んでいる。

 ぞっとするほど、美しい微笑みで。

  


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