忠告
「おはよーございまーす」
看守生活、二日目。朝食後、俺は会議室に呼び出された。副所長の命令だからな、仕方ない。
「あーはい、おはようございます」
会議室では二日酔いの所長が、パイプ椅子に座っていた。所長の正面には、もう一つパイプ椅子が立ててある。昨日出した椅子は、綺麗にたたんであった。
そういや所長、体調不良が悪いって、朝食にも行かなかったな。でも迎え酒する元気は、あるらしい。医務室へ行く元気は、ないみてーだ。
俺も割とだらしないけど、所長はいいかげんすぎると思う。はっきり言ってダメオヤジだ。でもそんなダメオヤジが、制服着てるなんてすごいなあ。仕事はちゃんとする人なんだ。休めよ、って気もするけど。
それにしても、どうして俺だけ呼び出したんだろ。用件は何だ?
「あー、頭がつらいつらい。昨日は飲みすぎてしまいました。ああジュリーさん、座って座って」
所長は続けた。
「実は昨日のことで、お話がありましてね。午前中の勤務は、特別に免除します。あ、給料は出しますよ。そのかわり今日はお昼まで、わたくしのお説教を聞いてください」
え? いきなり説教? 俺、何かしたか?
「昨夜のジュリーさんの、業務態度についてです」
「え、態度?」
マジかよ。俺、けっこー気をつけたんだけどな。とりあえず、シャットコールには刺されなかったし。でも、どっかがいけなかったんだろう。何が?
所長が言った。
「まずは囚人への話し方」
ヤバっ。俺は昔から、軽いチャラいって言われてた。自分でもそう思う。だいたい、なりたくてチャラくなったんだし。
俺は口調からイメチェンを始めた。結果は大成功! 年の近いダチはみんな「カッコイイ」ってほめてくれる。歴代の元彼にも、好評だった。
ただ逆に、大人ウケはめちゃくちゃ悪かったな。ピアスにもケチつけられるし。俺は敬語がんばって礼儀正しくしてる、つもり。でもその敬語も、下品なんだってさ。
「やっぱり敬語が、マズいんすかねえ」
あ。ついつい「で」が抜ける。いつものくせだな。
「マズいんですかね」
俺はとっさに言い直した。今までは「知るか!」って無視してたけど、やっぱり敬語も、変えた方がいいのかなあ。
所長は迎え酒をして、言った。
「プハーッ。ああ、違うんですよジュリーさん。綺麗な敬語を使えとか、そう言ってるわけじゃないんです。そもそも、敬語を使ってること自体が問題でして」
え、敬語ダメなの? 珍しいこと言うなあ、所長。自分はですます口調のくせに。
「タメ口で言え、ってこと?」
「はい、そうです」
マジかよ。え、本当にいいの? じゃあ、お言葉に甘えて。
「うん。わかったよ所長。これからはタメ口な」
「わたくしにじゃ、ないんですが」
「すいません!」
俺はすぐに謝った。所長はボリボリ頭かいてる。やっぱ、普通はそうですよねえ。上司相手にタメ口なんて、俺もおかしいと思ってた。
それじゃあ、いったいどういうこと?
「わたくしも言葉が足りませんでしたね。タメ口というのは、囚人相手の話です」
所長が言った。
「確かジュリーさん、今おいくつでしたっけ?」
「ハタチです」
俺はきっぱり即答した。所長はニタニタ笑ってる。
「ふーん、二〇ですかあ。ごまかしてるんじゃありません?」
「まさか! 本当に成人ですよ!」
実際、ちょっと偽装したけど。実年齢は一七だ。本当はまだまだティーンエイジャー。けど一人で働くには、成人した方が都合よかった。
俺の他にもごまかして来るガキんちょが、いっぱいいるんだろうなあ。それとも所長、勘が強かったりして。
「送ってくださった書類の、生年月日がずれてましたよ。生まれた年を信用するなら、一九のはずなんですが」
うわああ! 何やってんだ俺! 完全に自分のミスじゃねーか! ちゃんと確認したはずなのに。
たぶん年齢早見表を、見間違えたんだろうな。俺、計算苦手だし。小学校も出てなくて、勉強サボりまくってると、こういうとこでバカが出るのか。
「あー、あの時は病気にかかってて。頭がボーッとしてたんです」
俺はすぐに言い訳した。さっそく所長が、思い通りの反応を見せてくれる。
「ありゃりゃ、それは大変でしたねえ。そんな苦しい中、ここに応募してくれたとは。病み上がりの体で遠路はるばる、お疲れ様でしたねえ。体の方はどうですか?」
「ありがとうございます。『貴族メシ』を食ったら、本調子に戻りました」
お人よしの所長は、あっという間に引っかかってくれた。俺は勉強嫌いだけど、言い訳は天才なんだよなあ。
「それはよかった。あ、それで本題なんですが」
所長が咳払いをする。
「囚人に敬語は使わないでください。絶対にタメ口で。いいですか、牢獄では看守が上です。囚人はあくまで下の立場。我々は王様、連中は家来も同然。わかりましたね」
意外と強気だな、この人。さっきまでの穏やかな感じが、嘘みたいだ。
「お行儀いいのもけっこうですが、丁寧すぎてはなめられます。囚人にはタメ口で話すように」
「はい」
「といっても、難しいでしょうなあ」
所長は酒を飲んで、腕組みをした。
「年も若いし、看守の経験もありませんよねえ」
「はい、今回が初めてなんで」
「ここの囚人は年配ばっかり。ジュリーさんにしたら、ほとんど年上ですよねえ。おまけに未経験となると、うーん」
よかった。やっぱり所長は優しい。ヒヨッコの俺の気持ちを、真剣に考えてくれてる。
「初めは難しいかもしれませんが、子分に声かける気持ちで、タメ口で話してみてください」
所長、俺を不良だって思ってるな。確かに俺、世間的に見たら良くないけど。麻薬やってるし、家出中だし。寂しくなったら、すぐセックスかヤクに走る。あ、飲酒もやってるな。
でも暴走族とか、グループとかには入ってない。二、三人とつるむのは楽しいけど、大人数はちょっとなあ。誰がボスか下っ端か、そういう上下関係も苦手だ。
子分できたことなんて、一度もねーよ。押さえつけてくる親分はいるけど。親分っていうか親だけど。
「大丈夫、大丈夫。72番も、タメ口ぐらいで刺しませんから。あ! そうだ!」
所長の声が、急に明るくなる。どうしたんだ?
「一ついいことを教えましょう。72番は、囚人の中じゃ一番年下なんです。最年少ってやつですね」
「マジすか?」
嘘だろ! 囚人番号72番、シャットコール。あいつが最年少? まさか!
俺はシャットコールの白髪、やせこけた頬、低い声を思い出してた。それからあの迫力、威圧感も。
「え、何歳なんです?」
「二四」
に、にぬぃ、ぬぃ、ぬぃぬぃに、にぃーーーじゅーーうよーんーーーー!? あれで二〇代かよ! しかも、前半! どう見ても中年以上だろ!
「マジすか?」
「マジです」
所長はきっぱりと言った。
「ボス格といっても、わたくしからすればまだ子供。子供なのにボス格、ということでもありますが。おっかないやつですけど、喋り方は気にしないみたいですよ」
いやいや。おっかないから、敬語になっちゃうんですって。それに若いっつっても、俺よりは年上だしなあ。
そう思ってたら、所長が続けた。
「実は、うっかり『お前』呼ばわりした看守がいまして」
「お前呼びって、シャットコールを?」
「ん?」
所長が、ボトルを開けようとした手を止めた。
「今『シャットコール』と言いましたね?」
「あ、はい」
「ダメですよ、その呼び方も!」
うわっ、また説教が出てきた。口は災いの元、って、本当だな。あー、めんどくさいこと増えちゃった。
「とりあえず今は、話を戻しましょう。えっと、何の話してましたっけ」
「誰かが、お前呼びしたとか」
「そうそう、そうです。72番に『お前』って言った看守がいたんですよ。本人は言った瞬間、真っ青な顔になってましたねえ。でも72番は、全く気にしてない様子でした。その看守はかすり傷もなく命拾いし、副所長になってます」
所長がほくそ笑んだ。ああ、あの人の失敗談だったのか。
「72番は、囚人の中ではトップです。やつが『カラスは白い』と言ったら、あとの囚人も『白い』ってうなずきますよ。つまり、あいつ一人さえ、ノーと言わなきゃ平気なんです。72番にタメ口したら、自然と他の連中にも、タメ口していいことになります。ですから安心してください」
へーえ。そーっすか。
「ここの囚人はオッサンばかりですが、72番なら年も近いでしょう。自分のお兄さんのつもりで、タメ口を使ってみてください」
「わかりました」
「あ、そうだそうだ」
所長が咳払いをする。
「確かさっき『シャットコール』と言ってましたね、72番を」
「はい、すいません」
「どうしてです?」
「名前で呼んだ方が、いいかなーって思って」
番号呼びされて嬉しいやつって、あんまいないと思う。俺だって、そう呼ばれていい気はしない。この前見た映画で、人情派の看守が、囚人をみんな名前で呼んでた。その人は囚人からも看守からも、思いっきり慕われててさ。カッコいいって思ったんだよ。
「うーん、なるほど。思いつき自体は、悪くないと思います」
「じゃあ、名前呼びしていいんすか?」
「お好きにどうぞ。わたくしは物覚えが悪いので、従業員だけでいっぱいですが。ジュリーさん、あなたは若い。それから頭もよさそうです。ぜひ、存分に生かしてください。囚人も、きっと喜ぶでしょう」
この所長も、割と人情派だな。酒びたりなのがアレだけど、けっこう融通きかせてくれる。俺は元気よく返事した。
「わかりました!」
「ただし、シャットコールは厳禁です」
え? 話違くない? 今さっき、名前で呼んでいいって言っただろ? 何言ってんだ所長。とりあえず、いったん聞こう。
「ジュリーさん、何か勘違いしてるようですが。『シャットコール』は名前じゃありませんよ」
「え?」
「あれは、うーん、何でしょうねえ」
所長は床を見つめてから、ゆっくりとボトルを開けた。
「ぷっはー。えっとジュリーさん、チェスって知ってます?」
「はい」
「あの駒に、キングってやつがあるでしょう。王様役の」
「ありますねえ」
「『シャットコール』というのは、囚人のキングみたいなもんです」
所長が続ける。
「囚人は自分たちのボス、一番強いやつを『シャットコール』って呼ぶんですよ。平たく言うと『王様! 王様!』って感じですかね」
所長は酒を飲んで、言った。
「今現在の『シャットコール』は72番ですが、あいつがここに来る前は、68番が『シャットコール』でした。しばらく長い間は、68番の天下でしたよ。ただ、72番が来た当日、一番最初にやられましてねえ」
風呂場の血が、はっきりと頭に浮かんでくる。全く恐ろしいな、あいつは。どしょっぱなからボス刺すなんて、普通じゃない。
気弱で、怒鳴ればすぐ黙る。会議室で聞いてた囚人とは、全然別だ。
「そんなわけで、今は72番がボスです。68番は医務室を出たあと、72番の子分に落ちましたよ。ペコペコと、毎日必死で媚びてますね。ほら昨日、風呂でついてたやついるでしょ。あの二人の、刺されなかった方です」
あいつか。血だまりに怯えて、オシッコまでしてたやつ。初日の俺みたいに無様なあいつが、元リーダーだったなんて。一度負けたら、あんなみじめになんのかよ。恐ろしい世界だ。
「で、話を戻しますが!」
所長が言った。
「囚人が『シャットコール』呼びするのは当然です。けど看守は、絶対言っちゃあなりません。『王様』って、あがめるようなもんですからね。72番がいくら強くても、いばってても、看守が絶対上なんです!」
それから所長は、小声で続けた。
「形の上では」
やっぱり所長も、ビビってんだな。刺された看守もいたっていうし。管理職のベテランでも、慣れれるような相手じゃないんだ。そりゃあ酒にも逃げたくなる。
「はい。『シャットコール』はやめにします」
「わかっていただけましたか」
所長がふう、と息をつく。俺は聞いた。
「すいませんね、てっきり名前だと思ってて。ところで72番の本名、何て言うんすか?」
「覚えれませんよ、囚人の名前なんか」
所長が酒をあおる。あ。そういやさっき、覚えてないって言ってたな。
「あーっ、よろしければ仕事後に、囚人名簿見せましょっか? わたくしが覚えてたら、ですけど」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
「かまいません。ジュリーさん、意外と丁寧ですねえ」
意外とって何だ、意外って。
「あ、思い出しました」
所長がボトルのふたを閉める。
「あだ名なら知ってます」
「教えてください!」
「ショーイ。ほら、72番って、ものすっごく傷だらけでしょう。あの体を見た誰かが『傷痍軍人』って言い出しまして。そこからショーイ、ショーイと」
「ピッタリですね」
確かにあの雰囲気は、軍人って言われても不思議じゃない。修羅場だって、前線の兵士並みに超えてそうだな。
「でも、本人に向かって言うやつは、見たことがありませんねえ」
所長が続ける。うーん、陰でヒソヒソ言ってる感じか。やっぱ名簿見た方がよさそうだな。
「あとで名簿、よろしくお願いします」
「なるべく思い出すことにしますよ。あ、もう一つありました!」
所長が声を上げる。
「食事時間中の態度です。ジュリーさん、思いっ切り下向いてましたね。昨日の晩も、今朝の朝食も。『見るに耐えない』って顔でしたよ」
「えっと、何を」
「違いましたか? わたくしからすると、72番の食べ方が汚くて、目をそらしてたように見えたんですが」
図星だった。
「すいません」
「気持ちはわからんでもないですけどね」
所長が頭をかく。72番の食い方は、めちゃくちゃひどかった。
昨日の夜。72番は食う直前に、いきなり両袖をまくりだした。最初は、なんで? って思ったけど、様子見たらすぐわかった。
72番は、アイスクリームから手をつけた。別に俺は、多少のマナー違反なんかどうでもいい。好物から食いたいやつだって、いるだろうしな。
でも72番はアイスを食べず、スープの中に押し込んだ。しかも、手づかみで。どんなセンスしてんだよ。食への冒涜だ。俺が(度胸のある、世界最強の)コックだったら殴ってるな。
(そこまでは俺も平気だった。ドン引きはしたけど)
アイスを全部入れたあと、72番はベタベタの手で、トレーのおかずをかき混ぜた。テーブルにソースがこぼれる、服に跳ねる。隣のやつにも飛び散った。
それから72番は、手づかみで飯をかっ込んでって。右手、左手、右手の順で、ぐちゃぐちゃの食べ物を押し込んでった。
しかも魚は、ろくにほぐさず丸かじり。動物園のサルかよ。そう言いたくなる食い方だった。骨までゴリゴリかじるんだから、ビックリしたな。その間、アイス入りスープが溢れてって。
もうちょい遠くの囚人は、割と楽しそうに食ってる。けど72番の周りは、悲惨だった。テーブルは汚れまくってるし。近くの囚人も完全無言。
今朝は72番、スープとジュースを混ぜてたな。魚は出なかったけど、あとは昨日と同じだった。下品で汚くてぐちゃぐちゃで。
「あれじゃあ野良犬ですよ。ああ、犬に失礼ですかね」
所長が苦笑いする。俺は72番を見ながら、昔の自分を思い出してた。
俺は左利きだ。昔は右手を使えって、しょっちゅう怒られてたっけな。まだ、右手の星を入れる前。家では朝・昼・夜の食事で、パパとママがうるさかった。
『また左持ちして! スプーンは右手で持ちなさい』
『フォークは左、ナイフは右だ! 昨日も言ったぞ。いい加減に覚えなさい』
幸いパパママの説教は、六歳で終わったからな。俺は六つで、寄宿舎つきの学校に行った。(ちゃんと卒業はしてないけど。一応入ってはいる)
けど今度は、テーブルマナーの教師がいて。
『そこ! 左手で持つんじゃない! 恥ずかしいぞ! さあ、言われた通りにやれ!』
家の飯も地獄だったけど、言葉なぶんだけマシだった。あの体罰教師は、ムチでぶってきたからな。
俺はチビッコながらも、精一杯反抗した。家でも学校でも、怒られるたびカトラリー投げて。
『うるせー! 黙れよ! 右手使えばいいんだろ!』
汚い言葉でわめいては、手づかみで飯を食い散らかした。ちょうど、72番みたいに。
服がベトベトに汚れて、グラスがひっくり返っても。パパママが怒鳴って、兄貴たちにたしなめられても。教師のムチが飛んできて、クラスメートに嫌な顔されても。俺は下品に食い続けた。
今は左手でスプーン持っても怒られない。だから昔のことだって、ずっとずっと忘れてた。けど72番を見てたら、あのときの泣きたい気持ちを、全部思い出しちゃって。とても直視できなかった。
「おーい」
所長が声かけてくる。俺ははっとした。
「それですよ、その辛気臭い顔。感情豊かなのはいいことですが、食堂では出すぎましたねえ」
「ごめんなさい」
うわ、声ちっさ。自分でもビックリする。
「あー、いえいえ。そんな深刻にならないでください。楽しいことでも考えて、顔上げてればいいんですよ」
「どうやって?」
「むかーしむかし、わたくしには妹がおりましてねえ。72番を見ては、幼い頃の妹を思い出してます。恐いあいつも食べ方だけは、かわいい妹にそっくりで。『ここには二歳の妹がいるんだ』そう思うだけで、優しい気持ちになるんですよ」
所長が笑う。俺も笑った。ちょっとだけがんばって笑った。世の中には、社交辞令も必要だからな。
「面白いすね。俺もやってみます」
「どうぞどうぞ」
お説教といっても、案外優しく終わったな。安心したら、うっかり涙が出そうになる。俺はこぶしを握りしめて、何とか笑顔で部屋を出た。