同僚
「この人は、お前を起こしてくれたんだよ」
そう言って俺は手を下げた。メガネは気まずそうにうつむいてる。(今はメガネしてないんだけど、こいつの名前はまだ知らない)ジャックは顔のガーゼを押さえて、ため息ついた。
俺、メガネ、ジャックは、医務室に連れてかれた。所長はもう出てってる。
みんなケガしてるけど、中でもジャックが一番ひどい。頬っぺたにはでかいアザ。口の中も切れたみたいで、ヒゲに血がこびりついてる。よく見たら左まぶたも、痛々しいぐらい腫れていた。俺だったら気絶する。
俺もかなり痛いけど、ジャックよりはずっとまし。二人の攻撃をたしても、二発だからな。頬はけっこう腫れたけど、赤い程度で済んだ。鼻血は出たけど、鼻自体は折れてない。不幸中の幸いってとこか。
でも痛いもんは痛い。この二人には、絶対借りを返してもらおう。
メガネは意外と軽傷だった。アザは口元と右目の二か所。たったそれだけ。大きさも、ジャックよりはまだ小さい。右目もちゃんと開いてるし。メガネは思いっきりぶっつぶれたけど。
「とりあえず、謝れ」
俺はメガネに手話をした。こいつ、聞こえなかったんだな。
よく考えれば、兆候はあった。血だまり廊下で、こいつがジャックを無視したとき。本当はそこで、気づくべきだったな。ドア閉めて、所長にお礼言われたときも無視してたし。
いや、俺は最初から、うすうす勘づいてはいた。でも恐怖とか、何だとか、いろいろあって無視してた。こいつが殴り合いの喧嘩になって、やっと気づいて。それまで何もしなかった。
遅すぎるんだよ、俺。その結果がこのざまだ。うまいこと、自分に降りかかってきたな。
「『ごめん』って言ってる」
俺はジャックに通訳した。
「そうか。でも、いきなり殴るこたないだろ」
脱脂綿を吐き出して、ジャックが言う。俺はまた、メガネの手話を翻訳した。何だか、辞書になった気分だな。
「いきなり触られるの、苦手なんだってさ。で、つい怖くなったらしい」
「そりゃ知らなかった。こっちも悪かったな」
ジャックはすぐに謝った。一秒もしてない。メガネ野郎は、五秒ほど下向きっぱなしだったのに。偉いな、ジャック。
「『こっちもごめん』だって」
「入りますよー」
俺が手話訳してると、所長が入ってきた。
「さてさて、どうですかね。大丈夫ですか、ケガは」
「乱闘をしなければ、問題ない」
白髪のじいさんが答えた。この人はベテランの医者らしい。この牢獄にも、毎年二回来てるって言ってた。一見お年寄りだけど、俺たちの手当はテキパキしてたな。そういえば血の廊下でも、全然ビビってなかったし。すげえ。
「それはよかった」
所長が酒を飲む。さっきは思い切りこぼれたけど、新しいボトル取ってきたんだな。
って、ちょっと待て。病院的なとこは、さすがにまずいんじゃないか? でも医者のじいさんは、何も言わない。黙認ってやつだろう。
「あの、所長」
俺は酒樽に声をかけた。
「はい」
「こいつ、耳聞こえないみたいなんです。それで誤解して、喧嘩になっちゃったそうで」
「あーあ、そうだったんですかあ。聞こえないんなら、メモとか持ってきてくださいよ」
所長はメガネに言ってため息をついた。こいつこそ聞こえてないんじゃねーか? 耳聞こえないやつに、口で言っても意味ないだろ。
俺はまた通訳をした。
「メモ用意しろ、だって」
「悪い、部屋に置いてきた」
メガネが答える。ああ、そういえばそうだったな。シャワー行く前、俺たちはいったん個室に行って、荷物を置いた。今はみんな、手ぶらで動いてる。
「手話できるんですか!」
所長が驚く。俺は口で言った。
「まあ、ちょっとなら。こいつ、部屋にメモ忘れたそうです」
「ああ、はい。わかりました」
所長は胸のポケットから、メモ帳とペンを出した。
「すいませんが、ジュリーさん。ここにさっきの話を、書いてやってください」
俺は左手でペンを取った。うーん、こんなんでいっかな。
『車椅子 72番←危険!』
あ、もう一つ書いとこ。
『名前なに? ジュリー・ヤンより』
俺が書いてるあいだ、所長はジャックと話していた。
「ジャックさん、災難でしたね。納得しましたか」
「はい、一応。あいつも悪気はなかったみたいですし。事故みたいなもんですよ。ただ、ジュリーには悪いことしたな。すまん、巻き込んで」
「甘いものくれたら水に流す」
俺は書いたまま言った。あ、そうだ。メガネにもこのこと言っとかないと。追記追記。
恨んでるわけじゃない。そもそも、自分から飛び込んでったわけだしな。でもケガの弁償は、きちんとしてもらわないと。二人とも、あのパンチは痛かった。
あと、マジで糖分がほしい。今日はめちゃくちゃストレスフルだ。どっかで気分転換がしたい。好きなもの食べたりしてさ。
確か広告にも、まかない付きって書いてあったな。たぶん学校の給食みたいな感じだろう。もしかしたらデザートが出るかもしれない。そのときに期待だ。
「さて、そろそろ大事なお話ですが」
所長が言う。俺は書き終えたメモを渡した。
「本牢獄には、いくつか職種があります。みなさんが所属するのは、看守か料理係ですね。どちらか好きな方をお選びください。あ、通訳お願いします」
俺は手を動かした。所長が続ける。
「看守の方は、ただいまたくさん空きがあります。給料も、こちらの方がいいですよ。一年すれば正式看守になれて、もっと給料上がりますしね。囚人からの、おこづかい稼ぎもできますから。順風満帆、ウハウハです。
ですが、どうしても厳しい。という方には、料理係を勤めていただきます。給料は看守より減りますが、シャバのレストランより上ですよ」
ジャックが手を挙げた。
「最低、何か月勤めるんです?」
「そうですねえ、軽く二月はかかります。二か月ごとに、行き帰り用の船が出ますから」
ジャックは淡々とうなずいていた。こいつ、やめる気だな。直感でわかる。たぶん料理係になって、船が来しだい帰るだろう。残念だな。こいつと一緒に看守できたら、楽しそうだったのに。
「他に質問は?」
メガネが手話をした。おおっ、こっちはすげえやる気だな。
「『どうしたら出世できますか?』って言ってます、所長」
俺が訳すと、所長は目を輝かせた。
「いい質問です! 素晴らしい! まずは一年勤めて、正式看守になってください。出世の話はそれからです。ジュリーさん、質問は?」
俺はちょっと考えて、言った。
「休暇あります?」
「今から二か月、勤めていただけたら。他には?」
みんな手を上げない。メガネも何も言わなかった。
「ではいきます。料理係を希望する方は、手を挙げてください」
ジャックが手を挙げた。やっぱりか。
「看守もいいですよ、儲かりますし。制服、かっこいいでしょう。ほら、この肩のデザイン」
所長が自分の服をなでる。媚びたような言い方だった。でも、ジャックの顔は固い。
「すいませんが、自分には」
所長は肩を落として、ドアを指さした。
「この部屋を出て、右に行ってください。突き当たりに食堂がありますから」
ジャックが立ち上がる。所長は顔を上げて、聞いた。
「お二人は?」
「看守やります」
メガネも手を動かす。
「看守を希望します」
俺が伝えると、所長はガッツポーズをした。
「おおーっ! よくおっしゃいました! ありがとうございます! 二人も入るなんて、ああーっ! めでたいっ! ささ、まずは握手を」
俺たちと握手したあと、所長はまたガッツポーズした。よっぽど嬉しいんだな。
「確か、あと二人いましたよね? 金髪と、赤毛の」
俺が聞くと、所長はさらっと言った。
「あのペアは料理係に回りました。ま、ともかく!」
所長が続ける。
「大変素晴らしいことです! それじゃ、施設を案内しましょう。あ。あなたはメモ取ってきてください」
「おい」
俺はメガネの肩をつついた。
「名前は?」
メガネが紙を見せる。
『ティム・ゴードン』
「ティムっていうそうです、所長」
俺が説明すると、所長は軽くおじぎした。
「ティムさんですね、わかりました。すいませんがジュリーさん、しばらく通訳してくれません?」
「どーぞどーぞ」
俺は手でティムに説明しながら、口で言った。
「所長が『メモ取ってこい』だって」
「あ、所長さん。俺もいったん、部屋戻っていいっすか? ちょっと忘れ物しちゃって」
同時に二人と喋るなんて、我ながら器用だと思う。
「かまいません。けど、できるだけ早く戻るように」
「はーい」
俺はティムと別れて、従業員用の個室に入った。部屋の番号は、7号室だったな。ラッキーセブンって思っとこ。