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牢の島  作者: 望月かなめ
3/18

この門をくぐる者は

「ささ、こちらへ」


 俺たちは酒飲み所長に続いて、岩山へ向かった。よく見たら山のふもとには、両開きの扉がある。でかい戸だけど、黒すぎて気づかなかった。くっついてる南京錠もでかいな。ショルダーバッグぐらいはあるんじゃね?


「あー、どっこいしょ」


 所長が扉にもたれかかる。案の定、またボトルを開けていた。


「ふー、うまい。ここですよ皆さん。こちらが牢獄入口です。今開けますからね」


 所長が鍵をいじくる。ゴン、と重い音がした。開いたんだよな? でも、扉は動かない。


「おっかしいですねー。今ので開いたはずなんですよ。あとは押すだけなんですが。えいっしょ、うんぬー!」


 所長が奇声を上げても、扉はびくともしなかった。


「年のせいですかねえ」


 息を切らして所長が言う。酒のせいもあるんじゃねーの? しょうがねえな。


「手伝うっすよ」


 俺も両手で扉を押した。うわ、マジで固い。「扉一つ開けられねーの? 弱っちいやつ」なんて思ってすいませんでした、オッサン。若者でもきついです。


 それでも体重をかけたら、何とか隙間が見えてきた。よし、いける。あ。


 押しながら俺は気がついた。よく見たらこの扉、ラクガキされてる。たぶん、ナイフで傷つけたんだろ。いろいろあって面白いな。


『クソ! ブタ! ゴミ!』

『借金 妻逃げ 子供逃げ → ここ』

『おととい来るわ! Very good byeeeeee!』


 こんなのもあった。


『この門をくぐる者は 一切の希望を捨てよ』


 すげえな。入ったら地獄、ってことか? まー、どうでもいいや。地獄だろうと煉獄だろうと、家にいるよりずっとマシ!


 俺は全体重をかけた。


「おーっ! 開いたー!」


 所長が声を上げる。俺は手を離してへたり込んだ。あああー、どっこいしょ! 肘が痛い。明日は間違いなく筋肉痛だ。


 顔上げたら、所長がこっち見てる。


「ありがとうございます、お若い方。おかげで助かりました」

「ジュリー・ヤンっす。よろしく、所長さん」


 軽く握手して、俺は一番乗りで入った。すぐ牢屋につながってるのか。と思ってたけど、そうでもない。


 重い扉の向こうには、また扉があった。今度の戸はちっちゃくて、一人ずつしか通れそうにない。ごつい錠とかもないな。丸いドアノブが、ちょこんと控えめについている。


「よいしょ」


 後ろで所長が、重い扉をつかむ。けど、うまく引っぱりきれない。さて、また助けるか。


 俺が行こうとしたとき、メガネが一瞬で扉を閉めた。二秒もかからなかったと思う。ひょろひょろだと思ってたけど、やるじゃん。こんな力があるなら、入るときも手伝えよ。


「ありがとうございます」


 所長が言う。メガネはすぐハンカチを当てた。


「ではここから、牢獄に入ります。覚悟してついてきてください」


 ちっちゃい戸が開く。中は真っ暗だった。うわ、そんなことより臭えっ! 生臭いにおいが、鼻の奥まで飛び込んでくる。腐った魚の山に放り込まれた気分だ。アル中所長どころじゃない。


「それじゃ、足元に気をつけて」


 当の本人は酒飲みながら、すたすた歩いてる。意外と足速いな。


 一〇ほどまっすぐ進むと、両脇にロウソクが見えた。あたりの景色も、ぼんやりとわかってくる。まっすぐな廊下の横に、牢屋がずらっと立ち並んでた。たぶん奥に、従業員入口があるんだろう。


「うわああ」


 後ろのやつが、怯えたような声を上げた。たぶん、あの金髪だな。右、左、どっちの牢屋も、鉄格子が血に塗れている。中の壁にも、血糊がこびりついていた。


 よく見たら、廊下にも血が流れてる。そういえば足元が、ぬかるみを歩いてるような感じだった。水たまりに近い、あの感触。今は血だまりだけどな。ずっこけないよう、気をつけないと。


 冷静に冷静に。心の中で、自分自身に言い聞かせる。でも、背筋がぞくりと冷えていた。


「すいませんねえ。今日は特に『72番』の機嫌が悪くて」


 所長は慣れた様子で、淡々と足を進めていた。とにかく今は歩くしかない。


 深呼吸してあたりを見たら、血がついてない牢もある。ただ、どこの囚人も目が死んでた。ジジイも中年もみんな、雑巾みたいにぐったりしてる。全員、幽霊かゾンビみたいだった。何だこれ、お化け屋敷かよ。


 ヤバい、動悸してきた。心臓がうるせえ。落ち着け自分、ゆっくーり歩くんだ、さあ。とりあえず俺は顔を上げた。できるだけ、血まみれの床は見ない。


 後ろから、咳みたいな声がした。所長が足を止める。


「ん? どうしました?」


 慎重に振り向くと、メガネがゲーゲー吐いていた。無理もない。所長の臭いだけでも、きつそうだったからな。


 俺はただただ突っ立っていた。赤毛と金髪の二人組は、思いっきり顔引きつらせてる。白髪のじいさんは「チッ」と舌打ちをした。


 けど、ヒゲづらのジャックは優しい。


「大丈夫か」


 声をかけて、メガネの背中をさすってやってる。いい人だなあ。俺は純粋にそう思った。かなりヤバそうな職場だけど、こんな仲間がいれば心強い。根拠はないけど、何とかやってけそうな気がする。


 所長もメガネのとこに来て、優しく励ましていた。


「よくあることです。気にしなさんな。ひと月もすりゃ慣れますよ。おーい誰か! 古新聞くれ!」


 どこかの牢から、何か飛んでくる。俺は後ろ手で新聞をキャッチし、所長に持ってきてやった。


「ありがとう。えいしょ、これでよし」


 所長はゲロに新聞をかぶせて、のんびりと体を起こした。地獄絵図でも、慣れたらリラックスできるらしい。「住めば都」ってことか?


「さ、立って。行きますよ。後で掃除するから、気にしないで」


 所長が続ける。ヒゲづらジャックが、メガネに手を差し出した。


「ほら、つかまんな。肩貸すぞ」


 でもメガネは、ジャックの手をつかまなかった。一人で立って、膝をパンパン払ってる。それから背筋をピンと伸ばして、スタスタ歩き出した。ハンカチをポケットにねじ込んで。今さっきへたり込んでたのが、嘘みたい。


「何だ? あいつ。感じ悪い」


 ジャックが舌打ちする。かなりでかめの声だが、メガネは気にしてないっぽいな。


「はあーっ。根性のある方だ。けっこうけっこう」


 所長が感心して、酒を飲む。よくこんな場所で飲む気になれるな! 俺は食欲も(のむ)欲も、湧く気がしねー。アル中もここまでいくと尊敬するな。


 しばらく歩くと、右の牢から声がした。


「所長さあん」

「何だね」

「死んでます」


 囚人が、左側の牢を指さす。チラ見したら、人が首を吊っていた。しかも、顔を通路に向けて。


「ひいっ!」


 思わず悲鳴が出た。職場で自殺現場見るとか、ありえねーよ普通! 所長の方は、相変わらず平気な顔してる。


「あー本当だ。まあ、今日中には片づけとくよ」


 血、ゲロ、それから自殺も、この牢獄では普通らしい。ヤベえな、また動悸がしてきた。


「でも、他にはいなさそうだな。今日は一人だけ、か。よかったよかった」


 所長が笑って、またボトルを開ける。いつもは二人以上死んでんのか? だいたい、度胸あるやつでもさあ、普通はもう少し落ち込むだろ。


 あ、そういえば、ここは「普通」じゃなかったな。


「お、だいぶ近づきましたね。あそこが入口です」


 所長が突き当たりのドアを指さす。ここも両開きか。一歩進んだ瞬間、向こうから扉が開いた。うわっ、まぶしい!


 慌てて目を閉じる。ゆっくり開けると、車椅子に乗った男がいた。服は所長と全然違う。囚人か。


「シャットコールだ!」

「おかえりなさいませー!」


 突然、牢屋じゅうがざわめく。さっきまで、みんな目が死んでたじゃないか。何だ急に?


「ご帰還だ!」

「懲罰房から、お戻りになられたぞおお!」


 囚人たちの歓声は、バカみたいに丁寧だった。英雄か何かが、凱旋したみたいな騒ぎぶり。けど、こんな声も聞こえる。


「殺される!」

「助けてくれー!」

「死にたくない、死にたくないよおお!」

「神さまーっ!」


 どっちかっていうと、悲鳴の方が強かった。ヤバい。何者なんだ、この車椅子は。


「静粛に」


 後ろから看守が出て、扉を閉める。また、あたりが真っ暗になった。それでも囚人の声はやまない。


「少し、止まりますかね」


 所長がぼやく。キィ、キィと音を立てて、車椅子が近づいた。


『まずい、逃げないと』


 車椅子の顔を見たとき、俺は突然そう思った。理由はわからない。とにかく直感だった。逃げろ逃げろ逃げろ。体中が、腕や足に叫んでる。


「おはようございます、所長」

「おはよう、ご苦労さま」


 所長と看守が、のんきに挨拶を交わした。そうしてる間にも、俺の体は叫び続ける。

 

 早く早く早く、逃げろ! 

 

 でも、足がすくんで動けない。背骨が震えてるような気がした。ヤバい、おかしい。どうしよう。自分の体が、自分じゃないみたいだ。


 車椅子はじわじわと、こっちに向かってくる。頼む、通りすぎてくれ! そう祈ったのに、突然俺の前で止まった。


「アア、イアオー、ウウウウウ」


 車椅子は何かうなっている。え? さっぱりわかんない。何言ってんだ、こいつ。


「な、何?」


 俺は思い切って口を開けた。背中を嫌な汗が伝う。早く、早く何か言え! 


「オア、アウ」


 突然車椅子が、俺を睨んだ。一秒? 一分? 一時間? ダメだ、時間がわからない。心臓がドコドコドコドコ、痛いほどにわめいている。喉が渇いて、まともに息もできなかった。


 車椅子は、刺すように俺を見続けている。普通は視線を変えるもんだが、こいつの目は動かない。まばたきすらしなかった。


 背骨と心臓を、わしづかみにされてる感じがする。ダメだ、全然身動きが取れない。立ってるだけで精一杯だ。誰か、誰か、助けてくれ。


「ウウ、アー、ウア」


 泣きそうになったそのとき、車椅子が動き出した。よくわかんないけど、とりあえず気が済んだらしい。助かった!


 後ろの看守も、静かに通りすぎていく。俺は安心して、ふと下を見た。気づいたら、ズボンの股がぬれている。いつの間にかちびってたらしい。


「死ぬかと、思ったあ」


 思わず声も漏れる。突然体の力が抜けて、俺はその場に崩れ落ちた。ドスン、と床についた途端、一気にオシッコが溢れ出す。


 股間のしみは広がって、あっという間に水たまりができた。ビショビショなはずなのに、何も感じない。脚の感覚が抜けていた。かなり溜まってたと思うけど、尿意もわかんなかったな。入ったときから、すでに出てたかもしれない。


 俺はオシッコが止まるまで、ボーッと下を見続けていた。


「大丈夫か」


 親切なヒゲづらジャックが、声をかけてくれる。


「ありがとう」


 俺はゆっくり顔を上げた。自然とみんなの足が、目に入ってくる。


所長と白髪のじいさん以外は、四人ともズボンを汚していた。股間周りを湿らせたやつ、すその先まで濡らしたやつ。程度はまちまちだけど、みんなオシッコ漏らしてる。


 俺だけじゃないみてーだな。いい大人が、そろいもそろってビビるなんて。本当、マジで覚悟しないと。


「さ、もうすぐですから、頑張って」


 所長が言う。俺は重いズボンに手をついて、立ち上がった。

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