72番
午後の仕事には、通常通り参加した。もちろん昨日の分身を使って。内容は囚人の仕事場と、体育の見張り。
ここの牢獄の囚人は、雑巾を縫う仕事をしてる。一針一針、全部手縫いだ。へーえ、囚人でも働くのか。今日初めて知った。
そういえば昔、こんなこと言ってたダチもいるけど。
『働きたくねー! あーあ、いっそ泥棒して、牢屋にでも行こっかな。あそこなら仕事しなくっても、いるだけで飯もらえるし』
世の中、甘くないもんだな。犯罪者にも仕事はある。失業の心配はないけど、給料はボロクソに安い。シャバでバイトする方が、よっぽどマシだ。
あのダチは結局、カタギの仕事で働いてる。大正解だよ。
72番は黙々と作業して、他のやつには目もくれない。真面目なやつなんだろう。血みどろの騒ぎも起こらず、労働時間は無事に終わった。
そのあとは体育の時間。この牢獄は、地下に中庭を作っていた。ちゃんと上から、日差しが入る作りになってる。
「囚人にも、気分転換が必要なんだよ」
副所長が言った。今日の種目は、陸上。庭をグルグル走るだけの、クソつまんねー運動だった。みんな苦しそうじゃん。何が気分転換だよ。
72番はものすんごいスピードで、車椅子をかっ飛ばした。飛ばしすぎて事故ってた。よけ切れなかった一人にぶつかり、72番も派手に転倒。
俺たち看守は手分けして、二人を医務室に運んでった。両者とも、全治一週間の入院。72番と巻き込まれたやつ・クルーゲルは、夜の食堂に来なかった。おかげで俺は、顔上げて突っ立ってられた。
めでたしめでたし。はい! 今日の仕事、おしまい!
「所長!」
夕食後、俺は所長に駆けつけた。
「囚人名簿、見せてください!」
「はあ? なんで?」
所長、目がどろーんってしてる。できあがってるな、こりゃ。今は一応立ってるけど、泥酔一歩手前かも。
「朝、約束したじゃないすか。囚人の名前覚えたいんすよ」
「ふぁーあ?」
あくびで返事すんなよ。あーあ、こんなんじゃ今日はダメっぽいなあ。
「いえ。何でもありません。おやすみなさい」
切り上げて部屋行こうとした、そのとき。
「おい新人」
ちょうど副所長が来てた。ラッキー!
「所長はもうお疲れだ。こっち来い」
「はい!」
副所長は夜の廊下を、すたすたと歩いていった。
「囚人名簿ならこっち、書庫だ。オレも管理職だからな。重要な部屋の鍵もちゃんと持ってる。所長がパーなときは、オレに聞け」
「ありがとうございます!」
「オレがパーなときは、所長に聞けよ。二人ともパーだったら諦めろ」
頼もしいんだか、何なんだか。よくわかんねーけど、とりあえず今は助かってる。素直に感謝しよう。
「よし、着いた」
副所長が書庫の鍵を開ける。部屋っていうより、物置みたいな感じだな。机、椅子の一つもない。タンスみたいな箱が、ぽつんと右の壁にくっついてる。
「ほれ」
「ありがとうございます」
所長は引き出しの鍵を開けて、俺に厚めのファイルを渡した。
「一応、機密書類だからな。持ち出しは厳禁だ。読むなら上司のいるときに、この部屋でだけ読んでもらう」
「はい」
「それにしても、ずいぶん熱心だなあ。勤務時間終わったっていうのに。普通の職場なら、残業っていうんだぞ」
あ、そっか。言われてみればそうだな。俺は入ってそうそう、上司を残業につき合わせてるわけか。
「すいません、なるべく早く読みます」
「いい。気にするな。勤務時間外だからな。オレは好きにさせてもらう。こっちは勝手に遊んでるから、お前も勝手に読んでいろ」
そう言って副所長は、注射タイプのヤクを打った。ここの上司は、理解があって助かるな。さて、俺も読もう。
「ホッホッヒ、フェーイ!」
ハイになった副所長が声を上げる。俺は表紙をめくった。囚人番号6番、グリーニ。14番、ズノゴ。初めのやつらは、みんな入院してる。老衰って書いてあった。死ぬまでここにいる囚人も、多いんだなあ。
とりあえず、入院中のは読み飛ばそう。たぶん、あんまり関わんない。今、働ける程度の囚人をチェックだ。30番、チェニー。うん、ここからだな。
「オオオオッ、ヤッホー!」
ハイの副所長がシャツを脱ぐ。俺は番号と名前だけ見て、どんどんページをめくってった。45、ギュロス。58、ジェムスン。69、マイソン。
70番、ギルム。ここで俺は鼓動を感じた。もうすぐ、あいつの番がくる。71、クィリア。そして、念願の。
『囚人番号 : 72
氏名 : アンリ・スノー』
看守もビビる、囚人のボス。入ってすぐに下克上した、最年少のシャットコール。名前はアンリか。
『罪状 : 殺人1件、幼児虐待多数』
「キョエエエエエエエッ!」
「うわあああああああっ!」
こんなタイミングで叫ばないでください、副所長! めちゃくちゃビビったじゃないすか! あー、死ぬかと思った。心臓がめっちゃドキドキしてる。
副所長はズボンまで脱いで、パンツ一丁で踊ってた。もっとうるさくなりそうだな。耳栓がほしい。とにかく読むぞ!
『備考等』
そこからは、びっしりと経歴が書いてあった。
『1995年 (0歳) グランツェ孤児院にて保護。出生地不明。
2008年 (13歳) 孤児院院長、アリス・クレール氏を刺殺。現行犯逮捕
同年 若年者牢獄入居(刑期20年)
同年 乳児および幼児への虐待容疑により再審
懲役20年→終身刑(若年者措置あり)
2009年 (14歳) 暴行のため、若年者牢獄を追放。一般牢獄へ移送
2010年 (15歳) 暴行のため、一般牢獄を追放。ガリアス牢獄へ移送』
若年者措置ってのは確か、若者への恩赦的なやつだよな。20代までならこの措置で、ちょっとだけ刑が軽くなる。
それでも終身刑かよ。虐待だからな、当然っちゃあ当然だ。けど不思議だなあ。孤児院の人は、アンリ止めなかったのか? ひょっとして、ガキの頃から最強とか。
考えるだけで身震いした。副所長はノリノリで、誰かにケータイかけてる。
「しょーちょーお! あっそぼーよ! 今、管理室にいてさー! 新入り呼んでトランプしなーい?」
仕事のときと、全然口調が違う。所長とは、かなり仲いいんだな。
「ティムも来るー? わかった!」
副所長は電話を切って、また踊り始めた。さて、読もう。
『備考 : 先天性肢体不自由(両足)、右目・舌の欠損、自傷癖あり』
自傷、か。ついついそこに目が止まる。やっぱり腕の傷は、リストカットだったんだな。意外と精神まいってる? 捕まってから病んでるのか、もっと前から切ってるのか、どっちなんだろう。
車椅子なのは、生まれつきだったんだな。じゃあ、目と舌は? そこだけ「先天性」の文字がない。事故ったりでもしたのか?
ぼーっと考えてたそのとき、でかい足音がした。ノックもなしにドアが開く。
「こんばんはーあ」
千鳥足の所長と、ボトル持ったティムだ。ティムの顔も、ちょっぴり赤くなってる。二人とも飲んでたんだな。
「おーっ! おっ疲れさまー! パーッといこうぜェーイ!」
副所長はパンツ一丁で、堂々と笑ってる。俺もハイになりすぎて、道端に全裸で寝たことがあった。気づいたら、なぜか裸! って感じで、全然記憶がなかったな。
あの途中を客観的に見ると、こんな感じなのか。うわっ、自分でも引く。
「ポーカーやりましぇん?」
ぐでぐでな声で所長が言う。俺はティムに訳した。完全にボランティア通訳だな。
「ポーカーだって」
「ありがとう。いいね! ジュリーはしないの?」
「悪い、ちょっとこれ読むから」
「ガリ勉かよ!」
は? ガリ勉? 俺は軽く舌打ちして、ページをめくった。勉強呼ばわりかよ、うっせーな。今夜はもう訳さねーぞ、ティム。困っても知らないからな。
俺は勉強が嫌いだ。「右手使え」って言われる飯と、同じくらい嫌いだ。「勉」めを「強」いて「勉強」だろ? 俺、努力とか頑張るとか、あんま「勉め」ないんだよ。それから「強いる」ってのが大っ嫌い。自由がねーじゃん。
いるんだよなあ。ちょっと本読んでるだけで「勉強?」って言ってくるやつ。好きでやる読書と、勉強をごっちゃにすんじゃねーよ。楽しい読書様への侮辱だ。
でも、これって読書か? 小説を読むのとは、ちょっと違う気がする。けど俺は、心のどっかでワクワクしてた。あの72番を、少しは知れるかもしれない。不謹慎かもしれないけど、気になるんだ。
つまり興味本位、面白半分。怖いもの見たさ、ってやつだな。読書じゃなけりゃ何だろう。「調査」? うん、それがいい。今俺は、調査の真っ最中なんだ。
「よっしゃー! ワンペア!」
「強いれふねー。イグリすぁん。わたくしなんかあ、一枚もお」
「アハハ。所長、ついてなーい! え? おい新人、フルハウスう? ひゃああああ!」
泥酔所長とハイの副所長が、はしゃいでても気にしない。グシュヒュヒュ、ってティムが笑う。不思議な笑い方だけど、気にしない。
そんなことより72番、アンリ・スノーだ。あとの囚人の名前は、明日以降にチェックする。さて、他に何かないか?
なーんて思ってたら、煙が目の前を横切った。臭っ。ポーカー三人組をちらっと見たら、ティムが堂々とタバコ吸ってる。おい、ここ書庫だぞ。燃えたらどうすんだ。
けど所長も副所長も、全然注意しない。二人とも自分のカードに夢中だ。ティムは携帯灰皿を出して、新しいタバコを出してる。ゴミ処理すればいい、ってもんじゃないと思うけど。
ま、いいや。上司様も叱ってないし。全く、めちゃくちゃな職場だな。兄貴が見たら「堕落してる!」って怒りそう。
でも、俺にとっては都合がいい。新人のバイトが、個人情報ガン見できるんだからな。よし、続き読もう。
『性格は極めて凶暴。囚人・看守の別なく刺す』
これは所長の言ったまんまだ。でも、たったそれだけ。詳しくは書いてない。あと気になるといえばなー、生年月日だ。
『生年月日 : 1995年8月8日』
へえ、夏生まれか。だからどうってこともないけど。そういえば今日って、何日だっけ? 確か7月8日だったな。ちょうど一か月後じゃないか!
俺は名簿を閉じて、ひと月後に二五になる囚人を思った。アンリ・スノー。こいつ今まで、どんな気持ちで過ごしてたんだろ。さっきのページによると「暴行」しまくってたぽいし。やっぱ荒れまくってんのかな。
アンリは一三歳で捕まってる。俺も一三のときは荒れてた。アンリほどはしなかったけど。とにかく家や周りが、ウザったくて。それから、恐くて仕方なかった。確かヤクにはまったのも、あの頃だったな。
よく暴れる動物、威嚇する獣ほど、内心は怯えている。昔、どこかの誰かが言ってた。何かの本だったかもしれない。
とにかく初めて聞いたとき、納得したのを覚えてる。俺は怒られるたびに、いっつも怒鳴り返してた。わめいてないと、暴れてないと、自分がつぶれそうだから。言う方はどう思ってるか、知らない。けど俺には、生きるか死ぬかの戦いだった。せっぱつまってた。
その傷や息苦しさを、ヤクやセックスが癒してくれる。そんな気がして溺れまくった。実際、そうでもなかったけど。ヤクは副作用? が出るし(フラッシュバックっていうらしい)、セックスは人とのぶつかり合いだから、厄介なこともしょっちゅうあった。
でも、ないよりはマシだったと思う。もしセックスがなかったら? 別にいい。ヤクがついてる。じゃあ、ヤクがなかったら? 破滅だ。どうやって逃げればいい。ひょっとしたら俺も、殺人してたかもしれないな。
アンリはとんでもないやつだ。乱暴で冷血。もしかすると、頭も壊れてるかもしれない。吐くほど寝返り打ってたし。俺は世間的に見れば不良だけど、その中じゃまだ平凡寄りだ。アンリと俺は全然違う。
でもアンリの罪は、他人事に思えなかった。まさかこいつも、何かに怯えてるんじゃ。そりゃないよな。どう考えても、アンリが圧倒的に強そうだし。
けど、本当に強いなら、どうして子供に虐待を? ていうかちょっと待て。
俺はさっきのページを開き直した。確か捕まったとき、アンリはまだ一三だよな。アンリ本人もガキじゃないか。うーん、見れば見るほど謎が深まる。なんだか、小説の探偵になったみたいだ。ただ俺は、名推理とかできないけど。
なんていろいろ考えてた、そのとき。
「イェッフー!」
俺の頭に、何かがポンって乗っかってきた。ん? 何だこの白い布。ハンカチともちょっと違うし。まさか!
「ハーララ、ヒエーッ!」
ハイになった副所長が、でかい声で踊り狂ってる。今度は全裸だ。じゃあ、もしかして!
改めて布を見直すと、純白のブリーフだった。
「うげっ! ちょ、何するんすか! 副所長!」
「アンギャー! ゴオオオオオオ!」
ダメだ、会話にならねえ。
「ふぁっふぁっふぁ」
所長はまぬけな声で、ニタニタ笑ってた。ティムはタバコくわえて、こっちに手話を送ってる。
「ドンマイドンマイ」
ドンマイじゃねー! ったく、どいつもこいつも!
「お前らああ!」
俺はもっかい書類を閉じて、ポーカー組の方に向かった。敬語? 礼儀? そんなの海に捨ててやる。
「俺も混ぜろ! 酒だ! 酒くれ!」
「え、ありゃ」
俺は所長のボトルをひったくった。この野郎、さっき笑いやがって。悔しいから仕返ししてやる。あークソ、まずい。
勢いで酒ひったくったけど、そういや俺、甘いカクテルしか飲んだことなかった。あとチューハイ。がっつりした飯がありゃ、ビールくらいはいけるんだけど。つまみなしのウイスキーは、きつかった。
ああ、もういい! とにかく騒ぐぞ! 今日の調査、おしまい! 俺はボトルを置いて、言った。
「おいティム、火貸して」
ティムがライターとタバコを出す。俺はライターだけ取って、ポケットからヤクを出した。タバコみたいに、火つけて煙吸うタイプ。
でもタバコと違って、味も臭いもないんだ。完全に無味無臭。苦くないから、お子ちゃま味覚の俺でもいける。そのぶん危険っちゃ危険だけど。違法だし。
「ドラッグ? やめろよ」
ビビった顔でティムが言う。ハイハイ時間切れー! もう火ついてますー! 煙出てますー! どうしようもー! ありますぇーん!
「お前タバコ吸ってたろ俺はタバコ苦手なんだ煙臭いし。俺は臭くて迷惑お前はヤク酔いで迷惑。迷惑迷惑でお互い様だほっとけ」
俺は超早口(早手?)で喋り終え、ゆっくりと煙を吸った。ふー。体にしみる。嫌なことも今日の疲れも、全部消えていきそうだ。
「さっきは火ありがとな。ポーカー、混ぜてくれる?」
今度は落ち着いて言った。ん? ティムはポカーンってしてる。あ、口で喋ってた。悪い悪い。気持ちよくって、ついつい頭がバカになってた。
俺は手で言い直す。次はティムもわかってくれた。気づいたら、副所長もおとなしく座ってる。
「よし、もうワンゲームだ」
冷静な声で、副所長がカードを切った。全裸だけど。とりあえず人の言葉にはなってる。
「ぱはーあっ!」
所長は残りの酒をガブ飲みして、寝た。ゴロンと寝っ転がって一秒、さっそく寝息を立てている。
副所長はいったんカードを置いて、所長の腹に自分の服をかけてた。へえ、けっこう優しいんだな。服っていうか、ズボンだけど。
「グシュヒュヒュヒュ」
ティムが笑う。どうしたんだ? 急に。まだゲームは始まってないぞ。あ、俺のヤクの煙、吸っちゃったかもしんない。このヤクには、ハイになる作用もあるからなあ。俺もちょっとノッてきた。
「よし! 始めるぞ!」
副所長がカードを配る。カード同士がこすれる音でも、たまんねえ。マジでワクワクしてきた。あー、ヤクがキマってんな。
自分のカードを見るだけでも楽しい。ワンペアもない、めちゃくちゃなやつだけど。そういえばアンリの人生、半生もめちゃくちゃだったな。
まーいいや! 俺はいったんアンリを忘れて、ポーカーに集中した。今は全部バラバラだけど、この先変わるかもしれない。フォーカードの可能性も、〇じゃないからな。
※補足 : ポーカーを知らない人のために
ポーカーとはトランプゲームの一種です。カードの強さ弱さを競って、ギャンブルに使われることも多いとか。
この話で出た用語を、ざっと説明しますと……
ワンペア : ドベ2的存在。最弱ではない。
フルハウス : かなり強い
フォーカード : ものすっごく強い。ほぼ最強。
という感じです。
さらに気になる方は、各自調べてみてください。