気になる視線
この家は、左門という名の、由緒正しきお家柄のお家なのだそうだ。
三世帯が住む、十五人家族だそうで、現在、世帯主の左門龍治氏は、国会議員をしている。
如月と杉野、そして柳田は、この左門家で次々と起こる怪事件を解決するため、泊まり込みで調査をしていたらしい。
まず、昼夜問わず、ラップ音が鳴り響く。吐き気やおう吐など体調不良は、家族ほぼ全員に及ぶ。
『防魔調査室』の面々が掃討したおかげで、現在は清浄であるものの、当初は家じゅうに魑魅魍魎が溢れていたらしい。
如月の話では、完全に何者かによる『呪術』による『攻撃』で、『防魔調査室』が入ったことも先方は承知のはずであるのに、その攻撃はおさまらないらしい。
いや、むしろ。今週に入り攻撃性が増した。
今まで、直接的な攻撃はなかったのに、猟奇的なものへと変化した。
最初に、攻撃されたのは、龍治氏の娘にあたる十九歳の美奈。左腕を切断され、現在、入院中だそうだ。私が助けたのは、龍治氏の妹の三十九歳の理香。現在は、病院に搬送され、家人が付き添っている。
私は、重苦しい空気の中、如月たちの口利きで風呂を借りた。
正直、ラップ音が鳴ったり、魑魅魍魎が溢れていたようなお家で、風呂に入りたいとは思わないが、血まみれ状態ではタクシーで帰るのも躊躇われる。
伝統的日本家屋にあるのに、浴室は、最近リフォームしたのか、現代的で、しかも脱衣場には冷暖房完備という至れり尽くせりの広いお風呂だ。三人くらい簡単に入れそうな浴槽。
私は、贅沢な気持ちで、シャワーを借り、石鹸を泡立てる。
そう言えば、小説の中で、杉野が風呂に入るという、お色気シーンがあったなあ、と私は苦笑する。
――杉野さんが、私に変わったら、ビジュアル的に読者はがっかりだよね。
そんなシーン、誰も求めてないわー、と思わず独りごちた。
泡を立てて、身体についた血糊を丁寧に清める。
シャワーの蛇口に手をかけようとして。
首筋がゾクリとした。
思わず、タオルを胸に当て、そっと振り返る。
浴室の入り口に、ソレはいた。
先ほど見た鬼だ。
ギラリとした金の目が、私を見ている。舐めるように、ギトギトとした欲情を感じさせるいやらしい視線。
――この目は、この鬼じゃない。
直観した。
術者が、鬼の目を通して、私を視ている。
攻撃性は感じないものの、その欲情に満ちた視線にゾッとした。
私は刀印を結ぶ。タオルが身体からはらりと外れ、全身が露わになったものの、気にしてはいられなかった。
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前
格子に切った光が鬼に向かって走った。
ぎゃあ、と鬼が叫ぶ。しかし、鬼の目に悦びの色が浮かんだように見えた。
「マイ!」
ガラリ、と浴室の扉が荒々しく開けられ、如月が飛び込んできた。
鬼は、にやりと嗤い、すぅっと壁に消えていく。
「無事か?」
「……はい」
如月の顔を見た途端、ホッとしてヘナヘナと力が抜け、私はぺたんと床に座り込んだ。
「……」
鬼の消えた方角から、私の方へ視線を移した如月は、そのまま無言で固まった。
「ねえ、如月、血相変えてどうかしたの?」
杉野がヒョイと扉から顔を出した。
そして、私と、如月を見る。
「やっぱりDカップあるね」
彼女は私の胸をちらりと見て。
「とりあえず、乙女のシャワーを邪魔するのはやめなさい」
如月の片耳をつかみ、ずるずると引きずっていく。
「どうかしたのか?」
脱衣所の向こうから柳田の声がした。
「あー、コトは済んだみたい。今入ると、後で如月に殺されるよ」
杉野は扉の向こうに声をかけながら、如月を浴室から追い出す。
「マイさん、早く着替えないと、風邪ひくわよ」
パチリとウインクを投げ、彼女は浴室の扉を閉めた。
――着替え。
その言葉で、私は、自分の状態に気が付いて。
――キサラギに、ハダカをミラレタ。
今さらながらに、私は顔を熱くした。
杉野が貸してくれたのは、ピッタリとしたTシャツとジーンズのホットパンツ。
私としては、身体の線とか足が出すぎて、かなり恥ずかしい。杉野くらいの美人であれば、平気であろうが、私の場合、目立ちたがっているとしか思われないと思う。
――ま。全身、ミラレチャッタことを思えば、どうってことないか。
開き直って、髪の毛を乾かし、防魔調査室が本部として使用している部屋へと顔を出した。
「マイちゃん?」
柳田は私の格好に驚いたらしい。ノートパソコンを開いたまま、ポカンとしている。普段の私からは、あまり想像がつかない格好なのだろう。
「お風呂、ありがとうございました」
「服、着られたみたいね、よかった」
杉野がほっとしたように私を見る。彼女は、机の上で、札を何枚も書いているようだった。
「柳田、北の結界が壊れていた」
私の後ろから、如月の声。振り返ると、外を調査して戻ってきたであろう如月と目が合う。
私は視線を慌てて外し、「先ほどはありがとうございました」とお礼を言った。
「あら、お礼を言うのは如月の方でしょ? イイモノ見たンだから」
くすりと、杉野がそういった。
杉野って、ずいぶんアケスケな物言いをする。美人なのに全く飾らないひとだ。
「杉野」
怒ったように如月が杉野を睨み、私の方を見て、急にまた、真っ赤になり、慌てて顔をそむけた。
「怪我はなかったか?」
「はい。おかげさまで」
如月は部屋に入ると、柳田のパソコンを覗きこんだ。
「ここの結界だ。結界を破ってすぐ、マイと遭遇したようだ」
「まあ、敵さん、左門の人間が狙いだろうから……マイちゃんをどうこうする気はなかったと思うけど」
柳田はそう言って首をすくめる。
「それにしても、どこの誰かね? なかなかしっぽがつかめん」
ふうっと柳田がため息をつく。
「誰かはわからないけど、たぶん男の人です」
私は、呟く。
「え?」
如月と柳田が、私の方を向く。
「あ、いえ……その鬼が」
私は、真っ赤になった。
「とてもいやらしい……なんだかギトギトしていた目で、じっと私の裸を見ていた気がして」
バキッと嫌な音がした。
如月が手にしていたペンをへし折っていた。
なんか、怖い。私の言葉に何か思うところがあったようで。
「ふうん」
と、柳田が、感情の読めない相槌を打つ。
「あ、えっと、根拠はあまりないです。自意識過剰な意見でごめんなさい」
慌てて私は頭を下げた。素人意見を言ってしまって、申し訳ない気分になる。
鬼の目が欲情しているように見えたって、あり得ないよなあと、反省した。
「如月、冷静に行こう、ね?」
杉野が、言い聞かせるように、そう言った。
夕刻。
もう一度、佐久間さんに電話したら、佐久間家の夕食にご招待していただくことになった。もともと、佐久間さんはそのつもりだったらしい。
私が、「寄り道」をして帰ることに、如月は渋い顔をしたが、泉波に来た理由は、佐久間さんに会うためなのだ。
「とりあえず、その格好で夜道は絶対に歩くな。ケチらずタクシーを呼べ」
如月は、目をつり上げてそう言った。
「そんなに心配しなくても」
誰も襲ったりはしませんと言おうとしたら、すごい目で睨まれた。
杉野に借りたこの服は、確かに露出度は高い。いつもより多少、リスクが高いのは間違いないケド。
「夜十時には帰れよ。家に着いたら連絡入れろ」
佐久間さんの家の前まで送ってくれたのは有難かったが、口うるさい兄貴を持ったような気分になる。
でも。恋人ではないにしても、こうして心配してくれる気持ちは本物だ。
――これだけで充分幸せだよね、私。
私は、如月に約束をすると、車から降りた。
佐久間さんの家に来たのは、二回目である。
初めに来たのは、避難所を出て、アパートへ引っ越すことが決まった日だ。
佐久間さんは、旦那さんと、小学五年生の女の子との三人家族だった。
呼び鈴を鳴らして、戸を開けてくれたのは、高校生くらいの少女だった。
「静香ちゃん?」
「そうです。」恥ずかしそうに、彼女は微笑んだ。当時十歳だった少女も、もう十六だ。
「私のこと、覚えている?」
「はい。舞さんには、いっぱい遊んでもらいました」
可愛いなあと思う。きっと男の子にも人気があるだろう。
「まあ、舞さん、本当に綺麗になって」
佐久間さんは記憶とあまり変わらない姿だった。二十歳を越えたら、たとえ十年たっても大きく外見は変化しない。
もうアラフォーのはずの佐久間さんだけど、六年前と同じ美しさを保っている。
「謙藏、よくわかったわねえ。私だったら、声、かけられないわ」
くすくすと佐久間さんは笑った。
「はあ」
私は曖昧に微笑む。熊田の言葉が頭によぎって、佐久間さんの言葉を社交辞令と受け流せない。
「今日はね、舞さんが来るから、謙藏もよんでいるの」
「え?」
驚く私の視線の先に、笑顔を浮かべた郡山が、そこにいた。
食事会は、佐久間さんご夫婦と静香ちゃん、郡山、そして私という五人で、和やかに行われた。
話題の中心は、もっぱら静香ちゃんの部活の武勇伝。テニス部の彼女は、それなりに有名な選手なのだそうだ。
美味しいご飯に、楽しい話題。これ以上ない幸せな時間のはずなのに、私は、郡山の視線が気になった。ほんの時折であるが、ネットリとした、粘着質をおびた目で、見られている気がするのだ。
――熊田に言われたから、そう思ってしまうだけ?
勘違い、といえば、勘違いなのかもしれないけれど。
「でも良かったわ。舞さん、本当に幸せそうで」
ニコニコと佐久間さんがそう言った。
静香ちゃんは、お気に入りの叔父さんである郡山とテレビゲームに興じている。
「佐久間さんのおかげです」
本当に、佐久間さんがいなかったら、今の私はいない。
「謙藏は、昨年、婚約者を亡くしたの……」
佐久間さんは、悲しいいろを目に浮かべ、そして、郡山の背に視線を向けた。
「……事故だったわ」
苦しそうに首を振った。
「そうですか」
私はただ、頷く。
「でも良かった。舞さんと再会できたのだもの」
ホッとした笑顔で佐久間さんは私を見る。
「だって、舞さんは、謙藏の初恋のひとですもの。あの子も、やっと桃子さんを忘れられるわ」
「え?」
信じられない佐久間さんの言葉に、絶句しながら。
私の頭のどこかで、小さな警告音が鳴り響いた気がした。