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私は隣の田中です  作者: 秋月 忍
第二章 血の芸術
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血の芸術

6/16 誤字等を一部訂正。内容に変更はありません。

  暗い。

 後頭部がズキズキする。

 すこし湿っぽくひんやりとした空気。背に感じるのは、硬くて、冷たいコンクリートの感触。そして、それ以上に、ぞくりとする肌がざらつく嫌な感触が全身にまとわりついている。

 私は、ゆっくりと自分の身体を動かしてみようとした。

 そこら中に小さな痛みが走る。首と、手首と足首に金属の固い感触がある。どうやら、拘束されているらしい。

 動かせる範囲で視線を走らせた。

 天井は闇に溶けて見えない。寝かされた床に、僅かに白い発光したラインがみえる。

 この場所はかなり広いらしく、壁らしきものは闇の彼方のようだ。

 どれくらい経ったのか、時間間隔はない。最後の記憶より、かなり場所が変わっているところをみても、それなりに時間は経過しているに違いない。

 こんな状況なのに、自分でも意外なほど冷静だった。

 おそらく『私の不在』に、如月が気付くまで、それ程時間がかかるとは思えない。

 異世界にでも飛ばされていれば、それこそ、どうしようもないが。

──如月はきっと来てくれる。

 何と言っても、彼は主人公なのだから。ここが現実である以上、彼だって万能ではないことは理解しているが、私の中で、如月は、やっぱり絶対的なヒーローだ。

 とはいえ。私は、涙にくれて、ただ待っていれば良いお姫様ヒロインではない。

 それこそ、一行で生殺与奪の運命にさらされるような、『その他大勢』なのだから、自分で助かるための努力はしておかねばならないだろう。

――さすがに、如月が私の屍越えていくってストーリーは、勘弁したい。

 もちろん、それが「お話」であるなら、話の盛り上げに一役買えて、脇役的には超おいしいシーンではあるけれど

――ドラマだと、遺体役のエキストラって、意外と競争率高いのよねえ。

 もし、私が屍になっていたら、如月は涙くらい流してくれるかなあ、と考え……その考えを打ち切った。

 最近、急速に親密度が増した気はするけれど、所詮、ただの隣人である。

 隣に住むようになって二年ほどたつが、もともと交わりの少ない都会のマンションの話だ。私が白骨死体で見つかって、マスコミが如月のところに、取材に訪れたとしても。『挨拶も良くしてくださる、気さくな女性でしたよ』と言葉少なにコメントしてくれれば、有難いと思わねばなるまい。

――この発光しているライン、すごく嫌な感触がする。

 電灯でも、レーザ光でもない、その光から、ぞくりとするものが流れてくる。

――よくわからないけど、魔法陣の上に、私、寝転ばされているみたい。

 その図形が、どんな紋様を描いているのか確認できない。もっとも、確認したところで、それが意味することなど理解できないのではあるけれど。

「あら、お目覚めかしら?」

 妖艶な美女の声。

 眩しすぎる懐中電灯をこちらにむけられ、顔はよくみえない。

 カツカツと靴の音を立て、その女性は私の頭上にやってきた。

「月島さん?」

 私の言葉に、彼女は答えない。

 おぼろげな明かりの中で、彼女の手に白銀の刃が煌めいた。

「そんなに、怯えなくてもいいのよ、身体を傷つけたりはしないから」

 彼女はそう言って、腰をかがめ、私を見た。恋い焦がれたものを見るかのような熱を帯びた瞳。

 彼女の口角が、くっと上がり、ナイフを自らの人差し指に当てた。

「大丈夫よ、貴女は、私の血を舐めればいいの」

 そういって、私の唇を血が滴る人差し指でゆっくりとなでる。

 目を見開く私を、クスクスと、彼女は笑った。

「心配は無用よ。私、あなたの身体を傷つけたりはしない……だって、私は、あなたになるのだから」

 月島薫は、艶然と微笑む。

 微笑む彼女の身体から、黒いシミのようなものが揺らめいていた。

 それは、徐々に、闇を集め、蛇のかたちになっていく。

「私になる?」

 理解が出来ない。

「あなたの身体をもらうの。そうして、私はあのひとを成功させて、そして一緒になるのよ」

 夢見る少女の声で、嬉しそうに月島薫は笑った。

「子門さんのことですか?」

 私がそう言うと、彼女の瞳に嫉妬の光が浮かぶ。

「その名を、気安く呼ばないでほしいわね」

 彼女はナイフをちらつかせながら、冷たくそう言った。

 彼女の身体から伸びる触手のように、黒い大蛇が、私の身体を絡め取っていく。息が苦しい。

――印が結べない!

「九字を唱えて!」

 どこからか、桔梗の鋭い声がとんだ。

 わかってはいても、手が拘束されていて、刀印が結べない。かといって、このまま死ぬのは嫌だった。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


半ばやけくそで、九字を唱えた。全身に激しい痛みが走ると同時に、私の身体が大きく発光した。

ピシリと、音を立て、身体を締め付けていた金属が吹っ飛ぶ。両手がフリーになった。

「マイちゃん! もう一度、早九字!」

 桔梗の声に、状況もわからず、私は、寝そべったまま印を結ぶ。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 燐光が私の指を追いかけるように線を描いた。

 ぎゃっー

 声にならない叫びを上げ、黒い大蛇が私から離れる。

「大丈夫?」

 ふわりと現れた桔梗に、わたしは身体を支えられ、身を起こした。

 目の前には、先ほどの九字の衝撃で、腰をついた月島薫と、憎悪に満ちた光を放つ大蛇がいる。

「すぐ、悟さまが来るわ……入り口を捜すのに手間取っているみたいだけど」

 桔梗は、そういって、剣を構えて、私と大蛇の間に立つ。

「なぜ? 私は、あなたになりたいだけなの! 邪魔しないで!」

 ヒステリックに、月島薫が叫んだ。

「マイちゃんが魅力的なのは、マイちゃんだからなの。貴女はマイちゃんにはなれない」

 桔梗はそう言って、ついっと大蛇との距離をつめる。

 不意に、背後で爆発音のような音がした。びくりとした私に、桔梗は「大丈夫」と、私にニコリと微笑んで見せた。

 桔梗の身体は暗闇の中、鈍く発光している。それは、彼女が式神である証だ。

「あーあ。悟さま、完全にキレてる。早いうちに反省したほうが、貴女の身のためだけど……」

 桔梗が月島薫を見ながら、首を振った。

「どうして? 私のほうが綺麗なのに。愛しているのに!」

 月島薫は絶叫した。闇が、吹き荒れる。彼女の身体から、無数の蛇が放たれた。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 部屋の中に、力強いテノールの声が響き渡った。

 目を焼きそうなほど強い光が部屋中に満ちた。

 ぐわあっ

 血を吐くような絶叫。

 そして。

 光が消えた時、血を吐いた月島薫が倒れていた。



 白い廊下に静寂と、重く冷たい空気が満ちている。

 病院の集中治療室の前で、私は如月に肩を抱かれ、苦悩に満ちた表情の男と対峙していた。

 男の名前は、月島健吾。月島薫の父であり、ムーンライトホテルの支配人である。

「娘を、追い詰めたのは、私です」

 ポツリ、と彼はそう言った。

「薫が子門君に恋をした時、私は、彼に、薫に手を出したら援助を打ち切ると、言い渡しました」

 健吾は首を振った。

 子門は健吾にそう言われ、月島薫から、明らかに距離を置くようになった。薫が何を言っても、子門は『立場が違う』の一点張りで、取りつく島もなかったらしい。健吾は薫に泣きつかれ、「画家として成功すれば交際を認める」と、口走った。

「薫は……子門君を成功させることに夢中になりました。その行動は、徐々に常軌を逸し始めていたのに……私は、気が付かないふりをしていた」

「女中が二人、行方不明になったと聞きましたが?」

 如月の問いに、健吾は苦く笑った。

「薫が、嫉妬のあまりに、暴行を加えたのです。表沙汰にしないために、病院へ連れて行き、治療費と称して、金を渡し……薫が再び襲わぬように、姿を隠すように伝えました。一人は、まだ、隣県の病院に入院しています」

 では、少なくとも、生きてはいるのだと思い、私はホッとした。

「私も、薫も何も言いませんでしたが、子門君は何か感じ取っていたようで……ロビーに飾る月の女神の絵が完成したら、アトリエから出て行くと、告げに来ました。どうやら、薫は、それを知っていたようですね」

「その話は、いつ?」

 如月の目が鋭くなる。

「今週の火曜日の話です」

 それは……私たちがムーンライトホテルに行った翌日だ。

 カツカツという音がして、集中治療室から、子門仁が出てきた。

 顔色が悪い。

「旦那様、ありがとうございました」

 子門がそっと健吾に頭を下げる。

「……お嬢様のそばに、いてあげてください」

 子門の言葉に、健吾は頷き、私たちに頭を下げて集中治療室に入っていった。

「僕のせいで……すみませんでした」

 子門は私に頭を下げた。

「お嬢様の気持ちを知っていながら……僕は逃げようとした。それが、結果として、こんなことになってしまいました」

 自嘲めいた笑いを子門は浮かべた。

「でも。子門さんは、薫さんのことが好きだったのでしょ?」

 私がそう言うと、「どうでしょうか」と、彼は首をすくめた。

「すべてを捨てられるほど……ではなかった。僕の気持ちが中途半端だったばかりに、お嬢様は僕を必死に成功させようとなさっていた……時に、他の男に身を任せるほどに」

「え?」

 私は、意味がわからず、瞠目する。

「私を抱きたければ、この男を越えろと、そんな目で、僕の目の前で何人もの男とね」

「そんな……」

 そんなことをしたら、子門の心が離れてしまうとは考えなかったのだろうか。

「……だから、俺を誘おうとしていたのか」

 如月が、得心したように息をついた。

「彼女は、ショックだったと思いますよ。舞さんが帰ると言った時、当たり前のように如月さんは帰ると言った。直接的に誘ったわけではありませんでしたが、今まで、ワンナイトラブを誘った男に断られたことは、なかったでしょうし」

 さらりと言い放たれた子門の刺激的な言葉に、私は下を向く。

 一夜限りとはいえ、好きな人の前で、他の男に身を任せるなんて普通じゃない。振り向かせたいにしろ、奮起させたいと思ってのことにしろ、なんだかあまりにも痛々しい。

「寂しかったのでしょうか」

「たぶん……イエスも、ノーも言えなかった、僕の責任です」

 子門はそう言って、懐から、一枚のハンカチを差し出した。

「舞さん……これを受け取ってくれませんか」

 それは、アザミの花の刺繍の入った小さなハンカチだった。

「あ……」

 私は小さく息をのむ。

 小さなアザミの花の下に、「M.S」とイニシャルの刺繍。

「何年か前、例の夢を見た時、朝起きたら、僕はこのハンカチを握っていた」

 私は、ハンカチから目が離せない。

「笑いますか? 僕は、これが、夢の中の女の子の持ち物だって確信した。だから、ずっと、これを返したくて、夢に捕らわれていたんです」

 現実の人間関係よりも、ずっとこだわっていた、と、子門は苦笑した。

「なぜ……私に?」

 私は、ハンカチを手にする。

「なぜでしょう? 僕にも説明できませんが……あなたに受け取ってもらえたら、僕は夢から解放される気がする」

 子門は穏やかな笑みを浮かべてそう言った。私は、コクンと頷いて、ハンカチを胸に抱いた。

「……ありがとう」

 子門は、ホッとしたように微笑み、集中治療室に目をやった。

「どうなるかわかりませんが……今度は、しっかり答えを出すつもりです」

 月島薫は、現在「大量出血」のため、危篤状態である。

 彼女が放出していた無数の蛇は彼女の血でかたどられていたものらしい。

 たとえ、命が助かったとしても。

 彼女は『防魔調査室』の預かりになる。今後、普通の生活ができるかどうか、それはまだ、わからない。

 それでも。否、だからこそ。

 子門は、彼女を見届けるつもりなのだろう。

「お大事に……」

 私がそう言うと、「舞さんこそ」と、子門はそう返す。

「舞さんは、幸せになって下さいね」

「子門さん、どんなことがあっても生きてください……」

 不吉な予感に私がそう言うと、子門は寂しげに微笑んだ。

「行こう」

 如月に肩を抱かれ、私は病院を後にした。



 日曜日。

 マンションからほど近い喫茶店に、私は呼び出された。

 前に座った、黒い礼服に黒いネクタイをした柳田と如月に、私は顔が強張る。

「昨夜、月島薫が死んだ」

 柳田がそう言った。

「世間的には、事故死、と発表されるだろう」

「……そうですか」

 私は、視線を落とす。あの、艶やかで美しい人がなぜ、と、理由を知った今でも思う。

「子門さんは?」

「とりあえず、落ち着いてはいる。記憶を操作するかどうかは親父の方も含めて……現在、本部が審議中だ」

 私は、小さく頷いた。禍々しい呪術は、周囲にも傷を深く残す。

「あの……もし、呪術が成功したら、月島薫さんは、私の身体に入ることが出来たのでしょうか?」

 月島薫は『子門仁を成功させたい』という妄執に捕らわれて。彼が絵描きとして気に留めた私になろうとした。

「それは、わからないが……仮に、君の身体に彼女が入ったとしても、すぐにわかっただろうし」

 柳田はそう言って、ニヤッと笑った。

「マイさんの魂は、二つの魂がほぼ一つになった稀有な魂だ。見分けられない訳がない」

 如月はコーヒーに手を伸ばしながら、私の目を見つめる。あまりに真剣に見つめられ、私は顔が赤くなるのを意識した。

「なんにしても、無事でよかった」

 柳田は私の頭にやさしく手を伸ばそうとして……如月に手をはたかれた。

 コホン、と柳田は咳払いをする。

「報告書によれば、マイちゃんは、手錠、足かせ、首枷を、霊力で吹っ飛ばしたらしいね」

「え? あ、たぶん」

 私は、首を傾げた。いろいろなことがありすぎて。必死すぎて。

「俺たちは、いつでも待っているから」

「柳田!」

 如月の抗議を、柳田は目で制して。

「格好つけるな、如月。お前だって、その方が嬉しいだろうが」

 如月は顔をやや赤らめ、そっぽを向いた。

「あの?」

 私が不思議に思って問いかけると、柳田は口の端を少しあげた。

「転職だよ。うちの職場、女性が少ないからねー。マイちゃん、噂の逆ハーレム状態になれるよ」

「……それは、男女比率からの数学的なお話ですよね?」

 私は、ふーっと溜息をつく。

「干物女をからかうのは、やめてください」

 柳田と如月が顔を見合わせた。

 そして二人とも、私をじっと見つめる。

 規格外の美形二人に見つめられ、私は居心地が悪くなった。

「あの。このハンカチ、本部さんに提出とか、必要ですか?」

 私は、子門から受け取ったハンカチを二人の前に差し出す。

「それは、鈴木麻衣さんのものだろう? だったら、君のものだ」

 如月はそう言って、優しく微笑む。

「子門はたぶん、君に気が付いていた――そう思う」

「そうでしょうか……」

 私はハンカチを握りしめた。

「マイちゃんが、子門にとって特別だとわかったから……月島薫も、君と代わりたかった。不思議なものだな」

 柳田はふーっと息をついた。

 カランとアイスコーヒーの氷が小さく音を立てた。


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画家が怪しいと思わせておいてから、ヒロインぽい人が犯人とは。 意外な真相で驚かされました。
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