龍葬の哀歌
平穏に暮らしていた。人里離れた森の近くで、妹と共にその日その日を必死に生きていた。誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと。……だったのに。
「お兄ちゃん逃げっ……ッ」
俺が妹の名前を呼ぶより早く。目の前で、その妹が人間に斬られた。鋼鉄の剣で、斬られた。赤い断面と白い骨を残して、紅い軌道を残して首が飛んだ。ボスッと草に堕ちた妹の顔は悲痛で、とても見られなかった。俺たちは何も悪いことをしていなかったのに。何が法律だ。種族が、人間で有ることが、そんなに偉いのか。無垢な俺たちがそんなに怖いのか。
そしてほどなくして村は焼かれた。炎に包まれていく、叔父さんの家、村のじいちゃんの家。昨日仕込んだシチューがおかれた、俺の家。俺たちの家、だったもの。俺は、声にならぬ叫びを発するしかできなかった。
――――
「ドリトお兄ちゃん。ついに今日だね」
「おう。……と言っても、たかが剣を抜くだけとか」
「まあまあ。成人の儀なんて誰がやっても同じだもん。それにあの剣、誰でも抜けるらしいし」
「え、選ばれし者にしか抜けないあれじゃないの」
「単純に力があるかどうからしいよ」
妹の言葉ですっかり力が抜ける。今日はこの村での成人の儀だった。最初から「村に伝わる宝剣を抜く」とは伝え聞いていたが。
「村を移動するときも、当時の村長が普通に担いで持ってきたらしいし」
「夢がねえな……」
この村に伝わる宝剣には、名前がない。ずっと前から「キングドラゴン」とか「王龍葬」だとかダサい名前が飛び交い、結局名前が定着することはなかったからだ。それに、宝剣と呼ぶには緑青のように、錆びついている上に欠けが見られることからも、この剣が元来どういうものであったかをあやふやにしている。要するに尾ひれ羽ひれのついた骨董品のようなもの、ということだ。
「それよりお兄ちゃん、見ててあげるから、ちゃんとやってよね」
「はいはい。って、別に誰でも抜けるんだろ、あれ」
「細かいのは良いの。ちゃんと見るのが大事なんだもん」
そういって、妹の、アリアは手を振って、向こうで群がる保護者の群に向かっていく。そして俺たち、今年15を迎える俺たちは列に並んで、剣を抜く機会を待つ。
そして保護者達の目の前に、荘厳な感じで現れたのは、村で一番有名な長老のじいちゃんだった。
「ウォッホン。えー。今日という日を迎えられたことを、儂は嬉しく思うぞ。さて、これより成人を迎える諸君。君たちは我ら、龍屍族の一族であることに誇りをもって、この剣を抜くのじゃ。いいか? この種族に生まれたことは決して不幸ではない。たとえ後ろ指を刺されようとも、我々は無垢であると。責任をもって力を使うと、誓うのじゃ」
じいちゃんは深刻そうに前口上を告げた。というのも、俺たちは龍屍族と呼ばれる種族の末裔だ。龍の血を引いた者がいたが、その力を継げるものはおらず、屍食鬼のような様相に成り下がってからようやく子孫を残すに至った。力もろくに引き継がぬ一般人だった、はずなのに。その龍屍族の一人が昔、墓地から這い出て、龍の形で人間の首都を壊滅させた。無論、そんな芸当ができるのは何百年も前の龍屍族だけで、今の俺たちは普通に老いて普通に死ぬ。龍の力なんて持ってのほか。だけれどその遺恨は数知れず。俺たちは人間の首都を締め出され、そして辺境の森に集落をつくって食いつないでいた。
じいちゃんの口上には納得もするが、これを毎年聞かされている身からすると欠伸が出てたまらない。と、欠伸をしているうちに、列に並んでいた少女が歩み出て、石に刺さった宝剣をゆっくり持ち上げる。力がない方の彼女でも震えながら一応は抜けるところを見ると、なるほど、一般的な長剣の部類なのだろうと察せた。続いて二人目三人目。男は、それでもなれない長剣だからか、持ち上げてもすぐに落としてしまう。そうやってようやく俺の番がやってきた。水色と緑、その緑青に蝕まれたような宝剣は、一瞬エメラルドの輝きと見紛った。気のせいだろうと思いながら、束を手に取る。その時、宝剣がすこし光ったような気がして……。思いのほかスルッと抜けた。覚悟していた重さよりずっと軽かった。勢い余って、その剣を高らかに掲げてしまい、後方でぱちぱちと拍手がおこった。いや別にそういうパフォーマンスとかじゃないだけどなあ。
とりあえずこの剣を刺しなおしておいておこう。これで、成人の儀も終わる。そんな思いの通りに、成人の儀はつつがなく終わった。
「いやー。おにいちゃん、型にはまってたね」
「よせやい」
「なんか物語上の勇者みたいだったね」
アリアが剣を眼前で立てる騎士のポーズをした。
「俺が勇者かぁ。まあ、なってみたくはあるけどな」
「ダメなの?」
「俺が守るべきなのは、お前くらいだ」
「じゃあ、おにいちゃんは私の勇者だね!」
満面の笑みを向けられて、苦笑してしまう。うん。かわいい妹のためなら、何でも守れる。そんな気持ちがちょっと湧いた。
「それよりさ。今日のお昼ご飯なににする?」
「そういえばじいちゃんが小麦が栽培できたとか言ってたろ。それで麺にしよう」
「えー、今から? 面倒くさいんですけどー」
アリアがむくれて言う。しかしそれは半分冗談みたいなものだった。そのまま帰路をゆく、ただそれだけの、いつもよりちょっとハレの日だっただけなのに。
まだそう歩いていなかったとき。畑の辺りに知らない人影があった。七人ほどが同じ服を着て、左腰に鉄の板を携えて。胸は銀色に輝く板で覆われて。
「あれ、だれだろ」
「さあ。他の種族がここを知るわけでもないし、別集落の龍屍族じゃないか」
ちょうど近くにいた近所のおじさんが彼らに接近した。何を言っているかわからないが、とにかく呑気に向かっていった。そして次の瞬間。
先頭の人影が鉄の板……剣を振り上げると同時に赤いしぶきが舞った。
「……!? 人間だ!」
俺はとっさに妹を抱える。
「ちょっとおにいちゃん!」
急いで逃げる。どこへなんて、わからない。ただ妹を生かすために。その時、向こう側からも三人の同じ服を着た人間。
「龍屍族、発見。始末する」
「チィ!」
俺は旋回して村の中心へ。そしてあたりを見回せば、同族が、数名の敵の隊員によって切り伏せられていく。血の匂いがここまで漂ってきた。
「どうなってるんですかじいちゃん!」
「儂にもわからん! 少なくともあいつらは敵じゃ!」
「そんなの、見りゃわかるっての!」
俺はもう一度剣のところへ行って、抜いてみる。しかし其れでなにか変わるわけではない。そして計十人の人間は囲むように村の中心部を目指し、追い詰めてきた。
「じいちゃん、なにかいい方法ないの?」
「知らんわい! みんな争いなんて知らんのじゃから!」
宝剣を構えた俺に何かできるでもなく、一歩一歩と近づく人間たち。
「く、くるなぁ!」
隣の隣のにいちゃんがおびえ、それを無視して人間が剣を振り下ろす。続いて別の人間がじいちゃんを斬る。さらにばっちゃんの腹も突かれる。目の前で、いくつもの血だまりができていた。憎しみに駆られて、俺は剣を構えて人間に斬りかかる。しかしそれも、今日初めて剣を手にした程度の子供だまし。あっさりいなされ蹴り飛ばされた。そして剣を構えられる。しかしそれは別の人間によって止められる。
「よせ。一人くらい残せ。貴重な戦闘力になるかもしれんし情報源かもしれん。そういうお達しだっただろう」
その言葉で俺を斬らんとするやつは引いたが、残りの人間たちは再び斬りかかった。足にしがみつくあの人の背を問答無用で刺した。ただ命だけはと乞うあの人の首を無慈悲に落とした。おびえて力もこもらないあの人の胸を容赦なく斬り開いた。
言葉を失うほどむごたらしく、昨日まで一緒にいて、今日まで成人の儀を祝っていた人々が、みんな消えて行った。なのに自分だけ、無様に落ちている宝剣すら拾えない俺が、生かされているのか訳が分からなかった。憎しみすら通り越して、涙を通り越して、ただ胸の中にはざわめきがあった。
血が顔に飛び散る。それを拭うことすらできない俺に。何ができるんだろう。答えは、何もない。
「おにいちゃん!」
死屍累々の中からアリアが這い出てきた。
「アリア、来ちゃだめだ!」
そして案の定、アリアの背後で剣が上げられて。
「お兄ちゃん逃げっ……ッ」
ザシュという音で、妹の首が飛んだ。綺麗に飛んだ。深紅の軌跡を残した。そして血だまりが広がった。胸のざわめきは既に乱暴にドアをたたくように暴れている。気づけば宝剣を掴んで斬りかかっていた。しかし同じく、軽くいなされ、そして首を掴まれた。苦しくて宝剣を手から零す。
「さて。他の龍屍族の集落の場所を言え」
「アガッ……そんなの知らな……」
「言え!」
「知らッ……ない!」
すると近くにいた隊士が相談を始める。
「どうします。このガキ本当に知らないっぽいですぜ」
「生かすやつを間違えたな。別のにするか」
「でも他のはぜんぶ死んでまっせ」
隊士が辺りを見回す。昨日までの草原は、血の湖になっていた。
「じゃあ、こいつは戦力の方向だな」
そう言った隊士。
「お前。俺らの国で飼ってやる。おとなしくついてこい」
「嫌、だ!」
俺は口近くを解こうと暴れるが、どんなに暴れても隊士の力の前では何も動かない。そして、俺が腕を払おうとしたとき、手が熱く燃え盛る感覚がした。そしてその腕は、なぜか鱗のような皮膚組織の、龍の腕のような外見に変わっていた。決して大きくはなかったが、首をつかんでいた隊士を吹き飛ばすのに十分だった。
「なっ! このガキ、龍爪がつかえる個体だったか!」
しかし、速くみんなを助けなければという思いが先行した。
「アリア……すぐ、ドリトおにいちゃんが助けてやるからな」
這うように彼女の亡骸のもとへ。しかしほかの隊士に気づかず、背中を刺されていた。掴み損ねた宝剣は妹の方へ転がる。
「チッ。目を離すとすぐこれだ。こいつはそのまま殺していいんじゃねえですかい」
「いや、このガキはアイツみたいに力になる。生かしておけ」
そして今度は足が刺される。痛い。しかしのたうち回る余力があるくらいには痛い。
「あああああ!!!!」
声も出た。だけど、アリアを守るのが優先だ。そう信じて、宝剣を掴もうとした。けど、触れなかった。
その時だった。宝剣に、広がる妹の血だまりが触れた。もしかしたら別人の血も混じっただろうか。剣は淡くエメラルドの色に輝いた。そして次の瞬間。
――その剣は、爆ぜた。何もかもを、死体も、隊士も、家も草原も森も集会場も。すべてを焼き払う翠の炎。
しかし俺は、ドリトだけは、無傷で立っていた。爆発が終わって、そこは静寂だった。クレーターのように広がった場所。そこにいるのみだった。
「……お前がやったのか?」
剣ににらみつけるも、応答はもちろんない。ただ、この剣のおかげか。この危機を脱することはできた。しかし、こいつのせいで、俺の居た村は焼け野原すら残らぬ無の場所になってしまったのだ。
「お前の、せいで!」
俺はひたすらこぶしで剣を殴り続けた。……けれど、むなしくなって二十分でやめた。
爆発の範囲になかった森から食料を集めた。都合のいい草などを使ってバッグをつくった。そして剣をもって、準備を進めた。
すべては、腐った法律のせいに。わが身かわいさで俺の故郷を滅ぼした人間に、復讐をくれてやる。脳内で妹の声が反響した。
『じゃあ、おにいちゃんは私の勇者だね!』
「……ああ。俺は、お前の勇者だからな」
一人の無垢だった少年は歩みを進めた。じいちゃんが頑なに「あの方向へは行くなよ。人間が治めとるからのお」と言っていた方向へ向かう。目指すは。人間の王。くそったれた命令を下した王を。
そして道中でいろんな人と会った。人間を見るたび、最初は殺したくなったが、見れば見るほど同族とは違いがなかった。なのに無垢な目で「龍屍族は怖いわよねぇ。早く滅びないかしら」と悪意なく言うのだから、頭がこんがらがった。しかし同時に気づく。この人たちは踊らされているんだ。本当は危険な法律なのに。全のために一を犠牲にするなど言語道断のはずなのに。彼らはそれが普通だと思い込まされているんだ。
そう思わなければ、頭がおかしくなりそうだった。そして話を聞いて、ここよりそんなに離れていない町の中心に有るタワー。鋼鉄のタワーの頂上に人間の王が居座っていることを知った。そして、俺は知った。その地に、龍屍族を生き返らせることができる素材が眠っていると。人数制限はわからない。けれど、妹を助けられるなら、俺は……。教えてくれた人間に俺は礼だけ言って、そこに向かった。
そして党の中腹。俺は何とか生き延びつつ上がってこられた。すると幅広な通路に一人、あの時と同じ隊服の男が立ちふさがった。
「よおクソガキ。ここはお前さんの来るところじゃねえぞ」
気だるげな彼に向けて、俺は宝剣を構えた。
「おっと。殺意。ってことは、俺も正当防衛だよなっ!」
右手の鉄の籠手を盾に、右手の長剣で刺しをねらってくる。俺はすかさず、右手を龍化。そして宝剣で剣を打ち合った。
「へえ。テメェ、やっぱ龍屍者()だったか。しかも龍爪を使うときたもんだ。いやーそれ強いよな」
「お前、なぜ知っている?」
確かにあの時、隊士もそんなことを言っていた。しかし、なぜ知った顔で話すのだろう。
互いに同等の、いや、こちらが少し力負けし俺は後退る。
「いやー、社会に立ち向かうってか。熱血だねー」
「俺は、妹がこいつらのせいで死んだんだ。復讐は、しなければならない」
俺が剣を構えつつ言うと男はカッカッカと笑う。
「覚えておけ。俺の名前はベルナー・ドラグジット。座右の銘は、『長いものには巻かれろ』、だっ!」
彼は一気に飛んで距離を縮める。それを俺は龍爪で弾きながら、しかし小回りの利く籠手で腹を突き飛ばされる。
「どうしたクソガキ。この程度で大人に逆らうなんざ十年は早いぜ」
その言葉は本当だった。少し旅を続けたからと言って、彼のような手練れに勝てる道理はない。
「でも、俺はおにいちゃんだ! 進まなきゃいけないんだ!」
宝剣を振りかぶり、体重をすべてかけて振り下ろす。ベルナーはそれを籠手で防ごうとした。しかし力がよく乗った。そのおかげで籠手がいくらかはじけ飛んだ。
「……少しはやるじゃねえか」
「お前のような犬に、褒められてもうれしくない」
「犬、か」
そうつぶやいたベルナー。彼は面倒そうに籠手をはずした。
「そういえば。俺の名前、言ったよな。ベルナー・ドラグジット。ドラグジットってのはここで雇われてからもらった名前でなぁ」
籠手がガシャンと音を立てて、素手があらわになる。そしてその手は見る見るうちに、鱗めいた皮膚組織になり、爪は鋭く、すべてを握りつぶさんとする大きな龍の手だった。
「――ッ! 龍爪!?」
俺の叫びに答えるように彼は続けた。
「龍を辞めた者、って意味さ」
彼は人体に不釣り合いな腕で頭を掻いた。
「まあなんだ。お前だって、こっちに来ることだってできるんだぞ」
龍爪を閉じたり開いたりして手遊びをするベルナー。
「どうした、来ないのか?」
「あんた、同じ龍屍族だってのに、こんな法律に従って生きているのかよ!」
「ああ。こうしておけば捕まることもない。しかるべき場所にしかるべき代償をささげればなんてことは無かったのさ。……利口じゃないと、人は生きていけないんだ」
彼は掴んでいた長剣を脇に投げて、そして両手に龍爪を展開し構える。
「代償……?」
「俺の時は、そうだな」
ベルナーは一瞬考えるそぶりをし、しかし次の瞬間には地面を蹴っていた。
「他の龍屍族の居場所、とかな」
「ッ!」
横薙ぎの龍爪。間一髪で後ろにかわす。しかしその時には、左の龍爪が次の準備をしていた。
「もらったァ!」
腹を突かんとする爪。それをなんとか間に合った俺の龍爪で流す。しかしタイミングが悪かったか、脇腹を龍爪がえぐる。後ろに飛んで逃げるも、灼ける痛みが全身に巡る。さらに、俺の龍爪も痛みが絶えなかった。あいつの爪は、俺の上位互換だ。しかも両手に。俺とあいつの違いは、この剣だけ。しかし爪より小回りが利かないし、何より力が分散してしまう。あいつに敵うレベルになんてなるはずもない。勝機は、ない。
「長考したって無駄無駄。いっただろ、長いものには巻かれろって。その方が楽だし、死なずに済むんだから」
彼は勝ち誇るでもなく、無気力さが抜けない立ち振る舞いで。なのに隙がない。すくなくとも俺が突ける隙は。
「ああ、そういえば。安心していいぜ。俺が売ったのは君の村じゃないから。でも、あの村の連中がどうするかはわからないが。まあいいや」
――ならば、アリアが死んだのは……。
腹の底から湧き上がるゲロのような熱に浮かされて叫んだ。
「殺ッ……してやるっ!」
「おお、おお! かっこいいねえ。でも、それだけかァ!」
再びベルナーが鉄を蹴った。先ほどとは比べ物にならぬほど強く、鉄がへこむほどに。突っ込む姿は隕石のようだった。両手を構えながら突進してくる。それをまた、間一髪で右によける。しかしベルナーは、またすぐそばで鉄を蹴り、方向転換してこちらに飛ぶ。凶刃が眼前できらりと輝く。
その瞬間が永遠に続きそうだと、アリアの、無垢で傷のないアリアの姿が目の前にあった気がした。あの日々をずっと生きたかった。これが、走馬灯だと気づいて初めて……。
腹に龍爪が刺さっていることを吐血とともに理解する。
「……終わりだ」
爪が引き抜かれ、体の空洞部分が余計にさわやかに感じられた。痛みはある。なのにのたうち回る気力もなかった。腹の中にあったはずの煮えたぎる憎悪はなくなった。腹がもう、どこにもないから。
「ふう。目覚めが悪い。縁を切ったとはいえ、同族を手にかけるのは」
爪を払って、付いた血を飛ばすベルナー。ポッケからハンカチを持ち出して拭った。
「……馬鹿ガキは、お前だけで十分だよ」
彼は煙草を吸おうとしたが、持ってきていないことに気づいて頭を掻く。
――――俺は、終わるのか。復讐ができずに。愛する人々を奪われておいて、汚い大人に殺されて、終わるのか。そんなのいやだ、いやなのに。からだがうごかない。俺は彼に勝てないことを知ってしまったから。体を動かす気力も、動かす意思もない。
――ありあ、ごめんな。だめなおにいちゃんで、ごめんな。
もうこのまま消えてしまいたかった。目の前にある、村から持ってきた宝剣も、俺に扱うには過ぎたものだったんだ。これも、もう要らない……。
『じゃあ、おにいちゃんは私の勇者だね!』
アリアの声。でも、俺は勇者になんてなれなかったんだ。だからせめて……この剣は、妹のくれた言葉を、せめて……。
ピクリと、ピクリと。俺の手は震えるように地を這う。しかし、それより俺の腹から湧く血だまりがより広がっていって、そして、剣の束に触れた。
――そのとき、宝剣が、かすかに光った。
【……さい】
だれ、だろう。
【起きなさい。龍王族の末裔よ。あなたには、まだやるべき使命があるのです。それは、決して倒れてはならぬ使命。死地を乗り越えてこそ運命。】
しめい? そんなもの、しらない。しらない、のに。腕が勝手に動いて、気づけば剣の束を握っていた。無我夢中で腕で踏ん張って、なんとか起き上がる。
「……お前、まだ生きて……なんだその剣はッ!」
ベルナーの顔が驚愕に変わっていた。俺もつられて剣を見れば、錆色のすたれた宝剣は、いつの間にか赤黒い牙のような姿に変わっていた。そして俺の腹はもうふさがっていた。この剣の力のせいだと、直感的に感じる。
「……行くぞベルナー。俺は、お前を許さない!」
「へっ。もう一回来ても無駄だ、ぼんくらぁ!」
「俺は、アリアの、妹の勇者だ!」
彼が鉄を蹴るのと同じく、俺も駆けだした。俺は依然右手しか龍爪をつかえない。しかしこの剣さえあれば。
ベルナーの龍爪が袈裟斬りの構えになる。それを俺が右手で払う。
「ッ!?」
ガキンという音でベルナーの龍爪が弾かれ、体勢が崩れた。そこに剣を薙ぐ。
「グゥ……ッ」
ベルナーの隊服の向こう、腹が切れた。しかしベルナーは着地と同時に踏ん張って、腹にまで龍鱗をほとばしらせる。彼はもう、体の半分が龍そのものだった。
「ケッ。なんだなんだ。死の淵でパワーアップってか。ずいぶんと良いご身分だなぁ!!」
もう一度向かってくるベルナー。さらに力強い踏み出しだった。しかし。
「……隙だらけだ」
もうすでに、ベルナーの構えは野生そのもの。龍屍族のグールの遺伝子に、脳をすでに侵されていたからだ。俺は難なく彼の突進をかわし、その背に宝剣を突き付けた。
「俺の勝ちだ、ベルナー。降参してくれ」
「グルゥ……殺したきゃ殺せ」
「お前が、どんな経緯でこうなったのかはわからない。けれど宝剣が告げているんだ。お前は、悪いやつじゃなかったと」
直接的な言葉じゃない。けれど、直感的にこれが正しいと分かった。きっと彼は許されないことをした。けれど今は不思議と頭の中は春風のように澄んでいた。
「クソが……ッ」
痰を吐くようにベルナーは言った。
「立ちはだかってくれたのが、あなたでよかった」
「……失せろ。また死にてぇか」
彼の言葉にうなづいた俺は、黙って背を向け、走った。もうじき鋼鉄の城の頂点へと至ることができる。そこに行って、俺は……。アリアの無念を晴らしてやる。
「待ってろよアリア。お兄ちゃんが、必ず助けてやるからな!」
自らを鼓舞するように、力強く誓いを吐いた。
――――
足音が遠ざかる廊下。一人の敗れた男が倒れていた。これ以上なにか言葉を紡げばすべてが醜く見えてしまう。けれど、抑えられなかった。
「……クソ、クソがっっ!!!」
まるで吐しゃ物のようだった。
「(なんだ、神様ってのは本当にいるんじゃねえか)」
それは、遠ざかる足音を聞けば明らかだった。神様がドリトに力を寄越した。いや、もともと持っていたのか。どちらにせよ、彼は、きっと懸命で純粋な人間だったのだろう。いまのご時世、龍屍族が生きられる場所なんて辺境に決まってる。だって、俺もそうだったから。彼は妹の勇者を名乗った。……俺もそうだったから。
俺の村も辺境にあった。そして誰が漏らしたか人間が攻めてきた。俺は当時すでに龍爪の存在を知っていて、それを振るう特訓をひそかにしていた。
そして外の様子に気づかなかったある日、同じような隊服を着た人間どもの手によって、村の人間はたった今殺されていた。妹のところに駆け寄った。
……平穏に暮らしていた。人里離れた森の近くで、妹と共にその日その日を必死に生きていた。誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと。だったのに。
「お兄ちゃん逃げっ……ッ」
俺が妹の名前を呼ぶより早く。目の前で、その妹が人間に斬られた。鋼鉄の剣で、斬られた。赤い断面と白い骨を残して、紅い軌道を残して首が飛んだ。ボスッと草に堕ちた妹の顔は悲痛で、とても見られなかった。俺たちは何も悪いことをしていなかったのに。何が法律だ。種族が、人間で有ることが、そんなに偉いのか。無垢な俺たちがそんなに怖いのか。
俺は叫んだ。腹の奥で煮える思いをそのまま龍爪に乗せて人間を全員殺した。そして人間の首魁を殺してやろうと挑んだ。なのに、王の目の前に居座る近衛兵。あいつには全く勝てなかった。一度死に損なった。そして戦意すらも削がれ、そして、捕らえられて。身をこの国に捧げることと他の仲間の居場所を吐くことを条件に、長いものに巻かれた。俺はもう、すべてがどうでもよかった。
……よかったのに。さっきまで目の前にいたアイツは。神様が、神様はアイツを選んだ。同じように勤勉だった俺を棄てて。同じく人間に妹を奪われて。同じように一人だけみじめに生き残って。何も違わなかったはずなのに。俺とあいつは何故か違った。あいつは選ばれていた。俺と同じ努力を続けていたのだろうか。俺に龍屍族のもっと濃い血がなかったからか。
ただ一つ言えるのは、俺ではなく、あいつが選ばれたということ。
——俺でも、よかったんじゃないのか。俺ならもっとうまくやれた。あんな青臭い世迷事を吐くやつより正しく有れた。なのに、どうして。どうして俺を選ばなかった。神様。本当に神様とやらがいるなら、俺は最大の力をもって憎むだろう。なぜあなたはいつも不平等なことばかりを与えるのだ。
もう、何を言ったとて、負け惜しみだ。
「クソ…………がぁッ!!!」
彼は不釣り合いに巨大な手で顔面を覆う。彼が踏みしめた鉄のへこみが、その雨を少し受け止めた。その時にはもう、青臭い足跡は消え、ただ残響だけが鉄の廊下を駆けて行った。




