嘘で追放された引きこもりの元A級探索者、同じように嘘に壊された仲間が勝手に真実を暴いてくれました
半年ぶりに外に出たのは、冷蔵庫が空になったからだ。
コンビニまで徒歩三分。たったそれだけの距離が、やけに長く感じた。四月の午前中で、風が少し冷たくて、日差しがやたらと明るかった。半年間モニターの光しか浴びていなかった目には、太陽光が暴力的だった。
おにぎりと缶コーヒーを買って帰る。それだけのことに、手が震えた。
桐生蓮、二十二歳。元A級探索者候補。現在、無職。
半年前までは毎日ダンジョンに潜っていた。パーティ名は「イグニス」。リーダーの神崎隼人を中心に、五人で日本屈指のA級ダンジョン「東京アビス」を攻略していた。俺は索敵と罠解除の専門で、パーティの目と耳だった。
あの日、神崎が俺を会議室に呼んだ。
「蓮、お前にはイグニスを抜けてもらう」
理由は聞けなかった。聞く前に、ギルドの事務員が書類を持ってきたからだ。適性再評価の申請書。神崎が既に署名していた。推薦者欄には、パーティメンバー全員の名前があった。
「お前の索敵能力は不安定だ。深層では危険すぎる。これはパーティ全員の総意だ」
嘘だった。俺の索敵は不安定じゃない。イグニスの探索成功率が九十二パーセントだったのは、俺の索敵が正確だったからだ。でも、それを証明する方法が俺にはなかった。ギルドに提出する探索報告書はリーダーが書く。神崎が俺の功績を書かなければ、記録には何も残らない。
適性は取り消された。ギルドの掲示板に「イグニスの元メンバー、適性不足で除名」と掲示された。SNSで拡散された。知らない人間から、知ったようなことを書かれた。
一週間後、イグニスが大手装備メーカー「ゴーレム社」とスポンサー契約を結んだというニュースを見た。年間二億円。画面の中で、神崎がエース探索者として紹介されていた。索敵も罠解除も、全部神崎の手柄になっていた。
ああ、そういうことか。自分がリーダーでエースだと思っている神崎にとって、俺がいると都合が悪かったわけだ。納得した。納得して、それから何も感じなくなった。
俺は部屋に閉じこもった。
ひきこもりというのは、最初の一週間が一番つらい。
何もすることがない。テレビをつけても探索者のニュースばかりで、消す。スマホを見ればSNSで自分の名前が晒されていて、画面を伏せる。食事は一日一回、カップ麺。風呂には三日に一回しか入れなかった。
二週目からは、つらさが鈍くなった。怒りも悲しみも薄れて、代わりにぼんやりした無感覚が全身を覆った。何も感じない。何もしたくない。何もしなくても一日は過ぎる。
三週目に、たまたまあるオンラインゲームの配信を見た。配信者の名前は「ミナト」。声が小さくて、喋り方がたどたどしくて、視聴者が三人しかいなかった。
なんとなく見続けた。ミナトは下手だった。でも楽しそうだった。チャットに「がんばれ」と打った。ミナトが「ありがとう」と返した。
それだけのことだった。でも、半年ぶりに誰かと言葉を交わした瞬間だった。
あの三人の視聴者も、少しずつ話すようになった。俺を入れて五人。全員の事情を知ったのは、もう少し後のことだ。
ミナトの本名は湊遥、二十歳。教授に研究データを盗用され、抗議したら「湊の方が捏造した」と学内に噂を流された。退学に追い込まれていた。
ユキ。二十四歳。元看護師。職場いじめの噂を流されて退職。人間不信になった。
ダイチ。二十八歳。元プログラマー。上司に成果を横取りされ続け、鬱で休職。そのまま退職。
ヒナ。十九歳。元高校生。クラスメイトに根も葉もない噂を広められ、不登校になってそのまま中退。
全員、嘘と噂に人生を壊された人間だった。
俺たちはオンラインで毎晩集まった。ゲームをしたり、しなかったりした。大半は雑談だった。何の生産性もない会話。でもそれが、あの頃の俺には必要だった。
三ヶ月が過ぎた。貯金が底をつきかけていた。
バイトを探そうとした。でも履歴書に「探索者ギルド除名」と書くわけにはいかない。書かなくても、名前を検索すればすぐに出てくる。面接に行く気力もなかった。
ダイチが言った。「低ランクのダンジョンなら、適性なしでも入れるよ。素材拾いだけでも日銭になる」
知っていた。Eランクダンジョンは適性不問で、誰でも入れる。中に出るモンスターはスライムと小鬼くらいで、危険性は低い。素材を拾ってギルドに売れば、日給五千円程度にはなる。
探索者に戻りたいわけじゃなかった。ただ、生活費が必要だった。
翌日、近所のEランクダンジョン「多摩丘陵第七」に入った。
地下に降りた瞬間、体が勝手に動いた。半年のブランクがあるはずなのに、足音の反響で空間の広さがわかる。壁の染みのパターンで罠の有無がわかる。モンスターの気配は、三十メートル先まで正確に感じ取れた。
俺の索敵能力は、何も衰えていなかった。
Eランクダンジョンを二時間で踏破した。通常は半日かかるらしい。素材を売ったら一万二千円になった。日給としては悪くない。
次の日も潜った。その次の日も。
一週間後、ギルドの受付の女性に声をかけられた。
「桐生さん、ですよね。毎日来られてますけど、Eランクの踏破速度が記録更新してるんです。報告書に載せてもいいですか」
断った。目立ちたくなかった。でも、ギルドの踏破記録は自動で更新される仕組みだった。Eランクダンジョンを毎回最速で踏破する無名のソロ探索者。データだけが勝手に積み上がっていった。
ミナトが配信中に俺の話をした。「友達がEランクダンジョンの最速記録を毎日更新してるんだけど」。視聴者が五十人に増えていた。そのうちの誰かが、ギルドの公開記録と照合した。
「これ、イグニスの元メンバーの桐生蓮じゃないか」
匿名掲示板に書き込まれた。そこからSNSに広がった。半年前は「適性不足で除名された無能」として叩かれた名前が、今度は「適性なしでEランクを最速踏破する謎の探索者」として広まった。
俺は何も発信しなかった。ただダンジョンに潜って、素材を拾って、帰って、夜にミナトたちとゲームをした。それだけだった。
神崎が動いたのは、俺の名前がトレンドに入った翌日だった。
テレビのインタビューで、イグニスのリーダーとしてコメントを求められていた。胸にゴーレム社のロゴが入ったユニフォームを着ている。
「桐生蓮は確かに元メンバーですが、索敵能力に重大な欠陥がありました。Eランクで速いのは当然です。低レベルの環境では誰でもああなりますよ」
笑いながら言っていた。あの、人を安心させるような笑顔。あの笑顔で、俺の適性は取り消された。あの笑顔で、二億円の契約書にサインした。
SNSでは意見が割れた。「イグニスのリーダーが言うなら本当だろう」という声と、「適性なしであの速度はおかしい」という声。俺は何も言わなかった。言う気がなかった。
もうどうでもよかった。探索者としての名誉とか、イグニスへの恨みとか、そういうものは半年の間にすっかり干からびていた。冷蔵庫の奥で忘れ去られた食材みたいに、感情の形だけ残って中身がない。
それで終わると思っていた。
三日後、多摩丘陵第七に行ったら、受付で止められた。
「桐生さん、申し訳ありません。こちらのダンジョンへの入場を一時的に制限させていただくことになりました」
理由を聞いた。「適性取り消し者の連続入場は安全管理上の問題がある」という通達がギルド本部から来たらしい。これまでそんなルールはなかった。Eランクは適性不問のはずだ。
受付の女性は気まずそうに目を逸らした。彼女もおかしいとわかっている。
その夜、ダイチが調べてくれた。通達の発信元を辿ると、神崎と繋がりのあるギルド上層部の理事だった。テレビの火消しだけでは足りなくて、俺がダンジョンに潜ること自体を止めようとしている。俺がEランクで結果を出し続ける限り、「索敵能力に欠陥がある」という嘘が維持できないからだ。
一週間、ダンジョンに入れなかった。収入がゼロになった。
ヒナがSNSで情報を拾ってきた。「桐生蓮、ギルドから出禁処分」という嘘の投稿が拡散されていた。発信源は匿名アカウント。書き方が、半年前に俺の除名を最初に拡散したアカウントと同じだった。
同じ手口だ。嘘を流して、既成事実にする。一度目は俺の適性を奪った。二度目は俺の生活手段を奪おうとしている。
でも、今回は違った。
ミナトの配信に集まった視聴者たちが「桐生のEランク入場制限はおかしい」と声を上げた。適性不問のEランクで入場制限をかけた前例がないことを調べ上げた人がいた。ギルドの規約を読み込んで、通達に法的根拠がないことを指摘した人もいた。
一週間後、ギルドは通達を撤回した。「事務手続き上の誤り」という、誰も信じない理由で。
でも、ミナトたちは違った。
ダイチがある夜、通話で言った。
「蓮、ギルドに提出する探索報告書って、パーティリーダーが書くんだよね」
「ああ。何をやったか、誰が何を担当したか、全部リーダーが報告する。だから神崎に書き換えられたら終わりだった」
「でもさ、ダンジョン自体にもセンサーがあるんだよ。管理局が安全管理のために設置してる。誰がどこでモンスターを感知して、誰が罠を解除したか、全部自動で記録されてる。パーティの報告書とは別に」
ダイチは元プログラマーだ。システムの仕組みに詳しい。
「そっちのデータはリーダーでも触れない。管理局に情報公開請求を出せば、開示されるはずだ」
俺は黙っていた。
ユキが言った。「私、行政機関に情報公開請求を出したことがある。看護師時代に、病院のいじめの証拠を労基に出そうとしたとき。書式の書き方は覚えてるよ」
ヒナが言った。「ミナトの配信に来てる人たちが、イグニスの過去の探索動画を分析してくれてる。神崎が索敵してるシーンが一つもないって」
俺は何も頼んでいなかった。復讐しようとも思っていなかった。ただ、この四人は勝手に動いていた。嘘に人生を壊された人間たちが、別の誰かの嘘を許せなかった。それだけのことだった。
情報公開請求の結果が届いたのは、三週間後だった。
ダンジョン管理局から開示された環境ログは、段ボール三箱分のデータだった。イグニスだけじゃない。東京アビスに入った全パーティ、全探索者の二年分。誰がどの地点でモンスターを感知し、誰が罠を検知したか。すべての行動が、時刻と個人IDつきで記録されている。この中からイグニスの分だけ抽出して、俺のIDと照合する必要があった。
普通なら途方もない作業だ。でも、ダイチは元プログラマーだった。データの抽出と整理を一晩でやった。ミナトが配信で「手伝ってくれる人いませんか」と呼びかけたら、視聴者の中にデータ分析を仕事にしている人間が三人も手を挙げた。ヒナがSNSで進捗を共有すると、さらに協力者が集まった。
俺は何もしていない。ただダンジョンに潜っている間に、画面の向こうの人たちが全部やってくれた。
結果は明白だった。
イグニスの探索中、索敵反応の九十七パーセントが俺のIDから発生していた。神崎の索敵反応はゼロだった。他のメンバーも同様。つまり、イグニスの探索成功率九十二パーセントは、ほぼすべて俺の能力によるものだった。
さらに、俺が抜けた後のイグニスの記録も開示された。探索成功率は四十一パーセントに落ちていた。半分以下。それでもイグニスがA級を維持できていたのは、神崎がギルド上層部と個人的な繋がりを持っていたからだった。
ユキが報告書の形式にまとめ、ミナトが配信で公開した。視聴者は三千人を超えていた。
嘘の城は、思ったより呆気なく崩れた。
環境ログという動かぬ証拠の前で、神崎の主張は何一つ成り立たなかった。「桐生の索敵は不安定だった」という除名理由は、九十七パーセントという数字に完全に否定された。
ギルドが調査に動いた。神崎はパーティリーダー権限を使って、俺の索敵データを意図的にギルドに報告していなかったことが判明した。ゴーレム社とのスポンサー契約で「神崎がエース」と謳うために、俺の功績を自分のものにしていた。二億円のために。さらに、俺をEランクダンジョンから締め出そうとしたのも神崎だった。あの通達は、神崎が理事に頼んで出させたものだと、調査の過程で明らかになった。
ゴーレム社は即日契約を解除した。「虚偽の実績に基づく契約は無効」という声明を出した。神崎はスポンサーも、探索者資格も、パーティも、全部失った。俺を切って手に入れたものが、そっくりそのまま消えた。
残りのメンバーは処分保留。俺の適性取り消しは無効となり、ギルドから正式に謝罪文が出された。
SNSは手のひらを返した。「最初から怪しいと思っていた」「神崎は昔から態度がデカかった」。半年前に俺を叩いていたアカウントの何割かが、今度は神崎を叩いていた。
同じだ、と思った。半年前、俺を叩いていた連中が、今度は神崎を叩いている。「最初から怪しいと思っていた」。嘘だ。あのとき誰も俺の味方をしなかった。結局、叩く相手が変わっただけで、やっていることは何も変わらない。
俺はSNSのアカウントを消した。
ギルドから連絡が来た。A級探索者への復帰を打診された。
断った。
電話の向こうで担当者が黙った。「桐生さん、A級復帰は多くの探索者が目指すポジションです。お考え直しいただけませんか」
「いえ、大丈夫です」
本気だった。あの日、会議室で書類を突きつけられたとき、俺の中で何かが切れた。探索者という肩書きへの執着。A級を目指すという目標。認められたいという欲。全部が、半年の空白の中で静かに死んだ。
残ったのは、毎日ダンジョンに潜る習慣と、夜にミナトたちと話す時間だけだった。それで十分だった。
今日も多摩丘陵第七に潜る。
受付で記録を見たら、Eランクの最速記録はまだ俺のまま更新されていなかった。当たり前だ。まともな探索者はEランクなんかに来ない。ここは俺みたいな半端者が素材を拾う場所だ。
地下に降りる。薄暗い通路。水滴の音。壁の染みのパターン。全部わかる。ここには嘘がない。ダンジョンは嘘をつかない。罠は罠として存在し、モンスターはモンスターとして襲ってくる。人間みたいに笑いながら刺してこない。
ここが好きだ、と思った。初めてそう思った。
探索者として認められたいからじゃない。A級を目指しているからでもない。ただ、ここにいる間は嘘がないから。地下四十メートルには、噂も届かない。
ダンジョンを出ると、スマホにミナトからメッセージが来ていた。
「蓮、明日、みんなでオフ会しない? ユキが新宿に出られるって言ってて」
画面を見つめた。声は知ってる。笑い方も知ってる。でも顔は知らない。
イグニスでは毎日顔を合わせていた。背中を預けて戦っていた。それでも神崎は俺を切った。この四人は、俺が何も持っていないときに隣にいた。
「行く」と打った。
帰り道、コンビニに寄った。半年前は、おにぎりを一つ買うだけで手が震えていた。
今は棚の前で、明日みんなに何を持っていこうかと迷っている。迷えることが、少しうれしかった。




