5.小さな海と子守唄(The Little Sea and the Lullaby)
「調べたい伝承っていうのはね。これなんだ」
『三重の伝承 怪異編』に載せられた一つの語りを、私は咲季に見せた。
『小さな海』
鈴鹿の北の山の奥に、小さな海があったという。
アワビが採れ、エビも採れ、鯵も釣れたと聞く。
岩場ではワカメやテングサが採れたそうだ。
海岸には狭い砂浜があり、崖には大きな洞窟が口を開けていたという。
小さな海には、外の海と同じような潮の満ち引きがあり、中心あたりはどこまで深いのか分からないほど深かったらしい。
昔は、山から新鮮な海のものを売りに来る者たちがいて、町の者からは不思議がられていたそうだ。
北の山を奥ヘ奥へと進むと、やがて海の匂いがし始めて、深い盆地に出るということだ。そこが小さな海のある場所だと伝えられている。
小さな海は周囲9kmくらいの楕円の形で、そこには流れ込む川も、流れ出る川もなかったとされている。
ある日、海軍が来て、大量の絵の具を小さな海に流し込んだそうだ。何キロか離れた外の海に絵の具が流れ出たのを飛行機で見て、地の底で外の海と小さな海がつながっていることが分かったという。
ある日、陸軍も来て、何かの工事を始めたそうだ。鉄条網が小さな海を囲んだ山に何重にも張り巡らされ、小さな海は隠されて、誰も入れなくなった。
ある日、昔から小さな海で漁をしていた年寄りが忍び込んで、小さな海にとても小さなお寺が建ったことを知った。そのお寺は鉄で作られた建物だったという。
その話をした後、その年寄りは行方知れずになり、二度と見かけることはなかった。
鉄条網には電流が流れるようになり、忍び込むことすらできなくなったということだ。
今では小さな海は忘れられ、どこにあったのかすら分からない。
これが私の伝え聞いた小さな海の話だ。
(竹内京子)
「この話、私も気になってたんですよ。あと、山の祭りと子守歌の話、とか、山の住人が話す異言語の話とか」
「それが、咲季ちゃんのピックアップした気になる話か。でも、山の祭りと子守歌の話なんて、この本に載ってた?」
「それは『Henge』の最新号に載ってました。北の山の奥から祭りのような音楽や、聞いたことのない言葉の子守唄が聞こえてくるって話です」
「UFOに関係なさそうな話は飛ばして読んでるから、気づかなかった」
「先生なら、そうですよね」
「でもさ、よくある山の怪談みたいな話だけど。聞いたことのない言葉なのに、どうして子守唄だって分かったのかな?」
「それがですね、先生。シュラーとか、メットルーズンとか、そんな言葉の入った歌が聞こえてくるんだそうです。これってドイツ語のシュラーフ(Schlafe)、眠れ、とか、ミット・ローゼン・ベダハト(Mit Rosen bedacht)、バラに包まれて、じゃないでしょうか?」
「なるほど。ブラームスの子守唄だ!」
「そうです。ドイツの子守唄だって知ってた人がいたんですよ。山の住人の異言語っていうのもドイツ語だったんじゃないかなって思うんですよね」
「なにか隠し事の匂いがするね。いや、違うか。隠し事を気づかせようとしているような、どこか作為的なものを感じるな・・・。他に君の気になった話は?」
「やっぱり、『小さな海』ですよ」
三重の伝承の調査は、引っかかるところがあるとか、UFO調査の一環だとしか咲季には伝えていない。なのになぜ、咲季の気になる伝承が、私の隠された目的と一致するんだ?
「少し怖いな」
「あれ?なんで先生が怖いんですか?そう言えば、河合真知子さんからメールの返事が来ました。先生の希望どおりUFO記念日の6月24日においでいただいて構いませんとのことでしたよ」
「よし。日程も決まった。天気が良ければいいね。UFO記念日は雨の日が多いんだよ」
「・・・ところで、先生」
「なに?」
「先生の子供の頃の写真って無いんですか?」
「ん?そんな写真、無いんじゃないかな。今、その話必要?」
「見たいんですけど」
「いや、だから無いと思うよ」
「先生。ずるいですよ。私の子供の頃の写真は他人に見せたりしてるくせに」
「ずるくないよ。本当に子供の頃のアルバムなんてないんだってば。少なくともここにはね」
「じゃあ、先生の自宅部屋の分厚そうで昔っぽいアルバムはなんですか?」
「あ、やっぱり、いない間に覗いてた」
「本棚と天井の間に突っ張り棒を、いくつ置いたらいいか確かめてたんですよ。本棚が、地震で倒れたら困りますよね。本も痛みますし、何より先生の上にドーンってなったらどうするんですか?」
「君は母親か」
「先生の、UFO以外に全く関心なさそうな生活を見てたら、誰だってそうなります」
「まあ、どの部屋もUFO資料だらけだから見られて困るものでもないし、君も面白くもなかったでしょ?ちなみに、分厚いアルバムにはね。これまでに苦労に苦労を重ねて集めたUFO写真が貼ってあるんだよ。持って来ようか?あ、すでに見てる?」
「そこまではしていません。まだ」
まだ?
怪しいなと思いながら、オフィス兼自宅と扉一つで隔たれただけの、自宅部屋の本棚の上においてある、古風なアルバムをいくつか持ち出してきた。
ソファーに座った咲季が、その中の一冊を手にとって、目の前のテーブルに広げて眺めている。
昔は、写真をこういった粘着性台紙に貼ってビニールシートを被せるタイプのアルバムに保存することが多かった。粘着剤で変色することもあるが、一緒に撮影データのメモも貼れるので整理しやすいという利点もあり、最近まで使っていたのだ。
ただ、時間が経つと写真が貼り付きすぎて剥がせなくなるという難点もある。そのため、今ではすべてスキャナーでパソコンに取り込んでいる。
「どう?UFO写真コレクションだったでしょ?」
「白黒の写真もあるんですね」
「日本では1950年代くらいから、UFO、当時は空飛ぶ円盤だね。そういった写真がぽつぽつ撮られ始めたんだよ。長老研究者に頼み込んだりして、なんとかオリジナルを手に入れたり複写させてもらったりしたんだ。1枚1枚がそういった血と汗と涙の結晶なんだよ」
これは大げさではなく、本当のことだ。『苦労なくして資料が集まると思うな』というのが私の座右の銘でもある。
「血も出ちゃいます?でも、どうして、そこまでして?」
「雑誌や新聞に載った写真はトリミングされていたり、鮮明度も低かったりするから、検証するにはオリジナルか、それに近い世代の写真じゃないとダメなんだよ」
「なるほどです」
「まあ、実際にはトリック写真ばかりなんだけど、それでも見ている分には、時代時代の色が感じられて面白い。今は重いアルバムを開くこともなく、スキャナーで取り込んだ写真をパソコンで眺めたりしてるけどね」
「あ、先生若いですね」
「ん?これは10年くらい前の会合の時の写真かな。こういった記念写真も貼ってあったんだな」
「かっこいいですね。美形です。今も渋い感じですけど」
自分より一回り以上も若い女性にそう言われると、何か勝ったような気がするから不思議だ。
「あれ?これは高校生くらいですか?」
「え?そんな写真があるわけ無いでしょ?どれどれ」
「なんだか、ボーイスカウトみたいな格好をしてますね」
そこには、撮った覚えも、貼り付けた覚えもない写真があった。私の10代の頃の写真であることは顔立ちから間違いない。なぜ、こんなものがあるのだろう?
スキャナーで取り込んだときには、なかったはずだ。そもそも、これは何だ?
「ボーイスカウトって、こんな色のシャツだったんですね」
腰から上の写真だ。褐色かカーキ色のシャツにチーフのようにも見える黒いネクタイを巻いて、ショルダーストラップをつけている。左腕には赤い腕章をつけているが、撮影角度の関係でどんなものだったのかまではわからない。背景は森のようだ。
南田に聞くまでもない。ボーイスカウトに似てはいるが、このユニホームは、咲季と同じ系統のものだ。
こんな写真がなぜここに?なにかがおかしい。
普通なら、咲季がいたずら気分で、こっそり貼り付けたと考えるべきだろう。
では、咲季は、この写真をどこから手に入れた?
しかし、咲季がやったにしては態度が自然すぎるし、種明かしをしないのは不自然すぎる。しかも、元からここにあったかのように、他の写真とバランスよく配置されている。
カシャ。咲季が無邪気な顔をしてスマホで複写している。
「もらいましたよ。私も誰かに見せちゃいますからね。仕返しです」
アルバムを片付けるからと言って、一旦、自宅部屋に引っ込み、咲季の目の届かないところで、もう一度先ほどのアルバムを開いてみる。
まず、ビニールシートを確かめる。写真を貼り直すためにビニールシートをめくると、粘着性が弱まって、ペラペラと台紙から浮かんだりするものだ。だが、それもない。
おや、例の写真をよく見てみると、他の写真に比べて厚みがある。どうやら、2枚重ねにしているようだ。
ビニールシートをめくってみる。案の定、その下にもう一枚、別の写真が隠されてあった。
こんな事があっていいのか。
隠された写真に写っていたものは、同じ日に撮られたらしい私だ。こちらは全身が写っているので、草原のような場所で撮られていた事が分かる。遠景には、上に重ねてあった写真と同じ森が見える。
私の右側には、小さな女の子が立っている。私は、その子の方を向いて、白い花を渡そうとする姿勢でしゃがんでいる。白い花は、桜に似ているが、桜ではない。
女の子は、2歳くらいに見える。少し離れて、その子がいつ転んでも大丈夫なように、年配の女性が中腰になっている。僅かに笑ったその顔。
・・・その『顔』は、幼稚園の集合写真と同じ、あの『顔』だった。
この展開は、予想外だ。自分の手が、震え始めたのが分かる。
パソコンを立ち上げて、もう一度、咲季の幼稚園の集合写真の『顔』を見てみる。どうにも年齢が判断しにくい容貌だが、今、アルバムの中で発見した『顔』の方が、多少老けているようだ。
さらに、気になるのは、若い私と一緒に写っている女の子だ。咲季に似ている。目元が咲季と同じに見える。この子があと16年か17年ほど経つと咲季になるんじゃないか?いや、これは間違いなく咲季だ。
ふと思いついて、再度、咲季が持ち込んだ幼稚園の集合写真を見てみる。一人ひとりの顔をチェックする。いた。列の最後尾、右端の男の子。これは私じゃないのか?
この集合写真。咲季のものでは無く、私の幼稚園時代の写真ではないのか?いや、それで間違いない。
画像をよくよく見ると、質感や陰影が平面的に見える。これは、カラー写真をモノクロに変換した時の特徴だ。最初から、モノクロで撮影されたものではないということだ。
10代の私の写真。
私が18歳だとすると、咲季と思われる女の子は2歳。『顔』の女性は60歳くらいに見える。すると、幼稚園の集合写真の頃は50歳前後。そして、今は70歳代後半くらいか。
はっきりしているのは、幼稚園の集合写真を咲季のものだと偽り、私に見せようとした者がいるということだ。
混乱してきた。
少なくとも、私の10代の写真2枚は、きっと私自身が、なにかの理由があってアルバムに収めたものだ。そして、そうすべき理由があって2枚を重ね、忘れることにしたものに違いない。ビニールシートを剥がした形跡がないこと、他の写真との配置に不自然さがないことなどから、支持される推測だ。
一体、なにが起こっている?
私はいつから私で、私になる前の私は何者だったんだ?
また、心臓が一拍ずれて脈打つような感じがしはじめた。一瞬、意識が薄れたような気がして、すぐに我に返った。
咲季の両親に問い詰めてみるか。しかし、彼らも偽の記憶を持たされているのかもしれない。むしろ、その可能性は大いにある。
だとすると、一刻も早く三重に行って、混乱の大元を叩くべきだ。
この薄気味悪く、確実に近づいてくる怖さに押しつぶされる前に。
オフィス兼自宅の方にドアを一つ開けて戻ると、
「コーヒー、沸かしておきましたよ。早く冷めるように、先生のは冷蔵庫に入れてます」
と言いながら、複写した若き日の私の画像を、咲季はまだ眺めていた。
「頃合いを見て飲んでくださいね」
こういった無邪気な様子や、自然な気遣いが、演技だとはとても思えない。
「先生。ほんとに美形でしたね。この頃にお会いしたかったな」
悪かったな。その頃じゃなくて。
でも、どうやら会ってるらしいんだぞ。
「私はホテルに泊まることにするけど、君はお父さんの実家に泊まるでいいよね?」
「やです。記憶が途切れそうで怖いから」
「じゃあ、2部屋予約するか。3泊4日の予定で行くことにするよ。車で行くから前日に三重に到着して作戦会議。翌6月24日は河合真知子さんと三重の伝承保存会のメンバーとの打ち合わせ。そのあと、あの写真のバス停の辺りへ向かう。きっと、お父さんの実家あたりなんだよね?」
「本当のことを言うと、少しあやふやなんですよね。鈴鹿駅からバスに乗れば、行けそうな気もしますし、景色を見れば分かるとは思うんですけど、バス停の名前を覚えていないんです」
「ああ、それは普通だと思うよ。大抵の人は、離れた土地にいる祖父や祖母の家に一番近いバス停名なんて知らないんじゃないかな」
「そういうものですか。良かった」
「じゃあ、話を続けるよ。翌日は未定だけど調査。たぶん山歩きになると思うから、そういった服も準備しておいて。で、最終日は帰宅。土日を挟んでるから大学は2日休めばいい。スケジュール的にもかなり余裕を持たせたつもりだよ。どうかな?」
「久しぶりにテキパキした先生を見ました。最初に会った時みたいです」
「褒めてないよね。それ」
「先生。ひとつ疑問が。松阪牛のすき焼きはいつでしょうか?」
最近分かったのだが、こういう時の咲季は、ふざけたふりをしながらも、決してふざけているわけではない。日常の楽しみを混ぜることで、自分の世界が途切れずにつながっているという安心感を得たいのだ。
ふぅ。咲季に気づかれないようにため息をつく。実は、私も同じ気分なのだよ。
「初日か24日かな。きっと時間が余るから松阪まで行こうか?」
東京から河合真知子氏の住む鈴鹿までは、およそ5時間程度の道のりだ。私の中ではすでに個々の事柄に対する回答はおぼろげながら見えてきている。
もどかしいのは、全体が結びつかないことだ。
助手席に座った咲季は寝息を立てている。たった2ヶ月ちょっとだが、ほぼ毎日顔を合わせていると家族のような情が湧いてくるものだ。
私は咲季に疑いを抱いている。それと同じくらい自分に対しても。
無意識にせよ意識的にせよ、どちらかが、どちらかを騙している。それは私なのか、咲季なのか。それとも、両方なのか。
鈴鹿ICまであと200km。
鈴鹿ICまであと100km。
鈴鹿ICまであと50km。
鈴鹿ICで降りる。そろそろ咲季を起こすかな、と思って横を見るとすでに咲季は目を覚ましていた。
「咲季ちゃん、どうする?このまま一般道を10kmほど行くと、予約していたホテルに到着するけど、まずチェックインする?いっそ松坂まで行く?」
「う〜ん。疲れたから一休みしたいです」
よく言う。途中からほぼ寝てたくせに。




